鳴神裁の暮れゆく年に報いあれ Ep.2
外出中の出来事は記憶に留まらず、諸用を済ませた鳴神は寝床に入った。
すぐに微睡みがやってくる。
奇怪な現象は、そこから始まった。
深夜に理由無く目を覚ますと、身体が動かなかったのだ。
消灯した部屋の天井がぼんやりと見え、目だけが巡る。耳が音を拾う。
腕は頭の上で固定されているようだ。固定?
ベッドの柵にタオルが巻き付けられ、自分の手首を縛っている。
「またかよっ」
ぎしぎしと鳴らして必死に前後していると、這いずる音が聞こえてきた。
「物申~す、物申~す」
「ひっ」
幽霊。幽霊だけはダメだ。
首を振って拒否する鳴神にお構いなしで、小柄な人影が玄関からゆっくりと歩み出て、止まった。ごんっ、という物音。
「がっ、どこだ、・・・・・・これか」
何かにぶつけたらしい人影がスイッチを押し、照明が灯される。眩しさに目を奪われたのは一瞬で、すぐに慣れた。
白色のロングコート、長い髪も白、耳のカチューシャは白猫耳、そして目だけが紅い童女が、大きな袋を下げて無断侵入してきたのだ。
「誰、お前」
「鳴神裁に、物申す!」
童女の口から、若い男の声が出てきた。バーチャルの世界では男声の女性アバターなど珍しくないので、これも別段おかしなことではない。
鳴神もまた、疑問は抱かなかった。
「どうやって入ったんだよ。俺のアパート」
「俺は饗乃ろこ。お前のチャンネルの伸びもここまでだ」
常識を責めたかったが、ろこと名乗るVtuberはとりあう気が無いらしい。
「わざわざ倒しに来てやったんだ。茶ぐらい出しな」
「ふざけんな、縛られてるのにか」
胸を張って偉そうなろこに、鳴神はベッドを揺らして抗議した。
「おっ、コーラ入ってんじゃん。貰い」
「てめぇ」
冷蔵庫を開けたろこは、目ざとく赤い缶のコーラを取り出して、勝手に開けた。両手で支え持って、こくこくと流し込む。
「ぷはっ、美味ぇ。やっぱりサンタクロースもコーラだしな。毎年CMで見かけるし・・・・・・、本題に入るか。お前の倒し方っ」
今後、白いサンタが家に入ってきたら、問答無用で叩き出してやる。そう思う鳴神を余所に、ろこはコーラの缶を適当な所に置いて、語りだした。
ビシッと親指で自らを示す。
「ずばり、“物申す”とは何か、だ!」
「はぁ?」
「ただの悪口、入り口はそんなもんだが、肝要なのはその件に関わる誰もが抱いている思いを言葉に代えることだ。そして、その点では俺の方がお前よりも勝っている。言葉を掬い上げているのは、俺の方!」
「はぁ」
仰向けに縛られた身で、起き上がりながら横を向き続けるのも辛い。ろこを見ないで、天井を見つめる。
「お前の“物申す”は私情が入りすぎている。問題がすり替わって伝わるくらいにな」
「何が言いたいんだよ・・・・・・」
力を抜いた鳴神は、うんざりした様子で聞きに徹した。
「俺はリスナーの想いを言葉に代えている。物申すとは聴衆の潜在的な想いを口寄せする、声のシャーマンなんだよ。技術よりもひたすらにセンス、アンテナの高さが物を言う世界だ。口寄せの精度を測る態度がエンタメとして楽しまれていない現状が、正直歯がゆいけれどな・・・・・・ここまで話せば分かっただろ。お前が、“物申す”として二流だってな」
「どういう意味だ。それより、このタオル解いてくれ」
小娘らしく、よく喋る。声は男だが。
「お前のコンテンツ力は不明瞭なリークで補われている。物申しとしてのアンテナの高さはそれほどでもない。髪の毛ばっかりツンツンしてる割にはな、大したことねーんだ、お前は」
「これは地毛だ」
鳴神は髪が跳ねている。
「・・・・・・つまり正道の“物申す”じゃねーってことさ。人を裁いて叩き折るんじゃない、“物申す”はバッサリ相手を切って、むしろ感謝されるぐらいのもんだ。V界は受け取る側にも、許容の不足を感じるがな・・・・・・ともかく、看板は俺の物だ」
そこまで聞いて、今度は鳴神が返した。縛られたままではサマにならなかったが。鋭い鷹の目で、童女を捉えながら。
「お前の言っていることは、一言で説明がつく。嫉妬だよ」
「何っ」
ろこはたじろぐ。
「俺は自分が“物申す”だなんて、一度も言っていない。リスナーが勝手にそう呼んでいるだけだ。ジャンルに合わせてコンテンツを作ったんじゃない。後発のお前とは違ってな」
「始めから“物申す”じゃない・・・・・・、嘘だ。お前は」
鳴神は追い打ちをかける。
「何と戦っていたんだ。リークは地道に集めた情報網だし、勝手に情報が集まるのはチャンネル登録数を集めることができたから。要は注目されることと、注目されるだけの努力を積んできただけのこと。言われる筋合いは何もない」
ぐうの音も出なくなったろこは、それでも返そうとした。
「俺が、俺が折角忠告してやってんのに。二流なんだよっ」
「じゃあお前はド三流だ」
「くそーっ、これでも・・・・・・、これを食らえっ!」
地団駄を踏むろこは、自分の牽いてきた大袋に潜り込み、中の物を鳴神にぶつけてきた。光る角が、寝そべった身体に刺さる。
「痛てっ、なんだこれ、星かっ?」
「食らえーっ!」
両手で次々とぶつけてくるそれは、手のひら大の星だった。
「お前が誰かに与えるはずだった星だよ! 惜しみやがって、渋谷のあの娘にだって、そうだっ」
「なんで知っているんだ・・・・・・痛、やめろっ!」
鳴神の怒声に、一瞬童女は怯んだが、言葉は止まない。
「お前が星一つ与えなかったせいで、あの娘のクラウドファンディングは失敗したよ。そして、プロジェクトもヒザ突いて倒れちまった」
「俺のせいなのか」
「お前の星で、運命は大きく変わっていた。彼女はプロダクションから収益性を疑われ、身売りさせられる寸前なんだ。ライブは実現できなくても、星さえ集まれば評価は変わるかもしれなかった」
鳴神は弁明する。
「だが、だけどな、俺が誰かに肩入れすれば、その人に迷惑をかけるだけで・・・・・・」
「そう、“物申す”であるが故に、お前は他者に星を与えることを抑えてきたんだ。そうして溜まった星が、この袋を膨らませている。お前の星だ。嬉しいかよ!」
「痛つつっ」
とどめとばかり、ろこは鳴神の身体に星を投げつける。
言語化の難しい、「いいね」の音が重複して鳴った。
「・・・・・・そうか」
「お前はあの娘の歌に動かされた。なのに、何もしてやらなかった。推しを推さなかったこと、それがお前の過去の罪だ!」
ぱちぱちぱち。
そのやりとりに、手を叩いて賞賛を与える第三者が居た。
<素晴らしい。本題はちゃんと言えましたね、偉い>
「お前は出なくていい!」
左右を見回して、ろこは叫ぶ。
<僕が代わる>
柔らかくも、有無を言わさぬ口調。それは、鳴神にとっては懐かしい声だった。同時に、強い警戒を呼んだ。あり得ないことだったからだ。
「さき、ちゃん・・・・・・?」
<饗乃ろこくん、ここまでです。没収!>
鳴神の部屋に、施工していないはずの四角い穴が開いた。
ろこは、何も言えずに下へ引っ張られていった。
童女の紅い目は、しばらく忘れられそうにない。
そうして一人消え、代わりに現れたのは、テーマパークのスタッフのような、紳士風のスーツを着た女性だった。
髪飾りや、開いた襟にも見られる羽のような意匠が特徴的だ。
統計と考察を“行っていた”Vtuber、烏丸さきだった。
「鳴神くん、お久しぶりです」
懐かしい友人を見る目で、彼女は言った。
「さきちゃん、魂抜かれたんじゃないのか・・・・・・?」
鳴神は幽霊が駄目だったが、本当の幽霊が目の前に現れてみると、感想はそれ程でも無かった。懐かしさが勝っているのか、恐怖すら沸かない。
「いかにも、僕は終わっています。だけど伝えたいことがあって、参りました!」
ろこと同様の男声。大風呂敷を広げるような、自信に満ちた話し方は以前のままだ。胸に片手を置いた、肘の疲れそうなポーズも。
「俺に言いたいことか。聞くよ、っておい?」
烏丸は近づくなり、ベッドに上がってきた。
膝を曲げて抵抗する鳴神の脚を押さえて、乗りかかる。
「ちょっと待て、おい」
「僕はねえ、鳴神くん。君のことがね・・・・・・」
縛られた鳴神に跨がる格好で、烏丸は告白した。
「大好きで、大嫌いだったんだ」
「・・・・・・」
烏丸は鳴神の胸に頭を預けた。
そして、隠された感情を吐露し始めた。
「君はアウトサイダーだ。僕の統計予測に馴染まない存在だった。君のその行動力を尊敬していて、その反面、強く揺さぶられていたんだ。自分が否定されたような気がして、足下がぐらつくから」
胸に顔を埋めた彼女を、鳴神は見ることができない。
「買い被り過ぎだ・・・・・・俺もお前も、思う事をやってきただけだろ」
「走り続けてほしいと思いながら、いつまでも危険な“物申す”を続けようとする君を止めたいと願っていた。てぇてぇに堕として、予測の範疇に留めたかった・・・・・・」
なだめる手が、タオルで縛られている。
鳴神の上で膝立ちした烏丸は、悲しげな表情で笑った。
「コラボ配信で分かったよ。気乗りしない君を横目で見ながら、僕の願いはエゴだったと。好きなように生きて、好きなように消える。それが君の望みなんでしょう?」
胸に手を置くお決まりのポーズで、烏丸は問う。
「僕がどうして、いつも胸に手を置いていたか、分かりますか」
目が動かない。空気の変化を、鳴神は察した。
それは殺意の現れだ。
「さあ、何だったかな・・・・・・」
気取られぬように、縛られた手首を回す。もう少しだ。
「君は自由だ。続けるのも、消えるのも。でも、世の中にはそんな風に選べない事情の者もいる。僕もそうだ。そして、君が渋谷で出会った歌うたいの娘も、そうだ」
「お前もその話をするのか」
烏丸はゆっくりと目を瞑り、開いた。
「彼女がこれからどうなるか、知っていますか」
「さっきの白サンタの言い分じゃ、プロジェクトが頓挫する・・・・・・さきちゃん?」
烏丸は、鳴神の首に、指を絡ませた。
これから起こることが想像できて、鳴神は抵抗する。
「やめろ!」
「そこから先を、見せてあげますよ」
指先に力が込められる。
気道を塞がれて、鳴神は喘いだ。
二人が乗ったベッドが激しく軋む。
「か、かはっ」
「僕が胸に手を置くのは、他者を無闇に傷つけないためです。ですが、今回ばかりは仕方ない。痛みを持って理解して頂きます・・・・・・!」
白目を剥いた鳴神が意識を取り戻すと、周りは霧に包まれていた。
「・・・・・・バーチャル彼岸に来ちまった、か」
一歩先も分からない霧の向こうから、人影がこちらへ近づいてくる。
「鳴神くん、こちらです」
「てめぇ、何てことをっ」
手を差し伸べた烏丸に、鳴神は噛みついた。
「仕方が無かったのですよ。僕の“現在からの予測”をヴィジュアルで伝えるには、君の意識を奪うほかありませんから」
「ソフトにやれよ・・・・・・」
「お陰で成功しました。あちらです」
烏丸が示した先は、霧が晴れていた。いつものバーチャル渋谷が、鳥の視点で上方から望める。
「もう少し拡大しましょう」
広げて伸ばすように烏丸が手を動かすと、拡大されたビル街の谷間に黒い車と、小さな人間(アバター)達が見えてきた。さらに拡大される。あのときの、フードを被ったピンクの少女だ。傍らに居るのは、彼女が被っているフードにデザインされた、口を開く深海魚がそのまま人間大のぬいぐるみになったようなアバターである。しきりに目元をぬぐっていた。
「別れの時間です。アレはあの娘の“運営”だ」
隣に、酷薄そうな男が一人。全部で三人。
「彼女はこれから売られるんですよ。あの“運営”は優しいが、大した力も無い。契約も言われるがままに結んでしまって、ほとんど取り分は0対10で働かされる」
促されると、少女は車の後部座席に乗り込んだ。
そして男が乗り込み、走りだす。
深海魚のぬいぐるみはいつまでも手を振っていた。
「彼女は、1年間も保ちません。モニターの向こうに笑顔を振りまき、終わった後には虚脱感が繰り返され、見返りは無く、少しも幸せではない。やがて、バーチャルに諦念を抱いてひっそりと消える」
烏丸は、相変わらず胸に手を置いて、語り続ける。
「・・・・・・これも俺のせいだって言うのかよ、さきちゃん」
鳴神は話の流れに抗議した。
「ろこくんと違い、僕としては君だけの責任ではないと思います。だけど、君が何も思わないのだとしたら、それはおかしい」
「俺だって変えてやりたい、この“やさしい世界”を!」
鳴神が叫ぶ。目の前にあるのは天井だった。
烏丸はもう、どこにも居なかった。その胸には、彼の着けていた髪飾りが置かれていた。腕を縛っていたタオルは解けていて、鳴神は髪飾りを手に取る。赤いリボンが垂れる、見慣れた意匠だった。
それでいいんです、と言い残された気がした。鳴神はやっとベッドから起きあがり、服を着替えた。今までパジャマだったからだ。
・・・・・・あのピエロの言葉が本当なら、もう一人現れる。ベルトを締め、いつもの黒い神父服に着替えた。鳴神裁がそこに在った。
烏丸さきの髪飾りは、ポケットに入れておいた。
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