動と静(テスト投稿)
羊羹ソイソース
第一話
我々は常に動及び静のいずれかの状態にある。またそれぞれにも動と静があり、すべての動作は4種に分類される。
動、静はそれぞれ相反する状態であり、かつ揺動相変して止まないものである。
動はその名の通り状態が一に定まらないことで、我々が生活をする上では大半が動に分類される。歩行運動はもちろんのこと、外からでは見えない心臓の拍動も動である。
一方、静は物事が永遠不変であることで、西洋的真理はこれに当てはまるだろうか。一見静に見える水の表面も実は蒸発と凝縮を繰り返しており、静ではない。純粋な静は理論でしか存在しない。
それぞれにも動や静が内包されることは先に述べた。例えば、水の例のように静に見えながらも動であったり、我々が平衡を保って静立している時も体内の筋肉は動き続けていたりするようなことである。
我々は動に生まれ動に死す。動く細胞から誕生し、死んだ後は微生物が我々を化合物レベルまで分解し、動かし続ける。大気は循環し、地表は動転する。一体実世界に静は存在しているのだろうか。およそ自然現象の中にそのようなものは見当たらないのが現実である。そこで、日本人は色々なものに一時的な静を見出すことで彼らの文化を形成してきた。
様々な擬似「静」があるなかで、日本人はわりあい動的静を好む方向にある。
鹿威しをご存知だろうか。あれは水の流れを音で感じるためのものであるが、これはまさしく動的静ではないか。竹の音が一定間隔で鳴る。水が流れていることが判る。だが我々はその間少しも動いているものを知覚してはいないのだ!
ここでこう疑問に思われる方も居られるかもしれない。純粋な静に対する憧れはないのか。しかし、日本人に限っていうならば、それは無いだろう。
日本人は昔からコントラストを重視し、色彩を明暗に見出してきた。これは書籍「陰翳礼讃」にも語られていることである。日本人はハッキリとした単色、白と黒など極端な様相をあまり好まない。たとえば、古語に「影」というものがあるが、これは月の光などに映った影をいうもので、意味は「光」である。これは古代日本人が白の中に黒を見出し、どちらか一方のみが単離しているのではないと考えていた証拠となる。もう一歩踏み込むとこれは陰陽思想にも通ずるものがあるのだが…。
動と静(テスト投稿) 羊羹ソイソース @Musuka007
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