第五死「ストレイデッド」

人の目を見て、泣く子が居た。

人と顔を合わせて喋ろうすると、泣き出す子になってしまった。

そして最後にどうなったか。

彼と別れた私は知らない。

高校に進学する際に、別々の道に進んだ私は、彼と唯一話せる仲だった。

他人であれば、挨拶から軽く話す事さえ不可能な彼が、私にだけは、朝食のパンを咥えたまま手を引いて学校まで走ってる登校中に、宿題が終わってないだの欲しいゲームがどうだの話してくれたのに。

私自身は、それをどう思っているのかは分からない。

ただ、成績だけは良い彼に着いて行けなかった事を、悔やんだりもした

……話せる相手に、恵まれて欲しいというのは、私の傲慢でなければ良いのだけれど。

あれからもう何年だろうか。

私はもう、小じわに悩まされる年齢になってしまった。

後は、会社の子達に次々と旦那さんが出来ていってるのを、親からグチグチと聞かされる事に悩んでるかな。

私も、身を固めないといけないのは、思ってるんだけどね。

……君は今、何に悩んでるのかな。

出来ることなら、会って話してみたいと思うよ。

顔を合わせて、昔のように、さ。

「蓮音くん……」

助けを求めるように幼馴染を呼ぶ声は、キーボードを打ち込む音の濁流に飲まれた。







軍の朝は早い。

けたたましく鳴り響く目覚し時計がベルを鳴らす前に、止められる。

この度に俺はつくづく思うのだ。習慣とは、恐ろしいものだと。

入ったばかりの頃は、目覚しを鳴らしてはよく同室の奴らに殴られて起きていた。

教官にも殴られていた。

「弛んでる」とよく怒鳴られていたな。

不条理に思うかもしれないが、この世界なんてこの程度、比じゃないくらいの不条理に満ち溢れている。

世界の何処に居ても、自分の身の安全は、神様さえも保証してくれない。

命が跳梁跋扈し、死が蔓延る世界。

俺は幼い頃からそう感じ取っていたのか、人の顔を見る事を極端に嫌った。

自分がいつ死ぬとも分からない状況で、まるで自分が今死ぬことは無いと、本気で呑気に思っている目が、とにかく嫌いだった。

しかし、そんな事で抗議を起こされても、ただの一般人がはいそうですかと即座に対処する事の出来ない問題なのは、幼くして重々に理解していた。

そして、溢れる不満はいつしか目から流れ出るようになった。

そんな環境に居ることで、自分のこの感性が鈍る事を危惧した俺は、ひたすらに勝負事にのめり込んだ。

勉強は特に良かった。数字が増えるのが目に見えて爽快で、非力な自分一人でもなんとか出来たからだ。

逆に、対人競技は駄目だった。道端の素手喧嘩ならまだしも、スポーツにおいて、相手が望むのは己の生ではなく、勝利なのだ。

しかし、偶に居た、勝利に存在価値を見出し、縋っていた者は、手合わせをして痛快であった。

何せ、頭の中では、自分が負ける事ではなく、自分が命を落とす事を何よりも恐れているからだ。

「負けは死では無い」と言っても頑なに信じない目、信じる事の出来ない目、勝利以外の、生以外の何物も信じない目。

あれこそが、俺の求める目だった。

そんな俺が引き寄せられるのは、死と隣り合わせである事を自覚している者たちの集団、俗に言う、軍隊であったことは、言うまでもあるまい。

いや、勉強する環境が整っていたからこそ、従軍という選択肢を掴めた。異国であれば、少年兵となっててもおかしくはなかった。

そして、軍は軍でも、ぬるま湯のような自国の軍であれば、どんなものかは想像に難くない。

なれば、よりハードな所を目指すのみ。

……こんな昔の俺は、なんと言うか、青かったのだろうな。

この国の軍で成り上がり、特殊な隊に編成され、歳を食っても癖が抜けない自分に、憎んだはずの世界に、知らず知らずのうちに甘やかされてきたような自分に反吐が出る。

だが、努々忘れてはならない。

俺は生きる、死なない為に。

俺は生きる、死なせない為に。

そして、俺は死ぬ、殺さない為に。

平和ボケした世界で、死と臨む変人達を死なせない為に、磨き上げた己で以て、この世を抹殺する。

だからこそ、彼を生かしてはいけない。

絶対の生なんてものを、許容してはいけない。

行方が消えて遂に一ヶ月。

身元も三週間ほど前に割れている。

「肢動 体生」……日本の者よ。

同郷、同国の士として、見逃してやりたい気持ちも僅かにあるが……だからこそ同時に、手心なんていうものを加えてやる程、俺も残酷ではない。

必ず見つけ出し、必ずその身を滅ぼしてみせよう。

だからどうか、それまでは、死んでくれるな。

そう誓い、鏡に写る自分の目を睨んだ。


「ヘイ、レオン。隊長がもうすぐ来るぜ。早くその亀みたいに鈍い手足を動かして間に合わせろ」

開いた扉をノックして現れた巨体は、ドレッドヘアを後ろで束ねた黒人。

同隊の最年少、マック・ロード。

弱冠27歳だ。

「分かった。カタツムリより速いなら、まだ間に合いそうだな」

いつものやり取りを終え、顔を洗い、服に袖を通す。

そして、慣れない帽子を被る。

「お前が帽子を被るのは何年振りだ?防虫剤の臭いが凄いぞ」

マックと並び、大して広くもない廊下を並んで歩く。

こんな事を言いつつも、俺を待っててくれたり、こうして共に歩いてくれる事に、感謝を覚える。

「先日に自宅から卸したばかりでね。それまではずっと紛失扱いさ。罰が三食抜きなだけ、まだマシだったさ」

どうしても耐えられなかった時はこっそり寮を抜け出し、近隣の森へ入って食糧を調達していた。

稀に飢餓状態の野生の動物と対峙した時も、俺の心臓は一度も止まっちゃくれなかった。

あれはまさに、生きていた。


マックとは、つまらない話をよくする。

彼は笑う事が嫌いだからだ。

笑うと、何故笑ったのかについて、真剣に考えてしまうらしい。

無為な事を考えたくないが為に、笑う事そのものを排除した。

極端だとは思うが、俺自身、身に覚えがあるので共感せざるを得ない。

故にこうして、マックに合わせている。

本当であれば彼も、笑う事の一つや二つはあるだろうが、その小さくくりっとした目が細まったシーンを俺は見た事がない。

ただ、それでも彼が悪い奴じゃないのは、その目を見れば分かった。

俺と、同じ目をしていたからだ。


さて、そうこうしているうちに、会議室へと辿り着いた。

腕時計をポケットから取り出す。

集合時刻までは……あと30分か。

という事は、隊長以外は全員揃っているな。

全員とは言っても、俺たちを含めても4人しか居ないが。

俺たちの隊は決して小規模ではない。

むしろ、大隊クラスのものだ。

今回の集合も、各隊の隊長が出席しているものだ。

無論、俺はその隊長の一人。マックは、戦場で失った、俺の左眼として付き添って貰っている。

如何なる能力を以てしても、死角からの流れ弾など、防ぐ術も無かろう。そういうものだ。


ちなみに、俺の隊は規模が一番小さく、僅か20人程度だが、戦果は毎度500人規模の隊よりも大きい。


扉を二回ノックする。

「コード・スリー」

合言葉のようなものだ。

これが無いと、色々と不都合な事が起こりかねない。

「コードに間違いがあるのでは?」

扉の奥から聞こえる。

こう聞かれはするが、何も間違いではない。

「勝利は常に正しい」

俺を示す暗号だ。

ちなみに考えたのは大隊長だ。

「入りな」

コードの間違いを指摘されて狼狽えるようであるなら確実にクロ。

そして、コード間違いの指摘を個人識別へのステップだと理解しなければクロ。

そこまで理解すれば、個人識別を提示する事がスパイ側にとって如何にハイリスクか、余程の愚者ではない限り気付ける。

最終的には、鍵は各隊長の持つカードキーにより部屋側だけでのみ開閉が可能な為、クロと信じるならば籠城も可能。

全く……機密情報の最先端を行くだけあって、何から何まで用心深いのは結構なんだが、些か夢想じみた警備だ。

こうして入った後は、別の隊長様によって変装や内乱の疑いを晴らす為に身体検査をされる。

野郎にまさぐられるのは、精神的に辛い、とても。


「……検査の結果、レオン・センガ本人と断定。握手を」

俺のあらゆる所を触診していた野郎が手を差し出してくる。

贅沢に伸びた金髪を全て後ろに流し、鼻を通して両頬までにまっすぐ伸びる大きな傷痕を持つ、このライオンのような男は、アレックスと呼ばれている。

「アレックス、少し痩せたんじゃないか?ちゃんと支給されてるハンバーガーは食ってるのか?」

口ではそう言うが、この男の体格には、歴戦の柔道家さえものともしない格の違いが目に見えて余る。

傷だらけの抉れた耳、図太い首からは低く嗄れた声が出、獅子のような頭部を支える肩はボールのように隆起しており、握られた手も、何故自分の手が無事なのか分からない程の厳つく凶悪な手で、しかしてその力加減には目を見張る繊細さが見え隠れしている。

丸太を束ねたような太さの腕も、本当に冷蔵庫でも入っているかのような胴体も、軍服の上からでもはち切れんばかりの隆起を見せる両脚も。

身長160cmとは思えない威圧感を見せてくる。

身長が小さければ、必然と筋肉そのものの大きさも小さくなる。

筋肉のサイズは、出せるパワーの上限量に直結する。

そのハンデを受けて尚、極限まで磨き上げた己が、拳にこびり付く無数の傷痕から、見る度に脳を殴りつけられているかのように、否応なしに感じさせられる。

だが、ここまでの暴威の塊のような身体を持つ彼本人は、至って穏やかで、常に冷静を貫いている。

温厚とはまた違った、行動そのものをよく吟味して実行する、言わば大人しい人物である。

「冗談はあまり好きじゃないと、言ったはずなんですがね……まあ、私に対して冗談を言えるような人物は、レオンともう二人くらいしか居ないですが」

アレックス……アレキサンダー・フリントはそう言い、目線をテーブルに着くもう一人の隊長へとやった。

「あー?何だテメェら二人してガン飛ばしてきやがって。喧嘩か?よし、喧嘩するぞオラァ!」

テーブルに足を乗せ、まるでハンモックに寝ているかのように椅子に座り、酒瓶を煽っている彼女の名は、マリア・クレニアス。

この大隊において、唯一の女性である。

白金色の長髪は無造作に括られてポニーテールとなり、前髪は上げられ、横に流され、左肩にまで掛かっている。

細長く嫋やかな形の眉に、大きな瞳、花が咲いたような笑顔の似合う口元。

誰もが認める、紅一点だ。

しかし、その美貌とは裏腹に、極度のアルコール依存症で、酔うと気性が荒くなる。

だが、指揮能力は勿論の事で、本人の戦闘能力も非常に高い。

俺は一度、素面の彼女と手合わせをした事があったが、少しばかり苦戦した。

相手はまず女と侮り、余裕を見せたくて一度の攻撃を許可し、それに激昂した彼女によって、瞬く間に三撃、四撃さえもノーガードで喰らい、失神する。

俺も正直、侮っている部分はあった。

だからこそ、彼女の恐ろしさの片鱗が見えた。

それと、酔っていると彼女はああなのだが、素面を見れば、それはそれで驚嘆する。

素面自体は見ない事も無いが、しかし、ただ、彼女のその眼帯が外された所を見た者は、誰一人として居ない。

噂では、事故を装って彼女の眼帯を外そうと画策をした者が、翌朝には、裸のままで近隣の森の木に一晩吊るされていた所を助けられ、泣きながら隊を離れて行ったという。

根も葉もない、と言えないのは、噂が出回り始めた時期より僅か前に、実際に隊から退いた者が居たという事実と、彼女だから、という根拠である。

ちなみに付いた通り名は、死の聖女〈デス・マリア〉。


「全く……また何処から持ってきたんですかそれは?そんな様子だから、今年でもう独り身で30歳にもなるのですよ」

「アレックス、テメェ!女に対して言っていい事と悪い事の区別も出来ねぇのかァ!?30はまだ若ぇんだよこのロリコンチェリー野郎が!」

「これはこれは、貴女が女である事を自覚しているとは、まさか思いもしませんでした。だと言うのにその態度であれば、成程、婚期を逃していてもおかしくはないですね。失礼、可笑しいです。ははっ」

「あー分かったわ今すぐ表出ろ筋肉ダルマ。その股ぐらに付いてる貧相な海綿体ちぎり取ってやるよォ!」

「おやおや……無駄に蓄積されたその胸の脂肪をやっと燃焼する気になったんですね。感心したので、そのダイエットに付き合ってあげましょう。もぎ取ればよろしいんですね?」


……何故俺が来た途端にこれなのか。

まあでも、この状態の二人を見るのは俺としては悪くないから良し。

それと心配せずとも、暴力沙汰にはならない。

なにせ、うちの大隊長は、絶望的に間が悪い。


「おお、待たせた。二人とも元気が有り余ってるんだな?」

ノックもコールもせずに、ドアを蹴飛ばして開けて部屋に入ってきた、黒髪の天然パーマが強めな男。

タンクトップに軍のコートを羽織り、まるで青年が軍隊のコスプレをしているようにも見える。

事実、筋肉こそは引き締まっているものの、中肉中背と言って差し支えないレベルの肉体。

体脂肪率も、5パーセントはおろか、8パーセントは超えてしまっているだろう。

だが、俺らを含め、軍に関わる人間は皆、他の誰よりも、彼へ畏怖や畏敬の念を抱く。

大隊を任されている事が、その信頼と実績を物語っている。

勿論、信頼に違わず、腕も確かだ。

俺では、今すぐに全盛期のように闘えたとしても、せいぜい彼の片手を封じるくらいしか出来ない。

複数人で挑むならまだしも、一対一では俺が片手で完封されて終わりだ。

要するに何に優れているのかと問われれば、圧倒的なまでの身体センスと動体視力、これに尽きるだろう。

この人は、武闘に関して然程の努力をしたという話を聞かない。

だというのに、放つ殺気は如何なる武芸の達人さえも、殺しのスペシャリストをも差し押さえる程に、尋常ではない。

一般人がどれだけの死線を潜ったとしても決して辿り着けない境地。

人ならざる者の脅威に晒され続け、その場より逃れず、然して、死に物狂いで己の生を勝ち取った、僅かな猛者のみが持ち得る目。

この人こそが、表社会にも、裏社会にまでもその名を轟かす、かのクライヴ・ジョーンズ。

彼が裏の仕事をする時は必ず、大雨が降っている事から、"土砂降り(レイニークライ)"とも呼ばれ畏れられている。

クライヴ大隊長の登場と同時に、マリアとアレックスは互いに、相手の胸ぐらを掴んでいた手を離し、自らの額の前に持っていっていた。

所謂、敬礼である。

俺も同じ所作をする。

「アレキサンダー・フリント三等准尉、マリア・クレニアス二等准尉、そしてレオン・センガ准将、今回の会合に顔出し頂き、誠に感謝する」

大隊長は敬礼を解き、決まり文句から話を始める。

「プレジデントからの作戦方針が提示された。そこでレオン・センガ准将、君にある命令が下った」

名指しの命令か。

決して良い気はしないが……悪い事でもなかろう。

それに、命令自体にとやかく言っても、仕方の無いことなのだ。

聞くだけ聞いておこう。

「レオン・センガ准将、君には、コード=トリプルシックス遂行に際して、これから日本を拠点として活動して貰う。所謂、転勤だ」

「ちなみに、アレックスとマリアに対しては特になにも無い。今まで通り、私からの指令で動いてくれ」

……転勤、ねぇ。

うーん、日本に転勤という事は……。

あぁ……左遷か。

「……これはプレジデントからの追伸なんだが」

「『"ゾンビィ・ボーイ"を取り戻すまで帰ってくるな!』……だ、そうだ」

…………左遷かぁ。

訓練している身なので、あまり表情には出さない性格なのだが、やはりそれなりにショックだったためか、ため息が出てしまった。


「珍しく浮かない顔だな。愛しの故郷に暫く帰省出来るとでも考えて、ゆっくり羽を伸ばしてこい。なぁに、お前の権力より上の存在なんか、日本だと大臣と、テンノウ?くらいのものなんだろ?お前がいくら気を休めようと、咎める者は居ないさ」

珍しくマックに励まされた。

しかもちょっとした冗談交じりに、だ。

だが、まあ、言わんとする事は分かる。

肢動体生をみすみすと取り逃し、すごすごと引き返してきたうちの隊に、プレジデントがお怒りになるのも不思議ではない。

それに、俺が派遣されるというのであれば、つまりそういう事態が、既に予測されているのだろう。

そういう事であれば、気乗りはする。

だが、まずやらねばならない事をしないといけない。

「分かった、日本に飛ぶ日程を教えてくれ。俺にだって準備はあるんだ。それと、部下たちもな。交通費くらいは出してくれるよな?ビジネス・クラスやファースト・クラスじゃなくていいから出してくれ。ふんだくれる分はぶんどって行くからな」

やや不機嫌めにそう言ったが、クライヴ大隊長は、まるで俺がそう言うと分かっていたのか、不敵な笑みを浮かべた。

その笑いは、寒気がした。

まるで、人の形をした、悪魔が微笑んでいるようで。

「そう言うと思って、ここに君の部下の分までの交通費は持ってきてあるよ。ビジネス・クラスのね」

そう言い、うちの隊員と同じ数の、封筒の束を渡してきた。




















暗闇の中で、漂っていた。

息苦しい感じもしないのに、軽く息が詰まるような、でも苦しくない……むしろ、少しだけ心地良いような……。

このまま、ずっとこのままなのかなって、ぼんやりと考えながら。

誰かに抱かれたような安堵と不安を覚えながら、そのままで居たかった。

だが、物事に永遠は無い。

やがて、暗闇の中に、光が差し込んだ。

光は、まるで人の腕のように、僕の身体を掴んで離さない。

揺りかごから取り出された赤子の気持ちのような、そんな不快感を感じながら、ゆっくりと、意識を覚醒させる。


目を開くと、そこはいつかの岩肌であった。

記憶をなぞり返す。

ブレイズビートドラゴンへの嫌がらせ、止めへの焦燥、そして……。

「--ッ俺の身体っ!?」

飛び起き、自らの下半身を見る。

そこには、何事も無かったかのように、胴と一寸のずれも無く、いつも通りの不健康な肌色をした腰と脚があった。

そして飛び起きた事で、見えた光景に、唖然とする。


「…………ッ」

ブレイズビートドラゴンの巣穴の入口、洞穴へと続く穴の傍。

そこで僕の助け舟となる予定であった、ワーエルフのロクシが、矢を番え、僕を見据えていた。

「……え?」

その目は、弓矢を通して、真っ直ぐに僕へと向かい。

その顔は、恐怖に染まっていた。

その切羽詰まった眼光に射止められた僕は、腰を抜かしたまま、動けなくなった。

そのまま、どれほど経ったのか分からない間の静寂の先から、ロクシが口を開いた。

「……タイセイさん」

「ボクは今から、貴方を射抜きます」

鳥肌が、立った。


その言葉の真意を汲み取れないまま、僕は逃げ出した。

ロクシの顔が、いつか僕を襲ってきた部隊と重なって、 信頼していたのに、怖くなって。


そして、この時も、僕はまた、大きな見落としをしていた。

巣穴を悠々と占拠していた巨竜、塒を変える事が殆ど無いとさえ思われるブレイズビートドラゴン。

その姿が、巣穴の何処にも、跡形もなく、見受けられないという事を。

否、それだけではない。

居ないかのようにそこに居た、ノワクローバットも、森の動物の一匹さえも。

静かに、消え失せていた。






逃げる、逃げる、逃げる。

巣穴の入り口に居たロクシを払い除けて、暗く狭く、足場も悪い洞穴を潜り抜けて、木漏れ日の差す森のけもの道を踏み潰して。

そして、ロクシとシロク、つい最近には、僕もそこに混ざった、棲家へと、足を運んでいた。

ここでは、シロクが僕とロクシの帰りを待っている筈だ。

薪割りをしている時間だろうか。

それとも、お昼寝をしているだろうか。

そう考えながら、窓から家の中を覗く。


シロクは、小説を読んでいた。

それも、僕がロクシから習いながら、持ってきたラノベをこの世界の言葉に訳した、特注の小説を。

文字は読めなくても良いと、言っていた子供が。

僕の書いた字を見て、勉強している。

泣きそうになった。

シロクだけは、僕の味方で居てくれると、思ってしまった。


感動に打ちひしがれているのも束の間、僕は後ろから、何者かによって倒され、馬乗りにされた。

いや、何者かではない。

それは、ロクシであった。

耳を見れば、エルフ状態にある事は明白であった。

上に乗ったまま、ロクシは僕の目前へと、番えた鏃を突き付けて言った。

「シロクに何やせんちゅうなら、すぐにでもそん頭に穴が開きますえ」

恐怖と、それを超える憤怒。

ロクシからは、冷静の色が消えていた。

無論、それはロクシに限った話ではなかった。

話し合いの余地すら無く、ただただ、逃げ出したい一心で。


僕はまた、意識を手放した。

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異世界でもゾンビじゃありませんでした! しぐま ちぢみ @chizimi_B

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