鳴神裁の暮れゆく年に報いあれ Ep.3

 ろこが落ちた部屋の穴(いつ施工されたのか?)を慎重に避け、鳴神は玄関のドアを開く。アパートの階段を降り、予感のままに外に出た。

 そこには、もう一人の見知ったVtuberがいた。

 ある意味、烏丸よりも衝撃的だった。


「待ってたよ」

 ちょっと甘ったれた声。

 日本古来の藍と葵、そして白を基調としたファッション。

 大きく開いた目に、左の涙袋のほくろ。健康的な長い髪・・・・・・。


「そんな、馬鹿な」

「こんばんわー、富○ぃー、葵です!」

 三角で富士山を作って、頭の横で手を開く。

 何の冗談か。鳴神の目の前に、あの○士葵が立っている。


「お返事は?」

「あ・・・・・・あ、こんばんは」

 キャラなど維持できない。鳴神はあまりの事に動揺を隠しきれず、いつもの不遜さを崩しきっていた。

 富○葵は自然な仕草で鳴神に近づき、その手に手を添えてきた。


「どうした、アガっちゃったかぁ?」

「あっあっ」

 鳴神は、それだけで雷に打たれたように動けない。限界だった。

「鳴神くんがして欲しい事って何かな。お歌うたう? コラボトーク? それより、もっとスゴいこと」

「はぁっ」


 彼女は、堕落しかけた神父の耳元で、囁いた。

「ASMR」

 ・・・・・・どうか、彼を責めないでやってほしい。意中の人に望まれたら、逆らえる余裕など無いのだと、ご理解頂きたい。


「おいで」

 座り込んだ彼女の膝が誘う。そうして鳴神は、言われるままに身体を預けた。

 柔らかなももの感触と、女滝のように流れる髪の香りが今の全てだった。

 勝てない。桁違いのアイドルVtuberには。


「せ・ん・ぱ・い」

 そして、耳元で囁かれた。

「え、何それ」

「いいからっ」

 向き直った鳴神の頭が直された。


「耳の奥をお掃除しようね」

 息が吹き込まれる。鳴神は、敗北した。

 自ら望んで負けたのだ。神話の昔からの定めだ。

 固いものは柔らかいものに永遠に勝てない。


 このまま委ねても良かった。ただ、ひとつだけ気になることがあった。

 鳴神は、○士葵の耳かきを手で除け、その髪に巻かれたバンダナに指をかけた。

 ひったくるように奪い取る。


「きゃっ」

 そのままごろごろと転がり、彼女の膝から逃れた。

 手を広げ、握ったバンダナを見る。

 描かれていたのは、葵の紋・・・・・・ではなく、桐の紋であった。


「豊臣家かよ。そんな美味い話、有り得ないよな」

 日頃の洞察力が彼を救った。

 嘘でもいいから、甘い沼に沈んでゆきたい。そんな思いに後ろ髪を引かれるが、彼は立ち上がった。富○葵の姿をした何者かもまた、対峙する。


「よく気がついたね」

「こういう手の込んだ真似をする奴は、まずお前だからな。悪代官のおっさん!」

「うふふ、フフ、グフフフ、いかにも」

 曇り無き清酒のように甘く透き通った声は、やがて老獪さを滲ませた、濁りある声に変貌する。姿も変わり、ごつごつとした岩肌を思わせる初老の男が現出した。


「実に面白い茶番であったぞ。バーチャル悪代官、ここに在り」

「全部あんたの仕業だったってわけか」

「クク、それは自らの記憶を振り返って確かめるがよいわ。しかし、○士葵なら騙せると思ったが、誤算だったのう」


「なんで富○葵なんだよ」

 悪代官はにやりと笑う。

「儂が配信を観ていないとでも思っているのか。“第1回チキチキ1番キモい恋文書いた奴優勝選手権”のアーカイブを見返せば分かることよ」


「何が・・・・・・」

 鳴神は、ごくりと唾を飲み込む。

「読み上げた恋文の中で、際立って大手のVtuberに宛てたラブレターは一通だけ、おかしいとは思わぬか」


「ああ? 周○パトラ・・・・・・さん、の分や、宇○ひなこ、稲〇くろむの分も読んだろうが。○士葵だけじゃないだろ」

「周○パトラ宛ての恋文ならば、誰が書いたか知っておる。宇○ひなこの方は知らんが、富○葵の文章はお主が書いたという直感が否定できぬのだ。リスナーの恋文にしれっと混ぜたのだろう」


「俺じゃない!」

「後方彼氏ヅラ、誰がしておるのかのう」

 これ以上聞いてられるか。

 鳴神はかねてよりの仇敵に、能力の解放を決意した。


「ま、おっさんが相手なら、遠慮はいらないな!」

 手の指を開く。“関係性を可視化する能力”が、それだ。

 しかし、異変が起きた。


 <セ ン パ イ>

 耳朶から脳を揺さぶる声。

「あぐ、ううっ」

 頭をかき乱される感覚。片目を押さえて、鳴神は膝をつく。


 <セ ン パ イ>

「がああっ」

 悪代官は、してやったりという様子で、苦しむ鳴神を眺めた。

「儂は、既にお主の内的宇宙インナースペースへと“入り込んだ”」


「うああ・・・・・・くそっ、さっきのASMRは・・・・・・ううっ」

 草の上に倒れた鳴神は脚を空回りさせて悶える。

 脳裏に張り付いた声を引き剥がそうともがいていた。

「面白い能力オモチャであろう。買ったのよ、溢れるほどの金でな」

「ぐっ」


 地面に肘を立て、起き上がろうとする鳴神を、さらに声が打った。

 <セ ン パ イ>

「ああああっ」

 邪悪な代官は、懐から取り出した扇子を開く。

「そして見るがよい。これから先の、バーチャルの未来を!」

「あああああああ!」


 鳴神は空間に投げ出された。

 それは、闇だ。どこまで行っても闇。

 バーチャル悪代官の声だけが、耳に入る。

 <完全なる虚無・・・・・・かつて烏丸さきが警告した、Vtuber滅亡後の未来よ。奴はこれを止めようとして、逆に自分が飲まれてしまったがな。これが“やさしい世界”の果て、バーチャルの終わりに訪れる世界・・・・・・>


 そして、闇から全身を昇るような寒さが伝わってきた。

 鳴神は両腕を抱えて、それに耐える。震えが止まらない。


 <どれだけあがこうと、未来は変わらない。お主にも分かるはずだ。“やさしい世界”の希望や絶望など、現実を逃れたい人間が見る、いっときの慰め、それにすら満たない幻よ。この“真理”を知らぬ者が、お気持ち配信や嘘をばら撒き、無用な争いを生みもする。終わりあるバーチャルに、過分な期待を持たせるべきではない>


 身体が凍り付く。

 それでも、鷹の目は諦めない。

「・・・・・・これは、お前とさきちゃんが描いた悲観的な未来に過ぎない」

「愚かな。熱的死を迎えた界隈が視えぬのか!」

 鳴神は右腕を伸ばした。ここが内的宇宙インナースペースとやらの、仮想でない、幻覚ならば。


「“Discord”!」

 鳴神は音声通話のチャンネルを開いた。

「何を・・・・・・!」

「来やがれ、愚鳩共」

 わちゃわちゃとした声が、遠くからやってくる。


 <えっ本当、鳴神くんと話せるの、あのね>

 <セ・・・・・・>

 <推しは神聖なので、いいです、結構です>

 <・・・・・・パ・・・・・・>

 <ひゃあああ鳴神最高ぉぉお>


 それは、悪代官のASMRを覆い尽くすほどの声だ。

 気がつけば、アパートの前の草むらに鳴神は寝転がっていた。

 扇子を仰ぐ手を止め、驚愕する悪代官が見える。

「馬鹿な! 雑念でかき消しただと」


 やっと立ち上がり、頭を振る鳴神。

「いやあ、うるせえうるせえ、何も聞こえねえ」

 鳴神の目が、悪代官を見据えた。

 再び、五指を広げる。

「やっ、やめろ」


「・・・・・・覚悟しな。“俺、鳴神裁とバーチャル悪代官は、言葉に責任を持つ”!」

 鳴神の手から悪代官に、不可触の糸が結ばれた。“関係性を可視化する能力”とは、糸で結ばれた両者において、鳴神が口に出した言葉の論理的な重みを物理的な重みに変換する能力である。


「そうさ、俺にだって神はいる。年末に人を勝手に罰したりしない、便利な神がな。お前が名乗るような神じゃない」

 両者の重みを判定するのはバーチャルの基底にある演算機構。

 彼はそれを“便利な神”と呼んでいた。


「これならイーブンだ。来い」

 鳴神は、悪代官に向かって歩む。

“言葉に責任を持つ”者はどちらか。鳴神自身もそれは知らない。

「な、舐めおって。その余裕、端正な顔、歪めてくれるわ」

 悪代官もまた、確信を持って鳴神へと歩んでゆく。


 両者の糸の距離が、縮まる。

 より重い拳を振るえる者が、勝つ。

「ひとつだけ、覚えておけ」

 雑念で耳を塞がれた鳴神が、一方的に言う。

「言葉の重みは、人の重みだ」


「下らん」

 悪代官は一蹴する。

 ここから先は、一言一言が命取りであっても、お互いに止まらない。

「言葉に乗らないものこそ本当の意思。儂にとって言葉は言葉でしかないわ!」

 そして、距離はゼロ。拳を振り上げる。

「おおおおっ!」

「ぬうううっ!」

 頬に、熱い物が当たった。


 ジリリリと、目覚まし時計が耳を突き刺す。

 鳴神は、ベッドから落ちて、床に頬を押しつけていた。

「夢・・・・・・」

 鮮明に覚えていられる夢だった。


 どこから、どこまでが。

 バーチャル渋谷で少女に出会ったところからか。

 跡が残りそうなくらい圧迫された顔が、ひりひりと痛む。

 窓から青い空が呼んでいた。

 まだ、今年が終わるまでに時間がある。


 渋谷の坂を登ると、夢の通りにフードを被った少女が歌を歌っていた。

 曲の合間に鳴神は歩み寄り、彼女の頭の上を指さす。

「あっ・・・・・・」

 星をあげた。それから、投げ銭も。


 金額に、少女は驚いた。

「こ、こんなに頂けません」

「いいんだ。頑張れ」

 フード越しに、少女の頭を撫でる。

「お触り厳禁です!」

 横のスタッフが怒声を発した。

「なんだっ」「やべっ」


 観客もまた、色々な奴等アバターが居る。

 今日は「ヰ世界」「傭兵団」と書かれた旗を掲げた甲冑の集まりだ。

 鳴神は、翻して坂の下へと逃げ出した。


「ヌフゥーッ、捕縛!」

 ひときわ巨躯の、鎧を着た豚のアバターが逃げる彼に、容赦なきさすまたを向け、大股で走ろうとする。

「待って」

 少女は先回りして、両手を横に広げて遮り、豚を制した。

 危うく踏まれるところだ。


「嬢、お触りは許されぬ行為!」

 鼻息も荒く、豚のアバターは叫ぶ。

「あのひとは、いいひとよ」

 ファンの暴走を抑える、意思の込められた目だった。

 豚の巨身は、さすまたを下げる。

「・・・・・・であれば、仕方ありませぬ・・・・・・」


 そうして、騒ぎを耳にした人々が、彼女の側に集まり始めた。

 興味深げな沢山の鳥達も、電線にひしめいて。

 誰もが歌を待っている。

 少女は背中を振り向いた。

 彼はもう、坂を下って、見えなかった。


 <に・・・・・・さんじ、ついに年末もあと一日・・・・・・>

 渋谷の街を彩るサイネージに突如としてブロックノイズが走る。

 現れたのは紫髪の神父服を着た青年だ。

「くんばんわ、鳴神です。緊急ですが、この放送はNSOがジャックしました。何かと黒い噂が絶えないあの人買いが、不適切会計、二重帳簿、枕営業までありとあらゆる罪を犯しているのを見過ごせず、年末にも関わらず、こうしてめでたい気持ちの皆の時間を頂く次第です・・・・・・」

 鳩が、ムクドリが、雀が、烏が。

 さえずりを載せて、バーチャルの鳥達が羽ばたいていった。

 興味の沸く、味の濃い餌を求めて。

 雑多な群れはまるで、ひとつの生き物のようだった。

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鳴神裁の暮れゆく年に報いあれ 畳縁(タタミベリ) @flat_nomi

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