第33話 二葉たちと再開、さくらとの約束
結界の完成から数日後には、ぼくらは普通の高校生活に戻っていた。六組あった魔法学科は、二つの組に再編成された。魔法使いの生徒の中には魔法を諦め、普通科に転向する生徒もいた。ぼくは、新しい二組に籍を置いた。この学級で学ぶことは多かった。が、身に付くことは少なかった。ぼくは、ここで何を学べばいいのか分からなくなった。そんなぼくを導いてくれる人は、ここには居なかった。
教室に居ても、魔法の授業を受けていても、前の学級のみんなのことばかり考える。ここには、見晴らしのいい窓がある。魔法の力を借りなくても、外の景色をよく眺められる。
そこで、静の姿は見ていない。ハジメたちと別れ、敵に降伏したときから、静は行方が分からなくなっていた。ぼくは、静が学校のどこかに居て、いつも存在を隠しているのだと知っていた。一度、怯える声がして、静のしまったという気配を感じたからだ。
「何の声?」
ぼくは、躊躇いながら誰も見えない所へ答えた。
「卵だよ。ぼくの腕から生まれた」
制服のポケットから取り出した三個の卵は、ぼくの手のひらですすり泣くように固まって揺れていた。この卵を眺めると、離れたみんなの顔が浮かぶ。
初音と久太郎は、クラスが離れてしまった。元々あまり交流はなかったが、あの戦いで長い間、一緒に過ごしたせいで寂しさを感じた。ムラサキは、普通科に転向してしまった。強敵を前に、魔法に自信を持てなくなったのだとか。蜘蛛を失ったこともその一因と聞く。冬吾はあれから、目を覚まさない。安全が確保されるまで目覚めないのだ。眠った冬吾は、誰にも傷付けられない。だから、三郎丸がぼやくには必ず勝ち逃げが出来るらしい。それで、ガラクタばかりの倉庫に、粗末に保存されている。まるで見世物のような扱いだ。ゴーヤは学校をやめて、食堂で働いている。奈々子は、学校に来なくなった。寂れた商店街の、あのバッティングセンターにときどき出没すると耳にした。
ぼくは、新しく担任になった安浦を見て、思わぬ不意打ちを食らった気分になった。教壇に立つ安浦の姿は、まるで本物の教師のように違和感がなかった。安浦は、教室ではぼくのことを特別視しかなった。その割に、よく職員室へはぼくを呼び出した。それは、主に結界の中に入り込んだ、神クラス退治を手伝わすためだった。ぼくは、いつも安浦の言う通り従った。
気付けば、いつの間にか神殺し狩りにも参加していた。ぼくの判断は、間違っていたかもしれない。ただあの頃のみんなに出会うためには、こうするしか方法がなかった。もしみんなが危険な目に遭ったときにも、真っ先に助けることが出来ると考えていたのだ。
ハジメの学級は、完全にバラバラになってしまった。ハジメや二葉、三郎丸たちの消息は、未だに分かっていない。
ぼくは、さくらのお見舞いにときどき市内の病院に行く。さくらはまだ病室のベッドの上に、眠ったままだった。意識がまだ戻らない。包帯だらけの顔を覗いて、本当にこの患者がさくらなのか、時々不安になった。ぼくには、それを確かめる手段はなかった。
病院からの帰りに、見覚えのあるツッパリ頭に出くわした。味方の逃走中に戦った不良の青年だった。その日、不良の青年は制服の代わりに、青のジャージにゴム製のサンダルを履いた。他の二人は、一緒に居なかった。不良の青年は、ぼくに気安く話を掛けた。
「よー、令じゃないか。誰かのお見舞いか?」
「えっ? ああ!」
「もう敵味方もないんだからよ。そんなに警戒するな」
「でも、どうしてここに? えーと」
「和真で、いいぞ! 俺か? 俺は、その。お袋が、この病院に入院しているだ。着替えや、必要な物やらを届けに来たんだ。それで、そっちは?」
「ああ、同じ学校の子がね。酷い怪我して、今も意識が戻らないんだ」
「そりゃ、大変だな。早く目が覚めるといいが」
「うん、そうなんだ」
「それで、そんな冴えない顔しいるのか。よっぽどそいつと仲良だったんだな」
和真はしんみりとして、とんがったツッパリ頭がしおれて同情する素振りを見せた。
「ううん。でも、二度しか会ったことなかったけどね。また会えると思っていたのに、こんな事になってしまった。まだ自己紹介もしてないんだ」
和真は目を丸くし、呆れて言った。
「何だよ。それじゃあ、友達でも何でもねえじゃないか。それなのに、わざわざ見舞いに来たのかよ。令も、物好きだな。あっ、それともよっぽど可愛い子ちゃんなのか、ええ? ふふ、何だ図星かよ! それなら、俺にも今度紹介してくれ」
「ええ! でもその子、酷い怪我して、顔中包帯で覆われているんだよ」
「へー、そんなに悪いのかよ。女の子だろう? そりゃ、可哀想だなー」
「女の子って、何で分かるの?」
「そんな事言わなくても、お前の顔を見れば、大体の察しは付くだろ」
ぼくは思わず頬に手を当て、感触で顔の造形を確かめた。が、何か成果が得られたわけではなかった。
「それよりも令。最近、安浦とつるんでるそうじゃねえか。聞いたぞ、魔女狩りにも行っているんだってな」
和真は、その尖った目に鋭い光を見せた。構えるように、ちょっと腕組みをした。ぼくは、意味の無い言葉で口を濁した。
「うん、まあ。でも、どうしてそれを?」
「俺たちの中じゃあ、安浦はちょっとした有名人なんだが、あまりいい話は聞かねえ。あいつは、神クラスと神殺しに取り憑かれているからな。みんな気味悪がってな。まあ、色々な噂があるんだよ」
和真は怖い話をするときみたいに、最後の方は少し芝居染みた言い方をして、ぼくをドキッとさせられた。
「へー、知らなかった。でも、神クラスはともかく、神殺しまで嫌っているのは、どう言う理由なの?」
「令、お前何も知らねえで、それでよく神殺し狩りに付いて行くよな。神殺しはな。強力な魔法だが、普通の魔法じゃなねえんだ。扱いも難しい。だがこいつの厄介なところは、そこじゃねえ。必ずその代償を払わされる。分かるか? 令」
「うん、何となく。でも、どうして?」
「つまり呪いなんだよ。だから上の連中は、神殺しと神クラスの怪物を同一視する奴らは多いんだ。今は、それ程でもねえがな。神殺しが勢力を付けたら、他の魔法使いの脅威になると考えているんだろうな」
「そんな。怪物と神殺しは一緒じゃないよ」
「そうだけどよ。世間じゃそう思わない。それに、令。神殺し狩りをするってことは、三郎丸や二葉ちゃんを敵に回すことになるんだぞ。分かっているのか?」
「分かってる! でも、そうするしかないんだ!」
ぼくは、少し我慢してから怒鳴った。上気したぼくに、和真は納得して微笑んだ。
「何だ、覚悟は出来ているようだな。へへ、詰まらないこと言ったな。そうだ。俺も、その子のお見舞いに行ってもいいか?」
「さくらの?」
「へー、さくらって言うんだ、その子の名前は。いい名前だな。きっと可愛いんだろな」
「でも、どうして?」
「どうしてだか分からないけどよ。令が興味を引かれるんだ。ちょっとどんな子か会ってみたくなってな」
「そんな理由?」
「そうだ。悪いか?」
和真は、照れ臭そうににやけた。ぼくも、和真に釣られて顔をほころばせていた。
「悪くはないけどね。でも、あまり期待し過ぎると、がっかりすると思うよ」
「へへ、そうかよ」
何日か後に、ぼくは和真と一緒にさくらの病室を訪れた。容体の落ち着いたさくらは、ベッドの上に白いシーツの布団を掛けて横たわっていた。ぼくたちが来たことも、さくらは分からなかった。
「本当に、酷い怪我なんだな」
和真はベッドの上のさくらを見て、顔を歪めた。ぼくは、黙って頷いた。同情されると涙腺が緩む気がした。和真は、しばらくベッドの上を見詰めた後に、訝しげな顔をぼくに突き出して尋ねた。
「令、さくらも魔法使いなのかよ」
「そうだけど。あれ、それ言ったかな?」
「いいや。たが、令。お前も魔法使いなら、魔法感知くらい分かるだろ。さくらの周りを、それで調べてみろよ」
「でも、ぼく魔法感知がまだ出来ないんだ」
「おい、おい。あれだけの実力があるのにかよ。やり方くらいは分かるよな」
和真は細く尖った目を見開いて、ぼくの顔を覗いた。
「うん、一様ね。ハジメ、先生に習ったんだ」
「そうか、そうか。だったら、後は実践あるのみだ。まあ、魔法初心者には、この子の魔力は小さすぎて、多少荷が重いかもしれねえが。そこは、気合いで何とかなるだろ!」
和真は、ぼくの肩に手を置いて励ますように叩いた。不思議と体の中で力が湧いてきた。
「そうだね。やってみるよ」
「ああ。令なら、きっと上手くいく」
ぼくは、和真と別れて病院を後にした。それからも、時々ぼくはさくらの見舞いに病院へ通った。和真が言ったように、さくらの側で魔法感知を試してみた。未熟なぼくは、何度やってもさくらの弱々しい魔力を感じることが出来なかった。それでも諦めなかった。
ぼくは、お見舞いに行った帰りに、しなびた商店街を歩いて、バッティングセンターを覗いてみた。横一列に並んだバッターボックスはガランとして、照明だけが白々と眩しかった。誰も居ないと思っていた。時折金網をキリキリ鳴らすような、機械の投球音が緑色のネットの内から、バッターボックスの静寂を紛らわす程度に聞こえてきた。勇ましくバットを構えた、赤いヘルメットの女の子が目に留まった。ぼくは、自然と走りだしていた。走る間も、奈々子はバットを豪快に振った。投球とのタイミングは合っていたが、ボールはバットを擦り抜けただけだった。奈々子は以前と見違えるほど、バッティングフォームが上達していた。肝心のボールには当たらない。奈々子は幾ら腕を磨いても、バットにボールを当てることが出来なかった。奈々子が習得した魔法の性質が、日常生活にも影響を与えていた。ぼくがネット裏に立つと、奈々子はバッティングマシンを見詰めながら叫んだ。
「何だ、令。来てたのか?」
「来てたのかじゃないよ。捜したよ。学校は、どうしたの?」
ぼくは、ぶっきら棒に答えた。奈々子は相変わらず、投球から目を逸らさなかった。すかんと音がするくらい、見事に空振りした。ネットで弾いたボールが地面に転がった。
「ハジメたちが居ない、教室に行っても仕方ないだろう。面白くもない」
「じゃあ、もう学校行かないの?」
今度はコースは良かったが、振り遅れた。
「そう言うわけにも行かないが、私はね。さくらが目を覚ますか、ここでホームランを打ったら、行こうと決めているんだ。令は、さくらの見舞いに通っているんだって」
「うん、ぼく約束したから」
「約束か。その言葉、いい響きだね。そうだ。約束は守らないとね、ふふ」
奈々子は、口の中で笑った。話に気を取られてか、また大きく空振りした。
「でも、魔法感知が上手くいかないし、どうやって、さくらに言葉を伝えればいいのか分からないよ」
「魔法感知が、どうしたって?」
奈々子が大声を出したから、ぼくも負けずに言い直した。
「知ってる人がね。さくらが魔法を使って、何か残してるって言うんだ」
「何を残してるって言うんだ?」
ぼくは、首を振った。
「その人は、自分で確かめろって、教えてくれないんだよ」
「そうだな。もし令に残した言葉なら、それを自分で感じ取らないと、さくらの意図が伝わらないだろ」
奈々子は急に振り向いて、投球を待ち構える目で、ぼくを凝視した。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。何でもないよ。魔法で言葉を伝えるのなら、静が詳しいだろう。静に教えてもらえよ」
「静に? あっ、今バットにボールがかすったよ!」
「ほ、ほんとに本当か!」
ぼくには、奈々子の振ったバットが、撫でるように投球をこすって見えた。翌日、また神殺し狩りが始まった。
そこで、ぼくはようやく二人を見つけた。巨大な高速道路の高架下にある、信号待ちの人垣に紛れ、セーラー服姿の女の子と、緑のジャージの男の子が立っていた。ぼくは、ちょっと目を疑った。女の子は胸に布袋で赤ん坊を抱えていたからだ。車が次々に止まって、歩行者が動きだした。その間、ぼくは心臓が止まりそうになり、代わりに何かが動きだす衝動に駆られた。
横断歩道の中程で、ぼくらは赤の他人のように対面した。二人は久し振りに再開したぼくに、顔色一つ変えなかった。そこには、ぼくが待ち望んだ感情は何一つ見つからなかった。ただ敵同士の衝突しか起こらなかった。
「あら? 誰かと思えば、令じゃない。そこに居るってことは、敵に寝返ったのかしら」
二葉は、彼女だとどうにか判別できる程度の表情を残して、他は全て削ぎ落とした顔で言った。ぼくは強く否定した。
「そうじゃない!」
「令、分かっているのか? お前が今していることは、単なる殺戮だぞ。魔女狩りなんて大層な言いわけしているが、要はそれを正当化している体のいい言葉なだけだ。騙されるな!」
三郎丸が、ぼくを睨むように怒鳴った。
「でも、どうせ殺されるんでしょ。張り紙見たんだ。指名手配だよ。幾ら二人が強くても、いつかは誰かに倒されるときが来る。ぼくは、それが耐えられないんだ。だったら、ぼくのこの手で終わらせてやる」
「あらあら、令。随分と生意気なこと言うようになったわね。それ程言うんなら、もう覚悟は出来てるんでしょうね。後で泣き言言っても、手遅れだからね」
「ぼくだって、いつまでも弱いままじゃない。強くなっているんだ!」
「強くなった。ふふふ、本気で言ってるの? 私たちの実力を知らないわけでもないでしょう」
「そんな事、やってみないと分からないよ!」
ぼくは激しく湧き上がる感情のまま、不敵な笑みを浮かべる二葉に怒りをぶつけていた。
西条が横断歩道の途中で、二葉とぼくのやり取りを見届けていた安浦へ告げた。
「信号が変わります」
安浦は、点滅し始めた歩行者信号を確かめて、肘から曲げた右手を軽く上げて指示した。
「僕らは一旦下がるよ」
「令は、いいんですか?」
「まあ、よく見ておくんだ。令くんの実力が分かるからね」
西条の心配をよそに、まあまあと安浦がなだめるながら、安浦たちが横断歩道を後退すると、車が動きだした。二葉と三郎丸、ぼくだけが行き交う車の間に立っていた。そこから数歩でも退けば、車に衝突する。
「二葉、俺がやろうか。令が相手なら辛いだろ?」
三郎丸が、二葉とぼくのやり取りを見兼ねてか、口を挟んだ。
「誰が辛いですって。私が魔法初心者に手こずると言うの?」
「そうじゃねえ。その反対だ。二葉が手加減しないかが心配だ。どうも令の奴、自信があるようだからな。本気で行かねえと、足をすくわれるぞ!」
「冗談じゃないわよ! いいわ。私一人でやるから、三郎丸は手出ししないでよ」
「手出しするなと言われれば、そうするが、いいのかよ?」
「いいに決まっているでしょ。ハジメちゃんをお願い」
「分かった。全くやり難いな」
三郎丸は、二葉から赤ん坊を慣れない手付きで受け取った。ぼくは、赤ん坊をじっと見つめた。
「ねえ、さっきから気になってたんだけど。それ、誰の子なの?」
「誰のですって? ふん、あれだけ世話になっておきながら、もうこの子のこと忘れたの?」
「忘れた? ぼくはそんな子知らないよ」
「そうだな、令。分からなくて当然だろう。以前とは随分容姿が変わってしまったからな。だが、この子は紛れもなくハジメだ」
戸惑うぼくに、三郎丸が赤ん坊をあやしながら告げた。
「からかっているの?」
「そうじゃない。これは事実だ! 第一、こんな状況で嘘を吐く理由もないだろ」
「じゃあ」
ぼくの声は一言発しただけで、喉が締まったように勢いを失った。声が出なかった。三郎丸は、思った通りだという表情で続けた。
「ハジメは魔力を使いすぎると、反動で若返ってしまうんだ。そう言う呪いを掛けられているんだな」
ぼくは、一瞬目の前が真っ白になった。あの爽やかな少年が、言葉もしゃべれない赤ん坊に変わってしまったことが、とても受け入れられなかった。
「どうして、こんな事になったんだ!」
「どうして? 仕方がなかったのよ。ハジメが力を使わなきゃ。みんなやられていたわ」
二葉は、赤ん坊に目をやった。顔をくしゃくしゃにしていた赤ん坊は、三郎丸に抱えられ、ようやく機嫌を取り戻したようだった。ぼくは、乱暴に言った。
「その子を渡せ!」
「渡してどうするの? 私たちの代わりに育てくれるの?」
「どの道、二葉たちはここで終わりなんだ。だったら、その子は関係ないだろ!」
「令! 関係ないなんて、そんな言い方ないだろ」
三郎丸が怒鳴った。
「何言っても無駄なよ。いいわ。もう始めましょ」
二葉は軽く左手を腰に当てると、右手でぼくを指差して忠告した。
「令、本気で行くわよ! しっかりしないと、あんた死ぬわよ」
「分かったから、さっさと始めよう」
「飽くまで、挑発的な態度を取るのね。むかつくわ。でも、いつまでそんな事言ってられるかしら」
二葉は小筆で跳ねたような眉を更に吊り上げ、ぼくに憤怒を投げ付けた。殺気を帯びた気配が、ぼくの身体を刺すほどにピリピリと刺激した。
「何か敵に踊らされている気がするな、二人とも頑張れ!」
三郎丸は歩行者信号のある路肩まで下がって、二人に声援を送った。
「ちょっとそこ。どさくさに紛れて、なに敵まで応援しているのよ!」
「よそ見をしていていいの?」
ぼくは、二葉の隙をついた。二葉はぼくの不意打ちも、予想していた様子だった。あるいは、余裕のある二葉の態度は、最初からぼくを誘うための演技だったのだろう。
先手を狙ったつもりが、いつの間にか後手に回されていた。ぼくは、二葉には魔法能力も及ばないし、格闘技術では到底敵わない。何とか戦えているのは、ぼくがカウンターの魔法を身に付けているからだ。二葉はそれを警戒して、手加減している。それが、ぼくの唯一救いだった。それが無ければ、既にこてんぱんに倒されていた。
車道に立つぼくらの間には、目まぐるしく車が行き交う。二葉は轟音を上げた車が通過する瞬間をわざと狙って、攻撃を仕掛けてきた。ちょうど車の陰になって、安浦たちには何も起こっていないようにしか見えなかっただろう。ぼくは、二葉の攻撃を完全には避けれないと悟り、致命傷になりそうな攻撃だけ警戒し、あとは防御に徹していた。
大型バスが猛スピードで走ってきた。車体には、お洒落な広告がラッピングされていた。二葉は、そこに写されたアイドルの顔に擬態させ、紛らわしい攻撃を仕掛けてきた。ラッピングのアイドルの特大の顔が動きだした。どきりとするウインクをし、魅惑的な唇をすぼめ、ふーと息を吹き掛ける仕草をすると、それに合わせた光や風の魔法がぼくを襲った。これには、とても対処できない。大型バスの他にも、時には車に乗っていた人物が、突然と車から降りてきて、魔法を放ったように錯覚させられた。ぼくは机の性質を魔法耐性のある生き物に変え、何とか凌いでいたが、それも長くは持たない。
その間にも、歩行者信号が青に変わった。二葉は最後の車が走り去るを見計らって、目立たないように高架橋の底まで跳躍した。ぼくも二葉を追い掛け、机を使って体を跳ね上がらせた。二人とも高架橋の底に、コウモリのように逆さにぶら下がっていた。ぼくは机を蔓の性質に変化させ、足に巻き付かせて落ちないように頑張った。
「まさかパンツ見えないかって思ったの?」
二葉は、逆さまで多少吊り上がった目付きで怒鳴った。ぼくは、真面目に否定した。
「そんな事、思いもしなかったよ!」
「三郎丸とは、大違いね」
「おい、聞こえてるぞ! 誰が大違いだと」
三郎丸の声が、高架下から響いてきた。二葉は悪びれもせずに唇を不機嫌に曲げただけで、ぼくへの攻撃を始めた。
二葉は高架橋の底に逆さになっていても、全く重力を無視して、自由自在に動くことができた。側転や前転からの浴びせ蹴りや回し蹴り、通常では考えられない連続技を繰り出してくる。ぼくは何とか蔓のようにした机を操って、二葉の連続攻撃をかわしていた。
「このくらいなら、ぼくにでも避けられる!」
「そう思ったでしょう。でも、避けられないのよ。ここにいる限りね」
二葉は穏やかな口調で、向きになるぼくに忠告した。蔓の机が伸びたり縮んだりをして、攻撃を回避したと思った。が、そうではなかった。二葉の言う通り、避けようとして伸びた机の脚が、反対に二葉の方へ吸い寄せられる。いや、二葉の体がぼくへ向かって、引っ張られるのだ。それは何度やっても同じだった。二葉はそうやって、本来は立つことも出来ない高架橋の底に張り付いていられるのだ。
出来ないことを可能にし、出来ると思ったことを不可能にした。二葉は、いつもぼくの一歩も、二歩も先に立っていた。しかし、理屈に当てはまらないのが、神クラスや神殺しの世界だ。
二葉の繰り出す軽快な攻撃が、突然と弾き飛ばされた。ぼくにも、それは思いも寄らないことだった。制服を探って、その原因を突き止めた。ぼくは、左腕の目玉から生まれた卵を手にした。
「何なのその卵は、気味が悪い!」
ぼくが何か言う前に、二葉が露骨に顔をしかめて叫んだ。ぼくは、手の中の卵を眺めた。形も大きさも、ちょうど鶏の卵と同じほどだった。ただ殻の内側から、ときどき鈍い輝きを放った。ぼくは、もう一度それを仕舞うと、制服の上から確かめた。この卵は、ポケットに入れても少しも邪魔にならない。まるで大きさがないようだった。
この卵を割ることは、誰にも出来なかった。そこへたまたま二葉の拳が当たったのだ。この卵が、ぼくに勝機を生み出す。そう考えた。
「二葉! 手こずるようなら、交替しようかー?」
三郎丸が遠くへ呼び掛ける仕草で手を口に当て、高架橋を仰いでいるのが見えた。二葉が、キーンと響く声で怒鳴った。
「誰が手こずってるって、冗談言わないでよ! すぐに片付けるから、三郎丸はそこでハジメちゃんの面倒見てなさい」
三郎丸が呆れたように、首をすくめた。車道の信号が青から黄色に変わった。それを合図に、二葉の体が高架橋の底から緩やかに離れた。ぼくは、蔓の机を伸ばして二葉の自由落下に合わせた。次の瞬間には、二葉の連撃がぼくを捉えていた。二三発は食らった。それ以上はポケットの卵で弾いている。二葉は弾かれても、体を回転させながら、手足を可憐に踊らせた。飛ばされることなく、次々に攻撃を繰り出してきた。
ぼくは、机の脚を二葉へ向けてしならせた。が、それは難無く防がれてしまった。大きく体勢を崩されたのは、ぼくの方だった。そこを狙って、二葉が強烈な拳で畳み掛けてきた。攻撃は全て命中した。が、ぼくには何の損傷も与えなかった。そればかりか、二葉の体が急に叩き付けられ、地面に激突した。ドスンと鈍い音がして、二葉が横断歩道に倒れていた。
「令、今何やった! おい。二葉、大丈夫か?」
三郎丸は身を乗り出し、見開いた目を慌ただしく二葉からぼくへと移した。信じられないという表情を見せた。
「何もしていないし、何もされていないわ」
二葉が右肩を押さえながら、苦しそうに立ち上がった。そこが赤く滲んでいた。
「だとすると、カウンター系の魔法くらいだな。まあ未知の神殺しということも考えられなくないが、それを言い出したら切りがないからな。二葉、それだけやられれば十分だろ。代わるぞ!」
「まだよ。まだ何も掴んでないわ」
「しかしな。そんなお前の姿、忍びに堪えないだろ」
「あら、心配してくれてるの?」
「そりゃそうだろ。お前自分の姿よく見てみろよ。ボロボロだぞ。気を抜きすぎなんだよ!」
「ちょっと、私のこと本気で心配してくれてるんじゃないの?」
二葉は、小腹を立てて三郎丸を睨んだ。ぼくは二人のやり取りを傍観していただけだった。二葉の膨らんだ頬は土埃で白く汚れ、小さな唇がわずかに赤く濡れて見えた。そこを一度、手の甲で隠すように拭った。一瞬、女の子が泣きだすんじゃないかという顔をして、ぼくをはっとさせた。が、次の瞬間にはその顔から全ての感情が消えていた。ガラス玉のような瞳が、ぼくを見詰めていた。
次の二葉の攻撃は、ぼくには見えなかった。見えていたのは、傷だらけの二葉の姿だけだ。どんな巧みな攻撃を仕掛けてきても、ぼくに傷一つ付けることは出来なかった。二葉のセーラー服が血に染まっていく。それでも、二葉は諦めない。諦めるという言葉を知らないみたいに、拳や蹴りを繰り出してくる。
強力な攻撃を行えば、その分二葉が受ける手傷も甚だしくなっていく。不意をついた攻撃も、服を使った分身も全く意味を持たない。これはぼくが二葉の攻撃を認識して、跳ね返しているわけではない。ぼくに向けられた攻撃は、自動的に全て攻撃者に返されるのだ。ぼくのカウンターは、百パーセントの反射率に到達していた。
「二葉、それ以上やったら体が持たないぞ。もう諦めろ!」
「誰が諦めろですって!」
二葉が指を動かした瞬間、ぼくの耳元で何かが弾けた。弾丸が飛んできたという感覚とも違っていた。そこに二葉の拳が現れ、ぼくの左頬を殴り付けた。真っ赤な光の筋が後から迫ってくるのが見えた。が、それは目の錯覚だった。実際には、一瞬でぼくに接近していたのだ。ぼくの体は倒されながら、強烈に吹き飛ばされた。しかし、痛みはまるで感じない。全て二葉に弾き返すからだ。二葉が、また血を浴びた。いやそうではない。二葉のセーラー服は、真紅の色をしていたのだ。
ぼくの体は、潮流の渦に投げ込まれたくらいに、滅茶苦茶に揺り動かされた。自分が立っているのか、宙に飛ばされいるのか、地面に叩き付けられたのか、それすらも分からない。ぼくは、二葉がその後に激しい吐血に襲われ、血にまみれて、ボロボロの姿になるのを、目の当たりにするだけだ。
二葉はボロボロになりながらも、ぼくを睨み付けた。髪の毛にまで赤黒い血の固まりが付着していた。顔中赤黒くして、その表情は真紅のセーラー服を象徴するように、憤怒の感情しか浮かんでいなかった。しかし、この怒りは神クラスの怪物と何も変わらない。
「な、何だよ。これ! 全て反射しているじゃないか」
三郎丸が当惑顔で叫んだ。
「しかし、そいつを出したからって、どうにもならんだろ。むしろ傷付くのは二葉、お前だぞ!」
それでも、二葉は攻撃を止めなかった。怒りに我を忘れたというように、あるいはそれが宿命だというように、拳を、蹴りを、魔法をぼくへ叩き込んだ。ぼくは、それを避ける必要もない。ただ受け止めるだけで良かった。痛みも感じない。傷一つ受けないのに、心が悲鳴を上げるほど苦痛を感じた。
「令、やり過ぎだぞ。何をやっているか分かっているのか!」
分からない。ぼくには、自分が何をしているのかすら分からなかった。ただ目の前には、傷付くと分かっていながら向かってくる、傷だらけの女の子が見えた。
「二葉、俺がやる! お前は下がってろ!」
三郎丸の怒鳴り声にも、二葉は何の応答もしなかった。
「くそ! ハジメを負ぶったままじゃ、俺は戦えんからな」
「その子、私に任せて」
三郎丸は、突然の声に振り向いた。
「静! 何だよ。さっきから、そこに居たのかよ。通りで、誰かの気配を感じると思っていたが。まあ、そんな事はどうでもいい。でも、大丈夫かよ? 本物の赤ん坊だぞ」
静は黙って、赤ん坊を受け取った。多少持て余すように、臆病に抱きかかえた。
「よし、ハジメを頼んだぞ!」
三郎丸はそう言うが早いか、待ち切れないように右腕を回しながら、前へ出ていた。三郎丸が戦闘に参加しても、この状況は変わらなかった。三郎丸のぼくに対する攻撃は、全て跳ね返される。ぼくは、痛みも傷も受けることはない。
二葉が手数と巧みな技で畳み掛ける戦闘を得意とするなら、三郎丸は無敵の体と、どんな防御も無効にする一撃を得意とした。が、三郎丸の攻撃は、カウンター系の魔法には効かない。その上、自分の攻撃が反射したとき、無敵と防御不能な攻撃の矛盾が生じるため、自分への反射を防ぐことは出来ないのだ。その事が分かっていながら、三郎丸はぼくに拳を振るってくる。それは、自分に攻撃しているようなものなのだ。
三郎丸も二葉同様だった。無事な所が見つからないくらい、体中が傷だらけになっていく。それでも、三郎丸は攻撃の手を止めない。繰り出した拳が、自らの体を貫いたとしても、一歩も退かない。それが定めみたいに、また拳を突き出すだけだ。この時の三郎丸の姿は、まるで悪魔だった。全身真っ黒な影に変貌していた。恐ろしい影が唸り声を上げた。
二人は、既に武装を解除していた。二葉の真紅の服は、血に染まったただのセーラー服に、三郎丸の黒い影の姿は緑色のジャージ姿に戻っていた。武装する必要もなかった。ノックアウト寸前のボクサーみたいな顔をしてふらふらになりながらでは、たとえその拳が反射したとしても、かすり傷すら与えなかった。ぼくは小刻みに肩を震わせていた。なぜ二人に、これ程まで憎まれなければならないのか理解できない。
「れ、令。お前泣いているのか?」
三郎丸の手が止まった。二葉の動きは完全に止まっていた。その瞳に宿る光すら感じられなかった。ぼくは喘ぎながら鼻水と涙を同時に流した。三郎丸は、咳き込むように血を吐き出した。こんな戦いは、真っ平だ。もうこれで終わりにする。ぼくは、二人に向かって右腕で払い除けた。二人の姿が一瞬にして消えると、間もなく消えた二人が高架橋の方から落ちてきた。二葉も三郎丸も、激しく地面に叩き付けられ、ピクリとも動かなかった。二人の靴だけが彼らの最期を悲しむように、後から降ってきた。全ては終わった。
今まで影を潜めていた、安浦たちが慌ただしく動き出した。
「どうやら決着が付いたようだね。やれやれ。よし、死体を片付けさせよう。こんな場所に長居も良くないな。僕らは、急いで撤収しよう。令くん、ご苦労だった。疲れているところ悪いが、すぐに戻るよ」
安浦が横断歩道の端から、大声で呼び掛けた。ぼくは、安浦の浮かれたような声で、初めて戦闘が終わったことに気付いた。地面には、二葉と三郎丸が血だらけになって倒れていた。二人とも動きそうになかった。ぼくは放心したまま、全身の力が抜けた。視界が急にぐらついて、ぼくは倒れていた。意識が薄れる中で、遠くで安浦の甲高い声が響いた。
「令くん、大丈夫? おい、誰か。令くんを見てやってくれ。何をしている。急いでくれ!」
あまりの眩しさに目蓋をこすると、ぼくはベッドの上に居た。光の散乱が著しいのは、漂白されたシーツのせいだろう。しかし、この鉄パイプのベッドは、ぼくの生活圏には存在しなかった。ただこれとよく似た殺風景な景色に見覚えがある。ぼくは頭だけ動かし、クリーム色の壁に囲まれた部屋の中を見回した。
他に空のベッドが、繁華街にある小さな駐車場へ止められた車くらいに整然と、五台並んでいた。ぼくはベッドを抜け出し、長い廊下に飛び出した。
ここは病院だ。偶然にも、ぼくが卒倒し運ばれてきたのは、さくらの入院している市内の病院だった。しかし、この階に来たのは初めてだった。不案内な場所で、知り合いに会いたくなるのは当然だ。ぼくは足を速め、さくらの病室を目指した。明るい廊下の先にクリーム色の扉を見つけ、少しほっとした。エレベーターさえ見つかれば、そこから先は迷わなかった。
さくらは、まだベッドの上で人形のように眠ったままだった。ぼくは誰にも気付かれずに、さくらの側に立った。
「計画は、全て上手くいったよ。二人の靴は、静に回収するように頼んでおいた。二葉と三郎丸の面倒は、静が見ているはずだ」
ぼくは、静との交信で使う魔法通信で、ベッドに眠るさくらに話し掛けた。ぼくの言葉に反応し、蛍の灯火ほどの魔力が生じた。ぼくはそれを拙い魔法感知を使って読み取った。
「ありがとう」
と一言返事があった。この応答がさくらの意識によって発せられた物なのか、それともあらかじめ特定の言葉や条件、人物に対して用意された反応なのかは、ぼくには判断できない。どちらにしても、これは確かにさくらの意思による言葉なのだ。さくらは、二人を助けようと望んだ。あるいは、ぼくに協力を求めていたのかもしれない。それは、ぼくの希望でもあった。
ぼくがここを訪ねて、さくらから受け取った最初の言葉は、「さくら」だった。自己紹介は、ぼくらの約束だった。しかし、こんな形で約束を果たさなければならないのは、残酷すぎる。ぼくは、何度も「ぼくは、令」と話し掛けてみた。さくらからは、何の応答も得られなかった。ただ虚しい沈黙が、病室を満たした。
その時、誰かがぼくの頭の中で囁いた。
「魔法使いの会話は、魔法通信」
聞き覚えのある声だった。すぐに静だと確信した。魔法通信で伝えたのだろう。静は、いつもぼくのどこか近くに居て、見張っているようだった。
「ぼくは、令」
ぼくは魔法通信で、さくらに呼び掛けた。
「こんにちは、令」
すぐに、さくらから反応があった。
「完璧な死体を作る」
続けて奇妙な言葉が現れ、ぼくの頭を混乱させた。とても出会ったばかりの二人が、交わす会話ではなかった。
殺人という言葉が一瞬、脳裏をよぎって、ぼくは激しく頭を振った。そんな事、さくらが望むはずがなかった。完璧な死体というところも引っかかった。本物なら、わざわざそう言う必要がないからだ。つまり偽物の死体を作ることと結論付けた。それに魔法使いなら、死体を作る方法は殺人だけとは限らない。現にぼくは、その魔法を手にしていた。
死体を作る魔法は、これまで自分に使う物だと思っていた。他人の死体を作っても、何の意味も成さないと誰もが考えるだろう。さくらは、ハジメと同様にぼくに課題を与え、それを達成させようとしているのだ。懐かしい少年の燦々とした笑顔が、ふと浮かんだ。それと同時に、赤ん坊の姿も思い出した。目の前の包帯だらけの顔と比べ、ぼくは思わずベッドから目を逸らしたくなった。すぐに気を変えて、さくらに視線を戻した。最初の課題は、何とかなりそうだ。そうさくらに伝えると、次の課題が与えられた。
「ベッドの側に、私の死体を置く」
ぼくは、酷く顔を歪めた。これも一種の試験だとすぐに理解した。それなら問題ない。今度は包帯の下の顔は、どんなだっただろうということが、ぼくの頭を悩ました。ぼくは、わずかな記憶と想像力を頼りに、さくらの死体を作り上げた。
病室の床には、その側にあるベッドの患者と同じ姿の死体が転がっている。巡回に来た若い女の看護師が、カラスのような悲鳴を上げて、病室を飛び出していった。それを確かめたように、さくらの言葉が現れた。
「いいよ。私の死体を消して」
まさか悪戯するために、ぼくに死体を作らせたのでもないだろう。
「私の存在を消す」
次にさくらから提示された課題に、ぼくは刃物で胸を貫かれるような思いがした。ぼくの魔法感知能力を疑った。どこか誤認識したのだと思った。しかし、死体を作った直後だったために、死を過剰に意識していただけだった。ぼくの単純な早とちりで、存在を消す魔法のことと気付いた。が、この魔法は一筋縄には行かない。自分に掛けるだけでも精一杯なのだ。それに、この魔法を他人に使うことに、ぼくは積極的にはなれなかった。
もしさくらの存在が消えて、元に戻らなくなったらという不安が拭えなかった。もっともこの魔法は、全ての存在を消せるわけではなかった。必ず完全には消滅しないように、何かしらその人物の所有する物が残される制約がある。それは履いた靴だったり、身体の一部分だったり、あるいは裸足の足跡だったりする。それをしっかり見失わなければ大丈夫だ。更には魔法の効果を、どれくらい持続させるかということにも、注意が必要になった。
ぼくは同じ魔法を使う江本とは、まるで別な方向へこの魔法を極めようとしている。江本が己のためなら、ぼくは他人のために、この圧倒的な力を利用する。
ぼくは、何度か魔法を試してみた。ベッドの上の体が次第に薄くなり、完全に消失してしまった。両手で臆病に布団を探ってみても触れる物は無かった。さくらの体は、そこに存在しなかった。さくらの存在が消え、一分後に元に戻ったときには、次の課題が現れていた。それは、より具体的なものに発展していた。そこで初めて、これまでの課題の目的が明かされた。
二葉と三郎丸の完璧な死体を作る。二人の存在を消し、その死体とすり替える。これを誰にも悟られないように、敵の前で行う。信頼できる人物に、二人の靴を回収してもらう。この計画が上手くいったか確認する。
「敵の前で?」
この魔法を自分に使うときは、蝋燭の炎を吹き消すくらいに、一瞬でぼくの存在は消えた。まるで命の炎まで吹き消される感覚に陥る。しかし、さくらに掛けたときは、そうではなかった。これを誰かの前で行うとすれば、新たに解決しなければならない問題が生じる。二人の存在を消すとき、その体は徐々に薄れて消える過程が曝されるのだ。これでは、何らかの魔法を掛けたことが分かってしまうはずだ。この魔法は、誰にも悟られずに行わなければ意味がない。さくらは、行き詰まったぼくに、何の解決法も示さなかった。ぼくが自分で解決すべき問題だと諭しているようだった。
しかし、この問題は以外ないことで、簡単に解決出来そうだ。二人が存在を消すまでの間、どこかへ気を逸らせておけばいい。あるいは、二人を一瞬、誰の目にも留まらない場所へ移動させておけば良かった。ぼくは簡単な手品のトリックを参考に、二人を空中に飛ばすことで、上手く誤魔化すことにした。
ぼくは、さくらの課題を全てこなした。二葉と三郎丸を死んだように装った。敵の目を欺くことに成功した。こうして、二人は晴れて自由の身になった。もう誰からも狙われることはなかった。
ぼくは、学校で廊下の掲示板を眺めて安心した。指名手配の張り紙には、二葉と三郎丸の顔に、解決を意味する大きな罰点が描かれたいた。さくらの計画が、疑われることなく成し遂げられた証だ。
急に、ぼくを誰かの声が驚かせた。その時この秘密を胸に仕舞っていたから、余計に顔を引きつらせていただろう。表情でバレていないか心配なくらいだった。
「令くん、掲示板なんか眺めて、どうしたんだ?」
ぼくが振り返ると、安浦が眼鏡を傾けながら、指名手配の張り紙を怪訝そうに覗いていた。
「ああ、これか。令くんのお手柄だったね。正直に言って、あれなんだが。僕はね。この二人を倒せるなんて思ってなかったよ」
安浦はこちらを一瞥すると、言い訳する話を続けた。
「でも、令くんだから倒せたのかもしれないね。まあ、いいさ。上は、これで納得したんだからね。それで、どうする? また魔女狩りに一緒に来るかい」
ぼくは、激しく顔を振った。安浦は、期待していたように微笑んだ。
「そうだね。確か、この二人は令くんの友達だったんだよね。それじゃあ、仕方ないか。まあ、また気が変わったら言ってくれ。僕は、いつでも歓迎するよ」
ぼくは、はいと返事だけした。
「おっと、僕は用事があったんだ。それじゃあね、令くん」
安浦は思わせ振りなことを残し、急ぎ足で行ってしまった。何か勘付いているようにも思えた。それならぼくは、さくらの課題を完璧にはこなせなかったことになる。
その日もぼくは、さくらのお見舞いに行くつもりだ。
ぼくのカウンターがゼロに宣言された つばきとよたろう @tubaki10
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