第6話 休息日


 レオンが探索者シーカーとなってから、二度目の朝を迎えていた。

 前日の迷宮探索に伴い14個ものキエンの魔石を持ち帰ることに成功したレオンは、その結果28万エンの報酬を新たに手にしている。本来1個1万エンであるキエンの魔石だが、依頼による追加報酬で更に1つにつき1万エンが加算されたことによる合計金額であった。

 とは言え、初回の探索において約70万エンもの報酬を手にしていたレオンが、その金額に少々物足りなさを感じていたのも事実である。数日前までの彼からしたら充分な大金のはずであったが、一度上を知ってしまえば下では満足できなくなってしまうのが人間であろう。

 ちなみに、早くもアイドル的な存在となりつつあるマリーの受付に既に多くの探索者達が殺到しており、魔石の買い取り手続きを他の受付嬢に行ってもらう形となったのは余談である。レオンがそのことを僅かに残念に感じたことも、これまた余談であるだろう。


 「今日も迷宮に向かうってことでいいのか?」

 

 宿泊している宿の部屋にて、レオンはシルバーに問いかける。


 『否定。本日は別のことを致しましょう。連日迷宮に潜り続けていては、身体に疲労が溜まり続けてしまいます。本日は迷宮探索を行わない休息日とし、地上でも行える戦闘訓練を行うとともに、読み書きの学習を行いましょう』

 『了解だ。でも、なるべく迷宮に行ってマナを取り続けた方がいいんじゃなかったのか?』

 『1日の休息を取る程度、何の問題もありません。むしろ、連日で迷宮に挑み続けるような探索者の方が珍しいと言えるでしょう』

 『そういうもんか』


 レオンは宿の朝食を楽しんだ後、街へと繰り出す。万が一に備えて拳銃だけは外から見えないように装備しているものの、アイテムの収納と防具としての機能を兼ね備えている黒いベストは身に着けていない。


 『まずは学習に用いる教本を得るため、書店へと向かいましょう。勿論、学習に際してはシルバーがご助力いたしますが、実際に本を用いた方がより効率的に学習を行うことができるはずです』

 

 そう述べるシルバーの案内に従い、壁外区を進む。ガレリアでは相変わらず多くの人々が道を行き交っていた。今後生活に余裕が出てきたら、街を見て回るのも良いかもしれない。外周区にいた頃には到底思いもしなかったであろうそんなことを考えながら、レオンは書店へと向かった。

 しばらく進むと、彼は壁外区の片隅にひっそりと佇むこじんまりとした書店へとたどり着く。店内には所狭しと本棚が並べられており、そのいずれにもぎっしりと本が詰められていた。


 『どんな本を探せばいいんだ?』

 『読み書き学習用の教本を探しましょう。加えて、小さな子供向けの児童書などを購入しても良いかもしれません』


 壁外区に暮らすような人の中にも、読み書きを行えない人間は少なくない。教育を受けることができるのは一部の富裕層だけであるし、学習に必要な本自体も決して安価なものではないからだ。なので、レオンくらいの年の人間が学習用に児童書を買い求めるのもおかしいことではなかった。

 予想以上に大きな数字が書かれた値札に驚きつつ、レオンはシルバーの助言の下教本を1冊と児童書2冊を手に取った。会計を行うために、そのままカウンターへと赴く。

 カウンターには、店主であろう女性がその手に持った本へと視線を落としていた。店番を行っているにも関わらず、レオンに気づくことすらなく読書に夢中になっている様である。

 女性店主は、身に着けている丸縁の眼鏡ごと目元を覆えるほどに、前髪を長く伸ばしていた。その紫色の髪の毛は碌に手入れもされていない様子で、後ろ髪は腰の辺りまで無造作に伸ばされている。

 レオンの目から見ても、彼女があまり身だしなみに気を使っていないであろうことは明白であった。最も、それはそっくりそのままレオンに対しても言えることである。


 「えっと、この本を買いたいんだけど」

 

 その声を聞いた瞬間、店主はハっと驚いて顔を上げた。目の前に立つレオンのことを、ポカンとした表情で眺めている。


 「……あっ、ご、ごめんなさい。お客さんですね」


 女性店主はその見た目から与える印象を裏切ることのない、か細く小さな声でそう口を開いた。

 彼女はレオンに差し出された本の値札を、どこかおろおろした様子で確認し始める。その所作の1つ1つから、内向的なのであろう彼女の性格がにじみ出ていた。


 「さ、3冊合わせて、2万2000エンになります。お、お支払いはどうされますか?」

 「これで頼む」


 レオンが差し出した探索者板シーカータグを受け取ると、彼女は珍しそうにしげしげとそれを眺めた。


 「……どうかしたのか?」

 「はっ、ごめんなさい。探索者のお客さんなんて珍しくて」


 女性店主は気を取り直し、会計の手続きを行う。


 『探索者が本を買うのは変なのか?』

 『比較的珍しいことではあるかもしれませんね。腕に覚えのある荒くれ者の多い探索者ですが、その分知的さなどとは無縁である者が多いのです』


 そんな念話をシルバーと行っていると、レオンの背後で店の扉が開く音が響いた。新しい客が来たのか程度に考えていたレオンは、意外な声を耳にする。


 「レオン様?」


 レオンはその声に驚いて振り返った。

 なんと、そこには探索者協会支部の新人受付嬢であるマリーが立っていたのだ。彼女はいつもの制服姿ではなく、女の子らしい柄入りのワンピースを身に纏っている。


 「ま、マリー?」

 「はい!名前を覚えて下さっていたのですねっ!」


 小走りでレオンの下まで近づいて来たマリーは、その顔に満面の笑みを浮かべた。そんな彼女の言動に、レオンの胸は高鳴る。


 「マリー、お客さんと知り合いなの?」


 女性店主の発した言葉が、再びレオンを驚かせた。どうやら、彼女らは顔見知りのようである。


 「うん。こちらはレオン様。たった1回の探索で白タグになった凄い探索者なんだよ」


 ただの漁夫の利であると説明を受けていたにも関わらず、マリーは真っすぐな賞賛と共にレオンを紹介した。


 「そ、それはすごいですね」


 店主が驚いたようにレオンを見つめる。


 「いや。たまたま運が良かっただけだ。それより、二人は顔見知りなのか?」

 「はい。リンとは小さい頃からの親友なんです」

 

 女性店主は、リンという名前らしい。

 明るい印象を覚えるマリーと、あまり社交的には見えないリン。一見相反する組み合わせに思える2人だが、その仲は非常に良好そうである。

 

 「レオン様は本を買いに?」

 「ああ、読み書きの勉強をしようかと思って」

 「それは素晴らしいです!探索者の中には読み書きを覚える気なんてない方達も多いのに、レオン様は努力家なのですね」

 「い、いや、別にそんなことは……えっと、マリーも本を買いに来たのか?」

 「いえ、私はリンに会いに来たんです。今日はお仕事がお休みなので」

 「始めたばかりの仕事で疲れてないの?今日くらい、ゆっくりしていればいいのに」

 「いいの!長いことリンのこと放っておいたら心配だもん。どうせ碌に部屋の片付けもしてないんでしょ?」

 「ちょ、ちょっと。お客さんの前で恥ずかしいよぉ……」

 「聞いてくださいレオン様!この娘ったら本当にだらしないんですよ!」


 マリーが始めたリンについての語り話を、レオンは苦笑しながら聞いていた。彼女の話を要約すれば、リンはとにかく本の虫で身の回りのことをないがしろにしてしまうらしい。しばらくの間くどくどとリンの改善すべき点について話し続けていたマリーは、ハっとした表情を浮かべる。


 「ご、ごめんなさい。私ったらついレオン様を引き留めてしまって」

 「いや、今日は別に取り立てて予定もなかったし、大丈夫だよ」

 「そうおっしゃっていただけるなら良かったですが、本日は迷宮には向かわれないんですか?」

 「ああ。あんまり連日で潜っても疲れが溜まるからな」

 「おっしゃる通りですね。無理をなされないのは、探索者として大切な能力ですから。それなら、本日レオン様は私と同じくお休みということになりますね」


 マリーのその言葉を聞いた瞬間、今まで黙っていたシルバーが突然食い入るようにしてレオンに語りかけてきた。


 『マスター、これは大きなチャンスです。彼女を食事に誘いましょう』

 『えっ!?ど、どうして?』

 『そんなの口説くために決まっているじゃないですか。そんなことも分からないのですか?』

 『何かお前いつもと違くないか!?』

 『とにかく、早くしてください』

 『お、俺は別に……』


 レオンがマリーを女性として意識しているのは確かだ。だが、それが恋と呼べる代物であるかどうかは際どいところであるだろう。外周区生活から抜け出したばかりの彼が、初めて目にした見目麗しい女性がマリーであるというだけなのだ。そのことを自覚しているレオンは、マリーへ積極的にアプローチすることに躊躇を覚える。


 『マスターの懸念事項は推察できます。ならば、口説くためではなく関わりの深い協会職員を得るための行動だと考えてください。前にも述べたように、特定の協会職員との仲を深めるのも探索者にとっては重要なことです。彼女は将来出世しそうですしね』


 何故か力説してくるシルバーを前に、レオンは頭を悩ませる。少なくとも、彼がマリーを悪からず思っているのは確かだ。


 『……そうだな。協会職員との関わりを持つためだからな』


 シルバーにうまいこと乗せられる形となったレオンは、意を決して口を開いた。


 「な、なあ。せっかくお互い休みなわけだし、もし良ければなんだが……」

 「?」


 マリーは僅かに首を傾げてレオンの顔を見上げ、彼の言葉の続きを待っている。


 「俺と……め、飯でも食いに行かないかっ?」

 「いいですよ」


 女性を誘うにしては少々乱暴な言い回しであったレオンの誘いに、マリーはあっけらかんとして答えた。

 彼女の言葉を聞き、レオンの胸中は今までに経験したことのない類の喜びで満たされていく。、


 「それじゃあ、今晩は3人で外食に行きましょう」


 マリーの放った言葉に、レオンは一瞬混乱した。

 だが、すぐにその言葉がリンの同行を意味していることに気が付く。自分だけが相手を意識していることへの恥ずかしさやら、とりあえず食事自体には行けることへの喜びやらで、レオンは何とも言えない心境を抱くことになった。

 しかしそんな中、レオン以上に動揺を覚えていたのがリンである。

 彼女の目から見て、レオンはマリーをデートに誘っている様に見えた。というか、どう考えてもそうである。自分が同行などしたらお邪魔虫になってしまう。そんなことにも気が付かないマリーを内心で非難しながらも、リンは同時に諦めのような感情を抱いていた。何故なら、長いマリーとの付き合いの中で似たような光景を何度も目にしてきたからである。

 マリーは、自らが男性の目に非常に魅力的に映ることを全く自覚していない。リンはマリーの外見と明るい性格に魅了された多くの男性達が、彼女の鈍感さを前に涙を呑んできた様子を見てきたのだ。せっかく努力して受付嬢になったというのに、彼女の頭には優良物件である上位の探索者への玉の輿願望など欠片も存在していないだろう。

 そんな彼女に今回アプローチしたのは、将来大物になるやもしれない探索者だ。まだ白タグであるとはいえ、初の探索にして木タグを卒業するほどの素質を持ち合わせているのならば、高嶺の花であるマリーに対しても十分に釣り合いがとれうる相手だろう。タイミング的にも、そろそろ彼女は男性との付き合いに真剣に取る組むべきだ。

 そんな考えのもと、リンは状況を何とかしようと口を開く。


 「わ、私のことは気にしなくていいから」


 自らに邪魔をする意思がないことをレオンに表明する意味でも、リンはそう述べた。


 「いやっ!3人で行こう!うん!勿論そのつもりだったし!」


 彼女の思惑を狂わせたのは、レオンが想像以上にヘタレであることだった。

 2人っきりなら行かないなどと言われたらかなわないと考えたレオンは、喰い気味になってリンの発言をかき消してしまったのである。


 「リンは普段あんまり外に出ないくせに、美味しいお店にだけはやたら詳しいんです。今日もどこかお勧めのところに連れて行ってよ」


 他2人の心中になど全く思い至っていない様子のマリーが、リンにそう要求する。

 思わぬヘタレぶりを発揮したレオンを内心で咎めつつ、リンは自らが同行する流れは避けられないことを悟っていた。


 「……お店を閉めた後でいいなら」

 「じゃあ決まりだね!レオン様もそれで大丈夫ですか?」

 「ああ。それでいい」


 そうして、レオンはマリーとリンとの食事という思わぬ約束を取り付けることとなったのであった。夜に改めて待ち合わせることとして、集合時間と場所を決めた後にレオンは書店を後にする。


 『デートにできなかったのは残念でしたが、まずまずの結果と言えますね』

 『な、何だか考えもしていなかった展開になったな』


 女性2人と食事を共にする。

 レオンが想像したこともなかったシチュエーションに、彼の動揺はしばらく収まりそうになかった。


 『本来であれば一度宿に戻って本を置いた後、戦闘訓練を実行。夜は宿にて読み書きの学習を行うという予定でしたが……計画変更です。まずはこのまま服を買いに行きましょう』

 『何で服なんか買いに行くんだ?』

 『……その必要性を感じられないマスターにはがっかりです』


 心なしか先程からいつもと性格が変わっているように感じられるシルバーの言葉にやや驚きながらも、レオンは自らの体を見下ろす。彼が身に纏っているのは、お世辞にも綺麗とは言えないボロボロの質素な服だった。それもそのはずで、かつて外周区で拾ったその一着だけを、長い間の生活にも迷宮探索の際にも身に着け続けていたのだ。これまでそのことについて何の疑問も覚えていなかったレオンも、流石にその顔をしかめる。


 『た、確かに、このままじゃダメかも』

 『ダメかもではなくダメです。ダメダメです。おすすめの衣服店までのルートを表示致します。そこでいくつか服を購入しましょう』


 相変わらずどこか世知辛い態度のシルバーの言葉に肩を落としつつ、レオンは衣服店へと赴いた。

 案外すぐ近くに位置していた衣服店の、そのおしゃれな雰囲気の漂う店内に入ったレオン。彼は自分が場違いであるような気がして、居心地の悪さを感じる。


 『さ、さっさと服を買っちまおう』

 

 店内から一刻も早く抜け出すべく、レオンは碌に服を吟味することなく手近にあった商品を手に取ろうとする。


 『お待ちくださいマスター。本日のようにある程度服装への気遣いが必要とされる場面に備えたものを1セットと、普段身に着ける用のものを数セット、ついでに下着類と靴も時間をかけてしっかりと選んでください』

 『それだと、結構金がかかっちゃうぞ?本当に必要なことなのか?』

 『衣食住という言葉をご存知ですか?人間の生活において重要な3つの事柄を表している言葉です。マスターは宿での宿泊と、それに伴う食事を得てその生活を格段に豊かにしましたよね?衣服はそれらに連ねて挙げられるほど、生活を構成するにおいて重要な要素とされているのです。衣服にお金をかけるのは、決して無駄なことではありませんよ』

 『……まぁ、シルバーがそう言うなら』


 渋々、並べられている商品を真面目に吟味するとにしたレオンだが、服装を気に掛けたことのない彼はお世辞にもファッションセンスに長けているとは言えなかった。その結果、何度もシルバーにダメ出しを受けることになってしまう。必ず試着を行うように強く言われレオンは、途中からは最早シルバーの着せ替え人形のような状態となっていた。

 そんな具合で試着を繰り返していた彼の下に、先程からレオンをいぶかしめな表情で見ていた女性店員がやってくる。


 「あのー、お客様。失礼ですが、お支払いの方は如何様いかように?」


 レオンは風呂に入って体こそ清潔に保っているものの、服装は外周区にいた頃と変わりない。そんな身なりをした彼に、女性店員は早い話が金はあるのかと尋ねているのだ。


 「ん?これで払うつもりだけど」


 彼女の質問の意図に気が付くこともなく、レオンはあっけらかんとした顔で探索者板を取り出した。


 「こ、これは失礼いたしました。もしよろしければ、お客様のご要望に合わせた商品を提案させていただきます」


 レオンが探索者であったことに驚いた女性店員は、慌てて彼への対応を通常の客に対するものへと切り替える。

 そうして、シルバーのダメ出しと女性店員の提案に終始右往左往することとなったレオンは、結果的にその買い物にかなりの時間を費やすこととなったのであった。


 「ありがとうございましたー!またのご利用をお待ちしております」


 店員の言葉を背に店を出たレオンは、両手に本と衣服の入った袋をそれぞれ抱えながら疲れ切った表情を浮かべている。


 『じゅ、10万近くした。宿の宿泊費一週間分だぞ……』

 『その分、大切に扱って下さい。とは言っても、上位の探索者になれば今日買った衣服も粗悪品扱いきるようになりますがね』

 『そんな日はくる気がしねぇよ……んで、一旦こいつらを置きに宿まで行けばいいんだっけ?』

 『肯定。その後、外周区にて戦闘訓練を行いましょう』

 『ん?戦闘訓練は外周区でやるのか?』

 『肯定。一昨日迷宮内で行ったのと同じように、シルバーの能力を最大限利用して射撃を中心とした訓練を行います。実際に発砲するわけではないとはいえ、拳銃を街中で振り回すわけにもいきませんから』

 『なるほど。了解だ』


 レオンは一度その身を軽くするために、宿へ向かって歩き出した。

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