第10話【放課後。帰路に差す夕の陽】

 さて、この日の涼宮アカデミーもとい単なる勉強会は、無事かどうかはともかくとして一旦終了し、その参加者は皆全員で帰途を共にすることとなった。今日は人数がいつもより一人多く、それはもちろん国木田だ。

 最前列でハルヒと朝比奈さんの会話が弾み、そのすぐ後ろで長門が読書に勤しむ。最後尾には俺と古泉と国木田が続く形となった。はたから見たら、健全な仲良し高校生たちのごくありきたりな帰り道だったろう。問題は、間違っても健全とは言い難いその中身であるわけだが。

「キョン。なにトボトボ歩いてんのよ。もっとシャッキリなさい」

 お前は母親か。

「余計なお世話だ」

 そう答えると、ハルヒが鼻をフンと鳴らす。それからすぐに朝比奈さんとの雑談に戻っていた。

「長門。俺、そんなにゆっくり歩いていたか?」

 俺の後ろを歩いていた無機質的寡黙少女は、本に向けていた視線を一瞬だけ俺の方にやると、微かに首を横に振ってからすぐに視線を本に戻した。薄いといえばあまりにも薄い反応だが、俺に対してはこれでいいと思っている節がある。まァ、実際のところそれで十分伝わるから構わないのだが。

 徒然に遠くへ目を向ければ、空を横に割る地平線の上あたりに夕焼け色の光芒が望めた。雲間から光の筋が何本かこぼれるアレだ。小学生の頃は、あれに触れたら気持ちがいいんじゃないかとか、そんな他愛のないことを考えていたっけな。鈍色の曇り空に覆われていた空に、西日の晴れ間を見た瞬間だった。

 それで俺の歩調がついゆっくりになる。そのままぼんやりと中空を眺めていた俺を、ハルヒはまたねめつけるような顔をして、

「なによ、キョン。今度は表情が緩んでるわよ」

 まったく、逐一俺を観察でもしているのか。最前列からいちいち振り返るなよ。

「本当にたるんでいるんだから」

「やれやれ」

 実のところ、俺自身の表情が緩んいたことはなんとなく察しがついていた。

 吐く息が白んで、それが冬風に浚われて消える。

 夕の陽の在り処を感じられただけで、その風がどことなく心地よく思えた。


 帰り道の途中、俺たちは気まぐれにいくつか寄り道をした。

 まずは帰途のコンビニに全員で寄り、珈琲を片手に寒空の下、とりとめのない話題の種を寄せ合って雑談に花を咲かせる。軽妙に話しあいながらふと夕焼けの方を眺めてみると、さっきの光芒がこぼれていたあたりの空は雲が払われたらしく、顔を見せた西日が俺たちの立つコンビニの駐車場のあたりまでまっすぐ差し込んできた。地平線に溶ける夕陽が目に優しい。見上げる空がいつもより澄んで高く思えた。古泉の首に巻かれたマフラーが風に靡いて、一層キザに映る。朝の戦隊ヒーロー物に登場しそうな塩梅だ。

「それは、お褒め頂いていると認識してよろしいのでしょうか」

 と言って、求めてもいない笑みをこちらに寄こしてくる。文字通りの甘いマスクだな。ところで俺の関心は、古泉の隣で朝比奈さんにマフラーを巻きなおしてもらっている国木田の方に移っていた。

「はい、できました」

「あ、ありがとうございます」

 俺と代われ。

 なんて羨ましいやつだ。前世でどんな善行を積んだんだ。本当に俺と代わってくれ。素直に嫉妬せざるを得ないじゃないか。

 そんな国木田にやんわりと物を申してやろうと一歩踏み出すと、俺の背中になにか体重がかかる感触があった。俺の歩調に合わせて背中に何かがくっついてきている。首だけ振り返ってみると、器用に後ろ歩きで俺にくっついてくる少女の背中があった。長門だ。嫉妬の火が線香花火のように灯る俺の背中にこいつがこれまた背を向け合って立っていたらしい。背中がほぼくっついているんじゃないかというような距離感で後ろに居ついている。もしかして寄り掛かりたいのか。相変わらず読書に勤しみながらだ。

「そんなところに突っ立って読書して、寒くないのか」

「おかげで」

 どういう意味だ。俺は風避けか。

 そのときのハルヒは、珍しく無口で突っ立っていた。——空を眺めているのか。

 冬風にハルヒの髪が靡く。差し込む西日に目を細めつつも、じっとそれを見つめている。やつの吐息が唇の先あたりで一瞬だけ白み、すぐに消えた。

 やつは手ぶらで、珈琲カップはどうしたのかと思えば、古泉が隣に立って二人分を手に持っている。あれも副団長の仕事ってやつなのかね。

 しばらくじっと夕焼けを眺めていると、いつもの様子に戻り、古泉に預けていた珈琲カップを受け取ってまた何やら話し出す。

 なんとも珍しいものを見た気がしてならない。感傷に浸っているハルヒの姿だ。


 それからも寄り道は続き、商店街のアーケードを通り抜け、その先の住宅街の家並みにポツポツと在るアパレルなセレクトショップのショーウィンドウを一通り歩いては眺めて通した。無論、買う金は無い。見て楽しむだけだ。ハルヒが臆面もなく店内に入ろうとしたところをどうにか制止する。いかんせん制服では入りづらかろう。

「そんなの、あたしの勝手でしょ」

 ドレスコードって言葉があってな。また今度にしてくれ。

 そうして近辺を歩き倒し、全員の歩調が落ち着く頃には、陽が沈みかけ夜がゆっくりと近づく時分に移ろうとしていた。俺も歩くペースが自然とゆっくりにはなっていたものの、不思議と疲れはない。日常の中で、どこか不思議な充足感が俺の中にあった。それってつまり、良い日常だったんじゃないか。

 しかし、たまにはこういう日常もないと、俺の身がもたないってものだ。

 宇宙人、未来人、超能力者。そしてハルヒを中心にして巻き起こされる超常現象の数々。それはそれで俺の頭を悩ましつつも、非日常の中にいる自分を自覚できて、ある種新鮮だったと思えなくもない。ないが、俺はいつも必死にそれを乗り切っているんだ。日常だって欲しくなるさ。

 いつもの喫茶店の前のあたりで、

「じゃあ、皆。今日は解散。また明日ね」

 夜に差し掛かる前の外が段々と暗くなっていくなか、馴染みの喫茶店の中から漏れだす照明の明かりがハルヒの姿を照らしていた。

 一人、また一人と俺の帰り道から消えていく。俺も家路を辿らねばと、柄にもなくこの日常をかみしめながら家へ向かって歩く自分がいた。容赦のない冬の凍てついた北風も、今の俺にはどこか清々しく思える。

 二月もたまには悪くない。

 そう思えただけでも、今日はいい日だったと言えるだろう。

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