4

ここで重要なのは八○年代半ばの時点ではまだお笑いの世界は芸能界におけるヒエラルキーの底辺だったってこと。


ざっくり言えば上から映画、テレビドラマ、お笑い・アイドルといったような三つのカテゴリーのなかで底辺に位置していた。


……お笑いの世界はそこから映画と肩を並べるほどに地位を高めていくわけだが……言うまでもなくこの地位の向上に最も貢献した人物はTさんだ。


が、Tさんは大きすぎる存在で比較対象可能な人物が近代に存在しない。大きさは田中角栄や児玉誉士夫を遥かに凌ぎとても言葉にできるもんじゃない。


……その点、地位向上に貢献したもうひとりの人物、Mさんは違う。MさんはTさんと同じく時代の先端と中心の両方を務める時期のあった天才だが、コンビによる活動がメインだったためか、どうにか言語化できそうなゆるさを持ち合わせていて……あの人は田中角栄や児玉誉士夫と並べることができる人物だと思うんだ。


歴史を語るときに外すことのできない時代の寵児だからな。例えばあの人の貢献のひとつに音楽界への影響がある……


『HEY! HEY! HEY!』なくしてPUFFYやKiroroやaikoや西川くんのブレイクはなかったと言うと大げさかもしれんが少なくともあんなに早いブレイクはなかったはずだ。


そしてな、浜崎のカリスマ化はテレビ的にはMさんのツッコミが発端に思える。まだあやふやだったカリスマにリアリティを与え一気に本物にしたって意味でな。


……文化的価値というものを基準とするなら、お笑いが映画と価値で並んだのはこの時だったように思う。それはMさんとHさんによるアーティストとのトーク&絡み、その後のパフォーマンスが収録とはいえ視聴者にとってリアルタイムの総合芸術となっていたからだ。


ごっつ、ガキ使、ヘイヘイ、ひとりごっつ、ビジュアルバム(知らない方のために解説するとこれはオリジナルビデオ作品のため半分はサブカルチャーなのです:牛田)

……燦然と輝くこれら言い尽くせない仕事の列はそのままメインとサブの両方を備えた日本のカルチャーの歴史だ。


この歴史をぎゅっと凝縮させたかたまりがMさんという存在だ。

もしこの『Mさん』を小説の題材にし『Mさん』を小説で描き切ったとしたら、これはすなわち“時代を描いた”ことになるのではないかな?


消費者が求めていてしかしなかなかに実現しないもののひとつだ。文芸誌の読者にはどうでもいいことだが」


北見さんはつまみのアタリメをたばこのようにくわえ、ぴこぴこと上下に揺らす。俺は黙って北見さんの語りに耳を傾けていた。


「ただ問題なのは“誰でも語ってよい人物ではない”という点だ。……ネット的な何でもありの手法ではテレビタレントとしてのMさんのイメージを損ない、といって格式を重んじた手法では肝心なところにまったく触れないままに終わってしまいがちになる……そこでは暗喩だったり回避して記述する技が問われる……お前が無意識のうちにエネルギーを費やしている事柄だ……」


まあ言ってることは理解できますけどね。あなたそれあなた個人の理想論ですよ北見さん。残念ですけど。


「Mさんを語るには相応の実績が資格に近い意味合いで必要ってこと。かつ、できれば本人その人と直接関わりがあり実体を知る人間であった方がいい。


それはMさんがデリケートな立場にもあるから。物ごとには常に光と影があって、語るにあたってはその塩梅が分かる人間でなければならない……

こうした難しい条件をクリアする人物なんているのか……?

いるんだ。俺の目の前に。


……お前なら資格を充分に持ち、適切な配慮もできると思われる。現状とキャリア全体を見渡せば責任とも言えるだろう」


待った待った。


「待ってください、勝手なことを言わないでください。俺はその他大勢のひとりでいいんですよ。北見さんが言うようなそんなハイブローかつ奇特な立場にありませんよ。世の中の誰も、誰もそんなこと俺に言いませんよ」


おかまいなしに彼は持論をぶつけてくる。


「現実としてはいまこの日本で『Mさん』について小説という表現手法で語ることのできる人材はお前しかいない。

これがお前という存在の価値だ。


お前は、お前のファンが頼むからもうやめてくれとか、いいかげんにしろと怒りだすまで、芸人が主役の小説を書くベきなんだよ。

そのなかでMさんの像をいろんな角度から語っていけばいいんじゃないか?


お前は……たぶん芸人としてはMさんに到達し得ない。が、小説で“時代を描く”という困難極まる仕事を果たせたとしたら……


いいか? ここが最重要ポイントだ……


お笑いの頂点である『たけしのお笑いウルトラクイズ』『ブリーフ4』に並び、Mさんにつづく時代のアイコンとなり、スペシャルとして課せられた責任を果たし、言わば時代の裏側を支えた人物として歴史に名を刻むんじゃないかと思うのよ。


……なにより、つまりそれが役割なんだよ。お前に与えられた役割だ。それをクリアしたとき初めてほんとうの充実を得るだろう。いまのお前が虚無感に支配されるのは役割を回避してるからだ。しあわせとは責任を果たしてから得られるもんじゃないかね?」


どうしてそうえらそうに語れるのか。俺には理解できなかった。理解できないし、もっと正直に言えば理解などしたくない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る