第1話 聖女と魔女

 逃げ出す隙を見つけることはできなかった。

 結果が十字に加工した木に四肢を縛り付けられ、遠い場所にいる群衆にも罪人の姿を見つけるため地面に打ち付けた。

 杭部分には炎が踊り狂い、杭に縛り付けられた少女を黒煙が包む。

 咳き込みながらも少女は叫ぶ。


「あたしは、聖女なんかじゃない!」


 強風が黒髪を巻き上げ鞭のように顔を打ちつけるのも構わず、杭に磔られたミラージュは義父と呼ぶ男を睨みつけた。

 今まさに自分を殺そうとしている男に対し、四肢の自由を奪われたミラージュなりの抗議だった。

 このふざけた舞台を整えた男は意に返すことなく、短く鼻を鳴らし怒鳴りつけた。

 

「黙れ、白々しい! よくも私を、いいや私の息子までも巻き込み騙してくれたな、この魔女め!!」

「……魔女ですって? あんたたちが勝手に作り上げた聖女ミラージュの次は魔女? 笑える、最悪すぎて笑っちゃうわ!」


 黒煙の中から響く哄笑は不気味以外の何者でもなかった。

 四肢の自由を奪われたミラージュができる最後の爪痕だったから、お腹の底から大きな声で笑ってやった。

 ミラージュは何回も何十回、いや何百回と聖女ではないと訴えていた。しかし、義父でもある公爵は一度として聞き入れなかった。むしろ意図的に聖女として扱い流布し続け、表には出ていないが国も一丸となって聖女ミラージュを指示していた。


「はあ……けほっ、ただの孤児が、色んなふうに呼ばれるようになったもんね……」


 黒煙に焼かれる喉ではこれ以上笑うことができそうにない。

 目尻から涙がこぼれるが、これも瞳を守るための自然現象だ。

 決して悔しさからではない。

 唯一自由に動く顔を俯かせた。この瞬間の表情を悪魔のような義父に見せたくなかった。他人事のような響きを含んだ言葉は強風に攫われ、誰の耳にも届かないだろう。

 強風がさらうのは各々にとって、都合の悪いことだけだ。都合のいいことしか義父をはじめ民も――いいやミラージュ自身にとっても届かない。

 いつもそうだった。

 そういうものだった。

 この男に招き入れられた場所というのは。


 初めの頃はどう感じていただろうか。

 ただ生きることに必死で、唯々諾々と従った記憶しかない。

 その生き方しか知らなかった。


 簡単な理由、ミラージュは孤児だから。

 苗字もなく、名は自分でつけた。

 生まれた場所も両親の顔も知らない。物心ついた頃には路地裏で大勢の子供と一緒に暮していた。

 

 国営や篤志家が運営する孤児院はあったが、人喰いの棲み処と孤児たちの間では囁かれている。ミラージュ自身は世話になったことはないけれど、孤児院に火を付け子供たちだけが焼け死んだとか、孤児院で死んだ子供たちの肉は魔物の餌にされ骸骨が庭先に埋められているだとか。街中で耳にしたという仲間がいた。

 孤児を捕まえるべく衛兵たちが見回りをして、突き出す大人たちがいて、彼らの行く末が孤児院であることは事実だ。街の掃きだめのような存在を簡単に一箇所に集められることは理解できる。

 大人たちが孤児を一掃するため集め、残虐な行為をしているのだと孤児たちの共通の認識だ。だからミラージュも飢えや病気と日々闘うことになっても、孤児院に行く気持ちにはならなかった。


 闘うといっても孤児たちが行なうことは、間違いなく犯罪だった。ミラージュとて人殺し以外ならどんなことだってやった。盗みをはじめとした、人々が隠しておきたい仄暗い過去を使っての脅しなど、物心つくころにはあらかた経験していた。

 ミラージュの人生において転機が訪れたのは、そんな暮らしの中でのことだ。


 ミラージュが暮らすアティス国の王都は貴族区、商業区、平民区、貧民区と四つにすみ分けされている。中でも貴族区と商業区は実入りが多い反面、衛兵の目が厳しく捕まる確率も高い。

 普段なら近づかないが、ミラージュは自分たちのボスでもある少年ギランが病にかかり薬と栄養価の高い食べ物が必要だった。


 仲間内の中でも年長の部類に入るミラージュは彼のために危ない橋をひとり渡った。狙った獲物は貴族の中でも金を持っていそうな金髪の少年だ。歳はミラージュとそう変わらない様子だったが、顔色も足取りも悪い。ただその胸に大金の革袋を入れていることをずいぶん前から情報として知っていた。


 彼は不思議なことに決められた日と時刻にいつもその金を胸に抱いていたのだ。貴族というものを総じて嫌うミラージュたちだったが、少年の顔色が常に悪いことと自分たちと似たような体付きから、獲物にはしなかった。どことなく自分たちと同類の香りがするといえばいいのか。


 しかし、今日ばかりは相手を選んでいる余裕がない。

 ミラージュは意を決して少年に近づき、足を掛ける。

 相手がバランスを崩し自分にぶつかるように演出し、その一瞬の内に手から革袋を盗み取り走り出した。

 少年の静止する声が聞こえたが、整備された石畳を脇目も振らずミラージュは走る。

 手には革袋。

 ジャラジャラと今まで聞いたことのない重みと音に興奮を隠せない。

 走って、走って、ギランが元気になる姿を夢想していると身体が宙に浮いた。


「なっ、何するんだよ!」


 捕まったのだと悟る。

 足をばたつかせても相手は驚く様子も慌てる様子もなく、ミラージュの手から革袋を取り上げた。


「薄汚い孤児め! 何をしたのかわかっているのか⁉」

「うるさい! 必要なんだから仕方ないだろ! 離せ、離せよ‼」


 猫のように襟首を掴まれ、宙づりにする相手は鋭い視線でミラージュを見下ろすのは役人のそれも騎士だ。最悪の相手だ。

 よくて右手の切り落とし、悪くて死罪だ。ギランの命を救えないばかりか、年長者でもある自分がここで死ねば仲間たちはどうなるのだろう。絶望に染まっていく思考の中で、信じられないことがおきたのだ。


「その娘――待ちたまえ、彼女は私が引き取ろう」

「は……?」


 颯爽と現れた公爵がミラージュの身元を保証し、自らの娘だと身分を証明。間違っても公爵の落とし胤ということもありはしなかったが、公爵家に迎えいれられ、聖女としての運命を決定付けられた。


 何をどう言えばわからなかったミラージュは呆然としている間に、公爵家の養女として迎えいれる手筈が整っていた。

 下手に否定すれば外に放り出される恐怖心から、公爵の顔色を窺うように暮らした。

 引き取られてから決して順風満帆とは言えなかったが、十六歳まで無事に生きられたことは感謝をしている。目の前の公爵が、クソ男だと磔にされたミラージュは知っているが。


「お前を助けてやったのにも関わらず、魔女に堕ちるとは……嘆かわしいことだ。所詮は孤児ということだな」

「――ぐっ!!」


 言葉を返すより先に、磔にされているミラージュの腹に剣の鞘を突き刺す。刃ではないが、鈍い音がした。おそらく、骨にヒビが入ったのだろう。呼吸をするたび激痛が走り、言葉が切れ切れになる。


「あ、あんた……が、そうしろって。言ったから……」

「ふんっ、言葉ではいくらでも言える。お前は聖女の名を利用しなかったと言えるのか? どうだ?」


 ミラージュは唇を噛みしめることでしか答えることができなかった。

 違うと否定はしていた。でも、本当にやめさせようとしたか、と聞かれたら答えは否だった。

 あの日の少年は目の前の公爵の息子で、お金を盗んだ理由を聞き、幾ばくかの金を融通してくれた。それだけではない。聖女として認められていく中で得たお金で孤児たちを支援していた。

 公爵に知られないよう動いていたつもりだったが相手は腐っても貴族。元孤児の浅知恵などお見通しだったのだろう。


「……あたしは、いい。聖女の名を貶めた罪人として処刑されるんなら、いくらだって罰を受ける。だけど、あたしは聖女じゃないんだ。あんたらが欲してる物を与えることなんてできないの! わかってよ、お願いだから!!」


 悲痛の叫びだと感じてもなんらおかしくはなかった。

 金色の瞳から溢れる涙は薄汚れた頬を伝い、彼女の白い肌を浮かび上がらせる。次々と零れるそれは見る者がいれば後悔している、反省していると受け止めたことだろう――常人であれば。


 ミラージュの声を誰も聞かない。誰にも届かない。


「あたしは聖女でも魔女でもない! ただの人間だ」


 聞くものがいないことは分かっていたが、それでもミラージュは声をあげる。

 一縷の希望。

 この先訪れるかもしれない未来において、誰かが自分の言葉を思い出し違和感を覚えてくれるかもしれないから。自分はここで死ぬとわかっていても、すがる他なかった。

 強風によって砂や石も舞い上がり、口の中は埃だらけで、喋れば喋るだけ石が歯を砕き、内頬を傷つけ、口の中に血の味が広がろうともだ。


 たったひとり、貴族社会で唯一優しくし、家族になってくれた兄が自分と同じ末路を歩まないために叫ぶ。自分を聖女として祭りあげたのは公爵だ。彼はこの瞬間を待っていたのだろう。兆しは何度だってあったが、その度に兄が助けてくれた。しかし、今回の未曾有の飢饉はさすがの兄にもどうすることができず、ミラージュは処刑される。聖女は悪に染まり、魔女に堕ちたと女として。


「……お願いだから信じて。あたしをその剣で殺したって聖剣は誕生しない。だから、兄様を英雄になんてしないで!!」


 きっと義兄の末路は自分と同じになる。ミラージュはそう予想する。

 英雄と持ち上げるだけ持ち上げ、目の前の義父は国や民から様々な物を搾取するだろう。しかし、その言葉が偽物だと知れ渡ったときには、自分のように処刑するのだ。優しさと称して、自らの手で。


 だから叫ぶ、叫び続けることしかできないのだ。

 しかし公爵は唇を三日月のような形に歪め、唇を舌で濡らし、心底楽しそうに、そして嬉しそうに謳うように「死ね」と告げ――心臓を突き刺す。


「――っ」


 ちりちりと髪が服が体が燃えていく。世界は続いている。息が止まる瞬間は時間も止まると思っていた。

 でも違う。

 ミラージュという存在を世界が置いていくだけなのだ。消えゆく意識が世界を見せてくれる。

 痛みで視界が歪む。

 義兄が遠くの丘から駆け寄ってくる姿が視界の端に捉えた気がしたが、心臓を一突きされたミラージュに真偽を確認する術はなかった。

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