第10話 アプローチ


 クラークから無事にガレリアへと帰還したレオンは、その足で医療施設へと向かっていた。言うまでもなく、ブラッドベアの攻撃によって右肩に負ってしまった傷を治療するためである。

 辺りは既に夕焼けの赤色に染まり始めており、間もなく夜が街を包み込もうとしていた。

 普段であれば、迷宮探索の後は真っ先に協会支部へと向かうレオンだが、今回に関しては傷の治療が最優先であると言えるであろう。

 探索者シーカー御用達の施設であるという診療所にて、レオンは治療を受ける。多少高額でも効果と即効性の高い治療を受けるべきだというシルバーの勧めに従い、レオンは30万もの金額を支払った。

 ここ数十年における探索者達の活躍に伴い、ガレリアの医療技術は極めて高度なものとなっている。その賜物によって生み出されたという正体不明の塗り薬により、レオンの傷は驚くほど回復することになった。一応傷口部分に包帯をあてがってはいるものの、その必要はないのではないかと感じられるほどに綺麗に傷口は塞がり、痛みもほとんどなくなっている。

 恐ろしさすら感じる高度な医療技術によって回復してから診療所を出たレオンは、次に協会支部へと向かった。

 早番であったらしいマリーの姿は既になかったが、レオンからすればこの後会えるために特に気にしていない。今朝も、彼女と今夜の予定について話したばかりだ。

 レオンは、黄金ミツメドリの魔石と黄金光石の買取り手続きを行う。探索冒頭で手にいれた数個のキエンの魔石は、迷宮に置いてきてしまった黒いベストのポケットに入っていたため、持ち帰ることはできていない。最も、黄金ミツメドリの魔石と黄金光石を持ち帰ったレオンからすれは、それは気にすることもない損失である。

 受付を行った妙齢の受付嬢は、レオンの取り出した魔石と黄金光石を見てギョッとした表情を浮かべていた。


 「こ、これは、黄金ミツメドリの魔石!?じゃあ、この光る欠片たちは黄金光石……?」

 「ああ。ちょっと色々あってこんなになっちゃったんだけど、買い取りはしてもらえるか?」

 「え、ええ。価値は落ちてしまうでしょうが、欠片と言えどこれだけ揃っていれば問題ないと思います。正確に査定を行いたいので、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」

 「大丈夫だ」


 受付嬢は動揺した様子を見せながらも、魔石と黄金光石を手にして奥へと引っ込んでいく。


 『マスター、一欠けら分の黄金光石をお持ちになったままですね?それだけの大きさがあれば、数十万円はいたしますよ?そちらは売却しなくてよろしいのですか?』

 『ああ、いいんだこれは。リンにあげようかと思って』


 シルバーは、レオンの行動を内心で意外に感じていた。

 最近探索者としての金銭感覚に慣れ始めていたレオンではあるが、それでも数十万エンは決して安い金額ではない。長い間外周区での生活を経験しているレオンであれば、それは尚更感じるはずのことであろう。


 『まあ、正直丸々1個の黄金光石が手に入っていたら、流石にこんなことはしなかったと思う。でも、何の因果かこうしてお宝がバラバラになっちまったんだ。その欠片くらい、欲しがっている人に渡してもいいだろう?』


 黄金光石は、探索者であったリンの両親が生前探し求めていた宝物(トレジャー)である。それを手に入れることが出来ればリンも報われるであろうと考えた、レオン純粋な好意による行動である。


 『なんだ。反対なのか?』


 反応が鈍いシルバーに、レオンが問いかける。


 『否定。決してそんなことはありません。マスターの望みが、シルバーの望みです。ただ、少々意外に感じられただけです』


 自分の命を繋ぐことで精いっぱいだった外周区での生活。そんな暮らしから抜け出してしばらく経ち、金銭的にも精神的にもゆとりを持ち始めているレオンは、以前と比べて無自覚にその性格が軟化してきているのだ。

 シルバーの正直な回答に苦笑するレオンの下に、受付嬢が戻ってくる。


 「お待たせいたしました。黄金ミツメドリの魔石が500万エンと、黄金光石の欠片が全て合わせまして300万エン。合計で800万エンの買い取り料金となります。黄金光石は砕け散ってしまっていますので、やはりどうしても価格は下がってしまいました」

 「そうか。まあ仕方ないな。それで買取りを頼む」


 本来であれば600万は下らない黄金光石の買い取り額が、半分以下になっていることに関して文句を言われることも覚悟していた受付嬢であったが、そんな様子は微塵も見られないレオンの様子に安堵する。

 彼はむしろ、その大金に対する激しい感情のたかぶりを必死に表情に出さないように勤めていたのだ。事前にシルバーから聞いていなければ、間抜けな表情を披露することになっていただろう。

 

 「それでは、探索者板シーカータグの支払い可能残高に加算させて頂きます。……はい。これにて手続きは終了です。またのご利用をお待ちしております」


 受付嬢に見送られ、レオンは協会支部を出る。


 『すごい大金を手に入れたもんだな』

 『マスター』

 『分かってるよ。上位の探索者達に比べたら大したことないって言うんだろ?』

 『一部肯定。確かに、本日マスターが遭遇した黒タグ達が日々手にするような報酬と比べれば大したことのない金額かもしれません。しかし、現在のマスターが白タグであることを考えれば、破格の報酬と言えるでしょう』

 『おっ。流石に今回はかなり儲けられたってことか』

 『肯定。そこでお尋ねしたいのは、その使い道です』

 『使い道?』

 『マスターが探索者となったのは、外周区の生活から抜け出すためだと伺いました。過度な贅沢をしないのであれば、1年以上は十分に暮らせるほどの資金をマスターは得たことになります。加えて言えば、それを元手に何か商売を始めてみてもいいかもしれません。或いは、勉強してどこかに就職するのもいいでしょう。つまり、その気になればマスターは既に探索者を続ける必要などない地点まで来たのです。それを踏まえて、マスターにはこの資金をどのように使うか考えて頂きたいのです』


 もう、探索者を続ける必要はない。

 そんな意味を含めたシルバーの問いかけに、レオンは自分でも驚くほどすんなりと答えを出していた。


 『この金は、新しい装備を揃えるのに使うよ。防具代わりだったベストもなくなっちゃったし、そろそろもっと強力な銃も欲しいからな』

 『探索者を続けられるのですか?』

 『別に、他の探索者達みたいに迷宮にロマンを見出したわけでも、探索者として上を目指したくなったわけでもないと思う。……自分でもよく分からないんだけどさ、こうしてシルバーと一緒にクラークに挑む命がけの日々が、案外気に入ってるらしい』


 そう語りながら自分でも意外に感じているレオンは、言葉を続ける。


 『だから、これからもよろしく頼むよ。探索者としての俺を、今後も支えて欲しい』

 『……勿論です。マスターの望みが、シルバーの望みですから』


 探索者を続ける。

 レオンの言葉に、シルバーがどこか嬉しそうにしていることを彼は感じ取っていた。やはり、シルバーは探索者のサポートをしてこそ輝く存在であるのだろう。

 

 そんな会話を行いながら、レオンは一度宿へと戻ることとなった。マリーとリンとの待ち合わせ時間が迫っているため、急ぎ足で入浴と着替えを行った後に待ち合わせ場所へと向かう。

 時間ぎりぎりに現地へとたどり着いたレオンは、前回とは違って女性陣を少し待たせてしまう結果となった。


 「悪い。遅くなった」

 「いえ!私達も今来たところですから。本日も無事に迷宮から戻られたようで何よりです」


 相変わらずまぶしい笑顔を浮かべるマリーに、レオンの頬が自然と緩む。今日の彼女は身体のラインが強調されるぴっちりとしたシャツの上にジャケットを羽織り、ミニスカートから魅力的な足を覗かせていた。自分は以前と全く同じ格好で来てしまったことを、レオンは少しだけ気に掛ける。

 一方、レオンと同じく前回と全く変わり映えしない恰好であるのはリンであった。その服装はやはり外出に向いているとは言えず、長い前髪と眼鏡に隠された視線を俯きがちに下げているのも相変わらずである。


 「こ、こんばんは」

 「お、おう」


 一応挨拶くらいはした方がいいと思っているらしいリンの言葉に、レオンも応える。

 軽い挨拶を交わした後で、一行は目的の店へと向かった。

 リンが今回連れてきてくれたのは、海鮮料理を主とした料理屋である。まだ多少のぎこちなさを持ち合わせているものの、レオンが以前のようにキョロキョロと辺りを見渡すこともない。

 話好きのマリーが中心となって、3人は談笑を行う。

 やがて運ばれてきた料理に舌鼓を打つと、レオンはその美味さに前回以上の感動を覚えた。


 「う、うまい!」


 思わず言葉にして料理に夢中になるレオンの姿を、マリーはやはり微笑ましい表情で見つめる。リンも心なしか嬉しそうであった。やはり、自分の紹介した店の料理が気に入られるというのは、彼女にとっても悪くないものなのであろう。


 「リンはどうして美味い店ばっかり知ってるんだ?」

 「た、食べるのが好きなだけです。新しいお店を見つける度に行ってみて、当たりか外れかを判断しているだけですよ」


 内向的なはずの彼女が持ち合わせている意外な趣味。その産物が、良い飲食店に関する情報だということだろう。

 シルバーも飲食店に関する情報は持ち合わせているが、味の良し悪しに関して言えばその限りではない。シルバーがもっているのはあくまでも立地や価格帯、扱っている料理の種類などの情報だけなのだ。


 「リンにはもっと色んな店を教えてもらいな。できるだけ高頻度で」

 「……マリーには受付嬢の仕事があるので、そんなに高頻度では通えませんよ」

 「ん?まあ確かに俺も毎晩のように通えるって訳じゃないけど、別に2人でもいいだろ?」


 レオンの言葉に、一切の他意はなかった。

 むしろ、リンのことを女性として全く意識していないからこそ出た発言とすら言える。彼の頭にあるのは美味い料理への欲求のみで、リンをデートに誘っていることになる自らの発言についてや、会話の中心であるマリーを欠いた場合に予想されるであろう気まずい空気感についての配慮などは一切存在しない。

 一方のリンは、レオンの言葉に動揺していた。

 そもそも、自分はレオンがマリーと食事に行くためのおまけのような存在であるはずだ。なのにどうして、おまけであるはずの自分をデートに誘うのだろうか。レオンの主目的が美味い料理にシフトしていることなど知る由もないリンは、そんな困惑と共に口を開く。


 「ど、どうして……」


 どうして自分がそこまでしなければならないのですか?

 そんな言葉を勝手に感じ取ったレオンは、的外れな方向に反省をし始める。


 「あー、それは流石に迷惑だよな」

 「い、いえ、迷惑というわけでは」

 「そうなのか?まあでも、リンにそこまでする義理がないのは確かだよな……」


 その時、レオンはふと自分の懐に忍ばせていた硬い感触を感じる。彼はいいことを思いついたとばかりに不敵にその口角を上げた。


 「そう言えば、今日黄金ミツメドリの討伐に成功したんだけど」


 唐突なレオンの発言に、マリーとリンはギョッとした表情を浮かべる。彼の発言の真偽も、なぜ突然そのような話を始めたのかも彼女たちには理解できない。


 「その時手に入れたから、これやるよ」


 レオンが懐から黄金色に光り輝く光石を取り出し、それをリンに手渡す。反射的に受け取ったリンはポカンとした表情を浮かべた。


 「お、黄金光石!?間違いない!黄金光石ですね!」


 驚いた様子のマリーの発言を耳にし、リンは更に目を丸くする。

 協会職員のマリーが言うのだから、これが黄金光石であることは間違いないのであろう。


 「レオンさん!これはどうやって!?」

 「いや、だから黄金ミツメドリを討伐したからなんだけど……」


 そんなマリーとレオンのやり取りを横目に、リンは自らの掌の上で輝く黄金光石を見つめる。これを自分にくれると、レオンは確かにそう口にしていた。


 「く、くれるんですか?これを私に?」

 「ああ。親が探してたものなんだろ?」

 「で、でも。すごく高価な物なんじゃ」

 「黄金光石って言ってもその欠片だからな。めちゃくちゃ高価ってわけじゃない。だからそんなことは気にしなくて大丈夫だ」


 いくら欠片とはいっても、数十万円は下らないはず。リンはそのことを十分に理解していた。

 両親の念願が自らのものになった喜びが沸き上がると同時に、彼女の混乱はいよいよ限界に達していく。恋人同士のような関係ならいざ知らず、どうして出会ったばかりの自分のこんな貴重なものをくれるのだろうか。


 「ど、どうして……私、どうやってお礼すれば……?」

 「じゃあ、そのお礼ってことで良い店に連れて行ってくれよ」


 レオンは、先程考え付いた作戦を実行した。黄金光石のお礼としてなら、リンも自分のお願いを無下には出来ないであろう。そんな単純な理由からの発言であった。

 その瞬間、マリーが目をキラキラ輝かせながら口元を両手で抑え始める。


 「そ、それは、ふ、ふ、2人でですか?」

 「ん?そうだろ?」


 先程マリーは忙しいのだからと自分で言ったばかりじゃないか。レオンは内心でそんなことを考えながら、いつも以上にか細いリンの言葉に答える。

 すると、リンの顔がみるみる赤くなっていき、マリーの瞳は一層キラキラと輝き出した。

 

 『マスター……』


 様子のおかしい女性陣2人と、呆れたようなシルバーの呟きに、レオンはただただその首を傾げるのだった。


 結局、その後リンはどこか上の空の様子であり続け、マリーは瞳を輝かせ続けることになった。

 2人と別れて夜の街を歩きながら、レオンはシルバーに問いかける。


 『なんか、途中から2人とも変じゃなかったか?』

 『……そうでもないと思いますよ』


 欠片とはいえ高価な宝物を手渡し、その見返りに2人での食事を求める。傍から見れば、レオンの行動は意中の女性に対する熱烈なアプローチであった。

 シルバーは呆れた様子で、そのことをレオンに伝えようともしない。レオンに従順な人工知能であるはずシルバーは、男女関係についてだけは彼に世知辛な態度であった。一度痛い目でも見ればいい。そんな気持ちと、この先に待ちうける展開へのほんのちょっとの好奇心から、シルバーはレオンに先程の行為の受け取られ方を説明しなかったのだ。

 レオンはその日宿のベッドで眠りにつくまで、どこか釈然としない気持ちを抱え続けることとなったのであった。




 翌日、レオンは新たな装備を整えるべく武器屋へと赴く。ほぼ完治しているとはいえ、前日に怪我を負っていることもあり今日の迷宮探索はお休みである。

 今回も訪れたのも、相変わらず仏頂面でカウンターに肘をついている不愛想なオヤジが店主である小さな武器屋だ。シルバー曰く、商品の質は悪くない店であるらしい。


 『防具はとりあえず必須だよな?失くしちまったわけだし。あと、できればもっと強力な新しい武器が欲しい気がする』

 『肯定。マスターの使用可能予算は800万エン。その範囲内で、できるだけ高性能な防具と武器を取りそろえることと致しましょう』


 とは言うものの、いくら眺めたところでレオンにはその商品の性能も良し悪しも分からない。いずれは自分自身でものを考えられるようにならなければいけないとは思いつつも、彼はいつも通り頼れる相棒へと尋ねた。


 『それで、どれを買えばいいと思う?』

 『防具に関して悩む必要はありません。今回マスターに買って頂きたいと思うのは、あちらの商品です』


 レオンが目を向けた先にあったのは、着用すれば体のラインがくっきりと浮かび上がりそうなほど薄手の、真っ黒な全身スーツだった。


 『あんなのが防具なのか?』

 『肯定。インナーとして服の下に纏える、“強化下着”と呼ばれる防具ですね。価格によって性能の差はありますが、多くの探索者達が愛用しているメジャーな防具です。軽い素材ですが、とても頑丈にできているので心配は不要ですよ』

 『ふーん』


 レオンは商品に付けられている値札を眺める。


 『100万エンか』

 『強化下着の中では、最も安価なものに分類されるかもしれませんね』

 『まあ。俺も高いとは思わないよ。命を預けるもんだし』

 

 少しづつ探索者らしくなってきたレオンは、その金額に動揺することもない。


 『んで、武器はどうする?』

 『武器関しては一考の余地があるのですが、シルバーとしては散弾銃をお勧めいたします』

 『どんな武器なんだ?』

 『散弾銃は連射性にはすぐれませんが、一発一発が強力な威力を誇る武器です。当然、射程範囲も拳銃より長く50メートル程はあります。また、数種類の弾丸を選んで選択できるのも利点ですね』

 

 レオンは店内に並べられている銃火器を眺める。シルバーが説明してくれた散弾銃も確かに強力そうな武器に見えたが、彼の目から見ればその他の武器との違いはよく分からなかった。


 『一応、散弾銃を選んだ理由を聞いてもいいか?』

 『当然予算の都合などもありますが、現在のマスターに最も合っているのが散弾銃だと判断しました。桁違いの射程距離を誇る狙撃銃や、高い連射性を持つ短機関銃も候補ではあるのですが、前者はどちらかと言えば後方支援型の武器であり、ソロであるマスターには向いていません。後者は比較的一対多の場面において輝く武器ですが、そもそも多数の敵に囲まれてしまうような立ち回りは避けるべきでしょう。ですので、連射性の低さをカバーできる技量さえ身に付けられれば、マスターにとっては散弾銃が最もオールマイティな武器と言えるのです』

 『なるほど』


 レオンは壁に掛けられていた黒い散弾銃を手に取り、思っていたよりも軽かったその武器の感触を確かめた。


 『分かった。これにしよう』

 『確認。では、残りの予算で強化下着の上に着る迷宮用の服と弾丸を購入致しましょう』

 

 強化下着が100万、散弾銃が600万、散弾銃用の弾と拳銃用の弾倉合わせて98万、迷宮用の身軽な服が2万。合計でピッタリ800万エンを使い切り、レオンは店を出る。


 『800万の買い物か……』

 『命を預ける物なのです。装備を惜しめば、待っているのは死のみですから』

 『分かってるよ。それより、早くコイツを使えるようにならないとな』

 『肯定。本日は迷宮にも行かないことですし、早速外周区にて訓練を行うことと致しましょう』

 

 訓練になると思わぬスパルタぶりを発揮するシルバーのどこか嬉しそうな提案に、レオンは苦笑いを浮かべる。


 『まあ、探索者と生きていくって決めたからな』


 レオンは新たに手に入れた武器を肩に担いで、ガレリアの街を歩き出すのだった。

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