第2話 森と妖精
そう、術はないと思っていた。
しかし、なんの因果かミラージュはエイダとして新たに生を受け、兄がまだ生きている時代だった。それも前回の世の記憶を抱いたまま。
どんな理屈が働いたのか、実は聖女だったら神が助けてくれたのか、もしくは本当に魔女でエイダを殺した人たちに復讐をするためなのか。
心当たりがたくさんあるようで、実のところ一つもなく夢を見た後は首をかしげるしかない。けれど、深く考えることもない。エイダにとっては今生きていて、今世も孤児。命があるなら生きていくしかない。その程度のことだった。
前回の生の繋がりも求めていない。
唯一したことは自身の死がどのように伝わっているかだけは気になり、図書館に赴き調べた。そこには人を馬鹿にした一文で締めくくられていた。
――正史において、今代の聖女と呼ばれた少女は命を賭して聖剣を生み出した、と。
これを見たときエイダは乾いた笑い声をあげていた。
自らの最後の瞬間のように。
民衆は集まってはいたが声は聞こえなかっただろう。ただあの場には騎士たちがいたはずだ。だから『魔女』とミラージュを呼んでいたことは知られていたはずなのに、聖女として書かれているとは。なんのために自分は死んだのだと、無意識に頬を涙がたどっていた。
ミラージュは兄について調べようと思ったが、調べることができなかった。
自身のこと同様、好きなように記載されていると思ったからだ。
そして王都から離れ国境付近にある人里離れた森で暮らし始めた。
誰とも関わりたくない、という単純明快な理由からだ。
「はあ……最悪」
出会った騎士の翌日に自分が殺される夢を見るとは、見慣れているエイダだったが辟易としてしまう。
見慣れた天井のシミを睨みつけながら呟く。それだけでは気分が落ち着かず、ゆっくりと深呼吸していると楽し気な声が聞こえてきた。
『エイダ、エイダ♪ 今日のお花はアタシが選んであげたわ。どう、嬉しい? 嬉しいわよね?』
声のするほうに視線を向ければ、ふふんっ、と丸みのあるお腹を突き出し得意げに笑い、楽しそうにクルクルと踊るのは森に棲む水の妖精だ。
ミラージュだった頃から、彼らの姿を見て、触れ、会話をすることができた。それはエイダであっても同じらしく、人里離れた森で暮らしていても寂しさは感じなかった。
「おはよう、お花ありがとう。今日も楽しそうだね」
『ふふん、そうでしょそうでしょー―ん? エイダ、ま~たあの夢をみたのね⁉』
「冷たっ! ちょ、顔近い、近い! 濡れるっていつも言ってるでしょ!」
『洗う手間が省けていいじゃない! それでどうなの⁉』
「そういう問題じゃないから!」
青色を水で溶かしたような透明感のある色合いと、ぷるんとした見た目をしている。目に見える物に触れるのは人の性なのか。
エイダは水の妖精の体を手で押さえてしまう。触れた場所からボタボタと水滴が落ちていく。当然といえば当然だが、水の妖精の構成は液体だった。
『ふふん♪ 口ではイヤっていいながら、エイダも大歓迎してるじゃない』
エイダは茫然と濡れるシーツとマット、そして自分自身を濡らしていく。寝起きの頭には追い付かない気もするけれど、奮い立たせ濡れた両手をシーツで拭った。
「……アクリィヤ、ありがとう。目も覚めたから」
水の妖精アクリィヤのぷっくり膨らんだお腹をつんっ指先で押す。
水しぶきが広がり、そしてお腹が丸まると愛らしい弧を描いた。
『エイダ、少しは怒ったらどうなのよ』
ご機嫌な様子が一転。
アクリィヤは両腕を組み、エイダの顔ギリギリに近づいてくる。
「怒るって何に?」
『ぜんぶよ、ぜんぶ!! エイダが嫌だっていうこと、あたしはやってるのよ⁉ 人間なら妖精のクセに~~~~~~~~~って意地悪いいなさいよ!』
そう、とエイダは言う。
自分の反応がアクリィヤが求めるものではないことは、そこそこの付き合いの長さだ。水の妖精が何に対して怒っているのか頭では理解している。ただ、感情がついてこない。
アクリィヤだけでなく、自然から生まれた妖精は感情が豊かだ。
だからか無感動なエイダの反応にやり切れない感情を抱くようだった。
『昨日だって首に傷をつけて帰ってきて! どれだけ心配したと思ってるの⁉ あたしたち妖精を町に連れていきなさいよ』
「それはダメ」
『どうして⁉』
「前に連れていったとき、手当たり次第人間を水びだしにしたでしょう。あんなことしていたら、怪しまれるから」
痛いところを突かれたのかアクリィヤは唇を突き出し不満そうな表情を作る。
エイダはアクリィヤに限らず、妖精は表情が豊かだと知って驚いたものだ。
――公爵家に拾われる前は妖精の声なんて、聞いている暇なかったしな。
世界には精霊や妖精が存在するけれど、認識できる人はほんのわずかだ。
前世でも今世でもエイダは彼らの存在がいる世界に生きていた。
前世でこのことに気が付いたときは驚いたけれど、義父に誰かに話すこと、妖精と話すことを禁じられ、それを殊勝にも守り続けていた。
夢の中の自分は、どちらかと言えばアクリィヤたちのように感情が顔に出やすかった気がする。理不尽の死を迎えたためか、感情をどこかに落としたように抜け落ちていた。
濡れた金色の髪に触れる。前世では黒髪だったが今世では兄の髪を映したような美しい黄金色。あの人もあまり感情を表に出さない人だった。辛いときでも何があってもいつも柔和な笑みを浮かべていた。
今世の自分は兄に似たのかもしれない。
「アクリィヤ、今日こそ孤児院にお菓子を渡しにいきたいから手伝ってくれる?」
『……エイダが、そういうなら、仕方ないけど手伝ってあげるわ!』
機嫌が回復したアクリィヤはくるくるとエイダの周りを飛び跳ねながら、水分を飛ばしていく。エイダはため息を一つ吐き出しびしょ濡れのベッドから降りた。
今日の天気がいいことを祈りながら。
精霊門の番人 読(どく) @mohaya_ao
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