第32話 安浦と神クラス
ぼくらは、ハジメたちを逃がすのに成功した。それだけは、大きな成果だった。その後、敵の圧倒的な戦力に、呆気なく敗北した。敵は、ぼくらが最後の抵抗を挑んでくると予想していたようだ。周到に時間を掛け、態勢を整えてきた。
その間に、ハジメたちと、一部の仲間は遠く離れることが出来た。それで十分だった。ぼくらは、敵が攻撃を開始するのを見計らって、白旗を掲げた。降伏を無視して、戦いに望もうとする輩も居たが、敵の指揮官はそれを許さなかった。
ぼくを含め、静、ムラサキ、初音、久太郎、冬吾が敵に捕まった。他の味方も、ほとんどが投降に加わった。一組連中や、二葉や三郎丸、残りの優秀な生徒だけが、ハジメたちと行動を共にした。冬吾は、あれ以来目を覚ましていない。彼は決して危険な状況では、目覚めないと言う。
敵の魔法使いは、ぼくらから武器や魔法の道具を全て没収した。ぼくの机だけが、唯一の例外だった。ぼくらは、敵陣営の近くに設置されたテントに連行された。そこで一人一人厳しい取り調べを受けた。
大型で濃緑色のテントの中には、簡易な長机と椅子が置かれ、そこに検査員が厳めしい表情で待っていた。ぼくは、荷物や着衣を詳しく確かめられ、学生机も強制的に奪われた。
「これ、どうします?」
直接、ぼくに手を触れ調べていた男が躊躇い勝ちに言った。白いマウスに、山葵色の作業服と、同色のマントを着けたその男は、ぼくの机の上を、軽く叩いて白手袋の手を置いた。同じ格好の椅子に腰掛け、記録をしていた眼鏡の男は忙しそうに顔を上げ、ぼくの机を見ると、眉をひそめた。
「これは、ただの机だろ」
「しかし、こいつは猛威を振るったとか、そう報告もあります」
「いやね。それは、魔法の力であって、これはただの机だよ。たとえこの机を取り上げたところで、他に代用は幾らでもあるはずだ。こんな物に一々構っていたら切りが無いだろ」
「はあ、そうですか。分かりました。よし、お前行ってよし! その机を忘れるな」
検査員の男は、多少釈然としない様子で言うと、厄介者のようにぼくをテントから追い出した。外で見張っていた、別の魔法使いが、ぼくを一時収容所へ連れて行った。収容所といっても、それほど物々しい場所ではなかった。ただぼくたちが、逃げられないように、監視されたテントの中だった。敵の魔法使いが、使っている物を代用したくらいなのだ。
敵に捕まった味方の魔法使いは、百五十人にも満たなかった。そのうちの半数近くが、襲撃直後に、呆気なく拘束されていた。敵の追撃を逃れて、新たな拠点にたどり着いた者は、七十人ほどだ。そのうち、敵の手を逃れて逃走できたのは、たった二十一人だった。ハジメは、別れ際にぼくに、みんなを守ってくれと頼んだ。
「ぼくには、そんな力は無いよ。もう零の力だって、使えるか分からない」
「そんな事はない。令は、自分の力で十分に戦えるはずだ。さあ、元気を出してくれ。別れ際に、そんな顔されたら行きづらいだろ」
ハジメは、最後にそう言い残して、ぼくらの前から去った。しかし、ぼくらは、すっかりバラバラに収容され、他のみんながどこに居るにか、知ることはできなかった。
見張りは、常にぼくたちの周囲に居た。小さなテントには、十人ほどがシートを敷いた所に座らされていた。みんな、ぼくと同じ学校の制服を着ていた。ここは、生徒だけだった。知り合いは居なかったが、戦闘で見掛けた顔も見えた。敗北のためか、みんな憔悴しきって俯いていた。その中に、あの敵から一番先に逃げてきた、上級生の顔もあった。上級生は、ここでもあの時と同じ、苦しそうな表情を浮かべていた。上級生は、未だに敵から逃走し続けているように見えた。
そこは、あまりにも簡素で、寝泊まりするには適していなかった。ぼくらは、これからどこかへ連行されて行くのだろうか。
「人数が多いんだ。少し窮屈でも我慢してもらわないと……」
外で言い争う声がした。見張りが、誰かと揉めるようだった。
「でも、ここはもう満員ですから、これ以上は無理ですよ」
「さっきもそう断られたが、どこも無理して入れているんだ。ここだって、詰めれば一人二人は入るだろう」
「ちょっと待って下さい」
声が途切れると、見張りの男が入ってきた。全身、黒マントに包まれていた。見張りは、テントの中を急いで見回し、生徒の人数を確かめる仕草をすると、また出て行った。
「無理ですね。もう一杯だ」
「うーん。仕方がない。他を当たるか」
「そうして下さい。お願いします」
誰かは、唸るようにして去って行った。去って行く足音は、一人ではなかった。また仲間がどこかへ連れられて行くのだろう。その中に、知り合いが居ないか不安になった。
壮絶な敵との交戦と逃走のためか、ぼくはついうとうとして、目を閉じていた。このテントの、みんなも同じだった。ここで、疲れていない者は、誰一人として居なかった。目が覚めた後に、眠っていたに気付いた。外の物音に驚かされ、ぼくは顔を起こした。テントの外にたくさんの人が出て、慌ただしく動き回っているらしい。あっちこっちで叫び声が上がって、人を集めるみたいだった。
騒いでいるのは、人ばかりではなかった。風が出て来たのか、テントも強風に煽られるように、ときおり天井や壁が激しく音を立てたり波打ったりした。疲れて眠り込んだいた生徒も、次第に目を大きく開いて、何事かと狭いテントの中を見回すみたいだった。しかし、その電灯一つ吊された薄暗いテントの中で、幾ら濃緑色の布壁を見詰めても、外の状況は何一つ把握できなかった。
急に辺りが眩しくなって、凄まじい轟きが起こった。強力な魔法を放たれたのだ。外で誰か魔法使いが、戦闘している。それが、ハジメや二葉、三郎丸ではないかと、ぼくは心配になった。
戦闘の気配は激しくなる一方だった。かなりの魔法使いが、戦闘に参加していた。そのうちに怒鳴り声や叫び声、つんざくような悲鳴も混じり始めた。テントのみんなは外のただならぬ様子に、声を押し殺しって、ときおり他人の顔を盗み見るようにしていた。そのどの顔も、恐怖と不安に落ち着きを失っていた。何も見えない、何も分からないという状況が、一層ぼくらの恐怖を煽っているのだった。また一段と風が強くなるように、テントが滅茶苦茶に煽られた。それは一段と激しくなって、テントは遂に傾いてしまった。わーと叫び声が、テントの中で上がった。テントと一緒に何人かが、布壁に押し倒されたのだ。テントの中は、急に狭くなり、この人数で留まっていることも困難になった。窮屈になった体を何とか押し上げ、数人がぼくと一緒に、テントの外へと這い出した。
出て来たのと同時に、何かがぼくを踏み潰そうとしていた。透かさず背負っていたリュックの机を変化させ、それをぎりぎりで受け止めた。巨大な化け物の足が、弾かれるように退いた。それ以上、何かは襲ってこなかった。そこはこの世のものとは思えない、恐ろしい世界が広がっていた。
ぼくがこれまで遭遇してきた、不気味な容姿の神クラスの怪物が、うようよ徘徊していた。それなのに、テントから出てきたみんなは、ある一点を凝視したまま動こうとしなかった。誰かが、やっと震える声を絞り出して叫んだ。
「あれ、何だ!」
「神クラスだ!」
ぼくは、はっきりと答えた。何人かが嘘みたいな顔をして、ぼくに振り向いた。あれは、大海をヨットで漂流してきた少年たちが、陸地を発見したときの光景だった。大陸の半島か島のように見えるのが、怪物の巨体なのだ。
その時、逃亡を頭に浮かべた者は居なかった。いやただ一人、あの敵からの敗走で、一番に逃げてきた上級生だけは違っていた。それが、上級生の使命みたいに走り出した。が、上級生のことなど、気に留める者もそこに存在しなかった。上級生は見事な走りで、敵の混乱の中を去って行った。――
「あれを放っておくのですか?」
「あんなのは、相手にしなくてもいい。やがて居なくなる。体が大きい分、この世に長くは留まれない。厄介なのは、一緒についてきた奴だ。こいつらは倒さない限り、このまま、ずっと居座り続けるからな。質が悪い」
最大級の神クラスを見上げながら、敵の三十歳前後の隊長はうんざりした声で言った。その怪物のどこが手足で、どこが頭なのかは、はっきりと区別できないほどだ。あるいは、その巨体に見合って、複数の頭や手足を備えているのかもしれない。ただ二人の所からは、雄大な大地を甲羅の代わりに背負った、陸亀にしか見えなかった。
「よーし、ここは一先ず撤退する。出来るだけ、無用な戦いは避けるんだ。被害は、最小限に押さえろ!」
黒縁眼鏡の副長は、各員に通達するように、黒マントで全身を覆った伝達係に伝えた。彼らの周りの魔法使いたちが、慌ただしく動き出した。が、それは先ほどまでの混乱した様子とは、全く異なっていた。それぞれが、自分たちの役割を迅速に果たすために働いていたのだ。
「みんな、早く出るんだ! 中に居いたらいけない。安全な所へ避難しないと、やられるぞ!」
ぼくは机をリュックに戻すと、急いでテントの中へ呼び掛けた。暗いテントの中では、これだけの騒ぎにもかかわらず、先ほどと同じに失望から立ち直れない様子で、数人が黙って俯いていた。彼らは、敵が自分たちを連れて行くのを待っているのだ。
「ねえ、そこの君! 外に出て来て、またやばいのが来てる!」
誰かが、ぼくに向かって叫んだ。ぼくは、中の生徒を後回しにして、テントを飛び出した。数人が、同じ方へ体を向けて、怯えるように体を強張らせていた。彼らの視線の先には、三メートルはある、ぼろ布でミイラみたいに身を包んだ、巨体が立っていた。
ミイラの怪物は、巨大なその手で、一緒に捕まった生徒の一人をがっちりと掴んでいた。そうして、握りつぶそうと言うところだった。が、みんな恐怖に取り憑かれ、その子を助けようとする者は現れなかった。ぼくは、全身が身震いするのを感じた。恐怖ではない。怒りだった。仲間が黙って、やられるのを見過ごせなかった。ぼくは、無意識に左手を、ミイラの腹部を狙って構えた。左腕の目玉が、ピクリとして目を開いた。が、その目は今までと、全く様相が異なっていた。目玉は、まるで皮膚を切開して出したように、血の涙を流していた。
それが、苦しそうに白い卵を産み出して、ぼくを驚愕させた。体が動かなくなったぼくは、卵が腕から急に離れて、落下するところを見ていた。卵は、べちょりと絶命に喘いで地面で割れた。卵は割れた殻だけで、中身は入っていなかった。と同時に、ミイラの怪物の腹部に大きな裂け目が開いていた。それは、ぼくの左腕と同じような目玉だった。大きさは、怪物の体に合わせて、かなり大きい物だった。その薄気味悪い目玉からも、赤黒い血が流れ出ていた。
その為か、ミイラの怪物は急に動きを止め、手にした生徒を忘れたように落とした。どさっと音がして、地面に叩き付けられた生徒はわずかに呻いた。まだ生きている。怪物は自分の体を確かめるように、全身をその巨大な手で探り始めた。しばらく痒い所に手が届かないという格好で、背中まで触っていた。ミイラの怪物は腹をさすったところで、痺れたように手を弾いた。怪物は、自分の腹部をしゃがみ込む格好で見詰めた。そこに、あるはずが無い物が取り付いているのが、不思議で堪らないのだ。ところが、怪物は急に湧き上がった怒りに支配されると、拳を振り上げた。そこに居た誰もが固唾を呑んで、怪物の足元に転がった生徒を見守った。怪物は、残酷なまでに猛烈な拳を叩き込んだ。ドンと凄まじい地響きが起こった。怪物の腹部には、向こう側が覗けるほどの、巨大な穴が空いていた。怪物の巨体は、そのまま仰向けに倒れて動かなくなった。ぼくには、何が起こったの理解できなかった。
「おい、そこの君! 今、妙な魔法を使ったね」
誰かが、ぼくを呼んだ。ここに連れてこられたときに、検査のテントで記録係をしていた男だった。彼は、やはり山葵色の作業服に、黒マントをなびかせていた。彼の目は笑ってはいても、ときどき鋭い光を放った。
「君は、使えそうだな。僕について来い」
躊躇うぼくに、男は続けた。
「まあ悪いようにはしないさ。仲間だって、捕まっているのだろう。ここで僕に恩を売っておけば、君に取って損はないはずだ」
男は少し間を開けて、ぼくを見詰めるように尋ねた。
「それで、さっきの妙な魔法は、神殺しかね?」
「あれが、神殺し?」
ぼくは、思わず男に聞き返していた。あんな魔法を使ったのも初めてだったし、神殺しの魔法自体、ほとんど初めて見るようなものだった。
「何だ、神殺しを知らないのか。だったら、ぼくの勘違いかな。まあ、神殺しはとても奇妙な魔法で、その使い方が難しいからね。一見、何の使い道もない、役立たずな魔法だと思うだろう。だが、神クラス相手に絶大な威力を発するし、その使い道が分かれば、かなり強力だ。ただその魔法を習得するには、神クラスを退治しなければならないからな。割に合わないんだ」
男は、神殺しの魔法に非常に興味がある口振りだった。
「ぼくは、自分で使っても、あれがどんな効果のある魔法なのか分からない」
「はは、それが神殺しの特徴だな。見たところ、相手の狙った所に、目玉を発生させる魔法らしな。さっきの怪物は、単純な知性しか持たなかったから、自ら墓穴を掘ったのだろうがね」
男は急にそれを見つけて、踏みならされた地面にしゃがんだ。ぼくの腕から産まれた卵の殻を調べ始めた。
「これは君のかね? 卵の殻のようだが。どうしたんだ?」
ぼくはこの魔法に秘密を解く手掛かりになると考え、正直に答えた。男はぼくの答えを聞いて、しばらく考えに耽っていた。
「君のその左腕は、呪いだろ。うむ。神殺しだと思ったが、そうとも言い切れないか。どうも君の魔法は一筋縄ではいかないね。他にも秘密がありそうだが、それは君自身で見つけるしかないな」
「そうなんだ」
「さて、どうする? 私に付いてくるかね」
ぼくは、返事に詰まって俯いたまま、暗い地面を見ながら考えていた。周囲ではどこかで凄まじい爆発の音や、慌てふためく人声が起こっていた。
ぼくはようやく頭を上げ、再び男の顔を見た。口を開き掛けたところで、誰かがそれを遮った。
「僕も、連れて行って下さい!」
やつれるほどに怯えた顔が、哀願するように訴えていた。それは、一緒に同じテントに入れた生徒だった。あのミイラの怪物が現れたとき、ぼくを外から呼び出した男の子でもあった。同じ学校だが、見掛けたことも話したこともに無かった。
「おい、君! それがどう言う意味か分かって言っているのかね? 助けてもらうつもりで来るのなら、後悔するぞ。自分の身は自分で守れ。それが、僕に付いてこられる条件だね」
男は眼鏡の奥にきつい目付きを据えて、心持ち苛立たしく声を張った。が、その生徒は、すっかりあの怪物の恐怖に取り憑かれ、この男の言葉の真意も理解せず、付いていくと言い張った。男は生徒の強情さに、多少根負けしたきらいがあった。男は如何にも面倒臭そうに、分かった分かったと言い捨てて、その子をなだめた。ぼくは、仕方なくこの男に従うことを承諾した。ぼくも、またその子に根負けしたみたいだった。男は満足して、よしと頷いた。
「二人とも来い!」
その子は、男の言葉に救われたと思ったのだ。しかし、それは大きな間違いだった。
この男は、ぼくらが値を上げるのを楽しんむほどに、容赦なく扱き使った。男は、奥浦と名乗った。一緒に来た生徒は、小市と自己紹介して、魔法科三組の生徒だと教えてくれた。色白で、体の線が細くしなやかなかに見えた。前髪だけが、女の子のように長く、彫りの薄い顔は中性的だった。こめかみまで短く刈り上げた、顔の浅黒い奥浦と比較するから余計にそう思えた。それでも、この男にもどこか男らしいさとは希薄な、学者や研究者に多い、知的で涼しげな印象を受けた。
敵の撤退は、すぐに始まった。それも、野営のテントや物資をほとんど残したまま、慌ただしくここを離れたのだ。幸い怪物が現れたのは、人の住まない郊外だったから、最悪の事態は免れた。が、一部の怪物は、既に町の方まで流れてきている。奥浦が言うには、神クラスの怪物は、魔力によって発生した物だから、魔法使いには、大きな影響を与えるが、魔法を使えない者には見ることも、触れることも出来ないらしい。それだから、魔法使い以外の者には、その影響はかなり抑えられると言う。普通の人は、何も気付かずに災害だと思っているのだろう。しかし、これだけの数が町に溢れるとなれば、ただの異常気象では片付けられなくなる。不運が重なれば、命を落とす者も現れるかもしれないのだ。
「まあ、奴らも滅多なことでは、一般市民を襲ったりはしない。が、中には知らないうちに、魔法を帯びた物を所有している者だって居るはずだ。そう言う物にだって、あの怪物は反応してしまうからね。出来るだけ早く、対処しなければならないんだ」
奥浦は、先ほどの野営地から二十キロ離れた場所に陣を移していた。町中では、大人数の魔法使いを一か所に集めるのは、人目に付くという理由から、数十か所に魔法使いを分散させ、待機させているのだった。
「それで、ぼくたちは何をすればいいです?」
「今、我々の上級魔法使いが、町の中にこれ以上、怪物を近付けないために、町の周囲に結界とその門を作っている。が、それが完成されるまでには、かなりの時間が必要だ。そこで僕らは、彼らの邪魔になる怪物を退治していく。あるいは、退治できなくとも、怪物の目を上級魔法使いから遠ざけるようにするんだ」
「詰まり、囮になれと言うんですか!」
「はは、君は意外に察しがいいな」
小市が、血色の悪い唇を震わせて言った。ぼくらは、何もない空きビルの駐車場に三十人くらいが集まっていた。そのうち二十人弱が、奥浦と同じ格好の作業服にマントで、残りの数名が、ぼくと同じ制服を着ていた。捕らえられた味方から、奥浦が使えそうな者を、収容テントから引き抜いてきたのだ。が、その中にも、ぼくの知った顔は見つけられなかった。静やムラサキたちは、どこへ連行されたか心配だった。安浦は三十人を前にして、声を張った。
「残念ながら、僕らに神クラスを倒せるだけの、実力は備えていない。まあ、僕が連れてきた連中の中には、そう言う実力に達している者も居るだろう。が、そいつに頼ったからっと言って、どうにかなる状況でもあるまい。だから、まあ無理はするなよ。怪物を倒す必要は無いんだ。危ないと思ったら、構わず逃げてくれ。ただ味方を犠牲にするのだけは、僕が許さない。逃げるときは、みんな一緒だ。分かったね!」
マントに作業服の男たちは、はいと心地よい響きの声を上げた。連れて来られた数人の生徒は、不満そうに頬を歪めていた。
「おい、どうした。そこのお前! 何か不満か? あるなら言ってみろ
」
奥浦は、生徒の一人を選んで言った。
「ぼ、僕らは、別に死ぬために付いてきたわけじゃない」
指差された生徒は、一瞬恐怖を帯びた瞳をして、それからばつが悪そうに口ごもった。
「それは、さっき言っただろ。聞いてなかったのか!」
奥浦は、多少声を荒らげた。
「そうじゃない。あんなのと戦えば、死ぬに決まっている!」
「ははは。まあ、そうだな。だが、他の所に居ても同じだぞ。誰も君たちを守ってくれはしない。まだ、ここは増しな方だ。自由に戦うことを、許可されているんだからね」
その生徒は恥ずかしそうに俯いたまま、それ以上何も言えず口を閉じてしまった。
「無駄話は、ここまでだ。時間も時間だ。そろそろ始めよう」
奥浦は、防水性のある無骨な腕時計を覗き込んだ。そこに居た者は、互いの顔を盗み見て、鏡に映った気弱な自分を見つけたように、はっと驚いた。この作戦には、誰もが乗り気ではなかったことは分かっていた。が、そうやって躊躇っている間にも、怪物はこちらに迫っていたのだ。
「行き成りだが、ちょっと困った問題が起きた」
奥浦は、雑居ビルのカビ臭い駐車場から、外へ出した足を慎重に引っ込めた。右手を上げて、各員に制止を指示しいた。
「すぐ側に奴らが来ている。しかも二体以上だ。流石にこれでは逃げ切れない。だからと言って、ここで籠城するわけにもいかないだろう」
奥浦は、浅黒い眼鏡の顔に不安を浮かべ、再び時計に目を落とした。
「西条、他に出口ないが調べくれ」
「はい」
白いマスクで顔を覆った、西条と呼ばれた男は、駐車場の薄汚れたコンクール壁に、頑丈そうな鉄扉を見つけて歩き出した。
「西条、ちょっと待て! おい、君。何て言ったかな名前?」
奥浦は、マスクの男を呼び止めると、ぼくに手招きした。
「令です」
「令くんか。ふふ、済まんがね。西条に付いてやってくれ。令くんが、この中で一番強そうだからね」
ぼくは、にや付く奥浦に頷いて、マスクの男の後を追った。
「さて、どうするかな」
遠ざかるぼくの背中に、奥浦の唸る声が聞こえた。西条は既に鉄扉の中に入って、ぼくを待ちきれないように振り向いていた。マスクに隠れた顔の、目だけが不審そうにぼくを見ていた。錆び付いた鉄扉は、ゆっくり閉めても不気味な音を立て、外の怪物が聞き付け襲ってこないか心配になった。ぼくらは鉄扉を閉めると、狭いコンクリート壁の階段を慎重に上った。緊張のせいか、両壁に狭められた階段を上るから、より足がすくむ急勾配に感じられた。一段一段、足を伸ばすたびに息が上がった。
西条は黙って階段を上り切ると、頭だけ臆病に壁の外へ出して上階を探った。頭を引っ込めると、手招きでぼくに合図を送った。一階は、どこも荒廃が目立って、随分前から使われていなかったようだ。くすんだ壁や板のはがれた床の中に、壊れた事務机と椅子を、一つ二つ残した空虚な所だった。そこは店舗だったらしく、壁の一面が幾何学的な形で広くガラス張りになっていた。そこから、異形の怪物が写真を切り取ったように、部分的に見えた。これには西条もぼくも、ぎょっとさせられた。これほど間近に、それもガラス一枚を隔てた向こうに、その恐ろしい巨体を目にした。それが、何の障壁にもならないことは、獣毛のない、象や犀の皮膚ほどに強靱な、怪物の肉体を窺えば明らかだった。
すぐに三体が確認できた。が、こちらに気付く気配はない。西条はマスクの上に軍手の人差し指を立て、ガラスの向こうを警戒して指した。それから、部屋の奥をもう一度指で示した。その意図は、容易に伝わった。そこに、出口らしい大きな扉が見えた。西条はそれだけ確認すると、静かに下へ戻るように合図した。ぼくは、手慣れた西条の指示に、従うだけで良かった。
地下駐車場に戻った西条は、休む間もなく状況を安浦に報告した。
「出口は見つけました。しかし、問題があります。そこにたどり着く前に、怪物に発見される恐れがあります」
「問題だな」
「全面ガラスで、ブラインドもカーテンもありません。外から丸見えなんです」
安浦は、しばらく沈黙して考えを巡らしていた。が、何も解決策は浮かばないようだった。考えあぐねている安浦に、ぼくは思い切って提案した。
「ぼくが、囮になる」
「令くんが、うーん。しかし、三体の神クラスを、それも同時に相手にしなければならない。流石に、一人じゃ無理だろう」
「大丈夫、何とかしてみる」
「待って下さい。この子が居なくなれば、俺たちは丸腰になります」
そこへ、作業服の男が慌てて割って入った。
「かと言って、他に進んで囮になる者も居ないだろう」
「しかし、下手をすれば、その子だけ助かって、全員が命を落とすことになりかねません」
「うーん、その数に僕も含まれていくのか。だとすると、気が進まないが。だが、僕らはこれから、奴らの囮になりに行くんだ。こんな事で恐れていたら、先が思い遣られるだろう」
「そ、そうですが、しかし」
「僕らだけが、不満を主張してばかり居られないだろう」
奥浦がそこまで言うと、作業服にマントの男は言葉を失ったように口をつぐんだ。
「令くん、本当にいいのか?」
「はい」
奥浦はやるせない目で、ぼくを見詰め返した。
間もなくぼくは、奥浦たちと別れた。彼らが、上階にたどり着く頃合いを見計らって、ぼくは勢いよく駐車場を出た。それには、気弱になった自分の気持ちを奮い立たすためだ。
可能な限りこの建物から、怪物を引き離すつもりだった。薄汚れた駐車場の出口へ出ると、裏通りのような閑静な所に、二車線の道路を挟んで、向かいに立った一体の怪物が、ぼくを見つけて突進してきた。早過ぎる。思っていた以上に、怪物との接触が建物の付近だったため、これではすぐに二体目も接近され、同時に相手にしなければならなくなる。二三メートルはある巨体が、鈍器のように腕を振り下ろした。その怪物には、最初から腕は一本しか無かった。太く頑強な腕を、闇雲に打ち下ろした。辺りに震え上がるほどの衝撃を起こって、一瞬で舗道は粉砕され、落ち窪み、電信柱をマッチ棒みたいに、たわい無くなぎ倒された。ビルの電線が次々と切断され、小さな煙が上がった。ガラスが割れる音が悲鳴のように響いた。
怪物の動きは、それほど素早くない。厄介なのは、怪物の巻き起こす轟音で、他の怪物を呼び寄せてしまうことだった。そこは低いビルの建ち並んだ狭い坂道になっている。広い場所では、戦えそうになかった。ぼくは単調で強烈な攻撃は、机を強化して何とか凌いだ。が、机を再び元に戻し、攻撃の出来る物に変化させる戦いは、諦めなければならなかった。接近されている状況では、この机一つで戦うには限界があった。ぼくの左腕は完全に沈黙して、目玉も目覚めない。
あの奇妙な魔法使ってみるしかない。その魔法には、呪文というものは存在しなかった。何か切っ掛けや発動条件が備わっているらしいが、その時はこの魔法で起こることを、具体的に頭に投影するだけで、自然と体が動き出した。怪物が振り下ろした巨大な腕を狙って、魔法を発動させた。まただ。左腕の目玉がおどろおどろしく開いて、血の涙を流すと、その血に汚れた白い卵が産まれた。ぼくは、卵が落下する前に、危なげに右手で受け止めた。怖い物を触るように接触した卵から、ぼくの手のひらへ力強い鼓動が伝わってきた。この卵は生きている。その怪物の腕には、裂け目こそ現れたが、目玉は開かなかった。
片腕の怪物もたじろいだが、それも一瞬でたちまち攻撃の手を開始した。この卵に意味があるのか見当が付かない。単純に相手の体に、目玉を形成させるだけの魔法ではないようだった。
二体目の怪物が、襲ってきたのは、ぼくが卵の魔法を発動させた直後だ。破壊された舗道に、足を取られながらも、サザエの貝殻を両手に持った怪物は迫ってきた。細長い巨体は、三メートルを超えている。頭にも、そのサザエの貝殻を被って、顔が貝殻の渦を巻いた蓋と、そっくりだった。どこに目鼻や口があるのかも分からない。見る者に得体の知れない恐怖を与える姿だった。こいつは、何かやばそうな雰囲気を漂わせていた。
サザエの怪物は、獰猛に長い腕を振り回してきた。サザエを持った腕が、車輪みたいに回った。
この怪物の攻撃をかわすために、机を構えたときだ。ぼくは、何の前触れも無しに宙吊りになった。二体に気を取られ、三体目が側に居たことを、見逃していたのだ。
怪物は植物のツタに似た触手で、片足に巻き付いて、ぼくを吊り上げていた。
幸運だったのは、机を手から離さなかったことだ。机を攻撃が出来る性質に変化させ、足を掴んだ触手を狙った。無数の矢が命中し、辛うじてそれを切断することができた。が、安心する間もなくすぐに落下に備えて、机の性質を変えた。机は柔らかいクッションになって、落下の衝撃を緩めた。
そこへサザエの怪物が突撃してきたのを見て、瞬時に机を強化させた。サザエの手が机へ衝突した瞬間、その無数の突起が針山のように伸びた。危うくぼくは、串刺しになるところだった。机に触れた数本の突起は折れ、サザエの怪物は吹き飛んでいった。次には一本腕が、渾身の一撃を叩き込んできた。あまりの威力に机に当たるのと同時に、その反動で怪物の腕は、粉々に砕け散った。
それでも、怪物の攻撃は止まらない。続けざまに、無数のツタの腕が襲ってきた。しかし、柔軟性のあるツタだけに、机では防ぎようがない。怪物の腕がしなるように、ぼくの体を狙ってきた。机の反動で、何とか凌いではいたが、それも長くは持たない。
攻め手に困ったぼくは、苦肉の策に再び卵の魔法を発動させていた。その時産まれた卵を落としてしまった。卵は地面で奇麗に二つに割れた。これも中身は空だった。卵が割れると、怪物のツタに目玉が現れた。ツタの動きが完全に静止した。それも、ほんの数秒の間だった。怪物のツタが再び動きだすと、ツタにできた目玉を目掛けて、攻撃し始めたのだ。怪物のツタが、目玉を打った瞬間、激しい旋風が巻き起こって、次々とツタの腕を切り裂いてしまった。最初に目玉の魔法を仕掛けた、怪物と同じだ。怪物は全てツタの腕を失うと、沈黙した。
この魔法の効果は、未だに解き明かされていない。魔法の威力で危機を逃れたのではない。怪物は、自分の身体に生じた目玉を嫌って、それを振り払っただけだった。だが混乱のためか、想定外に強力な力で、自らを傷付けてしまった。この魔法は魔力を暴走させ、制御できなくする効果があるのだろうか。そうだとしても、産まれた卵は、まだ生きているみたいに、鼓動を続けている。その卵を産み出す魔法を受けた、片腕の怪物はほとんど影響を与えていない。しかし、左腕の目玉から産まれた卵にこそ、この魔法を解明する重要な要素が含まれるように思えた。
三体目の怪物は、完全に攻撃手段を失った。こいつはもう相手にしなくてもいい。残り二体だ。ぼくは出来るだけ怪物を、ビルから遠ざけようと、最初に計画していた。そうすれば、奥浦たちが安全にビルの外に避難することができる。ぼくは、全力で走りだした。駐車場から離れて、坂を下り始めると、二体の怪物は案の定、猛烈な勢いで追ってきた。勢い余って、サザエの怪物が、道脇のコンクリートの建物に突っ込んで転倒した。それを飛び越えるかたちで、片腕の怪物が跳躍してきた。よく見れば、片腕の怪物には、いつの間に別の腕が生えていた。砕けたはずの腕も、今まさに再生しようとしていた。
その後ろには、三体目の怪物も、後れを取るまいと姿を現し、こっちへ向かってくる。それは、すっかり枝を切られた大木だった。その大木の根が四本の脚になって自由に歩けるようだが、移動は遅かった。
もう追い付かれると思ったところで、片腕の怪物の突撃を迎えて、ぼくは机を強化させた。耳鳴りが起きるほどの轟音が、静かな通りへ響いた。ゴン、ゴンと二度攻撃を机が防御して、弾き返した。巨体の両腕が千切れるほどに、錐揉みしながら跳ね飛んでいった。ちょうどサザエの怪物が両腕を回して、突っ込んできたところへ激突した。片腕の怪物は、サザエの突起に串刺しになり、サザエの怪物もまた、凄まじい衝突に甚大な損傷を負った。二体の怪物は、瓦礫の山のように重なって倒れた。
ぼくは、倒れた怪物を狙って、再び卵の魔法を発動させた。左腕が生温かい熱を帯び、目玉が赤い血を滲ませると、白濁した卵が産み落とされた。ぼくは、それをしっかりと手の中に落とした。たちまち呼吸するみたいに、卵の躍動に触れた。産まれた卵は一つだけだった。同じ怪物に幾度、その魔法を掛けても、それ以上は何も起こらないようだ。この魔法は、怪物一体に対して一個卵を産み出す。手の中の鼓動は、その怪物の心臓を連想させる。
遅れて現れたツタの怪物は、不格好なまでに勢いが止まらず、二体の倒れた所へ突っ込んで、積み重なるふうに倒れてしまった。これで、しばらくはこの怪物たちは、身動きが取れないだろう。
ようやく息を吐いたところに、今度は雑居ビルの方から、悲鳴に近い叫び声を聞いた。背筋に冷たい物を感じるのと同時に、声のする方へ走っていた。怪物が横倒しなった脇を通りときに、サザエの怪物が、ぼくに反応して突起を伸ばしてきた。鋭い突起が貫いたのは、片腕の怪物の胴体だけだった。低く唸り声が耳にして、必死に足へ力を込め、そこを一気に駆け抜けた。薄暗いビルの駐車場には、十人ぐらいの人影が集まっていた。
「あっ、令くん! 早く、早く」
誰かが、ぼくを見つけて慌ただしく呼んだ
「こんな所で、どうしたんですか?」
「それがね。どうも中の様子が、おかしいんだ。もう三人がやられた」
「建物に中に、怪物が侵入していたのかもしれない」
「奥浦さんは、どうしたんです?」
「ああ」
そう言った男は、ちらりと隣の男たちと顔を見合わせた。どの顔も困惑したように、しわの寄った眉を下げていた。
「それが、閉じ込められたみたいでね。向こうとも連絡が取れないんだ」
「取りあえず上へ行ってみます」
ぼくは、そう言う側から駐車場の鉄扉を開いて、狭い階段を上った。上りきった所にまた誰か立って、ぼくを迎えて表情を緩めた。
「ああ、君か! 大丈夫だったかね?」
「はい、それで状況は、どうなんです?」
「うむ、隊長たちは上の階に上がっている。確認は取れないけどね。が、そこの階段に、何か潜んでいるみたいなんだ。それが、恐ろしく凶暴な奴で、もう何人もやられた。階段の側までは、平気で近づけるんだが、階段の何段目か上ったところで、何かに攻撃されているんだ。一体に何にやられているのか、誰も見ていないんだ」
作業服とマントの男が、顔を一層険しくして言った。
「分かりました。ちょっと調べてみます」
「階段には上がらないでね。気を付けるんだよ」
ぼくは、はいと返事して狭い廊下へ出た。そこにも何人かマントの男が居て、みんな負傷して壁にもたれたり、座っていたり、横に倒れている者まで見えた。ぼくが通ると、みんな顔を上げて、多少安心したのか、硬い表情を緩めた。応急手当をした腕の包帯が、赤く滲んでいる者も、折れた腕を添え木して、首に吊している者もいる。ぼくに出来ることは、彼らのおびえた視線に頷いて答えることだけだった。
階段口で、ぼくは何かにつまずいた。誰かの作業靴が、片方だけ落ちていた。
「気を付けろよ! 七段目だ」
廊下の床へ横になっていた男が、頭だけ起こして喚いた。目を怪我したように、男の顔半分は痛々しく包帯を巻いていた。ぼくは、分かったとだけ返事して、階段口を覗き込んだ。
コンクリートの壁を白く塗った、人が一人通れる、何の変哲もない階段だった。その中段辺りの壁が、不自然にペンキを飛び散らしたみたいに、赤黒く汚れていた。それが目に留まっただけで、嫌な戦慄を覚えた。それは、負傷した誰かの血だったのろうか。
そこに怪物の姿は見当たらなかった。ぼくは、怖々と階段に足を掛けてみた。足を掛けただけでは、何事も起こらなかった。
ただまた嫌な感じが甦った。罠が仕掛けられた所へ、踏み込まなければならないときの不安な感覚が、階段の隅々まで漂っていた。
これ以上、足を伸ばすことは出来ない。困ったぼくは、落ちていた片方の靴を、この階段の謎を解く鍵として拾い上げた。靴底の厚い丈夫そうな、黒い靴だ。こいつをそこへ投げたら、どうだろうと思い付いたのだ。
放り投げた作業靴が、緩やかな弧を描いた後で、階段の七段目で急に何かにぶつかったみたいに、跳ね返って落ちてきた。そこには、何も存在していないはずだ。目には見えない何かが居る。ぼくは、隠れし者を見破れと呪文を唱えた。少し景色が歪んだが、前ほど酷くはなかった。ぼくは、再び階段を見回した。が、そこに姿を隠しているものは居ない。それならばと、左腕を構えた。
「魔法で攻撃しちゃいかん! 階段が崩れてしまう」
廊下の壁に、背中をもたせている男が叫んだ。
「大丈夫、これは建物を破壊するような魔法じゃない」
ぼくは、階段を見上げたまま、卵の魔法を発動させようとした。ところが、幾らやっても魔法は上手くいかない。ぼくは首をひねりながら、考えるように階段を眺めた。が、何一つこの問題を解決する手掛かりは見つからなかった。
怪物が潜んでいるなら、この魔法が発動しないはずがない。ぼくには、七段目と言う言葉が、妙に引っかかった。それで、階段の七段目に狙いを付けてみた。しかし、何も起きなかった。ぼくはその階段を注意深く見回して、奇妙な違和感を覚えた。その時、ぼくは何か光明を目にした気がした。七段目じゃないんだ。ぼくは、思い付いたように落ちてきた靴を拾って、六段目の左壁の辺りを狙って投げた。投げた靴が、一瞬壁にめり込んで、それから跳ね返ってきた。跳ね返って、再び階段の七段目の所で折れ曲がるように、曲がって階段を落ちてきた。
ぼくは、靴が一瞬不自然にめり込んだ所へ向かって、卵の魔法を発動させた。左腕の目玉が血を流して、卵が産まれた。ぼくは、卵が落下して割れるのをじっと眺めていた。卵は、脆弱な音を立てて二つに割れた。
卵が割れると、六段目の辺りに、暴かれたように目玉が現れ、こっちを不気味に見下ろしていた。その階段は上ると、すぐに左に回って上り口からは、五六段ほどの短い階段で、七段目は壁の陰になって見えないのだった。怪物は、その階段がずっと続いているように、錯覚されていたのだ。
大型犬ぐらいの、長い獣毛に覆われた怪物が、階段を勢いよく転がり落ちてきた。頭も脚も、その磯巾着の触手の似た獣毛に隠され、見えなかった。
ぼくは思わず体を退け、小型の怪物を避けた。恐る恐る覗いていると、こいつは私に任せてくださいと言って、さっき駐車場に居た、作業服の男が廊下を進んだ来た。
彼は、仰向けになってもがく、その怪物へ魔法を唱えた。薄暗い廊下が、火花が走るくらいに眩しくなった。小さな魔法陣の中で、それは昆虫のように鳴いて、苦悶に満ちた体を焦がすと、やがて灰になった。ぼくは、凄惨な光景に視線を背けたい思い出で見ていた。
「終わりました」
男は、ふーと大きく息を吐いて、汗ばんだ顔に、清々しい疲労を見せていた。小さな怪物は、わずかな灰と焦げ跡になっていた。
「令くん、こっちへ来て下さい」
別の男が、既に階段を上って六段目の辺りに立っていた。ぼくが、階段を上っていくと、そこ気を付けてと言って、階段を指した。
「これ、見て下さい。不思議でしょ。我々は壁に向かって、あるはずのない階段を上ろうとしていたんです。ほら、こっちに本当の七段目の階段がある」
男はちょっとおどけて、壁に現れた本当の階段を示した。
「あの怪物は、こっちの階段を壁に、まるで本物みたいに、作り出していたんですね。すっかり騙されましたが」
ぼくは、壁を軽く蹴ってみた。そこには、先ほどはなかった、硬いコンクリート壁が立ちはだかっていた。
「おーい、君たち無事だったか。おお、令くんも」
階段の上から、聞き覚えのある声がして、奥浦と西条、他の男たちも連れて下りてきた。
「すっかりこいつに、手こずらされたよ」
奥浦は、鷹匠みたいな、革製のかなり分厚い手袋をはめて、その手には先ほど殺したのと同類の、小型の怪物を逆さにして掴んでいた。奥浦の手の中で、それはときどき逃げようと暴れた。
「いけません。そいつは危険だ。すぐでも殺しましょう」
怪物にとどめを刺した男が、階段下で、血相を変えて立っていた。
「待て待て、これは上からの命令なんだ。簡単には、殺すわけにはいかないよ。それに、こいつはまあ厄介だが、神クラスほどの力は無いんだ」
奥浦は、今にも怪物を殺戮しようと構える男をなだめた。
「しかし、そんなの連れて帰るなんて、正気とは思えません」
男は体を張って階段を塞ぐと、一歩も譲らない姿勢を崩さなかった。
「じゃあ、ぼくが魔法を掛けて……」
「そ、そんな事したら、令くんが実験台にされてしまう」
奥浦が慌てて、ぼくを手で制して、囁くように言った。
「とにかくこれは命令なんだ。仕方がないだろ。理解してくれ」
奥浦は、慰めように男の肩を二度叩くと、押し退けて廊下へ出た。みんなその後を、ぞろぞろと付いていった。上から下りてきた作業服に黒マント男たちの中にも、負傷した者が何人か見えた。小市や他の生徒も居たが、彼らは無事だった。
「怪我の具合は、どうだい?」
奥浦は、廊下で待機していた負傷者に、一人一人声を掛けて歩いた。
「救護班には、連絡してある。俺たちは、任務を急がなければならない。怪我の酷い者は、ここの残していくことになるが、お前たちだけで大丈夫か?」
俯いたまま、誰も答えようとしなかった。人手が足りないのは、誰もが承知していた。
「済まない。護衛も付けられなくて許してくれ」
「いいんですよ。我々は戦力外だ。これ以上、足手纏いにはなりたくない。どうか、我々に構わず行って下さい。助けが必要なのは、ここだけじゃない」
奥浦は、もう一度済まないなと謝って、勢いを付けて立ち上がると、すぐに各員を見回して、指示を与え始めた。
戦闘可能な者は、予定通り結界が完成するまで、魔法使いの援護に当たる。とにかく怪物を、作業中の魔法使いに近づけないことが、ぼくらの役目だった。これは、敵のためだけではなかった。ぼくらの住む町が、怪物の脅威に曝されているのだ。黙って見過ごすわけにはいかなかった。
間もなくぼくらは、雑居ビルっを離れ、魔法使いが作業している町の一角に到着した。そこには、高速道路の巨大な高架橋が、ぼくらを踏み付けようとする格好で立っていた。三十人のうち、既に七名が負傷で脱落していた。
奥浦の説明によれば、怪物を防ぐ魔法の結界は、この町を取り囲む六か所を結ぶ線で、六芒星を形成されると言うことだ。ぼくらは、その西側に位置し、怪物の進行の最も激しい場所に当たる。
魔法使いの魔力を感じ取ったのか、数体の怪物が、続々と集まってきていた。一度結界が張られれば、怪物も魔法使いも、その結界に設けられた、六か所の門を潜らなければ、そこを通過することは出来ないらしい。
「あまりここから離れるな。かと言って、怪物をここに留まらせていたんじゃ意味がない」
安浦は、おぞましい怪物たち前にし、狼狽えるぼくらに叫んだ。怪物の気を結界から逸らすように、ぼくらは上手く囮にならなければならなかった。
二十七人が、三組に分かれた。奥浦と西条、そしてぼくがそれぞれの組に入った。ぼくの組には、小市を含め同じ学校の五人の生徒が集まった。この方がやりやすいし、いざと言うときに、誰かを犠牲にするような、揉めごとを避けるためでもあった。
「君が居る組に入れたのは、ラッキーなのかな。それともアンラッキーだったのかな」
同じ組の作業服にマントの男が、ぼくの所に集まったときに、挨拶代わりに言った。四人の男たちは、ぼくに丁寧に挨拶した。小市は、ぼくを見てやあと声を出したが、すっかり気がくじけて、人形のような顔をしていた。
「僕は、こんな事になると知っていたら、あの時連れて行ってと言わなかったよ」
小市はそっと、ぼくにだけ囁くように教えてくれた。他に、カガミと自己紹介した黒いマスクの痩せた男の子と、コトリと名乗った小さな女の子、それから、マルマルという坊主頭の男の子、やあとだけ手を上げて挨拶して、ぼくの側に集まった。
ぼくらは、すぐに三組に分かれ、怪物の囮になる作戦を開始した。
それぞれの組に、足止めの魔法を使える魔法使いが入るように、奥浦が分けてくれたお陰で、怪物とは可能な限り距離を取って戦えるので、随分と助かった。
それでも、怪物の中に魔法使いの同様、遠距離の攻撃を得意とするものも、多く存在していた。
攻撃力の差は、歴然としていた。神クラスというだけあって、並の魔法使いでは、到底太刀打ちできなかった。
「倒すことを考えたら駄目だ。いつかは自滅する。逃げることだけを考えるんだ」
奥浦が作戦開始の前に、口を酸っぱくしてその事を強調していた。特にぼくは、神クラスと互角以上に戦えるため、自分の力を過信してしまうからだ。かえって、その事に陥りやすいと忠告した。
襲撃する怪物の広範囲を網羅するためにも、分かれた三組が出来るだけ、間隔を開いて、怪物を誘導しなければならなかった。それで、作戦が始まると間もなく、ぼくらは他の組と、連携を取ることが出来なくなった。
初めに近寄ってきたのは、接近戦の得意な怪物だった。これなら距離を取って、比較的に安全に戦える。ぼくは机を構えて、味方の防御に徹した。怪物が万が一、接近して強力な拳を振るったとしても、ぼくの机で完全に無力化できる。
同じ学校のカガミは、鏡を空中に展開して、魔法攻撃を跳ね返したり、別の鏡へ転送したりする魔法を使った。コトリは、鳥を呼び寄せて操る。鳥による攻撃や、偵察を得意とした。マルマルは、どんな重い物でも転がすことが出来た。ただし生きている物は不可能で、無機物に限った。
小市は、仕入れた物は、何でも仕舞えて、いつでも取り出せた。だから、色々な人に頼み込んで、強力な魔法の道具や札を集めていた。
作業服の男たちに、渦を巻いた泥沼を作り出し、怪物の動きを妨げる魔法を使える者も居た。これは、怪物の足止めに、非常に役立った。他は一様に、攻撃力の高い魔法を得意としていた。その中でも、高熱のマグマを球体にして放つ魔法は、恐ろしく強力だった。
ぼくらは、奥浦の指示通り、無理して怪物を倒そうとせず、足止めや脅威となる力の無力化だけに努めた。
それが、功を奏したかは分からない。が、ぼくらはしばらくの間、誰の怪我人も出さずに、上手く怪物の接近を凌いでいた。結界が完成するまで、あと一時間と知らせがあった。いよいよ結界の六本の柱が、天に向かってそびえる壮大な姿が目に見えてきた。そこには、巨大な結界の門がある。
この結界の柱が完成すれば、魔法に関わる者は、その結界の門を潜らなければ、町の中へは戻れない。
怪物はその事を知ってか、それとも結界を作る魔法使いたちの、膨大な魔力に引き寄せられるのか、ますますぼくらの前に、押し寄せてきた。
「もう今までのようなやり方では、どうにも対処できませんね」
泥沼の魔法を操る、佐藤という男が喘ぎながら叫んだ。佐藤は今し方、近寄ってきた怪物を足止めしてきたところだった。この魔法の優れているのは、一度発動させれば、効果がしばらく持続し、バリケードの代用として、怪物の進行を阻むことができる。ただ怪物に泥沼を気付かれてしまえば、そこを跳び越えたり、迂回されたりして、ほとんど効果を発揮できない一面もあった。それに、味方もこの泥沼に入れば、身動きが取れなくなるため、いざというときに、退路を断たれる危険性も含んでいた。
「数が多すぎるよ」
小市が、オモチャの鉄砲みたいな物を手にして、不平を唱えた。確かに怪物の数は、増える一方で全く対処できていない。佐藤の足止めで、何とか怪物の接近を食い止めて入るが、大雨の堤防決壊のように、怪物が氾濫し掛けている。いつそこが突破されるか分からない。
「ここは放棄して、一旦どこかへ身を隠しましょう」
佐藤が、机で魔法攻撃を防ぐぼくに提案した。
「分かった。カガミ、援護お願い」
「ああ、任しとけ!」
後ろで、魔法で強化した電信柱に隠れていたカガミが、心地よく答えた。そこは、ビルとビルの間に挟まれた、車が一台やっと通れるほどの道路なっていた。他の横道は狭くて、怪物はこの道を真っ直ぐに、向かってくるしかなかった。
一般の人や、車は既にこの辺りには近づかない。交通規制がされたか、事故があったと偽の情報が流されているのだ。魔法使いが、開けっぴろげに魔法を使うときは、いつも情報操作がされるようだ。しかし、今回はあまりに緊急事態で、少々手荒な方法が強行された。もっとも彼らには、見ることの出来ない、怪物がたくさん動き回っている。竜巻や落雷、暴風に大雨が、町の至る所で発生している。それを見ただけで、近寄る者など居なかった。
「それでは、私も援護しましょう」
作業服の男が、そう叫んだ。
「お願いします。みんなここを離れます。逃げ遅れないで」
ぼくが言い終わると、すぐに男が、直径が二メートルはあるマグマの球体を作って、足止めされた怪物へ向かって放った。マグマの球体は、緩やかに打ち上がって、間もなく怪物に向かって落下した。この魔法は、受け止めることが不可能なくらいに、マグマの球体を巨大な手で防ごうとする怪物を、ゆっくりと押しつぶし、球体に触れた所を、確実に高熱で溶かした。
しかし、数体の怪物を押しつぶしたとしても、怪物の勢いは止まらなかった。動けなくなった巨体を踏み越えて、新たな怪物たちが雪崩れ込んできた。
続けて、華奢なカガミが、鏡の魔法を唱えた。前方でキラリと光が反射して、数枚の鏡が現れた。ぼくらは、急いでそこを離れた。が、怪物たちには、ぼくらの姿が鏡の虚像によって、四方八方に散らばって逃げたように錯覚した。
襲ってきた怪物たちは、当然混乱していた。唐突にビルへ衝突してみたり、体の平衡が保てず、転倒したりして、次々に体の自由が奪われた。
「今のうちに、急いで!」
ぼくらは、迅速にその場を離脱した。
慌てて後退してきたから、ぼくらは明らかに方角を見失っていた。ここへたどり着く前にも、二三度怪物に遭遇していた。戦闘は極力避け、逃げるために道を選んできたため、思わぬ所へ彷徨うことになってしまったのだ。
周囲の偵察に行っていた、作業服の男が、慌ただしく戻ってきて、苦しそうに息を吐いた。
「これ以上は、下がれません。結界と怪物に挟まれてしまう」
「結界は、もうじき完成しそうです」
結界を眺めていた、別の男が叫んだ。
「不味いですね。結界は、我々には通れません。何とか自力で門まで向かわないと、このままでは怪物の餌になるのも、時間の問題です」
「結界の門まで、どのくらいありますか?」
ぼくは、思わず不安な顔をしていた。
「精々、二キロと言ったところでしょうか」
偵察してきた、男が答えた。
「二キロ。結構ありますね」
「距離の問題もさることながら、そこへ向かうには、怪物の大群を避けては通れません。しかし、我々の力では、とても対処できる数じゃないです」
偵察の男はそこまで言うと安価なタオルを手に額の汗を拭った。
「そうですか。偵察、ありがとうございます」
「いえいえ、これが私の任務ですから」
「それで、どうしますか?」
「行ける所まで、行ってみようというが、今のところ考えられる最善策だと思います」
ぼくは、少し自信ないように言った。
「そうですね。それしかありませんね。門の近くまで行けば、味方の援護も期待できるかもしれません。ここに留まれば留まるほど、きっと状況は悪くなるでしょう」
そう言ったのは、泥沼の魔法を扱う、佐藤だった。彼は、作業服の男たちをまとめていた。同じ学校の生徒も、ぼくに従った。早速、ぼくらは結界の門に向かって、出発した。
途中で出くわした怪物は、佐藤とカガミの魔法で、上手くかわした。戦闘は避け、門へ向かうことを第一に優先させた。その甲斐あってか、ぼくらは十五分掛けて、一キロの距離を進んだ。もうすぐ結界は、完成する頃だ。結界の門には、淡い白色に輝く、透明な巨大な柱が出現していた。
その柱まであと一歩の所に来て、ぼくらは途方に暮れていた。恐ろしい怪物の大群が、行く手を塞いでいたからだ。ちょうど交差点には、広い場所を見つけたみたいに、怪物が集まっていた。その四方の道路に、渋滞に巻き込まれた車のように、怪物が並んでいた。
「三十体以上は、集まっていますね。この数は、絶望的です」
佐藤が、顔をしかめて言った。
「他に道はありませんか?」
「駄目ですね」
「こっちも見つからない」
偵察の男と、コトリが答えた。コトリは、飛ばしてきた小鳥が偵察を終えて、戻ってきたところだった。彼女の、若葉色のニット帽を被った頭に、白黒の鳥が止まっていた。まるで鳥と会話しているようだった。コトリは、鳥と接するときだけは、まるであどけない少女くらい、無邪気な笑顔を作って、楽しそうだった。が、ぼくには何をしゃべっているのか、少しも理解できなかった。
小市がぼくにそっと、あの子は鳥語が話せるんだと真面目に教えてくれた。ぼくは、小市の真剣な眼差しを目にしても、彼にからかわれているじゃないかと思えた。
「こんな場所じゃ、足止めも役に立たないな」
佐藤が、悔しそうな顔をした。見た目に反して、泥沼の魔法は怪物の巨体を許容量が少ない。底なし沼のようなことは出来ないから、大量の怪物にはほとんど無意味だった。
とにかくあの交差点を突破しなければ、どうにもならない。ぼくらは、即席の議論した末に、マグマの球体を操る男の攻撃と、マルマルが駐車している車を転がしぶつけことで、怪物を怯ませ、その隙にそこを突破することが決まった。
マルマルは近くの建設現場から、大型のトラックを調達してきた。
「そ、そんなの持ってきて、大丈夫なの」
ぼくも、他のみんなも困惑して顔を見合わせたが、マルマルはまるで気にせず、平然としていた。
「この辺りは、神クラスのせいで、大混乱している。巨大な竜巻が発生したと理解してもらえるだろう。まあ、死ぬよりはましだ」
マグマの男、加山も豪快に笑った。
加山は呪文を唱えて、巨大なマグマの球体を作った。少し時間が掛かったが、その分巨大な球体を発生させた。直径三メートルは、加山の最大の物を作り上げたと言った。作戦は、マルマルがトラックを転がして、怪物の大群を削いだところへ、マグマの球体をぶつける。その後ろに隠れながら、交差点を突破するというものだった。
ぼくのぎこちない合図で、マルマルがトラックを勢いよく転がした。怪物は、まだ気付いていなかった。が、突然と転がってきた、大型のトラックが迫ってくると、回避しようとするもの、受け止めようとするもの、獰猛に攻撃しようとするもの、様々な反応が交差し、怪物の群れに混乱が起こった。群れと言っても、統率が取れているわけではない。単に怪物同士では、争いを起こさないだけで、おのおのの個体が、自分勝手に行動しているのだ。怪物たちが、ここに集まったのは、結界を作るための、魔法使いたちの強力な魔力に引き寄せられたためで、彼らがあの結界を妨害や破壊、魔法使いと戦うために集まったのではなかった。
マルマルは、怪物にトラックが突っ込んでいく瞬間、力の限りその巨大な金属の塊を押し出した。金属が引き裂かれるくらいの、壮絶な轟音が交差点内へ響いた。トラックは、怪物の十数体が固まった所へ押し進んでいく間に、ただの鉄屑に成り果ててしまった。
数体の怪物が、既にぼくらに気付いてか走り始めていた。そこへ容赦なく高熱のマグマの球体が、向かってくる怪物を押しつぶした。
次々にマグマの球体は、怪物たちをのみ込んで、交差点の中へ押し戻していく。ぼくらは、その球体の後ろに身を隠して前進した。
高熱と何かが焦げる臭気が、辺りに充満して、喉と鼻孔を強烈に刺激した。作業服の男が魔法で防御していても、これはかなり堪える。しかも、どこからから襲撃してくる、怪物にも警戒しなければならなかった。
しかし、マグマの魔法にも、神クラス相手には限界があった。マグマの球体は、完全に止まった。
「残念ですが、ここまでです」
「ここからは、自力で進むしかありませんね」
「そんな事、無理だよ!」
顔中に粟粒の汗を湛えながら、震えるような悲鳴の声を上げたのは、小市だった。前方には、まだ十数体の怪物が立ちはだかっていた。しかし、ここでぐずぐずしていれば、後ろからも怪物に迫られ、挟み撃ちにされかねない。
「マグマを爆裂させます」
加山はそうするのが運命だったみたいに、微塵の躊躇いも見せず、むしろ清々しい表情していた。ぼくの方が、決断が鈍った。
「でも、そんな事したら」
「大丈夫、心配しない下さい。あなたたちは、私が必ず守ります。マグマをもう一つ出しますから、その陰に隠れて下さい。」
ぼくらは怪物の脅威に曝されるかたちで、苦渋の選択を迫られた。佐藤は魔力の限界にも構わず、続けてマグマの球体を作り出した。その大きさも佐藤が命を削って、やっと出現させたものだった。マグマの球体は、直径一メートルほどで、どうにか身を隠せるぎりぎりの大きさだった。加山は荒々しく呼吸して、ぼくらに球体の陰に避難することを指示した。誰もが固唾を呑んで、見守っていた。加山が途切れ途切れの言葉で合図した。
「それじゃあ、やりますよ。みなさん爆発に備えて下さい。――爆裂!」
加山が呪文が唱えた。わずかに沈黙が起こり、その後すぐに体がバラバラになるほどの衝撃が走った。激流のような爆風が、体を押し流そうとした。しっかりと地面に足を踏ん張っていないと、後ろへ吹き飛ばされそうだった。風にさらわれそうになったコトリの手を、作業服の佐藤が慌てて掴んだ。
「さあ、捕まって。出来るだけ体を低くしていなさい」
「あ、ありがとう」
小柄なコトリは、体を屈めて強烈な爆風に逆らっていた。それもわずかな間で、爆発の衝撃は唐突に収まった。ぼくらは安全を確保すると、佐藤が残した球体の陰から飛び出した。とにかく加山の安否を、急いで確認しようとした。
マグマの球体が消滅した跡を見て、ぼくらは喉を詰まらせた。そこには、地形を変えるほどの痕跡が残されていた。加山が残した最後の球体で、よく持ち堪えられたというほどに、根こそぎ地面は削り取られていた。そこに球体の三倍はある、窪みが出来ていた。群がっていた怪物たちは、遠くへ吹き飛ばされ、体の一部を失い動かなくなったものも見えた。ぼくらは、その凄惨な光景に絶望した。加山の生存は完全に絶たれたように思えた。
「あそこ!」
ぼくらは、佐藤が指差す所へ走って集まった。
「ここだけ、爆発の勢いが穏やかになってる。加山は僕らを助けるために、球体のこちら側への爆発を抑えたんだ。ここを見て下さい。地面の窪みがこっちと向こうじゃ、全然違うでしょ」
「ほんとだ! それじゃあ、加山さんは」
「まだ希望は持てます。恐らく爆破の勢いで、どこかに飛ばされたんだ。早く見つけて上げないとね」
「不味いですよ。怪物たちが集まり始めている」
カガミが臆病に振り返って叫んだ。数十メートル戻った先には、ビルに挟まれた交差点から、奇態な怪物が既にあふれ始めていた。
「急ぎましょう。みんなで手分けするんです。怪物は令くん、僕と一緒に出来るだけ時間を稼ぎましょう」
ぼくは、佐藤に従った。ぼくと、佐藤は交差点の近くまで戻って、可能な限り怪物の接近を防ぐことにした。佐藤は泥沼の魔法を交差点の真ん中に展開し、出来るだけ多くの怪物を足止めした。ぼくは、泥沼から逃れてきた、怪物を机を使って弾き飛ばした。が、幾らは弾き飛ばしても、すぐに戻ってきてしまう。交差点は怪物であふれ、泥沼の効果は失われていた。
「弱りました。これ以上、怪物を引き留めるは難しいですね。加山はまだ見つからないんでしょうか」
ぼくも焦るように、一度後ろへ視線を戻した。ぼくに気付いた小市が、顔を横に振った。小市や他の者は、落とし物を見つけるみたいに、地面を見ながら歩き回っていた。コトリがポケットに忍ばせておいた小鳥が、ようやく仲間を連れて戻ってきたところだった。コトリは集まった数羽の鳥たちに、負傷した人間を捜すよう命令した。これでこれまで以上に、捜索の手が進むようになる。ぼくは、一度気を引き締めて怪物に向き直った。しかし、怪物の接近は手に負えないほど深刻なものになっていた。
佐藤は苦し紛れに連続で魔法を詠唱し、飛び石のように泥沼を作り出した。近付いてきた怪物は、次々と泥沼に足を取られていった。が、足止めされた怪物の後から、更に別の怪物が現れ、泥沼を跳び越えた。泥沼に動けなくなる怪物と、その後に跳び越えてくる怪物とは、あまりにも数に差があった。その中には、怪物の体を踏み台にして渡ってくるものもいた。そうなると、泥沼はまるで意味をなさない。泥沼の魔法は特徴的が故に、対象との相性が大きく影響した。巨大な体を有する神クラスには、この魔法は不向きだった。
佐藤は為す術もなく、押し寄せてくる凶悪な怪物に、簡単な投石の魔法を唱えるも、焼け石に水だった。勢いよく発射された岩石が、怪物の体に当たっても、鈍く跳ね返って足止めにもならなかった。佐藤は真っ青な顔をして怯え、怪物を前に体の自由が奪われたように身構えた。ぼくの机だけでは到底防ぎようのない数の怪物が迫っていた。
「後は私が囮になります。令くんは、その間にみんなの所へ行って下さい」
「待って下さい。それじゃあ、佐藤さんは、どうなるんですか?」
「いいんです。もうこれしか手は無いんですから。どちらか一方を助けるには、一人が犠牲になるしかありません。令くんは、まだ若い。やりたい事が一杯あるでしょう」
「そんな、まだ打つ手はあります。ぼくに任せてください」
「あんな化け物に、一体何をするというですか?」
ぼくは、ずぶ濡れのような心配顔の佐藤をよそに、突進してくる怪物の前に立った。目一杯、左腕を伸ばして構え、目玉から卵が産み落とされるところを思い描いた。それを契機に、左腕の目玉がぎょろりと見開いた。赤々とした血の涙がこぼれ、卵が産まれた。音もなく卵は落下し、ぐしゃりと脆弱な産声と共に地面で二つに割れた。
先頭の顔面に、痛々しいほど無数の牙が生えた怪物が足を止め、緑色の筋肉に覆われた体に、目玉があることを疎む行動を始めた。これだけでも、急場の時間稼ぎにはなる。ぼくは次々に迫り来る怪物へ向けて、卵の魔法を発動させた。それには大きな落とし穴があることを、ぼくは知らなかった。左腕が、内部から異物で突かれるほどに、うずき始めた。
複数の怪物に魔法を発動させることは、左腕からは休みなく卵を産み出すことになった。が、卵は産まれれば産まれるほど出口で滞って、目玉から外へ出にくくなった。腕の中には、更に新しい卵が生成され、窮屈になった腕の中で、卵が外へ強引に押し出ようとした。目玉の出血は著しくなり、卵が産まれるときの痛みも酷かった。それでも卵の生成は止まらず、次第に目玉の周囲の肉を裂いて、皮膚を突き破りそうなほどに、内部の圧力が掛かった。ぼくは苦痛に堪えきれず、左腕を強く押さえた。苦悶の表情を見た佐藤が、慌てて叫んだ。
「駄目ですよ、そんな無理しちゃ。腕が千切れてしまう」
「でも!」
ぼくの声は、怪物の怒濤に掻き消された。それを食い止めるには、この魔法を続けるしかなかった。眼前の道には突然接近を止め、奇怪な行動を取る怪物と、それをなぎ倒し猛進してくる怪物とで混乱していた。
あまりの激痛に、魔法を発動させられなかった。ぼくは、とうとう地面に膝を突いて、左腕をかばいながら激痛に顔をしかめた。腕は歪に腫れ上がって、動かすことも出来なかった。それでもまるで自分の腕ではないように、目玉からは苦しそうに卵が産み落とされた。ぼくは、喉が裂けそうなくらい喘いだ。左腕が千切れそうだった。足元には、ぼくの足を埋めるほどの、割れた卵の殻が積み重なっていた。
その時、混乱を抜け出した怪物が、ぼく目掛け、無数の刀を仕込んだ頭部を振り下ろしてきた。卵の魔法は間に合わなかった。怪物の刀が、硬い地面を野菜くらいに簡単に切り刻んだ。ぼくの体は、千切りにされたのだと思った。
佐藤が、ぼくの名を呼ぶ声が響いた。刀頭の怪物は、頭をのけ反って派手に転倒していた。何かに斬撃を弾かれた格好だった。ぼくの体は、そこには無かった。間一髪のところを、またこの魔法に救われた。魔法で存在を消したのだ。体の存在を消したために、腕の中に溜まっていた卵をばら撒かれ、ぼくの靴だけが残った。この卵の殻は、地面に落とすこと以外で、割ることは出来なかった。それも一度切りだ。ぼくの靴が無事だったのは、卵の殻の中に埋もれていたからだった。刀頭の斬撃は、この卵の殻に弾かれたのだ。
突然姿を現したぼくに、佐藤が二度目の叫び声を上げた。ぼくの名前を呼んだ。
「令くん! いや、無事で何よりだ。もう本当にやられたかと思ったよ」
「ぼくもです。今のうちに後退しましょう」
「よし、そうだな。ここで粘る必要もなかろう」
ぼくらがみんなの所に戻ると、ちょうどコトリが鳥を操って、加山を捜し出したところだった。加山は全身に酷い火傷を負って、土に埋もれて見つかった。体を起こしやると、咳き込みながら息を吹き返した。佐藤が疲労も忘れて、加山へ駆け寄った。
「こっちも無事だったか」
「この状態が無事かと言われれば、少々疑問が残りますがね、へへ」
佐藤は加山の右腕を確かめ、眉を曇らせた。その腕には、手首の先が焼けて無かった。
「そんな顔しないで下さい。自分で選んだことですから」
「済まん。君だけに辛い思いをさせてしまって」
「もう止して下さい。それにまだ助かると決まったわけじゃないでしょう」
「そうだな。令くん、加山も見つかった。急いで、ここを離れよう。しかし、加山をどうやって運ぶかだな」
「それなら、僕に任せて下さい」
そう言って、小市が担架を取り出した。それも魔法の掛かった担架だった。これなら、どんな重量のある体も軽々と運べる。
「急いで、僕の力じゃ。怪物を引き留めることも出来ない」
カガミは鏡の魔法で、ぼくらの姿を見当違いの場所に写して、怪物を混乱させようとしていた。が、力業で強引にねじ伏せる怪物には、時間の経過と共に幻覚の効果が薄れてしまった。
「カガミ、もういいぞ。戻って来い!」
「先に行ってて。最後の仕上げをしてから、すぐ追い掛ける!」
カガミは爽やかな声でぼくに答え、長い呪文を唱え始めた。カガミの周囲で、ぎらりと閃きが起こった。これまでに見たことのない無数の長方形をした鏡が、辺り一面に展開し始めた。鏡は景色を埋め尽くすと、完全にぼくらが逃走する姿を隠して、そこの別の景色を写しだした。カガミは魔法を完成させると、ほっとして微笑した。そこへ髑髏を茸のように生やした、巨大な棍棒が打ち下ろされた。
カガミの痩せた体は、凄まじい破壊力の一撃に、木っ端微塵に砕け散った。と同時に一面に展開した鏡の景色に、マント姿の怪物には目もくれずに、一心に走り去っていく男の子が現れ、遠ざかっていった。
ぼくらは遅れてきたカガミを迎え、門のある結界の柱まで撤退してきた。ここへたどり着くまでに、幾度も危険な怪物の襲撃に遭った。怪我だらけになりながらも、何とかたどり着いた。みんなすっかり憔悴しきっていた。土だらけの顔をしかめ、荒い息吐き吐くだけで、声も出なかった。魔法の結界は、十数分の後に完成をする。疲労で限界に達していたぼくらに、休む暇は与えられなかった。
新手の怪物が、結界の柱に迫る勢いで集まっていた。囮作戦は使えない。使おうにも辺りを包囲され、怪物をおびき寄せるだけの隙間がないのだ。
ぼくらは安浦や西条たちと合流し、全力で神クラスの迎撃に当たった。彼らの人員も酷く負傷して、戦闘に参加できない者も多かった。途中で力尽きて、姿の見えない者も数名あった。
それでも、果敢に怪物へ立ち向かわなくてはならなかった。ぼくらの必死な抵抗も虚しく、怪物たちの進行は止まらなかった。
小市はどこから取り出したのか、魔法を発射できる機関銃を設置し、派手に撃ち続けていた。体の頑丈でない怪物には、十分に威力を発揮した。が、多勢に無勢では、個々の怪物は撃退しても、その進撃は止まらなかった。怪物たちは、ぼくらに近づくと共に接近戦を得意とする怪物が突進し始めた。こうなれば、どんな強力な魔法も一筋縄ではいかない。一番に突っ込んできた、土色の甲冑を纏った怪物が、真っ直ぐ小市の機関銃に衝突した。機関銃は、巨体に呆気なく押しつぶされてしまった。それを契機に、怪物の勢いは増した。次々に、ぼくらへ向かって突撃してくる。仲間は抵抗することも出来ずに、跳ね飛ばされた。カウンターの魔法や、岩石の障壁を出現させ、何とか持ち堪えた仲間もあった。ぼくは机を倒して、強烈な怪物の突進を防いだ。
突っ込んできた四肢の怪物が、そのままの勢いで、他の怪物を巻き込みながら、後方に弾かれていった。
それは、全く怪物の進撃には影響を与えなかった。怪物は、どこからともなく湧いて出て来た。ぼくが、また突進してきた、体に煙突を生やした怪物を跳ね返したところだった。
怪物の黒い塊の中で、一際大きな土煙が立ち上った。十数体の巨大な神クラスの怪物が、一瞬で宙に吹き飛ばされた。右往左往する邪悪な怪物たちは、無抵抗なまま倒されていく。しかし、それが何者の仕業なのか、全く分からない。怪物たちだけが、無残な屍へと次々と変わるようだった。粗方怪物の群れを蹴散らすと、ようやくその正体を見せた。セーラー服姿の女子高校生だ。頬に掛かる短い髪を快活に揺らし、美しい瞳に、ツンと跳ね上がった短い眉が凛々しい顔を作っていた。それは、紛れもなく二葉だった。ぼくは顔を上気させ、二葉の勇姿を見逃さないよう、必死に目で追っていた。二葉は怪物に反撃の隙も与えず、擦れ違いざまに猛烈な連撃を繰り出していく。拳が光になり、闇になり、炎や水、氷や竜巻、包丁や刀に一瞬で変化しながら、怪物の体に叩き込まれていく。圧倒的な強さに、周囲一面屍の山が出来ていた。一つと思っていた影の中に、もう一つの影が紛れていた。緑のジャージに、短く切った頭髪の利発そうな男の子は、これもまた間違いようがなかった。三郎丸だった。ぼくが一番に会いたかった人だ。これほど側に居て、頼りになる人物はハジメを除いて知らない。
二人の冷たい表情に、違和感を覚えた。
殺戮を続けた。百体近くの怪物がものの数分で片付いてしまった。屍の中にに立って、獲物を探す二人は、ようやくぼくらを見つけた。その顔は、まるで血が通っていない表情のままだった。ぼくは喜びの再会を迎えるために、思わず手を上げようとして凍り付いた。二人の冷酷なまでに鋭い視線が、こちらに向けられていた。
二葉が足元の、魚顔の頭を無残に踏みつぶした。その途端、すっと一筋の土煙が、こちらに向かって伸びていた。二葉の姿が、唐突に目の中に入ってきた。ぼくは、反射的に机を盾のようにした。二葉は構わず、ぼくを狙って拳を叩き付けた。攻撃は机で防いだはずだった。ぼくは、あらぬ方向から強烈な一撃を食らい、そのまま吹き飛ばされていた。倒れている間にも、仲間が次々にやられていった。全く勝負にならない。怯えるコトリもカガミも、左腕で払っただけで倒された。それは、江本と武藤たちの一方的な戦いを連想させた。気付けば、ぼくらのほとんどが地面に倒れ、呻いていた。
最後に安浦が、二葉の攻撃を防御し、腕の骨を折られながらも、反撃しようとしたところへ、人の体ほどある刃先が割って入った。見上げるほどの、黒い鎧武者が立っていた。どこかで聞き覚えのある、女の濁声が夜空に響いた。
「おい! 安浦、死んじゃいないよな」
安浦が女の声に応えて、左腕を弱々しく上げた。鎧武者の肩に、戦士のような出で立ちの女が勇ましく乗っていた。女は二メートルを超える棍棒を、軽々と背負っていた。
「おや、何だい。学生机の坊やじゃないか。ふふ、今回は安浦の助っ人かい。私はつくづく運がないね。いや、あるのかねー」
戦士のような女は、制服姿の二葉を見つけ、ずるそうに目を細めた。
「あまり無理はしないで下さい。まだ傷が完治してないのですからね」
「じいさん。ここで無理しないで、いつ無理するんだい」
女が載った乗った鎧武者の他にも、十体ほどの巨体が天に向かって立っていた。その一体の肩に、マントに身を包んだ年老いた魔法使いが見えた。老人を含めても、五人以上の人の影が各々の鎧武者の肩に掴まっていた。その殺意を帯びた巨大な鎧武者を操っているかのような様相は、不気味としかいいようがなかった。
鎧武者の刀が二の太刀を、二葉に加えようとしたときには、その肩から戦士にような女は消えていた。二葉は、巨大な刀を事も無げにかわした。鎧武者の刀が通常の十倍なら、二葉の動きも常人の十倍以上に速かった。が、そこを狙い澄ましたように、棍棒が叩き付けた。鎧武者に比べれば、小さいがこれでも棍棒の一撃は、この巨大な鎧武者と対等なほどの威力を発した。更に女は刀の上に乗っていたため、刀の勢いに、棍棒を振る勢いとが加えられていた。その速さと威力は、想像を超えていた。
「貰ったよ!」
戦士のような女が、大声で怒鳴った。それは、棍棒が風を切る音と等しかった。棍棒が低く疾風を巻き起こすほどに唸って、二葉の華奢な体へ叩き付けた。が、叩き付けたのは、二葉のセーラー制服だけ、それも生き物ように、ゆらゆらと翻って、棍棒に巻き付いた。更に制服の布は、棍棒を手にした戦士のような女の右腕にも、しっかりと捕らえていた。それが恐ろしい力でキリキリと締め付けると、女の鍛え抜いた右腕を肩口をから、無残に千切り取った。戦士のような女は、険しい表情で喘ぎながら、必死の跳躍で何とか距離を取った。
役目を終えたセーラー服が、棍棒を放して心地よくなびいた。そこへ二葉の体が弾けるように現れた。二葉は深追いはせず、女の残した棍棒を足場にし、高く飛び上がって鎧武者の肩へ乗った。
二葉は高台の展望台から眺望するくらいの顔をした。強風で頬に掛かる髪の毛が、荒く煽られる中に、凜とした表情を作った。二葉はわずかに爪先立ち、大樹の根元ほどの、鎧武者の首へ左腕を伸ばした。セーラー服の袖からは、手の代わりに黒い影が漂っていた。それが、ごつごつした皮膚の巨人の首に達したときには、次々に枝分かれしながらあふれるほどに広がって、体内を突き破り、目まぐるしい速さで侵食し始めた。黒い影は首から肩へ、肩から腕へと黒い枝をその鎧を貫いて生やしながら伝わると、その巨大な腕が鎧武者の意思とは無関係に突き上げられ、素早くしなって、老人の乗った別の鎧武者を襲った。
「これは行けません! 侍、急げ。我を食え! 皆さんも、急いで口の中に非難して下さい」
魔法使いの老人は、鎧武者の牙の吊り下がった口の中へ入った。トンネルを移動したように、別の鎧武者が口を開け、そこから老人が呼吸を乱して出てきた。それは先ほど場所からは、少し離れた所に数体立っていた鎧武者だった。後から、二三人の黒マントが老人と同じように現れた。
「あの影は、神クラスを侵食します。恐ろしく強力な神殺しです」
五体の鎧武者が黒煙になって消滅するところを、老人は遠目に眺めた。そこには黒い影から形を変え、緑色のジャージ姿の青年が悠然と現れた。
二葉と三郎丸の他に、そこに立っている者は見えなかった。二人が倒した怪物の屍が、地面を埋め尽すほど転がっていた。二葉と三郎丸は、倒せそうな相手が居なくなると、足早に歩き出した。まだ完成しない結界の門を堂々と通っていった。
そこでは、十数人の魔法使いが最後の魔力を注いで、結界を完成させようとしていた。が、誰も二人のことを止めることはなかった。
安浦が苦痛に耐えながら、ゆっくりと体を起こした。壊れた眼鏡を掛け直すと、レンズが無いことに気付いた。やれやれと溜息を吐いて、立ち上がったばかりのぼくを見た。
「君の仲間は、何て乱暴なんだ。お陰でこの様だ。おやどうしたんだい、令くん。浮かない顔をして」
「知りません!」
ぼくは、頭の中に巣くった不安を追い出すみたいに振って、すねるように返した。ずきずきする頬をさすりながら、二葉たちがどうしてあんな事をしたのか、当てもなく考えを巡らせていたのだ。しかし、まるで答えが導けなかった。
「はは、きっと慣れない戦闘の連続で疲れているんだね。ゆっくり休んだ方がいい。これだけ僕らに貢献してくれたんだ。特別な計らいをするように頼んでみるよ」
安浦が立ち上がるのを諦め、両足を投げ出して地面に座ると、高い所から叫ぶ声がした。ぼくらに陰を作って、巨大な鎧武者が静かに近付いてきた。鎧武者は数メートル先で膝を突いて姿勢を低くすると、魔法使いの老人が慌てて降りてきた。安浦は足を伸ばしたまま、老人を迎えた。旧友にでも会ったような顔をした。
「安浦様、無事でしたか」
「痛たたた。腕が折れてしまったよ」
「こっちは、一本失ったよ!」
そこへ女の濁声が響いた。戦士のような女は倒れたまま、起き上がることも出来ないようだった。安浦が目配せすると、老人は急いで戦士のような女の元へ駆け寄って、表情を険しくした。
「応急処置をしましょう。少し痛みますが、我慢して下さい」
「くー、効くね。ほんとに痛いじゃないか」
老人は、女の肩の先が無くなっているのを認めて、そこへ魔法で呼び寄せた小さな軟体生物を取り付かせた。この生物はわずかな血液を与えるだけで、傷口を奇麗に塞いでくれる。老人は、女の応急処置が終わると、ようやく口元を緩めた。
「しかし、分かりませんな。あれだけの実力の差が有りながら、こちらには一人の死人も出ていません」
「ふーん。それは、僕も気になっては居たんだがね。複雑な感情は、僕には何とも言えない。苦手な分野だからね」
「舐められているのさ」
戦士のような女が、忌々しそうに言った。
「ひょっとして、あの子のお陰でしょうかな、ほほ」
老人は、ぼくを一瞥して微笑んだ。
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