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俺は沸き上がる憤りを押さえ込み努めて冷静に言葉を発した。
「勝手なことを……!」
「勝手さ。でも俺が後輩ならこんなことは言わんよ、黙ってる。先輩だから先輩としての責任から言ってる。
が無視も全然ありだ。“そんなことは文学の分ではない”で済ませるのもいい。何度も繰り返されてきたようにな」
「なんだか逃げてるみたいに聞こえて不快ですね」
「実際、いちばんの欲求はそれじゃないのか?」
「わけのわからないプレッシャーは無視するしか……無視するしか生きていきようがないです。芸人だって芸人の分ってもんがあるでしょう。同じですよ」
「ん~~、まあわかるけどさ……わかるピョンけんど俺の話は国益に通じる話でさ……、相反する社会益には異を唱えるさね」
「唱えるのは自由ですけど長すぎます」
ったく長々と……あんたイワン・カラマーゾフかよ。
俺はグラスに残っていた水割りを一気に飲み込んでつづける。
「過剰な期待というか、筋違いの期待を背負うつもりは、俺は一切ありません。自己表現でやってるわけですから。俺たちは夏目漱石の掌の上でやるのが戒律のようなもんなんですよ。その領域での闘いなんです。邪魔しないでください」
「それでいいさ。俺がお前に話したのは夢の話、夢の国のファンタジーさ。忘れてくれていい」
──ああそうでしょうとも! そうですよ! もう!
……しかし、憤りつつも俺の脳裏には強烈なビジョンが映っていた。
北見さんの後ろ姿がある。
真っ青な空の下、山の頂上に白い宮殿があり、そこへ延びる広く長い階段を北見さんがゆっくりと昇っているのだ。よく着ている白地に黒のラインが入ったジャージ姿で、一歩一歩階段を踏みしめるようにして。
そして空も宮殿も空気すらも、そこにあるすべてのものが彼を祝福していた。さながら戦い終えた勇者の帰還である。
目に見えぬ何ものかが両手を広げて迎えているように、温かな存在感がビジョンを満たしている。
これは未来のビジョンなのだ、とそう俺は思った。
これまで何度も創作過程で苦しむ俺を救ってきたものが、こうしたビジョンだった。
となると俺もまた何ものかの使徒なのかもしれない。
☆
高級ウイスキーをしこたま飲んだ飲み会から四日が経つ。
番組制作スタッフに混じるかたちでスタジオ片隅のパイプ椅子に座り、番組の進行を眺めている俺は先日のF県での北見さんの実家へ向かう道中のことを思い出していた。
北見さんと交わすめちゃイケの話のなかで彼は〈重盛パラドックス〉なるワードを口にしていた。
つまり新メンバーのなかで面白かったのは彼女ただひとりなのだが現状ではそういう評価ができない、という嘆きと、
その一方で正当な評価なるものを基準にしていたとしたら彼女はそもそもレギュラーメンバーには選ばれていないだろう、という現状認識である。
ツラい話である。芸人としての立場からは。テレビの面白さってなんだろう? あの面白さは予測されたものだったのだろうか?
たぶん違うはずだ。でも残酷ゆえに面白いのだ。
北見さんはめちゃイケの打ち切りをひどく悲しんでいた。
「ああいう、寿命を迎えたわけではない終わり方は納得いかないんじゃもん」
「そうですね。同感です。……なんで急にネプチューンに変わったんです?」
彼は答えなかった。謎めいたところの多すぎる人物である。
……今日は関東圏S県での仕事。午前十時~十一時枠の生放送だ。司会の男女ひと組とコメンテイターひとりというキャストで地元情報主体の番組。もうすぐ出番の十時三五分を迎える。
今日の俺はなぜか快活で、いつもより明らかに気分が乗っている。頭上のカメラから捉えた映像のように上から自分を眺めている感覚がある。
フリーと思われる女アナの甲高い声がスタジオに響いた。
「みなさまお待たせしました! 今日はたいへんに著名な先生にお越しいただいてます! 先生、牛田先生~~!」
呼び込みのなか、周囲でまばらな拍手が鳴る。
──北見さん。残念ですけど俺は長生きしたいんです。この世界には八○代の現役がごろごろいます。つまり俺にはあと四○余年の未来がある。
その未来を手にするにあたって何を避けるべきか、あなたは俺に教えてくれました。
いままで漠然としていたものがはっきりしました。俺たちは決して変化を求めてはならない。ここに自由はないんです。自由なきしあわせという道のりしか、俺たちには用意されてない。
で、北見さん。俺はその道のりを、自分の足で一歩一歩、踏みしめながら進んでいこうと思います。
「ども~~、牛田モウです~~」
俺は腰をやや屈めつつ、手を叩きながら早足で小さな狭苦しいセットの中央に向かっていった。
共演者たちは各々に対処してくれた。
苦笑いと営業スマイルが俺を迎えてくれる。
さあ、俺の闘いが始まる。
しあわせのかたち - 幕 -
しあわせのかたち 北川エイジ @kitagawa333
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