第15話 帰還
秋も深まった頃、そろそろ雪がちらつく頃にオルヴィスはウッドワイドへ帰ってきた。まず最初に行ったのは、マスターの店『雨宿り』だった。勢いよくドアを開けると聞き慣れた鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませ」マスターの安心感のある低い声が懐かしかった。そのマスターのコップを磨く手が一瞬止まった。「オルヴィス。オルヴィスかオマエ」
「オレが幽霊に見えるかい?」
「見える」とマスターがふざけたことを言った。が、本人はふざけていないようだった。「だって、オマエ、もう二度とこの国には戻らない、みたいな言い方したじじゃねーか」
「誰だそんなことを言ったの。オレは二度と戻らない、とは言ってないと思うよ。命がけで行く、とは言ったがね」
トレイを手に持ったフールムとも目が合った。
「オマエ、よく生きて帰ったな」
「死ぬことも選べたよ。臆病心に駆られて選べなかった。選んでもロクなことにならなかっただろうな」
「その臆病がオマエをこうしてここにいる救いにつながったのなら、オマエは臆病じゃない。オマエはいつも言うだろう。死んだら負けだ、と。なにがなんでも生き残ったやつの勝ちだ、ってよ」
まあとりあえず座れよ、と誘われてカウンターの席に座った。生クリーム入りのココアを出してくれた。
「ありがとよ」
「今日は俺のおごりだ。帰還祝いにな。ところで、奥の厨房でフリーダが休憩してる。飲み終わったら会いに行ってやれ」
「ああわかってる」オルヴィスはちらりと奥に目をやった。すぐに飲み干し、カウンターを曲がり、厨房へ向かった。戸をノックした。
「はい。いま行きまーす」
懐かしいフリーダの声だった。落ち着き払った大人の声でいながら幼なじみの頃の少女の面影も残した声。この声から離れてすでに一年以上になる。声でここまで癒されるとは思いもよらなかった。
「入っていいかい?」
「え?」奥でフリーダが慌てている様子が物音でわかった。ゆっくりと戸を押し上げた。金具の摩耗したキィィと音を立てて開いた。
「ただいま」と声をかけた。テンションを上げて明るく声をかけられないのがオルヴィスだった。一年ぶりだというのに淡々とした挨拶になった。だが、その淡白な反応を打ち消すかのようにフリーダの目から涙があふれ、オルヴィスの胸に飛び込んできた。
「バカバカバカバカバカ。死んで帰ってこないかと思ったよぅ…ふぇぇぇん」
フリーダは子供のように泣きじゃくった。その彼女に軽口を飛ばした。
「あまりオレに抱きつくな。旅で汚れた上にクセェぞ」
顔を見上げたフリーダの鼻が真っ黒になっていた。両手も真っ黒だ。
「手と顔、洗ってから戻れ」
「オルヴィスもちゃんとお風呂に入ってね」
「山小屋に戻ったら、湯浴びするさ。ところで、ガードリアスはどこにいる?」
フリーダの顔が急に沈んだ。オルヴィスはハッとなった。フリーダの肩をつかんだ。
「お、おい、まさか、戦死したっていうんじゃないだろうな」
フリーダがこくりと小さくうなずいた。
「なんで!」
「イタイよ、オルヴィス。肩離して」
「スマン、悪かった。つい気が動転してな」
「なんでって言われても戦争だからね。敵兵士に矢を受けてね、その傷が元で亡くなっちゃった」
オルヴィスは顔を手で覆い、天を仰いだ。痛恨の極みだった。あいつは一度自らの意思で除隊して、戦いから離れたはずなのに、神聖サハルト帝国との戦争が激化するにつれて男は強制的に兵役を課せられ、ガードリアスは自らの意思でふたたび戦場へ戻った。国家や戦争という暴力に振り回された人生だった。フリーダの勤務が終わると、オルヴィスは墓まで案内してもらった。オルヴィスの森の外れの、なんの変哲もない地面だった。年月が経てば、藪に覆われて見えなくなるような。
「ここがいいってガードリアスが亡くなる前に自ら言ったんだよ。あそこはオルヴィスの森だが、あいつならここでいいと言ってくれるだろう、って」
「当たり前じゃねーか」
それより森の狩人であり、自分と同じく森や動物をこよなく愛するあいつにとっては、ここしないだろう、と思った。共同墓地はあいつらしくない。
墓碑にはこのように刻まれてあった。
『土に還り、生物の養分になり、生き物から生き物へつながっていき、そうやって循環していれば、僕は永遠に生きていくことになる』
「ガードリアス、亡くなる間際にこう言っていたよ」手を合わせた後にフリーダが言った。
「なんて?」
「僕は兵士の一人にすぎない。そしてこの世から不条理に死んでいくもの一人にすぎない。だけど、僕が死んでおかげで生き残った命も一つくらいはあるだろう。そして、兵士の一人にすぎないけど、戦死者としてまとめて数えられるほど、僕にとっては安い命じゃない。墓碑にカッコイイことを刻んでもらったけど、僕は死ぬのが怖い。死んだらどこへ行くんだ? 頼む、誰か教えてくれ。僕は怖い。一人で死にたくない。誰か一緒に死んでくれ、お願いだ、フリーダ、君でもいい、って」
すがりつかれてどうしようと思っちゃった、とフリーダにも嘆きの跡が色濃く残っていた。オルヴィスは静かに声を押し殺して号泣した。ガードリアスを戦争へ引きずり出した国や運命を恨んだ。戦争へ行かされなければ失うことのない命だった。そして結局、戦争を根絶するやり方はわからずじまいだった。
「バカなやつだ」オルヴィスはこぶしを握りしめ、墓碑を叩いた。「オマエは兵士の一人にすぎなくても、戦死者の一人でも安い命でもない。オマエにとっての命は、オレにとっては唯一無二のものだ」
フリーダはめずらしく悲嘆をあらわにしてオルヴィスの震えた背中に声をかけることができなかった。
(了)
不戦の誓い4 早起ハヤネ @hayaoki-hayane
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