第3話 信じてください
シルバーの示すルートに従いながら、大迷宮クラークの第一階層に位置する大森林の中を、順調に進んで行くレオン。彼は緊張感を保ちながらも、そろそろ出口にたどり着けるのではないかと考えていた。この手に持った拳銃を使う機会は無くなってしまうかもしれないが、それはむしろ喜ばしいことであるのだ。
そんなことを考えていた彼に、シルバーが語りかける。
『マスター、もうすぐ大森林の出口に到達しますが、そこでは複数のキエンが待ち構えており、戦闘は避けられそうにありません。心の準備をお願いします』
『迂回は出来ないのか?』
『広範囲に亘ってキエン達が森の出口で待ち構えており、難しいと答えざるを得ません。敵の数が最も少ない位置へと誘導いたします』
『そうか……』
大森林の出口はすなわちクラークの出口を意味している。
このまま帰れると思っていたレオンは、ゴールを目前にしてその表情をしかめた。だが、今後も探索者として生きていくならば、モンスターとの戦闘は避けられない事なのだ。何なら、それを主とした職業と言ってもいい。
レオンは覚悟を決めた。
『基本的に適度な距離を保ちながら、的の広い胴体部分を狙って発砲でいいんだよな?』
『肯定。訓練の内容を覚えているようで何よりです。ですが、実際のキエン達は木々を飛び移りながら移動し、こちらを翻弄してきます。訓練のように簡単に弾を命中させられるとは考えないでください』
『おいおい、そんなこと言われても不安になるだけなんだが?』
『ご安心ください。その為にシルバーがいるのです。シルバーの指示に従って頂ければ、必ず勝利できます。ですので、シルバーがどんな指示を出したとしても、必ずすぐに従って頂くようにお願いいたします。理由や意図が不明な指示を出す可能性もあるかもしれません。それは、その時説明している暇がないからです。ですので、シルバーを信用して頂くよう、よろしくお願い足します』
『……分かった』
『間もなく、キエン達がこちらの位置に気が付く距離に到達します。相手の数は3匹です。準備はよろしいですね?』
『ああ。覚悟はできてる』
レオンは立ち止まることもないまま、キエン達の索敵範囲内へとその足を踏み入れた。
レオンの初めての戦闘が開始されたのである。
『……キエン達が動き出しました。マスター、目印を出しますのでそこに照準を合わせて、合図をしたら発砲してください。そこにキエンが現れます』
10メートル程先に位置する大木の上方部分の太い枝上に、二重丸が表示される。レオンは言われた通りに、そこに狙いを定めた。
マップ上に赤い点が表示され、徐々に近づいてくる。
『間もなくです。5、4、3、2、1、今です』
シルバーの合図と同時に、レオンは引き金を引いた。その瞬間、木々を伝って丁度目印の場所にキエンが現れる。たった今まで目視すら出来ていなかったキエンの胸部を、彼の放った弾丸が撃ち抜いた。キエンは鮮血をまき散らしながら落ちていく。わけも分からないまま、レオンは初めてモンスターの討伐を成し遂げていた。
あまりに呆気なく最初のキエンを倒せたことに驚いているレオンに、すぐさま次の指示が出される。
『右方向に向かって走りだし、そのまま矢印に沿って走り続けて下さい』
半ば呆然としていたレオンは、慌てて走り出した。気を抜いている場合ではない。まだキエンは2匹残っているのだ。
視界に表示される矢印に従い、木々の間を駆け抜ける。マップを見ている余裕もなく、敵と自分の位置関係すら分からない。
『矢印が示す場所にて立ち止まり、振り返って先程と同じ手順を踏んでください』
所定の位置までたどり着いたレオンが振り返ると、先程も見た二重丸の目印が、今度は前方の木の横辺りに表示されていた。再び狙いを定める。
『3、2、1、今です』
先程よりも短いカウントダウンの秒数に少々焦りながらも、練習通りの綺麗な姿勢を意識したまま発砲する。それと同時に、太い木の幹の裏側に潜んでいたのであろうキエンが突然飛び出してくるが、これもまた胸部を撃ち抜かれて吹き飛んでいく。あっという間に2匹目も討伐してしまった。
撃たれたキエンが地面に投げ出されると同時に、30メートル程前方の地上に木から飛び降りて来たのであろう最後のキエンが現れる。
『敵は直進してきます。落ち着いて狙いを定めて下さい』
シルバーの指示を待たずして、レオンは銃口を向けていた。シルバーの力があったとはいえ、自らの手で2匹のキエンをいとも簡単に倒した事実が、彼から怯えを消し去っていたのだ。
慌てることなく、射程範囲内まで引き付ける。十分に引き付けたところで、息を吐き出しながら引き金を引いた。
弾丸は真っすぐな弾道線を綺麗に描きながら、吸い込まれるようにキエンの眉間へと命中しした。脳天を撃ち抜かれたキエンは、そのまま前のめりに地に伏す。
「…………勝った、のか?」
『お見事です。マスター』
あまりに呆気なかった戦闘に、レオンは呆然と立ち尽くす。
逃げることしか出来なかったモンスターを、この手で倒した。その実感が徐々に湧いてくると、レオンは深い感動を噛みしめる。
「やった……やった!!」
レオンはその喜びを口にした。
迷宮脱出まであと一歩のところで立ちはだかった敵を、あっさりと排除したのである。こうなってしまえば、後はこいつらの魔石を入手して地上に帰るだけだ。魔石を売り払って手に入れることの出来る金額を夢想して口元を緩めたレオン。
そんな彼の脳内に、一際大きなシルバーの声が響き渡った。
『マスター!今すぐここから走り出してください!』
「えっ!ど、どうして?それじゃ魔石が」
戦闘を終えてその胸中を喜びで満たし、すっかり気の抜けてしまっていたレオンは念話も忘れてシルバーに問いかける。マップを見る限り赤い点も存在せず、急いでここから離れる必要性は感じられない。
戸惑うレオンに、再びシルバーが言葉を投げかける。
『いいから急ぎなさいっ!早く!!』
初めて聞くシルバーの荒い口調に驚き、レオンは後ろ髪を引かれる思いを抱えながらもようやく走り出した。
その瞬間だった。
つい先程まで背にしていた大木が、凄まじい轟音と共に音を立ててなぎ倒されたのだ。予想外の出来事に、思わず振り返るレオン。
そこにいたのは、眼を真っ赤に血走らせてレオンを睨み付けている巨大なキエンだった。普通のキエンが人間とほとんど変わらない大きさなのに比べて、その個体は一回り大きく、目測では2メートル半ばはあるのではないかと思われる。
『足を止めては行けませんっ!走り続けて下さい!』
シルバーの声に促され、レオンは必死になって足を動かす。突然の出来事に混乱しながらも、叫ぶようにしてシルバーに問いかけた。
「何なんだあれはっ!?」
『恐らく、キエンの“変異体”です。詳しいことを説明している暇はありません。とにかく足を動かし続けて下さい』
その巨体を使って凄まじい速度で追いかけてくる変異体を背後に、レオンは思わず悲鳴を上げたくなるが何とか堪えて走り続ける。
『マスター、走りながらフラッシュバンを取り出して栓を抜き、後方に向かって投げてください』
「そうか!その手があった!」
レオンは走りながらフラッシュバンを取り出すと、栓を抜いて後方に放り投げた。
思いの外近くまで接近していた変異体に驚きながらも、慌てて訓練通りに目を閉じる。それと同時に、瞼越しにも伝わる激しい閃光が一瞬辺りを包んだ。
『マスター、目を空けて、矢印に従って走り続けてください』
レオンはその指示に驚いて目を空ける。見ると、変異体はフラッシュバンの効果によって視覚を奪われ、のたうち回ってるようだった。
「今のうちに撃った方がいいんじゃないのか!?」
『いいから走って下さい』
シルバーの指示に戸惑いつつ、レオンは再び走り出す。彼はすっかり念話を行うことも忘れ続けたままで、再びシルバーに問いかけた。
「このまま逃げ切るのか?今の隙に倒すこともできたんじゃ?」
『否定。変異体の体は非常に頑丈にできていると推察されるため、現状の装備で倒すには正確に複数発の弾丸を頭部に撃ち込む必要があります。現状、それは不可能と判断しました。それに、逃げ切るのは難しいかもしれません』
「はっ?それってどういう」
レオンがそこまで言ったところで、凄まじい轟音と共に再び背後から変異体が迫ってきた。先程してやられたことが気に食わなかったのか、更に濃い怒りの表情をその顔に滲ませている。
しばらくの間は、変異体はのたうち回り続けるとばかり考えていたレオンは、その様子に唖然としていた。
「もう視力を取り戻したのかっ!?」
『やはり一筋縄ではいかないようです』
「言ってる場合か!どうするんだ!?やっぱり戦うしかないだろ!?ある程度距離を離せた今のうちに射撃するべきだ!」
『否定。先程も述べた通り、頑丈な毛皮に覆われた胴体にはいくら弾を命中させたところで意味がありません。確実に頭部に、それも数発撃ち込む必要があります。加えて、通常のキエンと違って賢い個体ですので、自らの弱点を理解し、防御することが予想されます。よって、現状のマスターの射撃能力で変異体を倒すことは不可能です』
「じゃあどうするってんだよっ!?明らかにあいつの方が早いぞ!このまま走ってても追いつかれるだけだろ!?」
『考えがあります。とにかく矢印に従って全力で足を動かし続けてください』
「だからその考えを聞かせろよ!!」
『……走り続けてください』
レオンは考える。このまま逃げ続けていても、いずれ追い付かれることは明白なはずだ。どう考えても、距離があるうちに一抹の希望にかけて撃ちまくった方がいい。
そんな考えから、レオンが足を止めてしまおうかと思った時だった。
『マスター、信じてください』
シルバーの声が、やけにはっきりと聞こえた。
『変異体の接近を許してしまったこと、非常に申し訳なく思っています。希少個体である変異体のデータは少なく、索敵をうまくくぐり抜けられてしまったのです。シルバーに失望してしまったかもしれませんが、それでもこう言うしかないのです』
一呼吸置いた後、再びシルバーは繰り返した。
『マスター、信じてください』
「……あぁくそっ!分かったよ!」
レオンは走り続ける。
徐々に近づいてくる脅威を背中に感じながら、目的も分からずに矢印に従い続ける。どんどん体力はなくなっていき、振り返らずとも変異体との差が縮まっていくのを感じていた。その脅威が、もうすぐ後ろに迫っていることが分かっていながら、レオンは愚直に足を動かし続けた。
何故シルバーを信じることにしたのか。客観的な根拠はいくつか挙げられるだろう。そもそも、シルバーがその気になれば、こんな回りくどいことをしなくてもレオンを殺すことなど簡単なのだから。
だが、そんな前提を抜きにしても、レオンはシルバーを信じただろう。どこまでも無機質なはずの声色で、『信じてください』と告げたシルバーの言葉に、無意識に心を打たれていたのだ。
レオンは、自分のすぐ真後ろで変異体が腕を振り上げるのを感じる。自分はこのまま死ぬのだろか。このままこのクソみたいな人生の幕が閉じるのだろうか。顔も知らない両親も、自分を見ていなかった孤児院の養母も、スラムに巣食う汚い大人たちも、全てを信じられなかったクソみたいな人生だった。信じることができるものなど何もなかった。
だからであろうか。結果がどうであれ、最後の最後でシルバーを信じることができたこと。初めて何かを信じることができたことに、彼は不思議な感覚を抱いていた。
振り上げられた変異体の腕を見上げながら、微かな満足感を覚えていたのだ。
『横に飛んでくださいっ!マスター!!』
自らの命を諦め、微かに感じることのできた感情を冥土の土産にするものだとばかり考えていたレオン。そんな彼の頭の中に、シルバーの声が響く。
レオンはほぼ無意識にその声に従った。変異体が振り下ろした腕を間一髪で躱(かわ)すかたちで、右方向に飛び退く。正に紙一重であった。
ギリギリのところでその命を繋いだレオンだが、だからと言って事態が好転するわけでもない。一度攻撃を躱せたからといって、大した意味はないだろう。すぐに変異体が方向転換して再び襲い掛かってくるのだから。そう考えていたレオンの目が捉えたのは、予想外の光景だった。
地中から突如として飛び出してきたヒトトリ草が、変異体を捕らえていたのだ。シルバーの指示でレオンが飛び退いた地点の、正にその目と鼻の先にヒトトリ草がいたのである。寸前のところで横に飛んだレオンとは違って、変異体は勢いそのままにヒトトリ草の頭上に飛び込んでしまったのだ。
その巨体の大部分を丸呑みにされた変異体は、何とかヒトトリ草の魔の手から逃れようと必死になってもがいている。
『上手くいきましたね。後は彼らの戦闘が終わるまで眺めていましょう。シルバーの推測では、両者の勝率はお互いに五分といったところです。結果がどう転ぶにせよ、勝ち残った方も深い痛手を負うはずです。そこにマスターがとどめをさせば、それで終わりです』
レオンは絶句していた。
あの絶望的な状況から、思いもよらない方法で、一瞬にして危機を脱したのだ。
「……最初から、これを狙っていたのか?」
『肯定。逆に言えば、これ以外にマスターが生き残る方法を導き出せませんでした』
「……そのつもりだったなら、教えてくれても良かったんじゃないか?そうすれば、俺が迷うこともなかったのに」
『ヒトトリ草の寸前まで走ることをマスターが知っていれば、事を上手く運ぶことは困難であると判断しました。事前に知ってしまうと、どうしても心理状態に影響が出るからです。そうなれば、これ程ヒトトリ草とギリギリの距離まで躊躇せずに走ることは難しかったでしょう』
確かに、いつか来ると分かっているシルバーの合図を待ち構えながらでは、先程と同じ動きは出来なかったであろう。最初から、シルバーを信じていれば何も問題はなかったのだ。そのことを、レオンは身を以って実感していた。
「そう、か。全部お前の計算通りだったのか」
『否定。変異体と遭遇してしまったことは、シルバーの不徳の致すところです。改めて謝罪いたします』
二人が話している間にも、二匹のモンスターによる激しい死闘は続く。大地が激しく揺れるほどお互いの力をぶつけあっていた両者であったが、やがて決着はついた。
その巨大なヒトトリ草の体を、変異体が中から貫いたのだ。そのままヒトトリ草を引き裂き、変異体は巨大な口から這い出てくる。
レオンがその光景に少なからぬ恐怖を抱いたのも、僅か一瞬のことであった。シルバーが告げていた通り、変異体は見るからに満身創痍だったからだ。
全身に深い傷を負い、傷口からは大量の血がとめどなく溢れ続けていた。最早立ち上がることもできず、先程まで自らの獲物であったはずのレオンから、必死に距離を取るようにゆっくりと地を這っている。レオンを睨み付けていた鋭い眼には、今や死の恐怖が浮かび上がっていた。
『マスター、近づき過ぎないよう気を付けつつ、対象の頭部に撃ち込んでください。今の状態であれば、難しくないはずです』
レオンは言われた通りに、変異体の頭部に照準を合わせる。
不思議な感情であった。つい先程まで自らを絶体絶命のピンチに追いやり、勝てる見込みなどないと思わせていたはずのモンスターが、必死に自分から逃れようと地を這っている。その姿が何故だか、シルバーと出会う直前に複数のキエン達から逃れようとしていた自分と重なる
弱肉強食。
そんな単語がレオンの頭を過る。それこそが、それだけが迷宮(ここ)の全てなのだ。
「お前は、運が悪かったな」
俺と違って。
その言葉を胸中で続けながら、レオンは引き金を引いた。驚異的な生命力を見せる変異体に、躊躇なく何発も撃ち続ける。装填されている弾倉が空になった頃、ようやく変異体はその息の根を止めた。
『おめでとうございますマスター。今度こそ、完全にマスターの勝利です』
「……シルバー、悪かったな」
『突然ですね。謝罪の理由をお聞きしても?』
「お前の指示を疑ったことだよ。自分ひとりじゃ何も出来ないくせに、偉そうに文句を垂れることばかりしちまった」
『否定。謝罪の必要はありません。最終的に選択し、そして行動したのはマスターです。シルバーはそのサポートを行ったまでに過ぎません』
「いやいや、どう考えてもお前に頼りっきりだったろ」
『いえいえ、行動したのはマスターですから』
「……ははっ。まあいいや」
シルバーの妙に謙遜しいなところに苦笑しつつ、レオンは再び口を開く。
「シルバー、これからもよろしく頼む」
『勿論です。それがシルバーの存在意義ですから』
新米探索者レオンと、人工知能シルバーが、確かな信頼関係を築いた瞬間であった。
その後、キエンの変異体とヒトトリ草のそれぞれの魔石を回収したレオンは、再び出口を目指してクラークを進む。
魔石はモンスターの体内にある鉱石のようなものであり、モンスター達の心臓のような機能を果たしている。多くの探索者達が、迷宮に挑む二つの大きな理由の内の一つだ。ちなみに、もう片方の理由は
変異体とヒトトリ草がお互いに傷をつけてくれていたおかげで、レオンの持つ安価な短刀でもそれぞれの体を裂くことができ、魔石の回収が可能だった。
最初に倒した三匹のキエンの魔石は回収できていない。あまり長居すると他のモンスター達が寄ってくるかもしれないからだ。だがシルバー曰く、この二匹の魔石の方がよっぽど価値があるという。
初討伐のモンスターの魔石を持ち帰れなかったことをほんの少しだけ残念に思いながらも、決して気を抜くことなく歩みを進める。より念入りに索敵を行いながらルートを示すシルバーに従い歩き続けたレオンに、ついにその時が訪れた。
「……出口だ」
思わず呟く。
『マスターの目標達成を確認。おめでとうございます。マスター』
こうして、本来であれば到底生き抜くことなどできなかったはずのレオンは、シルバーの助けによって無事に生きて地上へと帰還するのであった。
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