第7話 追いかけてはこなかった
「「「はぁ、はぁ、はぁ……」」」
一体どれぐらい走り続けていただろうか。
身軽で最も体力のあるディルですら息を荒らげている。
持久力に乏しい俺に至っては、今にも心臓が飛び出しそうなくらいだった。
ようやく走るのを止めた俺たちは、恐る恐る後ろを振り返った。
遥か遠くに滅びた都市の防壁が見えている。
あそこから俺たちは止まることなくずっと走り続けてきたのだ。
そして――
……いない。
あの白髪のアンデッドの姿はどこにもなかった。
だがすぐには緊張を解くことはできなかった。
呼吸を整えつつも、しばらく周囲を警戒して身構える。
「……撒いた、のか?」
「というより、そもそも追いかけて来なかったようだ……」
ようやく、俺たちはホッと安堵の息を吐いた。
忘れていた疲労が押し寄せてきて、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。
「一体、何だったんだよ、あれは?」
「……とんでもない化け物であった。もし向こうから攻撃されていたら、間違いなく我らの命はなかった」
俺は先ほど見た恐ろしい光景を思い出す。
召喚されたのは、明らかに上級クラスの悪魔だった。
たった一体で小さな都市くらい壊滅させてしまえるほどの凶悪な力を持ち、俺たち金等級の冒険者であっても容易には討伐できない強敵だ。
それが、あのアンデッドに一撃で瞬殺されてしまったのだ。
「にしても、何で俺たち見逃されたんだろうな? まぁ不幸中の幸いってやつだが……」
「……もしかしたら」
勝ち気なハンナもよほど恐ろしかったのだろう、青い顔をして言う。
「見逃したんじゃなくて……そもそも逃げても意味がなくて……実はいつでもあたしたちなんて殺せるのかも……」
「「「っ……」」」
ハンナの推測を否定することができず、俺たちはぶるりと身体を震わせた。
耳が痛くなるほどの沈黙と重苦しい空気が辺りを支配する中、俺は努めて平静を装って告げる。
「と、とにかく、すぐに街に戻るぞ。ギルドにこのことを報告しねぇとな」
「それがいい……。そして街の中にいれば……さすがに奴も、おいそれとは手を出せないはず……」
そう意見を一致させた俺たちは、疲れた身体に鞭を打ち、再び走り出した。
魔境から最も近い場所にある街――コスタール。
元々は魔境を探索する冒険者たちが、その拠点として作り上げた集落が始まりだ。
そのため街を治める領主がいるにはいるのだが、それはほぼ建前。
真にこの街の実権を握っているのは、冒険者ギルドだった。
当然、魔境を探索するに当たって、俺たちもこの街を拠点としていた。
あれから走り通しでようやく街に戻ってくることができた俺たちは、休む間もなくその冒険者ギルドへと駆け込む。
「アレクさんっ? ど、どうされたんですか……?」
息を荒らげて汗びっしょりな俺たちに、何事かと驚く顔見知りの受付嬢。
「はぁはぁはぁ……ギルド長と話をしたいっ……一刻も早く、ギルド長に伝えるべきことがあるっ……」
俺は彼女に、すぐにギルド長を呼んでほしいと告げる。
「か、畏まりましたっ……では、こちらにっ……」
金等級冒険者の切羽詰まった様子に、ただ事ではないと察したのだろう、彼女は窓口から飛び出してきた。
そうして連れて行かれたのは、ギルド長室ではなく、とある会議室だった。
「現在、こちらで会議をされていますのでっ……」
「ありがとう」
受付嬢に礼を言って、俺は扉を開けた。
緊急事態なので遠慮している場合ではない。
「ギルド長!」
突然、会議室に飛び込んできた俺たちに、中にいた者たちから一斉に注目が集まる。
一方で、俺はその面子に驚いていた。
部屋の中にいたのが、金等級以上の冒険者ばかりだったのである。
「何だ、このメンバーは……? 戦争でもおっぱじめるつもりか……?」
「そ、錚々たる面々ね……」
俺の後から入ってきたディルやハンナたちも面食らっていた。
確かに金等級冒険者がこれだけいれば、周辺の領地くらい攻め落とせそうである。
それにしても好都合だ。
この街の中心的な冒険者たちに、俺たちが遭遇したアンデッドのことを一度に話すことができる。
しかし俺が口を開こうとしたところで、部屋の奥にいた巨漢が先に大声を上げた。
「おお、アレク。ちょうどいいところにきたな!」
俺たちもよく知る、この街のギルド長を務めるバルダだ。
年齢は六十を超え、白髪も目立つようになってきているが、その身体つきを見るにまだまだ衰える様子はない。
俺やガイよりさらに一回り身体が大きく、その人間を超越した怪力は、かつて巨人族を力勝負で打ち負かしたという伝説が残るほど。
実質的なこの街のトップである彼は、元金等級の冒険者でもある。
しかし現役を引退してギルド長になった今でも、そこらの現役冒険者など歯牙にもかけない。
情に厚い漢で、普段は気のいい親父なのだが、怒ると手が付けられない狂戦士と化すことから、豹変のバルダとの異名を持っていた。
「実は今な、見ての通り金等級以上の冒険者を緊急招集していたんだ。ぜひお前たちにも参加してもらいたい」
「緊急招集?」
一瞬あのアンデッドのことかと思ったが、どうやら別の事案らしかった。
「大災害級に指定されているタラスクロードが、魔境から出てきやがったんだ」
「タラスクロードがっ……?」
タラスクというのは亀に似た姿をしているが、ドラゴンの亜種とされている魔物だ。
動きは非常に鈍重だが、硬い甲羅に身を護られた圧倒的な防御力を持つ。
そのタラスクの王と名付けられたのが、この魔境で発見された一体の魔物だ。
通常のタラスクがせいぜい五、六メートルほどの大きさであるのに対し、タラスクロードは何と数百メートルもの巨大さだという。
その重量は凄まじく、歩いただけで地面が数メートルも陥没するほど。
もしそんな魔物に襲われたら、どんな城壁も粉砕されるだろう。
「最悪なことに奴の進路上にこの街がある。このままだとコスタールは甚大な被害を受けることになるだろう」
無論、被害はそれだけに留まらない可能性が高い。
もしタラスクが前進を止めずこの国を横断していけば、その過程で幾つもの村や街が破壊されていく。
まさに大災害だ。
そこでこの街の冒険者ギルドに国から直接、依頼が来たのだという。
タラスクロードを攻撃し、進路を強引に変えて魔境へ追い払ってほしい、と。
討伐依頼ではないのは、そもそも現実的ではないからだろう。
魔境にさえ帰ってくれれば、それで十分なのである。
ちなみにタラスクロードの進行速度は、時速二、三キロ。
まさに亀のような歩みなので、逃げること自体は難しいことではない。
「もちろん相応の報酬は出す。戻ってきたばかりせすまんが、ぜひ協力してくれ」
「わ、分かった」
俺は頷いてから、
「だが一つ俺からも報告がある」
「報告?」
そしてようやく俺はあのアンデッドとの恐るべき遭遇のことを語ることができた。
「お前たちが手も足も出なかった、白髪のアンデッドだと……?」
「ああ。あれは間違いなく途轍もない化け物だ。俺たちはただ逃げることしかできなかった……いや、逃げれたことだけでも奇跡だ……」
「お前たちがそこまで言う魔物か……」
これでも俺たちのパーティは、冒険者としてそれなりに実力を認められている。
そんな俺たちが命からがら逃げるような魔物がいたことに、バルダを初め、他の冒険者たちも少なからず動揺したようだった。
「恐らく、ここにいる全員が束になってもアレには敵わない。下手したらタラスクロード以上の脅威かもしれ――」
と、そのときだ。
突然、足首に違和感を覚えて視線を落とすと、何か縄のようなものが絡みついていた。
「――は? ……うおっ!?」
次の瞬間、その縄のようなものに引っ張られ、俺は逆さ釣りになっていた。
「ここにいる全員が束になっても敵わない?」
縄だと思ったのは鞭だった。
そしてそれは一人の女が握っていた。
「このあたしをお前たちのような雑魚と一まとめにしないでほしいねぇ?」
「エスティナ……っ!」
愛用の鞭で俺の片足を吊り上げたのは、この中で唯一の白金等級冒険者、エスティナだった。
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