第36話 おまえだけは絶対に許せねぇ

注)イキリ桶川の態度については「ざまぁ」における布石もとい様式美とご理解の上お楽しみください。



『――新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。月波高校生徒一同、心より皆さんを歓迎します。ぼくは生徒会長の桶川佑斗と申しまして……』


 生徒会長イキリによるつまらない歓迎の言葉が響き渡る体育館。

 生徒会長当選の挨拶や卒業式の送辞で同じようなセリフを聞き飽きている身としては「またか」という気になる。


「なぁ、あいつ今日は何回『ぼくは』っていうか数えようぜ」


 整列していると後ろから賢介が小突いてきた。やだよめんどくさい、と前を向く。


 こういうことをやってきた。こう思う。こうでありたい。ぼくはぼくはぼくは――どんだけ自分が好きなんだってこと。ここは選挙の遊説先じゃないんだぞ。


 などと心の中で文句を言っても、抜群のルックスで圧倒的な人気を誇るヤツの言葉にじっくり耳を傾けている女子生徒は多い。あくびなんてしようものなら睨まれる。言いたくはないが少し前までは緋色もそのひとりだったのだ。


 生徒会副会長である緋色はいま、他の役員と同じようにステージ下に立っている。制服姿が久しぶり(と言っても三週間くらい)のせいか前より可愛く見える。髪も伸びたようだ。かわいい(語彙喪失)。


『――ぼくは考えました。三年という短い高校生活をいかに有意義に過ごすかは自分の行動しだい……』


 じっと視線を送っていると緋色がふいにこちらを向いた。目が合ったので小さく手を振って合図する。すると緋色も笑顔を浮かべ、耳の上の髪をかき上げる仕草に紛れてさり気なく手を挙げてくれた。前ならありえないことだ。


 あぁ愛されてんなって胸がウズウズする。


『というわけで皆さん楽しい毎日を送られることを心から祈念して歓迎の挨拶を終えます。月波高等学校生徒会会長、桶川佑斗』


 なにはともあれ今日から新学期。三年生だ。



 ※



「はいひと君。あーん」


「どれどれ……ん、うめぇ! なんだこのきんぴらごぼう! 世界一うめぇ!」


「それ冷凍だよ?」


「なんだー。でも解凍の手間かかってるもんな。美味いわけだ」


 お昼休みに部室でイチャイチャしてすまない。実は三月三十日の誕生日以降ひさしぶりに会ったのだ。

 ワケあって(理由は察してくれ)おれの熱が長引いたのと新入生の歓迎準備に追われた緋色とのすれ違いがあって、こうして顔を合わせるのは約一週間ぶり。

 たとえ昼飯が梅干し一つの白米であっても緋色の笑顔があれば何杯でも食べられそうだ。


「そろそろやめてくんないすかね、見ていて不愉快っす」


 ちくりと刺してきたのは市販のパンをかじる小石崎だ。他の一年……いや二年たちに「やっかみこえー」とからかわれ「うるせっ」と怒鳴って牛乳パックのストローにかじりつく。青嵐高校の女の子にフラれたこと相当気にしているんだな。気の毒に。


「昼休みにこうして集まったのは先輩たちのイチャイチャを見せつけられるためじゃなくて、どうやって新入部員を増やすか会議するためっすよね」


 そう。入学式の日は午前のみ。午後に部活があるおれたちが昼休みにわざわざ顔を合わせたのは喫緊の問題である新入部員をいかに増やすかを相談するためだ。


「たしかに小石崎の言うとおりだな。全試合ほぼフルメンバーが出ることになるから春大会を勝ち抜くのは厳しい。勝てば勝つほどどうしても体力面で問題がおきる」


「三年の幽霊部員はアテにならないし、使えそうな一年に入ってもらわないといけないっすよね」


「あ、私、生徒会特権で少し調べておいたよ。ミニバスしていた子や中学でバスケ部だった子」


 他の二年たちも背の高さや体つきの良さそうな一年をすでにチェックしていて、緋色が用意してくれた名簿を見ながらスカウトする人材を相談することになった。


 昨年は一回戦敗退だった小石崎たちが勝つことを前提に動いている。

 信じられない意識の変化だ。きびしい合宿を経てそれだけ自信がついたのだろう。


「部活見学は再来週の四月十三日から。できれば初日にどーんとでっかいことやりたいんすけど、マネージャーどう思います? ガチの試合とか」


 いいね、と手を叩いた緋色だったがすぐに考え込む。


「オールコートで、だよね。でも見学期間中は他の部も気合い入れているから半面しかとれないかも」


「生徒会長権限でどうにかならないんすか、仮にも部長なんすよね、あの人」


 小石崎が言外に非難しているのはオールコートをとれないことではなく名前ばかりの部長兼キャプテンのイキリ桶川のことだ。キャプテン代理として合宿に参加したおれに一言の礼もなかったのはともかくとして、春休み中に一度も部活に顔を出さないのは怒っていいレベルだ。


「前から不満だったんすよね。生徒会長の仕事が忙しいから部活に出られないって言うけど、このまえインスタ見たら春休み中に彼女と旅行いってたみたいっすよ。仮にもキャプテンならキャプテンらしいことしろっつーの」


 小石崎の不満が爆発するのはそれだけ春大会に懸けているからだ。キャプテンである以上アイツも出場するつもりだろうが、実力不足は否めない。碧たちと交流試合したとき尻尾を巻いて逃げ出したみたいに旗色が悪くなるなり交代されてはたまらない。


「みんなごめんね。私、……今度、ちゃんと話してみる」


 ハッキリとした声で緋色が宣言した。


 桶川おさななじみの件で緋色が矢面に立つ必要はないけど、強い決意を秘めて頷く姿を見ていると頼もしいと思う。


「でも緋色ひとりで戦う必要はないからな」


 そっと肩を叩くと嬉しそうに笑って寄りかかってきた。


「ありがとう。ひと君大好き♪」


 遠慮なく甘えてくるので逆にこっちが恥ずかしくなる。見ると小石崎たちは明後日の方向をみて黙々と昼飯をかきこんでいるのだった。空気の読める後輩たちにはなんだか申し訳ない。



 ※



 ――事件が起きたのは翌週だった。


「別れたらしいな」


 部活休みの月曜日、帰ろうと荷物を整理していたら賢介が後ろからのしかかってきた。


「重いっつーの……なにが別れたなんだよ。おれと緋色は現在進行形でラブラブだ」


 百キロ近い巨漢をぐいっと押しのけて左手首のリストバンドを見せつける。実は最近、”Enjoy”のほかに”YUTO♡HIIRO”の刺繍が入ったのだ。もはや婚約指輪じゃないか。


 賢介は目を細めて一言。


「きもっ」


「っだぁ小石崎たちと同じ反応すんじゃねーよ! とにかくおれたちは相思相愛なんだ。別れるなんてありえ――」


「じゃなくて生徒会長の桶川佑斗と早乙女だよ。なんか昨日ケンカして別れたらしいってタレコミがまわってきた」


「……へぇー」


 虚を突かれた。イキリとドクモが。ある意味ではお似合いのカップルだったのに。

 ざまぁみろ、と思う反面なぜか冷や汗が出てきた。緋色はどうするんだろう。


「ひいろ――……」


 振り返って教室内を探した。カバンは残っているが肝心の姿がない。

 ピロリン、とスマホが鳴った。なんとなく嫌な予感がしてすぐさまラインを開く。


『用事ができちゃったので今日は先に帰ってて。ごめんね』





『間宮の目撃情報あったぞ。第一体育館だ。生徒会長とふたりでいる』


 緋色を探して校内を走り回っていたおれに賢介から電話が入った。

 なんでこんなに焦っているのか自分でも分からない。――いや、本当は分かっている。緋色がアイツに乗り換えるんじゃないかと不安なんだ。


 おれは死に物狂いでアプローチし、ようやく両想いになれた。だけどそれは向こうに早乙女という彼女がいたからだ。心優しい緋色は諦めるしかなかった。だからもしフリーになったアイツが少しでも緋色に優しくしたら、おれの気持ちなんか簡単に忘れ去られるんじゃないかと思ってしまう。それが怖いのだ。


 外から回って体育館の入り口にたどり着いたとき、中から声が聞こえた。


「黙っていたら分からないよ、ゆーくん」


 ステージの手前でイキリ桶川と緋色が向き合っている。ふたりきりだ。

 少しでも近くで様子をみようと格子状の窓の前に移動して中をのぞき込んだ。


 項垂れていたイキリ桶川が「あいつにフラれた」と顔を覆う。緋色は心配そうに身を乗り出した。


「早乙女さんのこと?」


「俺とはもう付き合えないって。ひでぇよ、ブランドものの財布やカバン買ってやったり旅行にも連れて行ってやったのに俺が親から小遣い制限された途端に見切りつけるんだから。どうせATMとしか思ってなかったんだ」


「でも高校生なのにそんなにお金使うのはおかしいよ。早乙女さんもゆーくんもおかしかったんだよ」


「そうだな、おかしかったのかもしれない。ひとりになって気づいたんだ、やっぱり俺にはひろちゃんしかいないって――」


「ゆーくん……」


 イキリ桶川の手が緋色の肩に伸びる。

 やめろっと叫びたかった。おれの彼女に触るな。おれの大切な緋色に。


 でも。

 もし緋色がそれを望むならおれは――。ぎゅっと目を閉じた。




「そういうのもうやめよう、ゆーくん」




 響き渡った声。

 息継ぎするのを忘れた。おそるおそる目を開いて中を確認する。

 イキリ桶川の手を拒むように後ずさりした緋色が、まっすぐ幼なじみを見上げていた。


「私だってバカじゃないよ。失恋するたび思い出したように『ひろちゃんひろちゃん』って甘えてきたよね。なにかと都合が良かったからでしょう。今回はなに? お父さんやお母さんをとりなしてお小遣い増やしてもらうために利用するの?」


「ちがう。本気でひろちゃんのことが好きなんだ」


 イキリ桶川は必死に首を振る。

 しかし緋色はいたって冷静だ。


「ありがとう。でもごめんなさい、好きな人がいるの。――その人は私のことをずっと想い続けてくれた、ゆーくんのことを好きなことを知ってても諦めずに好意を伝え続けてくれたんだ。それってスゴイことだと思う。私いまとっても幸せなんだよ」


 その言葉を耳にした途端じわりと胸が熱くなった。

 一瞬でも緋色のことを疑った自分が恥ずかしい。こんなにもおれのことを好きでいてくれたのに。



「――――……あぁそうかよ、じゃあもういい」



 だん、と床を蹴られた緋色がびくっと体をすくませる。冷たい声。アイツなにをするつもりだ。


「もういい、録画止めろ」


 イキリ桶川の合図とともにステージのカーテン裏から早乙女が出てきた。スマホをいじりながらつまらなそうに息を吐く。


「せっかく面白い動画とれると思ったのにね」

「だからヤだったんだよ。”幼なじみにリアルに告ってみた”だっけ。こんなんで再生数とれるっていうから」

「仕方ないじゃん。佑斗のお小遣い減らされちゃったんだから。利用できるものは利用しないと」


 なんだ。一体、なにが起きたんだ。

 おれだけじゃなく緋色も困惑している。


「ゆーくん……早乙女さん、一体なにを」


 どうやらイキリ桶川と早乙女が別れたのはフェイクで、動画サイトでの再生数で小遣いを得ようとしていたようだけど。


 腕を組んでスマホを見ながらあーだこーだ言い合っていたふたりは緋色を見てさもおかしそうに笑い声を上げた。


「なにが”ありがとう。でもごめんなさい、好きな人がいるの”だよ。くだんねー。俺が今更おまえなんかになびくわけねぇだろ、自分の顔鏡でみてみろ」

「ねぇ佑斗これさ、”モテない幼なじみにウソ告してみた結果”ってタイトルにして流しちゃう? ちょっと編集すれば面白くなるかもよ」

「いいなそれ、映研に頼めばいい感じにできるかもな」

「でしょー? あたし天才」


 ふざけんな。

 ひどい。あまりにもひどい。緋色の気持ちをなんだと思ってるんだ。

 もう我慢できない。おれが。


「いいよ、好きにすればいい。動画編集して流すでもなんでも勝手にしていいよ。でもゆーくん、これだけは約束して」


 いままさに体育館に乗り込もうとしていたおれは身動きとれなくなる。

 ぶるぶると肩を震わせながらも緋色は懸命に言葉を継ぐ。


「バスケ部に来て。春休み中にみんな信じられないくらい頑張って上手になったんだよ。このままいけば県大会も目じゃない。ゆーくんキャプテンでしょ、練習に来てよ、一緒に戦って」


 びっくりした。

 おれたちは部長として役立たずのイキリ桶川を排斥することしか考えなかったのに、部員としてのイキリ桶川を見捨てずに一緒に頑張ろうって手を伸ばしている。


 それは優しさであり一方では甘さでもあるのかもしれない。

 でも、すげぇよ。あんなふうにバカにされたあとで言えるなんて。すごいよ。惚れ直した。


「佑斗、いこ」


 早乙女に促されて歩き出すイキリ桶川に緋色が追いすがる。


「お願いゆーくん。バスケを」


「だれがあんな玉遊びに本気になるんだよ、ばーかっ」


 振り払った衝撃で緋色が床に尻餅をついた。倒れ込んだままおおきく肩を震わせる。


「……っ、ひっく……ゆーくん」


 小さな嗚咽が聞こえた瞬間、


 おれの中で、


 ぷちん、と


 なにかが切れた――。



「あん? なんだ盗み聞ぎかよ」


 体育館から出てきたイキリ桶川がおれに気づく。こっちが黙っているのをいいことにそのままスルーしていこうとしたが肩がぶつかって派手によろめいた。


「ってぇな、なんだよおま――」


「黙れ」


 そのときおれは自分がどんな顔をしていたのか分からない。

 イキリ桶川と早乙女が青ざめたのを見て、自分の内側で冷たく燃える炎に気づいた。どろどろとしたマグマが溢れてくるようだ。


 深く、大きく、吼える。


「桶川佑斗。おまえだけは絶対に許せねぇ」

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