第8話【教官に任命します】

 国木田がハルヒから受け取った腕章には、ハルヒの腕章に記された字面とはまた異なる二文字が記されていた。「教官」である。

 ハルヒは、その意図を誰ともなしに説きはじめた。別に俺たちのうち誰かが講釈を求めたわけでは断じてないが。

「国木田は今日からしばらく、このSOS団涼宮アカデミーの臨時教官よ。誇りを持ってあたしに尽くしなさい」

 唐突に無茶をぶつけられた国木田は、腕章をピンで留めながら問いかける。

「ようやくおぼろげながら見えてきたんだけど……つまり僕は、ここでみんなと勉強するために呼ばれた、って解釈でいいの?」

「指導のためよ。ま、そのための努力なら認めてやらんでもないけどね」

 それに国木田は「そっか」とだけ小さく呟いた。

 自分なりに納得したのだろうか。俺の様に、無闇な反論を試みることはないらしい。さらに驚いたことに、なんとハルヒに軽く笑顔を見せている。そしてやつはさらに言う。

「それならいいよ。旧館は静かだから集中できそうだし」

 俺はこいつの反応に少しばかり驚いた。こんな状況でもハルヒに笑顔かませる男なんて、俺の知る限り古泉だけだ。想定以上の順応性と適応能力。——なかなかやる。

 これにはハルヒも驚いたらしい。俺とは少し異なる理由ではあるが。

「教室でもそう言ったじゃない。アンタ、何気に人の話を聞いていないのね」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。あの——なんというか」

「何? 怒らないから言ってみなさい」

 本当に怒らないと誓えるか?

 国木田はおずおずと、

「す、涼宮さんのことだから……」

「あたしのことだから、なによ。ハイ、答えて」

 ハルヒに促されるままに言葉をつづけた。

「適当な理由だけつけてどこか怖い所にでも連れて行かれるんじゃないか、とか——そんなことを思っていたからさ……はは」

 成程。わかる。

 だが無論、当のハルヒは気に入らないようだ。

「あたしをなんだと思ってるのよ。極めて心外だわ、まったく」

 お前の認識がたとえそうであっても、一般人から見れば国木田の方が遥かにスタンダードなんだよ。同情するぜ、国木田。心の中でな。

「まあいいわ。じゃあ、最初の指示。今日から試験までの日数を逆算して、学習の計画を立てなさい。そして、早速実行に移すのよ!」


 この日のここからの動きは若干地味なので、ある程度割愛しながらにとどめておく。ハルヒの長ったらしい大上段の説明やらを逐一ここで披露したところで、脂っこいラーメンを胃袋に流し込むようなもので、しつこいばかりだ。だからここは、団員の活動を中心にして俺がかいつまんで説明しておこう。

 試験まで、もう両手で数えるくらいの日数しかない。その幾ばくかの心もとない日数では、できることも限られているので、いったん試験日までは部室で自学自習、自宅では復習というサイクルを徹底するという方針のもと、学習計画を作ることになった。この時点で、俺の脳みそとそれに連なるシャープペンシルが気怠さに支配されていくのを感じる。

 それだけでなく、当然ひとりひとりペースが異なり、朝比奈さんは学年まで異なるので、概ねの部分だけハルヒがザックリと決め、具体的に何をするかはこちらで考えることになった。

 なお、ハルヒ自身は勉強する素振りを一切見せない。コイツ、本当に勉強するつもりがないのだろうか。

 上級生の朝比奈さんは、試験範囲は異なるものの計画作成には参加していた。古泉はいつも通りの笑顔で、長門もまたいつも通りの無表情のままで淡々とペンを走らせている。

 そして、案外楽しそうに取り組んでいたのが国木田だった。軽快に走らせていたシャープペンシルを顔に寄せつつ、言う。

「なんだかんだ言って楽しいというか、ちょっとやる気が出てきたかな、なんて」

 やる気の問題なのか。

「モチベーションは大事だよ。今まではひたすらに勉強してたって感じだったっていうのもあるけど」

 そう言いきったところで、ハルヒが奥の団長机から口を挟んだ。

「国木田。あんたはあたしと同じく教える立場の人間なのよ。その自覚を持ってやってちょうだい」

 団長机のパソコンで、おそらくネットの世界を徘徊していたであろうハルヒ学長様の、有難いご忠言である。わかってるよとでも言いたげな笑顔をハルヒに向けた国木田であった。


 ちなみに、俺はペンを全く走らせていない。


 理由は明白。俺は未だ嘗てこのような計画の類に一度も取り組んだことがなく、なければ当然、何をどの様に対処したらよいのか皆目見当がつかないのだ。

 その状況に敏感にも反応してきたのが——まあ予想通りだが——涼宮ハルヒ学長様だ。

「ちょっとキョン。まだ一文字も書いてないじゃない。何やってんの?」

 俺は深い深いため息を吐く。

「そうは言ってもなあ。俺にとっちゃどうすりゃいいのかさっぱりだ。古泉、お前のやつ見せてくれないか」

 古泉は軽く微笑む。

「構いませんよ。まだ途中ですが、どうぞ」

 すると、ハルヒがまたもや横やりを入れる。俺を見張っているのか。見張っているんだろうねぇ。

「だめよ。アンタが古泉くんのペースについていけるわけないでしょ」

 えらい言われ様だな。しかし、事実なので反論する気にもならない。結局、俺はふたたび白紙の一枚紙を見つめる作業に戻ったわけだが、しばらくするとハルヒが俺に手を差しのべた。物理的にだ。

「貸しなさい。アンタに相応しい計画を立ててあげる。そもそも、一番危ないのがアンタなんだから」

 俺は一瞬躊躇し、さらに逡巡したが、遂には渋々ハルヒに手渡した。計画書という名の地雷原が出来上がりそうだ。案の定、ハルヒは俺から奪い取った白紙を手に取っては自分の席に戻り、なんとも楽しげな表情で作成し出していく。

「やれやれ」

 と、これを口に出さずにいられようか。

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