第四死「フォデッドゥン・フルーツ」
洞穴内は相も変わらず、湿気と暗さの支配する世界であった。
--良し。
前回と何ら変わりなく、想定通りのコンディションで、大いに結構。
天井にぶら下がるラグビーボールのような塊は、暗闇を歩く獲物の灯火を今か今かと待っている。
臆病な彼らの目は、僕の勇敢さに潰れてしまったようだ。
そしてロクシの案内により、ブレイズビートドラゴンの寝床に難なく辿り着く。
突如として響く轟音に、龍が炎を吐いたかと思えば、ロクシは「ただの欠伸」だと言う。
生物としての大きさの違いを思い知らされそうになるが、欠伸をするという事もまた、作戦に何一つ滞りの無い証拠足り得るのだ。
入り口に身を潜め、ドラゴンの様子を伺う。
瞬きが次第に遅くなり、目が細まる……まさに好機。
しかし、眠ってしまっては、元も子もない。
心拍が安定している状態ではなく、出来るだけ上昇した状態で逆鱗を叩く必要があるのだ。
目覚めてしまっては、すぐに臨戦態勢を取られてしまうのも危ない。
なので、さほど痛くなく、然して眠れず、という嫌がらせに尽力するべきだ。
そこにロクシの弓矢を使うのだ。
弓矢の扱いはエルフ状態にないロクシよりも酷いものだが、ここまで大きな的を外すという程、下手でもない。
ロクシはあくまで、僕がドラゴンの攻撃に伏してしまった瞬間に、僕を引き摺り逃げ出すためのメンバーだ。
ロクシと互いに頷き、僕は弓を引き絞り、矢を放つ。
弓矢の練習は碌にしていなかったが、モンスターとのトレーニングで得た力と体幹が手を貸してくれた。
しかし、矢は真っ直ぐ、狙ったとは明後日の方向へと真っ直ぐ飛ぶ。
そして、ブレイズビートドラゴンの翼へと矢は吸い込まれるように進み、当たる。
当然、巣穴を掘る為の進化なれば、そこの硬度も中々のものとなる。
矢は飛んでいた時の勢いを全て失い、軽快な音と共に弾かれた末に、その場に落ちた。
蚊に刺されたほどもあるかないかという一撃ではあるが、確かに残る感触と、攻撃されたという証拠の矢が、ドラゴンの目を開かせる。
恐ろしい眼力。
似てはいるが、餌を求める飢餓の目では無い。
ただ純粋で微小な、憤怒と敵意の眼差し。
やがて、その目に見竦められていた僕は、その龍が放った咆哮と鱗のかち合わされて生まれた、ごう、という音に我に返る。
如何な騒音とて、僕の鼓膜を破る事は無い。
いや、もしかしたら、鼓膜は既に破れてしまっているかもしれない。
それでも、目が見えずとも景色を観れるこの身なれば、音を聞かずとも音色を感じる事は出来るのだ。
骨伝導……とはまた違った、何やらご都合的な臭いがする何かによって。
しかし、ただの音であれば、恐れるに足らず。
ドラゴンの前脚による踏みつけを躱す。
顎での噛み付きを、躱す。
掘削する翼による一撃を……躱す。
尻尾による一閃を--
--何だこれは。
ブレイズビートドラゴンの攻撃が遅く感じる。
絶え間無く鳴らされる鱗の音は、よく聞けば一定のリズムで流れており、このドラゴンの攻撃はそのリズムに合わせるようにして構築されている。
「まるで音ゲーだな」
リズム感等は全く無い僕であったが、狙ったリズムよりも早くに回避行動に移ることなどは造作もない。
しかし、ブレイズビートドラゴンも一筋縄ではいかない。
次第に、リズムが速くなっている。
合わせて攻撃も、速さを増す。
それだけではない。
所々、リズムを外してきている。
これを眠気による活動限界と捉えるか、それともリズム通りにならない獲物に合わせて来ていると捉えるか、中々に厳しい所である。
しかし確実に、外れたリズムは僕の動きに合わされて来ており、次第に鱗のビートもそれに合ってきている。
これは……そういう事か。
この程度のリズムの仕組み、聞いていて気付かない者は少なくないであろう。
ブレイズビートドラゴンの真の恐ろしさは、炎の幻惑を見せる鱗の音でも、その異形の翼を攻撃に使われる事でも無かった。
獲物を確実に狩る拍数を、正確に求める事の出来る柔軟性にあった。
リズムを外し続ける事は、わざととはいえ、心拍や呼吸に負担を掛ける事になる。
故に、必ず何処かで、リズムに合わせて動いてしまう事になる。
息をつける隙を生み出し、その一瞬を見逃す事なく撃ち抜く。
獲物はそこでやっと気付く。
全ては、この狩人の思うがままであったと。
--だが、今回は相手が悪かった。
僕は呼吸も心拍も必要としない、というかそもそも存在するのか分からない状態である。
それに、誇って良いのかは分からないが、リズム感は無い。
つまり、絶え間無く、気持ちの悪いタイミングで来る攻撃を避け続ける事など、造作もない。
攻撃のタイミングはリズムからズレていても、目視で確認して避けれる速さだ。
ややもすれば、全身を使って鱗を鳴らし続けているブレイズビートドラゴンの方が、先に体力尽きてしまう事さえ有り得る。
だが、油断は許されない。
攻撃は速くなくとも、決して遅くはない。
そして、一撃は確実に、どれも生身の人間が受けてしまえば、即死レベルの威力を持っているだろう。
そうでありながらも、巣穴を傷付けないように動く繊細さが、獣ながら惚れ惚れする。
まるでこの巣穴が、この龍の胃袋の中だと、錯覚してしまいそうだ。
ともなれば、僕は鬼の腹の中で暴れ回る、一寸法師か何かだな。
「……っ!?」
瞬間、左腕を龍の鉤爪が掠める。
皮膚はゴムが破れたように薄く裂けているが、鮮血は出ていない。
「慢心してはいかんな……っ!」
勝利を確信して緩んでいた気を引き締める。
竜の繊細な猛攻を避けながら、尾の付け根に存在するという逆鱗へと向かう。
尻尾の軌道から身体を逸らし、ついでにそこに剣を置いておく。
すると竜の尾は刃に触れて鱗を散らす。
短剣は僅かに刃毀れを見せるが、まだ使える。
牙を潜り抜け、矢を番える。
もはや狙いを定めずとも、放てば何処かしらに当たる距離。
立ち止まらず、走りながらに矢を放つ。
ブレイズビートドラゴンも逆鱗を庇ってか、絶えずその下肢を僕から遠ざける。
しかしこの巨体を支える四足のうち後脚を動かすには、前脚を地に着けて居なければならない。
自らの有利な地形での戦闘を望む習性からは、跳躍や疾走といった事への苦手が予測される。
そして、少しずつ、確実に、竜の臀部へと近付く。
巣穴を何周したであろうか、竜の巨体に惑わされるが、学校の校舎は軽く入りそうな広さの空間だ。
只人でなくとも、ここ辺りで体力の限界が見えて来てしまうであろう。
しかし、何度も繰り返すようだが、そこは僕なのだ。
この鬼ごっこも、そろそろ終盤に差し掛かった頃だろう。
明らかに、ドラゴンの動きが鈍くなっている。
それだけじゃない。
僅かに、ごく僅かにではあるが、ブレイズビートドラゴンの攻撃によって、地面や壁が削られ始めている。
紛れもなく、ブレイズビートドラゴンが消耗している証拠であろう。
--であれば、早い所終わらせてしまおうというのが、やはり人の悪い癖であった。
すんでのところで、ドラゴンの下半身が捻られ、逆鱗が遠ざかる。
だが、あと一歩、あと一歩でも大きく踏み出せば、どうにか届く距離。
僕はやれる。やらねばならない。ここでやれなければいつやれるのか。
走る勢いのままに、大きく踏み出し--
--僕の視界は、地面を真正面に捉えていた。
巨体に踏み固められた平らな地面は、視界に溢れんばかりにゆっくりと近付き、僕の顔へと熱い接吻をかましてきた。
鼻が折れたのか、鈍い音が耳の奥に残響する。
そして、すっ転ぶ際に、それを視界の端に見た。
さほど大きくもない、もっと言うなら、誰かの足を引っ掛けて転ばせるのに最適なサイズの、宝箱。
空の宝箱は、僕と共に、ひっくり返った。
そして、立ち上がるまでに、状況を理解しようとしてしまった。
そのタイムロスは大きく、そしてまた、その時間を理解しようと、無為に考えてしまった頃には--
--竜の鉤爪が、僕の、の、どに……。
くるくると、軽快に回る世界。
センターで踊るのは首無しの騎士と酷く曲がった鋭い槍。
騎士はその身を槍に貫かれ、上下に裂かれる。
騎士の身体は抵抗もせず、まるで豆腐を切るように、中身も散らさずに、人形のように裂けていく。
たとえ不死であろうとも、頭だけでは、まともに物を考える事さえ許されないようだ。
やがて世界が上にせり上がり、僕を下から叩き付けた。
見上げる自分の身体は、ひどく不完全で、脚しかない。
見下してくる竜の瞳には、眠気と僅かな怒りだけ。
そう言えば、僕も眠かったんだった。
仕方ない、竜と共に寝るとしよう。
ああ、それは、とても、すごく、ファンタジー、してるなぁ。
なぁ……………………。
吹き荒れる嵐の中に居た。
雨は弾丸で、風は刃。
絶えず僕の身体を撃ち抜き、切り裂く。
そこでは痛みさえ、僕の物では無かった。
分からなかった。
何も分からなかった。
だから、知ろうとした。
知ろうと、手を尽くした。
弾丸と踊り、刃と歌い、痛みを賛歌とした。
だけど、分からなかった。
分かったつもりで、全ては僕の想像でしかなかった。
それでも良いって、自惚れてた。
あながち間違いでもないって。
即席の推察にしては上出来だと。
だからこうして、やはりこうして。
僕の身体さえも、僕の物でなくなるんだ。
矮小化された自尊心にさえも呑まれる。
嗚呼、醜くも、しかしなんと良い一生だった事か。
--次は、俺の番だ。
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