第8話 魔力を抑えてみた

「このあたしをお前たちのような雑魚と一まとめにしないでほしいねぇ?」


 そう言って、宙吊りの俺をじろりと睨みつけてきたのは、真っ赤な髪が特徴的な長身の女。


「エスティナ……っ!」


 この中で唯一の白金等級の冒険者であるエスティナは、この危険な魔境をソロで探索しているヤバい奴だ。


 武器は特殊な素材で作られた、長さ百メートルを超える鞭。

 彼女の周囲半径百メートルの領域は、致死圏と言っても過言ではない。


 離れた敵へ確実に鞭の先端を当てる凄まじいコントロールに、巨岩をも粉砕する破壊力。

 そして多数の敵を同時に仕留める殲滅力。


 加えて、今こうして俺を吊り上げているように、鞭をまるで己の身体の一部であるかのように自在に操ることもできるのだ。


「ちょっとあんた、何するのよっ」


 そう憤慨してエスティナに噛みついたのはハンナだ。

 しかしハンナが近づくより早く、鞭が俺を手放し、今度はハンナの足首に絡みついた。


「っ!?」


 その場で盛大にすっ転ぶハンナ。

 しかも恥ずかしいことに、股を大きく開く格好で床に尻餅を突く。

 もちろんそうなるよう、エスティナが鞭を上手く動かしたのだろう。


「くくく、どうしたんだい? 痴女みたいに股をおっぴろげてさ? もしかして挿れてほしいのかい? 若いくせに乱れてるねぇ」

「~~~~っ!」


 エスティナに揶揄われ、ハンナの顔が真っ赤に染まる。

 まだ若くてプライドの高い彼女にとって、これ以上ない恥辱だろう。


「いい加減にしろ……」

「良いものを見せてもら――仲間へのこの仕打ち、幾らお主が白金等級とは言え、到底許すことはできぬ」


 ディルとガイが怒りを露にし、一触即発の空気となった。

 ちなみに俺は急に解放されて背中から地面に激突し、悶絶しているところである。


「はっ、このあたしとやり合おうってのかい?」


 エスティナが挑発気味に嗤う。


 客観的に考えれば、恐らく俺たちがパーティで挑んでも彼女には歯が立たないだろう。

 白金等級の連中はどいつもこいつも、俺たち金等級とは一線を画する化け物ばかりなのだ。


 そういう意味で、確かに彼女を一まとめに扱ってしまったことは、俺の落ち度だった。

 彼女が部屋にいることに気づいていたが、焦っていたせいでそこまで考えが及ばなかったのである。


「やめんか!」


 凄まじい怒鳴り声が響いた。

 ギルド長のバルダが割り込んできたのだ。


「今はこんなことをしている場合ではない。エスティナも許してやってくれ」


 この中でエスティナに対抗できるとしたら、バルダくらいだろう。

 無論、俺たちも彼に注意されては、矛を収めるしかない。


「ハンナ、やめておけ」

「誰のせいでこうなったと思ってるのよ……っ!」

「戦っても勝てないことは今の攻防で理解しただろ」

「っ……」


 涙目で睨みつけてくるハンナの姿が、その嗜虐心を満たしたのか、エスティナはニヤニヤと嗤いながら元の席へと戻っていった。


 俺はホッと息を吐く。


 ところで、エスティナがヤバいのは実力だけではない。

 その恰好もなかなかぶっ飛んでいて、ほとんど下着と大差ない露出度の鎧を身に付けている。


「眼福である……」


 ……ガイ、あんまりジロジロと見るのはやめろ。


 噂では伝説級の武具らしいのだが、俺にはとても身を護れるとは思えない。

 何よりこの姿で平然と街を歩くのだから、頭の方も少々常軌を逸していると言っても過言ではないだろう。


 しかも見た目こそ二十代にしか見えないが、実年齢は俺と大差なかったりする。

 当然そのことには絶対触れてはならず――


「……クソババア」

「誰がババアだこのクソ餓鬼がゴルアアアアアアアアアっ!?」


 ハンナがぼそりと呟くと、エスティナは鬼の形相と化して叫んだ。




      ◇ ◇ ◇




 四人組の冒険者たちが逃げ去った後。

 俺は一人、何がいけなかったのだろうと、考え込んでいた。


 このボロボロの格好のせいか?


 当時かなりの大金を叩いて買った鎧は、いつの間にかすべて失われてしまっている。

 その下に着用していた、魔物の革製の丈夫な衣服の一部だけが辛うじて残っており、一歩間違えれば露出魔と捉えられかねない。


「さすがにそれだけであの反応はないか……」


 どう見ても俺を殺す気で攻撃してきてたしな。


 彼らの実力は、少なくとも生きていた頃の俺と同格のBランク。

 当時の俺なら確実に死んでいただろう。


「そういや、魔物も俺を見ると逃げていくよな? 何かヤバい気でも放っているとか……?」


 そのことに思い至った瞬間、俺はようやくハッとした。


 今の俺はアンデッド。

 すなわち魔物だ。


 そして魔物は魔力をその力の源としており、強い魔物ほど膨大な魔力を保有している。

 強大な魔物ともなると、その溢れ出す魔力に晒されただけで、弱い人間は死に至ることもあるほどだ。


 もしかして俺、ずっと魔力を周囲に巻き散らしていたのでは?

 そう思って注意してみると……。


「うおっ!? めちゃくちゃ出してるじゃん!」


 周りの空間が歪むほどの禍々しい魔力が、俺から放出されているのが分かった。

 魔物も人間も逃げ出すわけだ。


「そもそもこんな風にはっきりと感知できるものなのか……?」


 少なくとも生前の俺にはできなかった。

 当時の俺は剣士だったこともあり、あまり魔力に対する感性が高くなかったからな。


 それにしても、今までまるで自覚がなかった。

 この状態がもうデフォルトになってしまっていたからだろうか。


 魔力を身体から垂れ流し続けていると、普通は呼吸が荒くなったり、苦しくなったりと、身体に異変が起こり始めるものだ。

 だが今の俺はまったく疲れない。


「総量と比較すると大した量じゃないからかな……? けど、今後はちょっと意識して内に留めるようにしておこう」


 そう考え、俺は魔力を抑えるように努めてみた。

 すると見事なほどに周囲への放出がぴたりと収まってしまう。


「……完璧だな」


 初めてやってみたというのに、思いのほか上手くできた。

 我ながらアンデッドのくせに随分と器用だな。


 それから俺は廃墟の都市を出て、再び荒野を歩き始めた。


 あの冒険者たちが逃げていった方向へ行けば、きっと街があるに違いない。

 先ほどは失敗したが、魔力を抑え込んだ今ならコミュニケーションが取れるはずだ。


 そんなことを考えていると、


「グルァァァァッ!」


 魔物が襲いかかってきた。

 全長三メートルくらいある虎の魔物、キラータイガーだ。


「おおっ! 逃げない! やっぱり魔力のせいだったんだな!」


 喜んでいる俺を余所に頭から飛びかかってきた魔物は、その鋭い牙で噛みついてくる。


 バキンッ!


「~~~~ッ!?」


 牙の方が折れた。

 さらに勢いよく俺にぶつかってきた巨体が、まるで壁にでも激突したしたかのようにべしゃりと潰れる。


 さすがにもうこの現象にも慣れてきた。

 特に驚くこともなく、目を回しているキラータイガーの横っ面へと蠅でも払うような感覚で手を振るう。


 ドンッ!


 キラータイガーが凄まじい速度で吹き飛んでいった。

 恐らく死んだだろう。


 その後も幾度か魔物に襲われては瞬殺しつつ歩き続けると、やがて遠くにそれが見えてきた。


「街だ」


 今や廃墟と化した大都市バルカバと比べるとかなり小さいが、周囲を取り囲む防壁を見る限りまだちゃんと街として機能してそうである。


「……ま、魔力を抑えたんだ……これなら……大丈夫なはず……」


 そう自分に言い聞かせながら、俺は街へとゆっくり近づいていく。


 魔力のことがなくとも、俺は生前からの人見知りで、しかも長い年月に渡って人とまともに会話をしてこなかったのだ。

 せっかく街を発見したというのに、その不安で急激に足取りが重くなってきた。


 そうして亀のような速度で歩いていると。

 俺は街とは別の方向であるものを発見した。


「……何だ、あれは?」


 最初は丘かと思った。

 だがよく見ると動いている。


「亀……?」

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