精霊門の番人

読(どく)

第0話 剣とわたし

 春の太陽光を反射させる磨かれた剣が、きらりと光る。

 どうして、と誰だって思うことだろう。

 町を歩いていたら足をかけられ、尻もちをつき、文句を言おうとした瞬間には――差し出されたのは手ではなく、切っ先であれば。

 エイダは喉元に圧迫感を覚えながら、マントのフードが取れていないことを確認する。少し後ろにズレはしていたが顔を見られることはなさそうだ。

 であれば――と文句の一つや二つ、言うためにフードが取れないギリギリのところまで首を反り、目の前の男を睨みつけた。


「新手のナンパ? だとしたら悪趣味だからやめたほうがいいわ」

「悪趣味と言われても、これが俺流の作法のようなものだから許してもらえると嬉しいな。えーと――愛する人?」

「どうして半疑問なのよ」

「あはは、君の名前がわからないからね」


 愛する人、なんて馬鹿げた名称で呼ぶ当たり、本当に名前は知らないのだろう。だとしたらエイダをわざと転ばせ、殺気交じりに剣を向ける理由はなんだ。

 探るように男を見れば、エイダの視線を受け片方の眉がぴくりと動く。それが何を意図するのかわからないが、おおよその推測はできる。

 普通の神経の持ち主であれば、自分の命が危険にさらされているのだ。命乞いをしたり、慈悲を乞うたり、理由を問いただすべきなのだろう。

 しかし、エイダはそういった感情が希薄だった。


「…………」


 じっと男を見ていても、彼のほうから切り出すことはなさそうだ。

 面倒そうにため息を吐きながら、いたって冷静な口調を問うた。

 

「回りくどいことは苦手だから聞くけど、あなたに剣を向けられるようなことした? 一切記憶にないのだけど」

「まあ、そうだね。お互い名前を知らない仲だから、何もしていないんじゃないかな」


 暗い紫色を帯びた瞳に楽しそうな色を浮かべ、男は困ったような口調で零す。

 

「それにしても、ずいぶんと冷静なんだね」

 

 恐らく予想外だったのだろう。剣を向ければ騒ぎ立て冷静さを欠いた相手に、何か要求または要件を告げるつもりだったのだろう。


「おかげ様で」


 相手のペースにあわせる義理はない。

 エイダは、肩をすくめてみせればチクリと首筋に触れる切っ先が皮を傷つける。


「……自分を傷つけるような真似はしないほうがいい」

「バカ? あなたが引いてくれればいいって、誰だってわかることでしょう」


 先ほどより首元にあった圧迫感が薄らいだ気がした。

 首の皮一枚で引く程度、という目算がついたことにエイダは目を細める。


 ――あの人たちに自分の所在が知られた? まさか、ね。


 生まれてから常にエイダの心の片隅にあった想いが溢れ出てこようとする。慌てて打ち消そうとするけれど、簡単にはいかなかった。

 なぜならエイダには前世の記憶が、それも十六年前、この国で生きてきた記憶があるためだ。大往生で死んだのであれば苦みを抱くことはなかったが、エイダは違う。計画的に殺されたのだ、魔女として。

 一瞬思い浮かべた『あの人たち』というのは、当時生きていた中で関係してきた人たちのことだ。

 知られるはずはない。

 しかし、『はず』でしかないため、知られたからこそ、こうして命を狙われる可能性は多いにあった。

 確証がもてなくても殺してしまおうとする臆病さを感じ、エイダは過去に引きずられそうになる。


「俺に集中してもらいたいんだけどな」


 はっとして気が付く。

 俯き眉間にしわを刻む自分の顔が、剣身に映りこんでいた。

 慌てて顔をあげ言い放った。


「自分の命を脅かしている相手に? ごめんだわ」


 男の言葉に従う必要はないけれど、もう少し目の前のことを考える必要があるのは確かだ。ついつい前世と重なることがあると、想いを馳せてしまう。後悔なんてないはずなのに、だ。


「困ったな。君を殺してみようと思っていたんだけど、話を聞きたくなってしまった」

「あんた、バカ? 自分を殺そうとしている相手と話をすると思う?」

「二回目だ」

「……何が?」

「君にバカと言われた回数」


 青空に白い雲と同様にほがらかな笑みもよく映える。

 エイダの神経を逆なでするにも十分な効果があり、唇をはしを震わせながら「はは」と乾いた笑い声を漏れた。


「俺は今、君の命を握っている。握られた相手に素直に従ったほうが身のためだと考えるのは普通だろ。――まあ、君の様子を見ていると一筋縄ではいかないだろうけど、方法はいくらでもある」


 暗い紫に見合う暗い色を瞳に湛え、浮かべていた笑みを隠した。


「そう。じゃあ、わたしからも一つだけ教えてあげる。あんたから逃げる術はあるのよ!」


 男は尻もちをついたエイダに切っ先を向け、安心している。

 つまり、彼の足元は隙だらけということだ。

 エイダは指先で地面に文字を描く。些細な動きを男が見逃すことはなかったけれど、エイダのほうが早かった。

 男の足元から常人には見ることができない妖精がひょっこり顔を出す。それは地面が揺れることを意味し、微々たるものでも男の注意を逸らすことができる。その一瞬で充分だった。

 ごごご、と地面が揺れる音により剣が微かに揺れ動いたのを感じ、飛び跳ねるようにして立ち上がり男の懐に入り込む。エイダの考えがわかったときには遅い。

 柄を握る手首に手刀を叩きつけ、さして強く握っていなかったのだろう。反動で簡単に手から離れ地面に転がった。

 すかさずエイダは剣の腹を踏みつけ、男のほうが身長があるため見上げる形になるのが格好がつかないけれど、腕を組み胸を反らす。


「ほら、形勢逆転」


 男が何か言う前に人差し指を立て彼の口をふさぐ。


「って言いたいところだけど、あんたとまともにやりあって勝てる自信はないから、わたしは逃げるわ」


 エイダは踵を返し駆け出した。


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