第26話【揺らぐ心】
俺と古泉は、店先で捲し立てるハルヒの声に引っ張り込まれるような流れで店内へと入った。中ではいつものメンバーに加えて、鶴屋さんと国木田が腰掛け、他愛のない雑談に興じている。
窓際のテーブルに固まって座っていた。誰かが何かを言うたびに、それに対して誰かが反応をする。件の試験や成績に関わることでもなく、ましてや非日常的な現象に絡むやり取りもない。俺はそれを半ば聞き流しながら、窓の外の景色を眺めていた。
外は空気はすっかり冷めてしまっている。その風に晒され続けている窓ガラスもまた、触れるとひんやり冷たいのだろうな。
「キョン! ちゃんと聞きなさいよ!」
やれやれ。
「お前は母親か」
などと言ってしまった。もう何度目かと思うことだが、この光景だけを抜き取ったら、気ままでありふれた高校生活のひと幕でしかないんだがな。そんなことを思った俺の脳裏に、先ほどの古泉の言葉が引っ付いて離れない。その古泉をちらりと見れば、先ほどまでの会話の内容はどこへやら。いかにも模範的な優等生の会話を繰り広げていた有り様だ。思わずため息をつく。
——古泉の深読み癖も、来るところまで来たんじゃないのか。
そんなことを思わずにいられなくなるほど、あいつの仮説やら推測やらを聞かされて頭が痒くなっていた。思わず後頭部を掻いてしまう。
目敏くもハルヒにその動作を見られていたらしく、
「不潔。頭洗ってんの?」
あまりにもあんまりな物言いをくらってしまった。
「まったく……」
古泉のたわごとは、杞憂の一言で吹き飛ばしてやりたい。起こってもいないことを今から心配してどうするんだってんだ。
ただ、そんな俺にも、あまり人のことは言えない。そうして甘く見ているうちに、ズルズルと事態に引きずり込まれていったことだって、無論あるわけで。
「だけどなァ……」
いかんともしがたし、だよな。だってまだ、何も起こっていないんだからよ。
俺の隣で国木田が、
「キョン。独り言が多いよ」
「まァな」
視線を外に向けたまま、そう返事をする。通りがかる人。走り去っていく車。風に煽られる街路の枯れた並木。俺はストローをくわえ、氷だけになったグラスでガコガコと音を立てていた。
ハルヒが突然テーブルに人数分の爪楊枝を広げた。いきなり何が始まるかと思ったが、やつは一本だけ先端を赤く塗り、先端の側を握って全員の前に差し出す。どうやら、くじ引きらしい。
「アタリを引いた人は、私からの質問に答えること」
それは世間一般的にハズレと言うものではなかろうか。
「なによキョン。不服?」
「アタリじゃなくてハズレだろ、それ」
つい素直な所感を述べた俺である。
ハルヒはなにやら口やかましく言っていたが、俺は別のことを思い出していた。SOS団としての活動が始まったばかりの頃のことだ。今と同じように、爪楊枝を使ってくじ引きをしていた。あの時は、今のような暇つぶしのタネではなく、班分けのくじ引きだったよな。
まずは鶴屋さんと朝比奈さんが引く。どちらも先端は素のままの爪楊枝だった。鶴屋さんは、赤くなかったことにちょっと残念そうにしていて、それもまた麗しい。
「外れちゃいました……。えへへ」
とんでもない。それはアタリでいいと思いますよ。麗しの笑みで俺を癒してくれる彼女の仕草に、改めて感謝を捧げたい。
長門は機械的な動作でハルヒから爪楊枝を引き、先端が赤くないことを確認してから、そのまま手元に置いた。その時になぜか俺の方を見る。こいつなら百本中九十九本が赤くても、素の爪楊枝を引きそうな気もするがな。
「さァ、キョン。引きなさい」
やれやれ。言われるがまま、二本残った爪楊枝のうち一本を抜く。
案の定、アタリという名のハズレを引いたのは俺だった。
圧倒的な俺のアタリもといハズレ率を誇ったくじ引きからのハルヒの質問攻めに、俺はすっかりへとへとになっていた。
言い出しっぺのハルヒもどこか気が晴れていないような顔をして、
「結局、よくわかんなかったわね。キョンの中学時代の話」
なんてことを言っている。
「話題がなくて悪かったな」
「別に。アンタの過去なんて毛虫の毛ほども気になったりしないけどさ。せっかくだからゲロってもらおうと思ったのに」
喫茶店が取調室を兼ねていたとはね。
ただ、ちょっと待ってもらいたい。ハルヒの質問攻めで、もう既にたいがいゲロった通り、俺の過去をして恋愛の話だなんて言い草は、飛躍もいい所なわけだ。
「キョンくんはそう言うけど、私も気になるっさー」
鶴屋さんまでそんなことを言う。
なぜだ。そしてこの話が続くほど俺の背中にピリピリとイヤな電流を走っているような気がしてしまうのもなぜだ。
「なぜならばっ!」
なぜならば?
「女子と恋はセットだからっさ! というわけで、キョンくんへの取り調べを続行しようっ」
勘弁してくださいよ、鶴屋警部。
「ならっ、取調べらしくカツ丼でもたのむかい?」
あれ、後からお金取られるんでしょ? 結構です。
「そもそも喫茶店にカツ丼はないよねー」
国木田。ナイスツッコミ。
この話の流れに、いい加減助け船を求めたくなったわけではないが、つい長門の方に視線を遣った。ストローをくわえたまま瞬きもせずに、俺を見ている。
「しかし試験前だってのに、結構呑気だよね、僕ら」
国木田が、ポツリともらす。隣で鶴屋さんが背中をパシッと叩いた。
「だったら、明日からまたビシバシ頼むよっ!」
「が、がんばります……はは。——だけど」
だけど?
国木田が、いつもの飄々とした調子で言葉を続ける。手元にホットコーヒーからはもう湯気が立っていないようだ。
「こういうのも、かえって息抜きになっていいのかも」
古泉が頷く。深く。
「ええ。こうした日常が続くことを、願うばかりです」
それから、俺にしか聞こえないくらいのか細さで、「——本当に」と言っていた。息に紛れるような小さな声だった。ため息がでるね。実に思わせぶりなことを言いやがる。
それは国木田も同感らしく、
「随分と、感慨深いことを言うんだね」
「元来が心配性なもので」
今度は、国木田の隣に座っていた鶴屋さんが、ふたりの会話に猫のような笑みで割って入った。
「さっすが樹くん! その思慮深さ、副団長に必要な素養ってやつ?」
「恐縮です」
心配性、ね。
もしかしたら、これまで超常現象に付き合わされ続けた古泉の身の上だからこそ、そんなことを思ってしまうのかもしれないな。超常現象と日常の間で揺らぐあいつの、あいつなりに思うところがあるのだろう。
「こうした日常、か——」
「なんだい。キョンもしみじみ?」
まァな。
外で風が吹いた。喫茶店の窓が軋む。まるでノックしているかのようだった。
そう。今はまだ、何も起こっていない。
——本当にそうか?
結局のところ、その考え自体が、俺の目論見の甘さを物語っていたわけだ。
やれやれ。
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