1 観覧車の悪霊

 俺には生前の記憶がない。死んだ記憶もない。家族がいたかも知らない。友人は恐らくいなかっただろう。ただ一つ分かっているのは、どうやら俺はこの観覧車で死んだらしいということだ。

 俺はこの観覧車から出ることができない。この狭い空間から見える世界だけが俺のすべてだった。


 俺は生きている人間に対して非常に強い憎悪を抱いている。観覧車から人間を眺めているだけで無性に腹が立つ。それはとても自然なことなのだろう。動物が獲物を殺して肉を食らうように、ごく自然のことなのだろう。


 だから観覧車を訪れる人間に呪いをかける。本当は殺したいくらいだが、俺のような意味のない亡霊にそこまでの力は無い。せいぜい人を不幸にする程度――縁を切り裂いたり、人間不信にしたり、幻覚を見せたり、といった軽度の怨念しか与えられない。


 この観覧車も何度か壊されそうになったが、その度に不慮の事故を招いて作業員を病院に送った。そのうち、とうとう誰も観覧車に関わろうとしなくなった。今でこそ周囲は厳重に封鎖されているが、それでもまだこの観覧車は廻り続けている。何の意味もなく、ただ俺だけを乗せて。


 観覧車の悪霊。いつしかそれが俺の呼び名となった。


 あの死神が言うように、俺のやっていることは何の意味もないのだろう。どころか、生きている人間に不利益を為す迷惑な存在でしかない。

 だが、そうせざるを得ない。意味があろうとなかろうと、生きている人間に対する憎悪が消えるまで、そうするしかない。死神ですら俺を止められない。


「観覧車の中が狭すぎて、鎌が使えないんですよ」


 だからこそ、健気にも俺を説得しているらしいが無意味な話だ。俺のような何も無い存在に、響く心があるとでも本気で思っているのだろうか?


 しかし、死神の説得に辟易していたのも事実だ。苛立ちが募り、怒りがふつふつと沸いていたのは認めよう。俺は次第に、誰でもいいから呪いたいという欲求を自覚するようになった。同時に、そう都合よく人など来ないだろうと諦めていた。


 だから、このフラストレーションが発散されることは当分ないだろうと思っていた。


 そんなある日のことだった。

 市間いちまいちるに出会った。


 

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