第13話【ハルヒの閑話休題】

「みくるちゃん。みんなにお茶、淹れてあげて」

 ハルヒに命じられ、反射的に立ち上がる朝比奈さん。その素直さに俺は改めて心ときめく。ハルヒは人差し指を突き立て、指を柔らかく振りつつ、

「休憩といっても雑談タイムじゃないわ。時間がもったいないものね」

 と言ってのけた。では、何かしでかす気なのだろうか。ハルヒは軽快に二の句を継げる。

「あたしがテストをしてあげる」

 ——なるほど。これがやりたかったのかと、密かに納得する俺であった。

 珍しく勉強のやる気スイッチがオンで点灯していた折の中断で、やる気が徐々に削がれていく俺なのだが、朝比奈さんがお茶を手渡してくれたことでそれも一気にフルチャージ。無垢な子どものように単純な俺だ。いやあ、いつもすみませんね。

「ありがとうございます。朝比奈さん」

 俺がそう言っただけで、彼女は可憐な笑みを返してくれるのだ。五臓六腑に染み渡るね。

 さて、俺は勉強詰めの中で彼女から手渡しされたお茶が極上の霞に見えていた頃だ。表情は緩んでいたのだろう。ハルヒがじとっとした目で俺に話し掛けてきた。

「ちょっとキョン、あんた何鼻の下伸ばしてるのよ。たるんでる顔だわ」

 もともとこんな顔だ、悪しからず。

「だったら、特別にランクアップしたテストを出してあげる」

 ——すぐこれだ。困ったものだ。鼻の下を伸ばしたという実感は俺自身まるで無いのだが。

 ハルヒがそこまで俺の表情について熟知しているとはかえって驚きってモンだ。

「やれやれ……」

 ささやかな溜息が出る。その小さな声に敏感にも反応したヤツがいて、それはもちろん古泉だった。

「いいではないですか。関係者揃えてワークショップ。健全なことこの上ありません。損をする人間は誰もいませんよ」

 その損得勘定に、振り回される俺の労力は算入されているか?

「あなたがそう感じているのは、あなたが彼女に最も近いところにいるからですよ。でも、いつものことではないですか」

 荷が重い。

「なんであんなに元気なんだろうな。あいつ」

 軽快な口調で何かを宣いあげているハルヒを見つつ、愚痴がこぼれた。古泉が朝比奈さんの淹れた熱いお茶を口に含みつつ、聞き飽きた気障な口調で何か言っている。

「彼女の元気の秘訣、ですか。決まっているでしょう。涼宮さんにとって一番のやる気の素があなたの存在だからですよ」

 まったくもう……いけしゃあしゃあと。これだから古泉は、頼りにはなるんだが、たまにこそばゆい。

「照れているのですか? 柄にも無く」

 やれやれ。一人で言っていなさい。

「失礼。ですが、おおよそ事実ですよ。このSOS団——今は涼宮アカデミーも含め、この存在が、現時点で彼女が最も活力を感じられる場所なのでしょう。僕個人としても、ここには他と異なる感慨を抱いていますし、あなたもそうではないですか?」

「どうだかな」

「最早、セットなのかも知れません。彼女にとってあなたは」

 もし帰りてぇ、って言ったらどうする?

「罰ゲームを味わいたいのでしたらどうぞ」

 古泉が軽いウインク混じりに言った。やめろ、俺への仕草に茶目っ気をこめるな。そんなものはお前に黄色い声をあげているやつらにくれてやれ。

「あなたはそう仰いますがね。段々と落ち着いてきいてるのも事実ですよ。以前でしたら他人に構う、とりわけ他人の勉強を見るなんて考えられません」

 それもわかっているさ。俺は改めて、深い深いため息をつく。もちろん、ばれない程度にな。

「毎度毎度のことだが、どんな形だろうとあいつがああハイテンションになる度に、俺は足が棒どころか枝になるほど疲労が蓄積されていくんだよな。お前もわかっているなら、たまには労ってくれ」

 なんだろう、この疲弊したサラリーマン感。近年騒がれている社畜ってやつか?

「でしたら、良いマッサージ師とエステティシャンを紹介しましょうか。あと疲労に効く湯治場も。あなたの言う疲労そのものを吹き飛ばしてくれますよ」

「……お断りだ」

 そう言うと、肩を竦める古泉。正直、かなり魅力的に思えたが、如何せん古泉の紹介。慎重すぎるくらいが丁度いいのだろう。

「ならば、今まで通り頑張りましょう。我々としても、あなたには期待していますから」

 していらんわ。そんなもん。

「ほら、そこの二人! 私語はやめ」

 ここでバレた。俺と古泉はテキパキと淀みなく姿勢を正す。ハルヒへの対応も慣れたもんだ。


 いよいよハルヒが調子をあげてきた。やや早口気味に「よし!」と語気を強める。

「文系の勉強をしていたみたいだから、現社の問題を出すわよ」

 こいつの考える現代社会——。胡散臭いことこの上ないな。おかげでつい俺も口が滑ってしまった。

「とりあえず、お前の考える社会像と現実のそれを合致させてから、また来てくれ」

「なァにヒトを社会不適合者みたいに言ってんのよ。ていうか、何なのその立ち位置。どこのポジションからモノを言っているヒト?」

 ムッとしたらしいハルヒの手痛いツッコミをくらう。

「あたしはいたって常識人よ。あたしの常識を社是に涼宮アカデミーはまわっていくから、そこんトコよろしくね!」

 そう言ってハルヒは、手を両脇に添え背筋をピンと伸ばす。もう何度目だろう。俺は実に深くため息を吐いた。


 その、とりあえず、なんだ。

 そこの三人を無闇に刺激するようなことを、あけすけに言わないで欲しい。


 今のハルヒの言葉によって古泉は目を細め、朝比奈さんが途端に焦りだし、恐らくだが長門は動きそのものが完全に止まった。そこまで理解できるようになってしまった自分が恨めしい。

「どうしたのさ、キョン」

 国木田が俺の表情の機微を読み取ったらしい。伊達に付き合いは長くないな。

「いいや、なんでも」と誤魔化した。国木田のきょとんとしたカオ。さて、なんと言ったものか。

 すると、鶴屋さんが俺の背中を叩きながらフォローに入ってくれた。

「なんでもないさッ。にょろ!」

 そう言って、それから国木田と話し込みはじめ、雑談の空気になった。鶴屋さんの適切なカバー。間に入ってくれるヒトがいるというのはありがたいものだ。ただ、思いのほかバシバシ叩いてくださったので、若干背中がシビれているけれども。

 ところでハルヒは俺たちの些細なリアクションなどお構いなしに、ぐいぐいと話を進めていく。

 しかしな、ハルヒよ。

 こうして知らされた側になってしまった俺からしたら、お前だってもう少し周りを見渡せば見えてくるものもあるだろうに、とも思ってしまうんだ。宇宙人、未来人、超能力者。これ即ち青い鳥だろう。

 この場合、運ぶのは幸せだけとも思えないんだけどな。

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