第37話 ティップ・オフ!
「許さない? で、一体なにをするつもりだよ!?」
イキリ桶川は必死に言い返してくる。
ここで手を出して暴力事件に発展させるほどおれもバカじゃない。非常に気に食わないが相手は生徒会長。発言力の高さには勝てない。
「さぁな」
きつく睨みつけてから横をスルーした。
多くを語らない分、相手が焦って肩を掴んできた。
「まさか今の撮ってたりしてねぇよな」
録画。残念だな、それは思いつかなかった。
イキリがこんなにビビるならスマホ回しておけばよかった。
「どうなんだよ。なんとか言えっ!」
「……」
おれはバスケの試合と同じで追い詰められれば追い詰められるほど冷静に、客観的に状況判断できる。だから肯定も否定もせずに黙っていた。
イキリは焦っている。パニックになっている。まるで試合終了直前に破れかぶれでシュートを打つド素人みたいだ。
「佑斗、たぶん大丈夫だよ。もし本当に撮っているなら言うはずじゃん。脅す手段がなにもないから黙ってるんだよ」
「そ、そうだよな」
早乙女になだめられて冷静になったらしい。血色ばんでいた顔が元に戻っていく。
「ムカつくんだよおまえも間宮もバスケも。あんな玉遊びなにが楽しんだか意味分かんねー」
「緋色とバスケをバカにすんな」
ずいっと迫るとイキリが怯んだ。
自分が見下していた相手に気圧されてさぞ悔しいのだろう、イキリは惨めなほど虚勢を張る。
「ふ、ふん、”許さねぇ”って啖呵切ったけど、どうせバスケでしか勝ち目ないんだろう」
「ざけんな。バスケは楽しむもんだ。ケンカの道具じゃねぇ。くだらない争いになんか使わねぇよ」
バスケをやる以上は楽しく真剣に。
そこに低俗な諍いなんて必要ない。
「――もう行こうよ佑斗。こんな奴と話してても時間の無駄だよ」
分が悪いのを悟って早乙女が腕を引いた。けれどイキリは腹の虫が収まらないらしく歩き出してからもこっちを振り返って叫んだ。
「絶対に後悔させてやるからな!」
ふたりの姿が建物の向こうに消えたのを確認し、改めて体育館に足を踏み入れた。
「ひいろ」
「……ひと君?」
体育館の床でうずくまっていた緋色はよろよろと立ち上がり、にぱっと笑顔を作る。
「どうしたの、先に帰ってて良かったのに。もしかして探してくれた? ひと君は本当に淋しがりやなんだから♪」
明るく振る舞っている。必死なまでの笑顔が痛々しくてこっちが泣きたくなった。
「いいよ緋色。無理しなくても」
「え? なんのこと? 私は別に――」
「これ」
指先を伸ばして目じりの涙を拭ってやった。誤魔化そうとすればするほどに溢れてくる涙は、
「ごめん。盗み聞きしてた。だからおれの前では無理しなくていい」
「…………うっ」
顔を赤くした緋色が堰を切ったように涙をこぼす。はげしく震える体を正面から抱きしめると首に腕を回してきた。
ただしずかに寄り添う。いまはそれしかできない。
※
三日後の昼休み、おれと緋色は顧問から理科準備室に呼び出された。
急いで向かうと男バスの二年が全員揃っていた。「男バス全員を緊急招集だなんて、一体なんすかね」と不思議がる小石崎たちだったが、おれと緋色は空恐ろしいものを感じていた。あのことでイキリ桶川がなにかしたのかもしれない。
「やぁ遅くなって悪いね」
くたびれた白衣姿で現れた顧問は全員揃っていることを確認してから「じつは」とため息交じりで切り出した。
「今朝、三年生から大量に退部届が出されたんだ」
机の上に置かれた「退部届」の束には名前ばかりの幽霊部員たちやイキリ桶川が来るときだけのマネージャーたち(早乙女含む)の記名があった。日付は昨日、理由は揃いも揃って「受験勉強に集中するため」。どう考えても示し合わせて書いたに違いない。
「知っていると思うが運動系の”部”の最低人数は10人。10人以上いなくては公式な大会への出場は許可されない」
思わず緋色と顔を見合わせた。
二年の7人におれと緋色。そして唯一「退部届」のないイキリ桶川を含めると、きっかり10人。
「じつは今朝、生徒会長の桶川君から相談があった。”生徒会の活動に専念するためバスケ部を辞めようと思っている”と。だが彼が抜けては人数が足りなくて公式大会に出られない。それだけはいけないと必死に慰留したよ。そうしたら部内の人間関係について言及があったんだ。……具体的には話せないけど」
合宿に同行した顧問は小石崎たちの頑張りやイキリ桶川の狂言についても大方承知しているのだろう。だから言葉を選びつつも事実だけを淡々と述べている。
「じゃあいいっすよ!」
黙って聞いていた小石崎がこらえきれないように机をたたいた。
「幽霊だけの部員もあんな部長もいらないっす! 人数が足りないなら一年にたくさん入ってもらえればいいじゃないっすか。見学期間にガチの試合やって」
「でも試合しても見に来てくれるのかな」
口を挟んだのは二年の小田だ。どういう意味かと詰め寄る小石崎の顔色を気にしつつ言いにくそうに口を開く。
「今朝同じ電車に目をつけていた一年が乗っていたから思いきって勧誘かけてみたんだ。そうしたら”部内で暴力沙汰があったんだろ”って冷たく断られてさ」
「はっ!? 暴力? なんだよそれ意味分かんねー」
「俺たちも意味分からなかったよ。だけど一年の間でそういう噂が広まっているらしいんだ。問題のある部にわざわざ入ろうと思わないだろ。だから折角試合をやってもだれも見に来ないかもしれない」
つまりはこういうことだ。
一年の入部が期待できない現状、春大会に出るためにはヤツに頭を下げて部に残ってもらうしかない――。
プライドの権化でもあるイキリは恐らくおれの態度が許せないのだろう。だから男バスが窮地に陥るよう根回しして退部届を書かせた。
だったらやることは決まっている。
「おれが生徒会長のところに頼みに行くよ」
「ひと君!?」
「
みんなが一斉におれを見る。
「悪い。三日前に生徒会長と諍いを起こした。今回のことはおれに責任がある。きっと頭を下げて頼めば残ってくれるだろうし、早乙女もついてくれば10人になるだろう。おれが抜けても問題ない」
「そんなのダメだよ! ひと君はなにも悪くない」
緋色が必死に追いすがってくる。小石崎もそれに続いた。
「合宿で他校のやつらと約束したんすよ。絶対に全国に行くって。そのためには先輩の力が必要っす。部長なんて……あんな雑魚、ウソでも先輩なんて呼びたくないっ」
「――聞き捨てならないな、だれが雑魚だ」
騒然とする理科準備津に現れたのは雑魚――いやイキリ桶川だった。
二年たちの目が鋭くなるがどこ吹く風。早乙女を伴って悠々と歩いてくる。おれは早速正面に立って頭を下げた。
「桶川。この前は悪かった」
「へぇ、ずいぶんと素直なんだな」
イキリ桶川は満足げに腕を組む。たまらず小石崎が前に出ようとするのに気づいて肘で小突いておいた。丸く収めようとしているんだから静かにしとけ。
「いくらでも謝るし部活もやめる。だからおまえ……部長は残ってくれ。頼む」
緋色を泣かせたことは絶対に許せない。
でも今は意地を張るべきじゃない。こちらが折れてでも小石崎たちを春大会に出場させてやりたい、それだけだ。
「もういいって、俺はべつに頭下げてほしいなんて思ってないぜー」
イキリ桶川は上機嫌な様子で手を振った。
「逆に謝りに来たんだよ、生徒会活動が忙しくて顔出せなくて悪かったなって。部長として大いに反省した。桶川だっけ、おまえも頑張ってたみたいだし、ぜひバスケ部に残ってくれよ」
緋色が安堵の息を吐いたが、おれはまだ警戒を解かなかった。あれだけ根回ししておいてどういう風の吹き回しだ。
イキリ桶川は顧問、二年、そしておれを順番に見てからもったいぶるように笑う。
「言ってたよな、バスケは楽しいものだって。――なら存分に俺を楽しませてもらおうかな」
※
四月十三日。
おれの誕生日だがのんびり祝っている余裕はない。部活見学の解禁日なのだ。
放課後、学校の裏口で待っていると青いジャージを着た一団が駅の方から歩いてくるのが見えた。「ここだ」と手を振るとダッシュしてくる。
「佑人、久しぶりだな」
先頭にいたのは青嵐高校女子バスケ部キャプテン、碧だ。久しぶりに会えて嬉しいのか顔をほころばせる。
「おひさでーす」
続いてのぶ子さんと二年生の女子が数人(小石崎がフラれた相手もいる)。そしてまだあどけない顔立ちの男子生徒が四人だ。つい先日青嵐高校に入学したばかりの一年で、まだジャージに馴染んでもない。
「碧もみんなも遠くから来てもらってありがとうな」
「気にすることはない。幸いにして今日は学校の創立記念日で休み、佑人の頼みとあればどこへでも。緋色は元気か?」
「うん。いまは体育館でみんなとウォーミングアップ中。敵チームだから仲良くしちゃいけないんだ。――あ、おれ桶川佑人。よろしくな」
四人の男子生徒に視線を向けるとそろって背筋を伸ばした。
「南田です」
「北村です」
「西園寺です」
「東山です」
「「「「よろしくお願いします!!」」」」
「元気で礼儀正しいな。さすが青嵐高校にバスケ推薦で入っただけはある」
「もちろん。熊田監督が熱心に口説き落とした逸材ばかりだ。全中の優秀選手やジュニアユースを経験した者もいる。うまく動いてくれると思うぞ」
「助かるよ。じゃあ更衣室に案内する」
これから始まるのはバスケの試合だ。
部活見学解禁日の今日、生徒会長権限で体育館のオールコートを貸し切り、フルセットの練習試合をおこなう。新入生たちにその様子を見てもらい、入部希望者を増やそうという狙いだ。
碧に用意してもらった青嵐のユニフォームに着替えて体育館に入るとすでに大勢のギャラリーが集まっていた。一年だけじゃなく二年、三年、そしてイキリ桶川の取り巻きも。これだけの人数を集めたのは他ならぬイキリ桶川たちの宣伝があったからだ。
こっちに気づいた4番のイキリ桶川がいかにもキャプテンらしい真面目な顔つきで近づいてくる。
「桶川、人数合わせのためにそっちのチームに入ってもらって悪いな。でも対戦相手として挨拶だけはちゃんとさせてもらうよ。今日はよろしくな。くれぐれもお手柔らかに」
おれと青嵐一年の対戦相手は
「そっちのメンバーは青嵐高校の一年か。よく来てくれたもんだな、負けると分かってるのに」
耳元でくすくすと笑ってから何事もなかったように去っていった。
そう、この試合には暗黙の了解がある。
イキリ桶川のご機嫌を損ねないよう楽しく――――気持ちよくプレーさせることだ。おれは敵チームのキャプテンとして無様に負ける道化を演じる。
シナリオはこうだ。
生徒会長であるイキリ桶川が”暴力問題”を取りざたされるバスケ部の試合で見事なプレーをみせ、わずかな点差で勝利する。感動とともにバスケ部の潔白は晴れ、ついでにイキリ桶川の女性信者も増えるという寸法だ。
簡単に言えば「接待バスケ」。
心底くだらねーと思うけど今はヤツからの提案に従うしかない。
「事情は聞いているが本当にいいのか? 佑人」
試合開始直前、碧が問いかけてきた。
負けるためだけの試合。それがどれだけつまらないのか碧も理解している。
「昨日、小石崎たちとも散々話したよ。その上でちゃんと決めた。おれたちはおれたちのやるべきことをやるって」
「……そうか。ならばなにも言うまい。健闘を祈っている」
「サンキュ。行ってくる」
互いにリストバンドした手でハイタッチし、いざセンターコートに向かう。
ふと敵チーム側にいる緋色と目が合った。大丈夫、と強く頷いて見せる。
それで緋色も迷いを吹っ切ったのか、リストバンドを巻いた手を大きく左右に振ってエールを送ってくれた。敵なのにな。
いよいよ試合開始。ジャンプボールからはじまる。
審判は碧たちが務めてくれることになった。
「先輩。分かってるっすよね」
隣り合った小石崎が真剣なまなざしで釘を刺してきた。もちろん、と親指を立てる。
――ピッ!
碧が投げたボールに林と南田が飛びつく。
ティップオフ。
ボールをキャッチしたのはイキリ桶川だ。
「よし、まずは一点入れよう」
素人丸出しのどたどたしたドリブルでゴール下まで走っていく。あらかじめ指示した通り、おれも青嵐の一年ものんびり追いかけるだけ。決して手を出さない。
完全ノーマークのイキリ桶川がぎこちなくシュートを放った。
が、あっさりリングに弾かれる。「惜しい!」と外野からの悲鳴。惜しいもなにもこれくらい入れろよ。
こぼれ球を拾った小石崎は無表情のままイキリ桶川にパスする。その間おれたちディフェンスはただ突っ立っているだけだ。
二回、三回と失敗して、四投目にしてようやくシュートが入った。
「っしゃあ!」
ガッツポーズするイキリ桶川と「かっこいー」と絶叫する外野(一部)。ほとんどのギャラリーは「なにこれ」とばかりに顔を見合わせていた。おれも同感。接待させるつもりならもうちょっと巧くやれよ。
でも、これでいいんだ。
だって――――。
「よし次止めるぞぉ」
気合いを入れて構えるイキリ桶川。西園寺のスローインから再開だ。
おれがセンターコートで待ち構えていると目の前に小石崎がやってきた。目が合い、互いにニヤリと笑う。
「手加減はなしっすよ、
「あたりまえだ。格の違いを見せてやる」
スローイン。東山がキャッチして走り出した。待ち構えていたイキリ桶川がアホみたいに手を出すが全中の優秀選手である東山は軽くフェイントをかけて一瞬で抜き去る。
おれも走りながら叫んだ。
「速攻だ! 全員走れ!」
「え?」と目を剥くイキリ桶川をよそにチーム全員がゴールに向かって走る。
「ディフェンス! 戻れ!」
小石崎も走る。が、遅い。
西園寺と目配せしてから高くジャンプした。ドンピシャのところにボールが飛んでくる。そのまま思いっきり叩きつけてやった。
ゴールが激しく軋む音とともに会場から割れんばかりの歓声が湧き起こる。
「…………え?」
イキリ桶川は呆けたまま一歩も動けない。だからリングにぶら下がったまま叫んでやった。
「なにボーっとしてんだよ、――楽しもうぜ、バスケ」
【TIP-OFF……密告する、こっそり教える。バスケでは試合開始のジャンプボールのこと】
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