第11話 会話を諦めた
巨大タラクスに食われ、生臭く真っ暗な口の中を転がっていく俺。
アンデッドと化したせいか、こうした暗闇の中でもある程度は周囲を認識することが可能だ。
そのため頭上から鋭く太い牙が迫ってきたのも分かった。
ガキンッ!
あえて避けないでいると、牙に挟まれて凄まじい力で圧迫されたが、しかし俺の身体が噛み潰されるまでには至らなかった。
それでも初めて骨が軋み、微かに罅が入ったのが分かった。
肉の繊維も幾らか潰れたようだ。
しかしそこまでだった。
巨大タラスクの牙でさえ、俺にこの程度のダメージしか与えられないとは。
さらにその骨の罅も肉も、すぐさま修復されてしまう。
「頑丈な上に、この自然治癒か……」
自らの身体の異常さに慄きながらも、僅かに牙が浮いてスペースが生まれた隙を突いて素早く脱出。
ぶよぶよの地面の上に立った。
恐らく舌の上だろう。
ねちゃねちゃとした感触が気持ち悪い。
周囲の臭いも相まって、吐き気を催し始めたそのとき。
突然、足元の舌が蠢き出したかと思うと、急な坂と化したので俺は口の奥へと転がり落ちていった。
肉壁に何度もぶつかりながら、真っ暗な洞窟のような場所を通過。
やがて謎の液体の中へと放り込まれた。
ドロドロとして粘性が強く、やたらと酸っぱい液体だ。
めちゃくちゃ気持ち悪い。
「うおえっ……ここは胃の中かっ……」
辛うじて残っていた衣服が、トドメとばかりに強烈な胃酸によって溶かされていく。
だが俺の身体にはほとんど影響なさそうだ。
「どうすっかな……?」
胃酸で溶けて死ぬならいいが、どれだけ待てばいいか分からない。
こんなところで長時間も過ごすのは御免だった。
「昔の伝説に、小人族の勇者の話があったな。巨大な魔物に食われたけど、体内で暴れ回って脱出したんだっけ」
俺は胃液の中を進み、肉壁へと辿り着いた。
触ってみると、かなり硬い。
ドラゴンは体内まで硬くできているそうだが、亜竜とされるタラスクも例外ではないらしい。
これでは小人族の勇者のような真似は難しいかもしれないと思いつつ、俺はひとまず胃の肉壁を殴りつけてみた。
バァァァァンッ!
壁が弾け飛んだ。
「……行けそうじゃね?」
胃に開いた穴から胃酸がドロドロと零れ出ていく。
俺は右手に魔力を込めていった。
そうして十分な充填が終わると、今度は助走も付けて肉壁に拳を振るった。
ズドオオオオオオオンッ!!
先ほどの何倍もの穴が開き、さらにはその先の臓器まで吹き飛ばしていた。
「オアアアアアアアアアッ!?」
巨大タラスクの声が体内まで響いてくる。
俺は容赦なくタラスクの体内を殴り進んだ。
そのたびに肉が弾け、血が飛び散るが、気にせず突き進む。
やがて急に硬質な部分にぶつかってしまう。
恐らくここから先が甲羅になっているのだろう。
構わず俺は殴りつける。
さすがに先ほどまでのような速さは出せないが、それでも確実に甲羅を削っていくことができた。
そしてついに明るい光が差し込んできた。
空が見える。
どうやら甲羅を貫き、外に到達したようだ。
甲羅に開いた穴から外へ出る。
ああ、空気が美味しい。
いつの間にか巨大タラスクの雄叫びは収まっていた。
動く気配もない。
身体に穴を開けられては、さすがに一溜りもなかったらしい。
図らずも街を救ってしまったようだ。
もしかして俺は街の英雄になったのでは……?
そんな淡い期待は、一瞬で消え去った。
「じょ、冗談じゃねぇ……」
「ば、化け物にも程があるだろ……」
巨大タラスクの周囲には先ほどの冒険者たちの姿があったのだが、甲羅を突き破って脱出してきた俺を見て、ある者は呆然自失になって立ち尽くし、ある者は恐怖で歯をがちがちと鳴らしその場にへたり込んでいる。
先ほどの赤い髪の女性もへなへなと腰を折った。
気の強そうな印象だったが、今は目に涙を浮かべ、唇を震わせて「あ、あ、あ……」と呻いている。
別に俺は攻撃されたことを怒ってなんかいないんだけどな……。
いや、ちゃんとそのことを態度と言葉で伝える必要があるか。
そう考えて、俺は満面の笑顔で彼女に近づいていく。
「ひぃっ……く、来るなぁっ……こっち、来るなぁ……っ!」
すると彼女は尻餅を突いたまま後退る。
めちゃくちゃ怖がられてる!?
一瞬躊躇するも、しかし勘違いされたままでは終われない。
俺は必死に笑顔を保ったまま、どうにか口を開く。
「……殺しは、しない……」
「ひぃぃぃ……っ!」
しかしかえって強い恐怖を抱かれてしまったようで、彼女の下腹部から液体が染み出し、地面を濡らしていった。
周囲を見回しても、もはや立っている者すら一人もいない。
俺を吹き飛ばした巨漢も含め、全員が完全に怯え切った顔で固まっている。
中には意識を喪失している者までいた。
……会話するどころじゃないな。
俺は彼らとコミュニケーションを取ることを諦め、その場から立ち去ることにした。
「さ、去っていく……?」
「助かった、のか……」
そんな声が微かに聞こえてきた。
◇ ◇ ◇
タラスクロードの甲羅を破壊して、体内からあの白髪のアンデッドが出てきた。
信じがたい光景に誰もが絶望し、中には気を失って倒れる者までいた。
俺もどうにか精神力で意識を手放すことだけは耐えているが、今すぐこの悪夢から逃げることができるのなら、むしろこのまま気絶してしまいたい。
タラスクロードは動かなくなってしまったが、これで街が救われたと思っている者は一人もいない。
あのアンデッドがその気になれば、街はいとも容易く壊滅させられることだろう。
先ほどは勇敢な行動で戦況を覆したバルダも、今は立つことすらできず地面にへたり込んでいる。
この中で唯一の白金等級であるエスティナに至っては、いつもの高慢な姿はどこに行ってしまったのか、今にも泣き出しそうな顔で呻いていた。
アンデッドは不気味な笑みを浮かべ、そのエスティナに近づいていった。
自分でなくてよかったと、バルダが安堵の息を吐いている。
「ひぃっ……く、来るなぁっ……こっち、来るなぁ……っ!」
エスティナは子供のように弱々しく訴えるが、しかしアンデッドは止まらない。
それどころか、恐ろしい笑顔のまま、
「……殺しは、しない……」
「ひぃぃぃ……っ!」
殺しはしない?
……いや、ただ殺すだけでは済まさない、ということだろう。
あの恐怖の笑顔が、はっきりとそう告げていた。
これからどんな恐ろしい目に遭わせられるのか。
それを想像したのか、エスティナの下腹部から液体が染み出してくる。
どうやら失禁してしまったらしい。
白金等級冒険者のあまりに情けない姿を目の当たりにしながらも、しかしそれを笑う者など一人もいなかった。
むしろかえって恐怖が増幅したのか、何人かが釣られるように液体を垂れ流してしまう。
そのまま気絶する者もいた。
遅かれ早かれ、この場にいる全員が殺される。
誰もがそう確信する中、何を思ったのか、突然アンデッドが踵を返した。
「さ、去っていく……?」
「助かった、のか……」
不可解なことに、アンデッドは俺たちには目もくれず、そのままどこかへと立ち去ってしまったのだった。
俺たちなど、殺す価値などないということか?
あるいは、いつでも殺すことが可能な俺たちを、一人ずつ時間をかけて殺していくつもりなのか……?
その真意は理解できない。
だが一つだけ確実に言えることがあった。
たとえ今、助かったのだとしても、これから俺たちは一生あのアンデッドの恐怖に怯えて生きていくことになる。
遠ざかっていく災厄の背中を、俺は暗澹とした心地で見送るのだった。
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