第9話 白金等級でも歯が立たなかった
「亀……?」
そのシルエットは完全に巨大な亀だ。
全長は百メートルを遥かに超えており、相当な重量があるのだろう。
歩くたびに発生する大きな地響きが、こちらまで伝わってきている。
「いや、まさかこいつ、タラスクか……?」
タラスクは亀に似た魔物だ。
しかし実際にはドラゴンの亜種であり、背中の甲羅は鱗が密集することで形成されているとも言われている。
それにしてもこれほど巨大なタラスクは初めて見た。
人間が作った建造物など、軽々と破壊しながら突き進んでいくに違いない。
最悪なことに、そのタラスクの進行方向。
それがまさに街の方向なのだ。
このままでは街に大きな被害が出るだろう。
「……街は気づいているのか? さすがにあの大きさだ。街からでも見えるはず……」
そう思いつつも、万一ということがある。
俺は意を決し、街に向かって走り出した。
もしまだタラスクの接近に気づいていないのなら、すぐに街に行って避難を呼びかけなければならない。
幸い巨大タラスクの動きはかなり遅いので、今からでも逃げる余裕くらいはあるはずだ。
「ん?」
そうして走り出してしばらくすると、街の近くに複数の人影らしきものが見えてきた。
向こうもこっちに気づいているようだ。
「ちょうどいい。彼らに伝えよう」
俺はそう考え、彼らの元へと近づいていく。
と、そのときだった。
突然、猛スピードで縄のようなものが飛んできたかと思うと、その先端が俺の足を打った。
バアアアアアアアンッ!
凄まじい炸裂音が轟く。
その衝撃で俺は思わずつんのめり、頭から地面にひっくり返ってしまった。
「いてて……って、痛くない、か」
すぐに起き上がる。
ていうか今、俺は攻撃されたのか?
多分、あの赤い髪の女性だろう。
その手には鞭らしきものが握られているが……まさかあの距離から鞭で攻撃してきたってのかよ?
とんでもない芸当だな。
いや、感心している場合ではない。
完全に敵として見られているということだ。
「なぜだ……? 魔力はちゃんと抑えているはずなのに……」
◇ ◇ ◇
北門に、この街でも有数の冒険者たちが集結していた。
もちろん俺がリーダーを務めるパーティも、ギルドの要請に従ってこの場にいる。
「あれがタラスクロードか……」
「凄まじい大きさだな」
遠くにタラスクロードの巨体が見えていた。
ほとんど丘と言っても過言ではない大きさで、まだ遥か遠くにいるというのに、もう地響きが地面を伝わってここまで届いている。
「ふん、聞いていた通りのデカブツだねぇ。これはなかなか骨が折れそうだ」
さすがのエスティナも、大災害級の魔物を前に少なからず緊張しているようだ。
「……」
そんな彼女を、今にも唸り声を出しそうな形相で睨みつけているのが、うちのじゃじゃ馬娘のハンナである。
エスティナをババア呼ばわりして激怒させておきながら、まだ対抗心を燃やしているらしい。
……あの後、キレたエスティナをどうにか落ち着かせるまで、本当に大変だったのである。
身体を張ってくれたギルド長には感謝しないと。
ともかく、こうして無事に撃退部隊が結成され、間もなく出発する。
白金等級一人に、金等級が十二人、元金等級が一人、そして銀等級が六人という、なかなかの戦力だ。
正直なところ俺としてはあのアンデッドの方がずっと気になっているが、今はタラスクロードの方に集中するとしよう。
そう考えていた、まさにそのときだ。
「おい、何だあいつは?」
最初にそれに気づいたのはエスティナだった。
訝し気に眉をひそめ、北西の方角を睨みつけている。
その視線の先を追いかけた俺は、思わず息を呑んだ。
「あ、あいつだ……っ!」
魔境の廃墟都市で遭遇した白髪赤目のアンデッド。
俺たちが手も足も出なかった化け物が、こちらに近づいてきている。
「あれがお前たちの言っていたアンデッドか? うーむ……」
ギルド長のバルダが訝しそうに唸った。
「見たところ、それほど強そうには見えないが……」
「み、見た目に騙されては駄目だっ! 俺たちの攻撃をまともに浴びておきながら、傷一つ負わない正真正銘の化け物だ……っ!」
エスティナが鼻を鳴らした。
「ふん、あの程度の魔物に傷一つ付けられないなんて、どうやら金等級を剥奪した方がいいみたいだねぇ」
「何だとっ?」
心底から馬鹿にしたような物言いに、さすがの俺もカチンときた。
なぜ分からないんだ。
まだ遠くにいるが、それでも奴の凄まじい気配はすでに伝わってきてるはず――ん?
「大した魔物じゃないことくらい、ここからでも魔力を感知すれば簡単に分かる。もし見た目で話していると思っているなら、とっとと冒険者なんかやめちまいな、クズ」
お、おかしい……。
魔境で遭遇したときは、あんなものじゃなかったはずだ。
近くにいるだけで意識が飛びそうになるくらいの強烈な魔力が、今はまったくと言っていいほど感じられないのだ。
ディルやハンナ、ガイを見るが、彼らも理解できないといった顔をしている。
「それはそれとして初めて見るタイプのアンデッドだねぇ。すぐに壊しちまうのは勿体ないし、生け捕りにしてしまうかね。まぁ生きてないけれど」
そう言うと、エスティナは鞭を振るった。
普段は彼女の魔法袋に入っているそれが一瞬で飛び出し、そしてまだ百メートル以上も先にいる白髪のアンデッドへと襲いかかる。
あれだけの距離があるというのに、ピンポイントで鞭の先端が右足に直撃した。
バアアアアアアアンッ!
その瞬間、耳を聾する炸裂音が轟いた。
彼女の鞭の先端がどれだけの威力を持っているのか、この音だけで分かるというものだ。
「……なに?」
エスティナが驚きの声を漏らした。
普通の人間であれば、恐らく足が弾け飛んでいるだろう。
だが白髪のアンデッドはというと、足を打たれた際の衝撃で地面にひっくり返りはしたものの、何事もなかったかのようにすぐに立ち上がった。
もちろん足はちゃんと付いている。
「今、まともに当たったはずだぞ? 何で効いてねぇんだ……? ちっ、もう一発だっ」
エスティナは納得がいかないといった顔で首を傾げるが、すぐに追撃を放つ。
「今度は頭を吹き飛ばしてやるっ」
彼女の宣言通り、百メートル以上先にある白髪アンデッドの顔面を、鞭の先端が打つ――
だが結果は先ほどと一緒だった。
少し後方に仰け反っただけで、顔には傷一つ付いていない。
それどころか、アンデッドは笑みを浮かべながらこちらに近づいてきている。
「っ……」
さすがのエスティナも、あの恐ろしい笑顔に恐怖を覚えたのか、微かに喉を鳴らしながら一歩後退った。
それでもやはり白金等級だ。
すぐに気を持ち直すと、彼女は大技を繰り出す。
「これならどうだ……っ! ――百鞭繚乱ッ!」
長い鞭が暴れ回った。
目にも止まらない速度で次々とアンデッドを打ち続ける。
俺の前からは鞭が何本にも見え、さながら鞭の花が咲いたかのようだ。
白銀等級の本気の攻撃だ。
さすがに少しはダメージを与えているはずだと信じたい。
土煙が巻き上がり、アンデッドの姿は見えなくなっているが……。
「嘘、だろ……っ!?」
エスティナが愕然としたように目を見開く。
少し遅れて、土煙の奥から現れたアンデッドの姿に、この場にいた誰もが我が目を疑った。
信じられないことに彼の右手が鞭の先端を握っていたのだ。
まさかあの速度で動く鞭を掴み取ったのか……?
「くそっ、放しやがれっ!」
エスティナは声に焦りを滲ませながら、鞭を引っ張った。
するとアンデッドはあっさりと鞭を手放す。
「舐めやがって……っ!」
苛立つエスティナから闘気が膨れ上がり、それが長い鞭を伝ってその先端へと集中していく。
さらに空高く跳ね上がったかと思うと、地上にいるアンデッド目がけて振り下ろされた。
「――降竜爆雷打ッ!」
さながら落雷のごとく降ってきた鞭の一撃が、アンデッドの頭に激突する。
ズドオオオオオオオオオオオンッ!!
まさに雷が落ちたときのような轟音と衝撃。
再び巻き起こった土煙で、アンデッドの姿は見えない。
折しも吹いてきた風が、その土煙を払った。
「「「な……」」」
――またしても無傷。
不気味な笑みを浮かべながら、衝撃で窪んだ地面の上に立つアンデッドの姿に、誰もが脳裏に絶望の二文字を思い浮かべた。
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