鳴神裁の暮れゆく年に報いあれ

畳縁(タタミベリ)

鳴神裁の暮れゆく年に報いあれ Ep.1

 バーチャル渋谷は坂の多い街だ。

 新年を目前に控え、感情の昂ぶりを抑え込んだ界隈は、わちゃわちゃとしたいつもの猥雑さが雪でも降ったかの如くに形を潜め、落ち着いた様子を見せている。

 ただし、渋谷の密度だけは変わらず、流れの悪い血流のように大小多彩な人々アバターが行き交っていた。


 過密気味の流れには、あてどもなく歩く神父風の青年も含まれていた。ただしこの神父、とてもじゃないが神の加護があるとは思えない。

 黒いカソックの両の詰襟に配された、羽とオリーブの意匠はおそらく平和を表してはいるが、腰の崩したベルトなどは敬虔さから程遠く、先に向かってあちこちに跳ねた紫の髪は挑戦的で、その目は鷹のごとく光っている。どうやっても怜悧で、周りを身構えさせる雰囲気が漂っていた。


 鳴神裁。

 毎週オムライスのケチャップについてリスナーと議論し、ときに他者を証拠付きで糾弾する恐るべき執行人である。彼に葬られた者の数は、手指の数ではきかないほどだ。そんな彼が、今は自分が裁かれた顔をして歩いていた。自己の退屈と、他者の無関心という二重罰だ。


「平和で、やさしい世界、か・・・・・・」

 集中線のように上へと向かったビルの、その先の曇り空を見て、空っぽの言葉が口から出た。据わりの悪い椅子のように、落ち着かない。

 この世界は、もともと現実に疲れた者達を癒やすために造られた。


 優しさとは、停滞の裏返しである。そんな世界が、今は落ちずに生き残るための流動性を身につけようと、もがいている。鳴神もまた、そんな“優しい”世界を変えようと動いている者の一人だった。


 <一緒に年を越そう。に・・・・・・さんじ、年末の合同イベント!>

 建物に貼られた巨大なサイネージから降ってくる光や、声が、ざくざくと刺さる。

 大手事務所の興す華やかな企画とは、彼は無縁だ。


 自然と視線が落ち、街の隅の汚れに目がいった。こんな日もゴシップを求めて回る自分が、まるで自販機の底の小銭を探している無宿者のように思えた。果たして必要とされているのか?


 言い知れぬ惨めさを抱えて登った坂の、さらに狭まった階段をゆく彼の視界の端に、まばらな人だかりと、淡いピンク色の服が映る。ディフォルメ化された、口を開く深海魚のフードを被った少女が、懸命に歌っていた。喉を震わすような、独特の歌唱だ。一瞬、胸を叩かれる感覚に立ち止まったが、彼女の横でスタッフが掲げる立て札を見て、急に冷めた。


 <ライブ開催に向け、クラウドファンディング実施中>

 リスナー頼り。か細い糸だ。

「あの。どうか、・・・・・・お願いします」

 喋るのも苦手か。どうだろうな。

 たどたどしく周りに頭を下げる少女の様子を、鳴神は値踏みした。見かけてすぐにそうするのは、この世界に居るにつれ、染みついてしまった習性だ。長く知り合える者と、そうでない者を峻別してしまう。


 少女と目が合った。

「お願いしますっ」

 汚れの無い瞳にぶつかった鷹は、その目を逸らしてしまった。

 俺一人で、どうにかなるものでもない。

 少女は再び、周りに呼びかける。

 鳴神は、その場を離れて、また人の流れに乗り始めた。


 途中で流れは左右に分かれ、間を灰色の溜まりが遮っている。

 鳩だ。人の波間に、鳩が集まっている。

 誰が餌を巻いたのか、異常な数が蠢いていた。

 歩く列に沿って避けながら、不快なまなざしを向ける鳴神が瞬きした瞬間である。

 時が止まるのを見た。


 その鳩の集まりから、極彩色のアバターが現れた。身体の中心でバラバラに切り替えられた赤と青。商店のお祝いで風船を配るピエロそのものだ。

「Hai!」

 爽やかな声で、それは鳴神を呼び止めた。


「どこから出てきた、ピエロ野郎」

 やさせか、と指でサインを出して、不自然なピエロは自己紹介した。

「わたくしは道化の“悶絶拷問車輪”と申します。以後お見知りおきを」

 ピエロは胸に手を置いて、深々と頭を下げる。先の少女よりも流麗だが、端々に慇懃無礼さが透けて見える所作だった。


「悪いが、忘れるわ。知り合いになりたくないんでな」

 敵愾心を剥き出しにした鳴神の様子を、首だけ上げて確認した彼は目を細める。

「そうですか。まあ、構いません。わたくしはただの伝令なので」

「誰の」

 そう問われて、ピエロは形式的な笑顔を見せた。

「バーチャル存在にも神はいるのですよ。そして、貴方を見咎めた」


「神か。信用ならない名前を出すもんだな」

「その服装は、敬神を意味する筈ですがね?」

 黒いカソックを不思議そうに眺めるピエロに、鳴神は答えた。

「どちらかと言えば、懺悔を促すための服だ」

「威光を借りることに変わりはありません。その神が言われるのです。残念ながら、貴方は地獄に落ちる」


「へぇー」

 鳴神は腕を組んで、言葉を待った。

「その際は、車輪刑を課すように仰せつかっているのです。私がですよ。まったく、気が進みません。そこでね、よく聞いてください・・・・・・救済策を用意しました」

 ばっ、と指を突き出してきた。

「今夜現れる、三人のVtuberの言葉に耳を傾け、悔い改めなさい。それで恩赦が通ります。救われる」

 足下の鳩の群れが、無機質な目を浴びせかけた。

「う・・・・・っ」

「裁く身の貴方が、今宵は裁かれる側に回る。サーカスの道化よりも、面白い見世物になるでしょう!」


 言葉の勢いのままに、鳩が一斉に飛び立ち、視界は羽ばたきに埋まった。

 かばった腕を下げれば、ピエロの姿は鳩と共に掻き消えている。

 街の騒がしさが戻り、鳴神は渋谷の街に取り残されていた。

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