第12話【つるくにハイタッチ】
ハルヒの巻き込み事故の影響が一学年上の世代にまで波及していたらしい。涼宮アカデミーのワークショップに参画することとなった当の鶴屋さんだが、彼女自身相当乗り気で教官の腕章を身につけ、教鞭を軽やかに柔らかく振るっていた。
ハルヒ曰く、
「みくるちゃんのためにも、参加してもらっていい?」
「あはは、面白そうだっ、やるやる」
即答だったそうだ。いかにも鶴屋さんらしい受け答えで参加が決定したらしい。
ハルヒから腕章を受けとったあたりで、彼女は国木田に気付く。
「おやおや、国木田くんじゃないか。お久しぶりっ。君もハルにゃんに連れてこられたのかい?」
国木田は、鶴屋さんのグイグイ食い込むような話しかけ方に若干驚きつつも、
「同じクラスですから」
と、さらりと返した。
「そうかっ。ほお、君も教官なんだねっ。あたしも教官なのさっ。一緒にがんばろっ国木田先生っ!」
鶴屋さんは右手を上げ、国木田にも上げさせてハイタッチ。不意に国木田が頬を赤らめながらも応じた。何をしているんだ。
「よ、よろしくお願いします」
丁寧な奴。
鶴屋さんはそのハイタッチした手を握ったまま、にっこりと笑いながらそんな国木田を眺めている。二人とも、そこでニヤニヤしていないで早く手を離してくれ。そこはかとない青春の発露に当てられている俺が死んでしまうぞ。
国木田。そういう羨ましい役は、今度から俺に譲ってくれないか。
こうして、俺をいじるだけのハルヒ学長をトップに据え、そのワキをがっちり固める割とやる気な教官が二人、というシステムが完成してしまったわけである。
朝比奈さんは鶴屋さんと協力しながら古典に苦戦。
俺は国木田の手を借りて英語に苦戦。
古泉と長門は普通に独力で何かをこなしていた。今回ばかりは、確認する余裕もない。
なら何故、朝比奈さんの進捗は把握していたのかだって?
——当然、気になるからだよ。
その朝比奈さんは、古典に取り組んでいる。鶴屋さんとの会話のやり取りに聞き耳を立てて把握する限りでは、おそらく敬語の用途と使い分けだ。そのくらいなら俺も理解できるようになってきた。朝比奈さんが遠慮がちに尋ねている。
「ここは語尾に『けり』が使われているから、過去形で訳すんじゃないの?」
鶴屋さんは元気に朗らかに答えていた。
「これは和歌だから、詠嘆で訳すといいよ!」
いやあ、勉強って実にいいもんですね。心ここにあらずの俺が言っても説得力はゼロだが。そんな癒しの光景を見て荒んだ精神を回復していた俺を、ハルヒ学長がねめつけた。
「なに、ニヤニヤしてんの。あんたは他人より自分の心配をしなさい」
ごもっともで。
教官役の国木田は、長門や古泉同様に独力で真面目に取り組んでいるが、時々ハルヒや鶴屋さんの手を借りつつ、色々とこなしていた様である。見たところ、国木田から質問をしに行くこともあれば、鶴屋さんの方からちょっかいを出すこともあるみたいだ。学年が上になれば判る。だから色々教えてあげる、と言った風だな。羨ましいことこの上ない。
しかもこの二人。妙に会話が弾んでいるのだ。何か特別な内容というわけでもないが、ただなんとなくでなされている二人の会話、その何気なさにも雰囲気が出ている。
なんだこれは、幻覚か。慣れぬ勉学に勤しむあまり、青春を求めている俺の無意識が幻覚を引き起こしているのだろうか。……いやはや。その真っ当な青春丸出しの光景は、俺の心に真っ直ぐ突き刺さっていた。
これは少し余談だが、朝比奈さんの時代から考えて、古典ってどれほど昔の話なんだろうか。俺がいる現代から見ての古典は、彼女の時代からしたら更に昔の時代の文学ということになるわけだ。こうしてタイムマシンが存在して、時代を逆行する技術が確立された時代が確かにあるのだ。実際に見て直接自分で日記をつけてしまえるような人たちが、改めて古典を学ぶ意義とは。——まァ、そんなことを言い出したら、俺たちにとっての現代文も同じことが言えるか。ただただ真実なのは、ここに未来からきた可憐な少女がいるということだけだ。
というわけで、古典に苦しみながら品詞やら最高敬語がどうやらとつぶやいている朝比奈さんと鶴屋さんの楽しい四苦八苦を快いバックミュージックに、俺は英語を相手取って奮闘している。古典もそうだが異国の言語も大概だ。俺は国木田教官の存在のありがたさをひしひしと感じつつも、こんな七面倒くさい言語を作り出した野郎の口にハンバーガーを押し付けてやりたいという見当違いな恨みつらみを募らせていた。設問をひとつ解くたびに国木田の明快で快活な解説が入る。これが本当に重畳だった。
「加算名詞と不加算名詞はちゃんと区別する。ひっかけが多いんだよ」
まずこの細かさよ。
「イディオムはそのまま覚えてしまおうよ。文法ルールと一緒で、知っていれば二秒で解けるし、知らないものは解けないよ」
そしてこの種類の豊富さよ。
「この場合は形式主語。だから実際の主語的な文章は後ろの方にあるからね」
さらに、日本語的な感じ方だとやたら変則に思えるルール。
懸命に説明してくれる国木田には申し訳ないが、なかなか頭に入ってこない。言語の難解さもそうだが、俺の理解度の低さの方も問題ではないか。むしろ俺の方が問題なんでしょうか。——問題なんだろうなァ。
だが俺は思う。こうして自分の不甲斐無さに落胆しつつも、しばらく経てばそれも忘れてけろっとしているのだろう。だから今の成績は低空飛行なのだ。それもまた悲しい。
割合、真面目に取り組まれている涼宮アカデミー冬季学習強化期間のワークショップ。その中で俺が悪戦苦闘しはじめて幾らか時間も経った頃、ただ見回ってただけで存在を忘れられていたとも言える人物が、言葉を放った。
「あんたたち、休憩にしなさい!」
鶴の一声だ。鶴屋さんの一声ではない。それでそれぞれがペンを止める。おかげで俺も集中力の糸が切れた。力のない声が出る。
「休憩だって?」
「休憩よ。お疲れ様」
俺達の視線がハルヒに集まる。すると、途端に晴れ晴れとした顔つきに移り変わっていくのがあからさまに見て取れた。
まさか、構ってほしかったのだろうか。
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