きみと、バスケ

第35話 緋色の誕生日。密はいけません。

注)新型コロナがない世界におけるネタです。三密には気をつけましょう。



 合宿翌日、三月三十日はかねてより待ちわびていた緋色の誕生日である。

 この日のために近隣の店をリサーチし、最近できたばかりのオシャレなカフェを予約した。店自慢のケーキや紅茶を飲みながら小遣いを前借りして買ったプレゼントを渡す――――つもりだったのだが。


「ただの風邪ですね」


「えぇー!!……っくしゅん!」


 診断結果は「風邪」。今朝起きたら寒気がしたので体温をはかったら37℃台。すぐさまかかりつけの整形外科(内科もやってる)を受診したのだ。


「薬でどうにかならないんですか!? 今日彼女の誕生日なんですよ! デートの約束してるんです」


「仕方ないでしょうね。それとも無理して大事な彼女さんに風邪を感染うつしてもいいのかな?」


 五十近い男の先生は穏やかな笑顔できついことを言ってくる。

 風邪をうつす……確かにそれはイヤだ。緋色に迷惑かけたくない。


「じゃあお大事にね」


 先生はダメ押しのように微笑んだ。




 結局家で大人しくすることにした。

 寝巻に着替え、おでこに冷えピタを張り、薬を飲んでから布団にもぐりこむ。


「佑人、何かあったら声かけなさいね」

「おにーちゃんお大事に」

「だいじにー」

「ばうっ」


 母さんたちの足音が消えてからスマホを手に取った。緋色から返信かある。

 「ごめん」「申し訳ない」「この穴埋めは必ず」とメールを送っておいたが、「ひと君が元気にしてくれているのが一番のプレゼントだよ」と優しい言葉。


 あぁおれの彼女、天使! 感激のあまり涙と鼻水が出た。


 いや厳密にはまだ彼女ではないのかな。四月十三日に告白するって言ってあるから。でも緋色はおれのこと「大好き」って言ってくれたしキスもした(二回も!)。これで付き合ってないとは考えられないよな。


「彼女――……かぁ」


 我ながらよく頑張った。

 合格発表の日に一目ぼれしてからずっと緋色を追いかけ続けたんだ。


 イキリ桶川の名前が出るたびに針で刺されたように胸が痛んだけど、それも含めて緋色だからと自分を鼓舞して、少しでもつけ入る隙がないかと何度も手を伸ばした。ただひたすらに「緋色が好きだ」っていう熱に浮かされて。


 諦めなくて良かった。手を伸ばし続けて良かった。



 『私もひと君のこと大好きだから』



 緋色の顔が脳裏に浮かぶたび熱がぶり返してじんじんしてくる。

 今日はデートをとりやめて良かったかもしれない。こんなニヤけ顔、緋色には見せられない。




 ――うとうとしていたら夢をみた。

 高校の合格発表を見に行くと長い黒髪の女の子がキョロキョロしていた。緋色だ。


『どうしました?』


 振り返った眼鏡姿の緋色は『番号、見つからなくて』と涙目。


『知ってるよ。1193。”いいきみ”だろ?』


『どうして知ってるの?』


 目を丸くする緋色に普通科の掲示板を示してやる。


『ここは商業科。1193はそっちに書いてある。おれの番号も』


 もう一方の掲示板を確認した緋色は手を叩いて飛び上がる。


『ホントだ。やったー!! もしかしてあなた知ってたの? 春から同級生?』


『そうだよ。同じクラスになる』


『すごい、予知能力者みたいだね。――あ、私ゆーくんに電話しないと。でもそのまえに』


 手を差し出された。

 あのときと同じように。


『私、間宮緋色。これからよろしくね』


 白状しよう。あのときおれは手を握り返せなかったんだ。だって一目惚れなんて初めてで、目の前にいる女の子がめちゃくちゃ可愛くて見えて自分の目がおかしくなったのかとパニクってたんだから。


 でもいまはちゃんと握りしめられる。緋色への想いを自覚し、覚悟したいまなら。


『おれは桶川佑人。ここで初めて出会ったときに緋色に一目ぼれしてたんだ。今でも好きだよ』


 緋色も花が綻ぶようにふんわりと笑った。


『ずっと好きでいてくれたんだね、ありがとう。私もね、ひと君のこと』




 かすかに物音がして意識が冴えてきた。あ、おれ寝てたわ。まだ目が開かないけど。


「しー、だよ」

「しー、ね」


 この声はモモとハナか。

 看病に来てくれたのかな、可愛いやつらめ。


「寝てるからちょっとだけだよ」

「みるだけよ」

「分かってるよ、モモちゃんハナちゃん」


 ん? この声は?


「せっかくケーキ持ってきてくれたのにね」

「ハナいちご食べる!」

「だめモモがいちごでしょ!」


「しーだよ! しー! いちごケーキふたつあるから仲良く食べて」


「「やったー!!」」


「しーだってば! ひと君起きちゃう」


 まさか!


「緋色!!??」


 がばっと起き上がるとベッド脇に座っていた三人が同時にのけ反った。

 手と頬に鼻先に生クリームをつけたモモとハナ、そして緋色が申し訳なさそうに「ごめんね」と手を合わせる。


「お見舞いに来たの。迷惑かけちゃいけないと思って玄関先でと思ったらモモちゃんとハナちゃんに連れてこられちゃって」


「おにーちゃんにケーキ見せたかったの―」

「おいしーよー。食べる?」


 ふたりが抱える白い箱の中には苺ショートやレアチーズ、チョコレートムースのケーキがきれいに並んでいた。飾りに書かれた文字を見て気づく。今日緋色とデートするはずだったカフェのケーキだと。


 おれ、どれくらい寝てたんだろう。

 目覚まし時計を見ると布団に入ってから四時間も経っている。もう昼過ぎだ。


「こらモモ、ハナ、お昼ごはん食べちゃいなさい!」


 奥から母さんの声がして、ふたりはきゃあきゃあ言いながら箱を抱えて駆けていく。取り残された緋色はワンテンポ遅れて腰を浮かした。


「休んでいるところごめんね。私もこれで……」


「待っ」


 とっさに手首を掴んでしまった。

 緋色に比べて自分の手が思った以上に熱いことに驚いてパッと放す。


「ごめん! でも、その、せっかく来てくれたんだから、少しだけでも話したいなぁと。うつないように気をつけるけど」


「……ぅん、私もちょっとだけでも話したいと思ってたんだ」


 うれしそうに笑い、正座しなおす。


 改めて考えるとおれの部屋に緋色がいる違和感といったらない。

 自分の汚い部屋にぱっと花園が現れたみたいで、そこだけスポットライトが当たっているように神々しい。なんだか手を合わせたくなる。


「熱はどう? 体つらくない?」


「ちょっと節々が痛むけど熱は下がってると思う。昔からそうなんだ。バーッと熱が出てすぐ下がるから友だちからはズル休みだと疑われることがあって」


「どれどれ?」


 にょっと伸びてきた手がおれの額にぴたっと触れた。

 突然のことで思考が追いつかない。手での検温だなんて、まるで母親みたいだ。


「うーん。手だと分からないかも」


 そう言ってベッドに身を乗り出してきた。

 ちょっと待て! もしかして定番のおでこ検温か……!?

 一気に体が熱くなる。ダメだ。


「ちょっちょちょたんまたんまっ!!」


 こらえきれず目の前で大きくバツ印を作った。すぐ目の前まで迫っていた緋色はちょっと驚いたような顔をして「そっか……」と身を引く。残念そうだ。

 ごめん緋色。でも興奮して鼻息とか吹きかけちまうから許してくれ。


「そうだケーキありがとうな。誕生日の本人に買わせるなんて、ほんと申し訳ない」


「一緒にお祝いしてってシュート対決のとき約束したからね。それにケーキは小石崎くんたち一年生が買ってくれたんだ。これ持ってお見舞いに行けって呼び出されたの」


 どうりで。風邪引いたってラインしたら店をしつこく聞いてきたのはこの為か。かわいい奴らめ。


 あいつらの期待に応えないと。


「緋色……これ、誕生日プレゼント」


 ベッドの横に置いていた水玉模様の紙袋を引き寄せる。今になってこれで良かったのか心配になってきたけどもう引き返せない。受け取った緋色は目を白黒させている。


「ありがとう。ここで見ても良い?」


「いいよ、大したもんじゃないけど」


 紙袋の口を開けた緋色は中身をみて「あっ」と小さく息をのむ。


「みんなと同じ……」


 現れたのは月波ウチが使う試合用の白いユニフォームだ。番号は30。MAMIYAと名前が入っている。


「うん、そう。前に緋色は桶川おさななじみについてバスケ部に来ただけって言ってたけど、これまで頑張ってきただろう。一年たちもすごく感謝してて、おれがプレゼントに悩んていたら色々アイデアだしてくれたしカンパもくれた。だからこれはおれ個人というよりおれたちからのプレゼント。緋色はもう月波ウチの大事なメンバーなんだよ」


「……っ」


 ユニフォームを抱きしめた緋色の目がじわりと潤む。

 こらえきれないように唇を覆ったかと思うと、おおきく肩が上下した。


「…りがとう、ありがとう。すごくうれしいっ!」


 感極まったように腕を広げて抱きついてきた。突然すぎて頭がついていかない。

 みっ密着! 近すぎる! む、むむ胸も当たってる!


「落ち着け、おれいま病人だから、風邪うつったら大変だから!」


 やむをえずベリッと引きはがして距離をとった。緋色も我に返ったのか恥ずかしそうに顔を伏せる。


「ご、ごめんね。なんだか興奮しちゃって」


「お、おれも、風邪じゃなければいくらでも――ってなに言ってるんだ」


 互いに視線をそらして微妙な空気になってきた。

 あぁもうくそ、早く風邪治したい。そうしたらいくらでもハグできるのにぃー。


「私、ひと君に確認したいことがあったんだけど」


 おもむろに手を伸ばしてきた緋色が布団の端っこを掴む。上目遣いにおれを見、顔を赤くしている。


「私たち昨日、キスしたよね……? なんだか現実味がなくて。バスの中では寝ている時間の方が多かったから、もしかして夢だったんじゃないかと思っちゃって」


 昨日は合宿の疲れからかバスの中ではおれも緋色もほぼ寝ていた。

 夢を見ていたんじゃないかって不安になる気持ちも少しは分かる。


「だとしたらおれも同じ夢見ていたよ。緋色と二回もキスした夢」


「に、二回もしたっけ」


「うん。緋色が”おかわり”してきたんだ。あ、でもおれの願望が見せた夢かもしれないけどな」


「どうしよう――口でのキスなんてゆーくんともしたことないのにっ」


 こらえきれないように顔を覆う緋色をみておれも恥ずかしくなる。どんどん熱があがっている気がするけどもうどうにでもなれ。


「ごめんね。私とのキスなんてヤじゃなかった?」


「全然。やわらかかったし優しかったし最高だった」


「~~~!!」


 さらに体を小さくして恥ずかしがってる。ほんと純粋だな。見ていて飽きない。つい、からかいたくなってしまう。


「もし心配なら夢だったかどうか確かめてみるか?」


「え?」


 ちょっとした悪戯心でけしかけてみた。

 緋色の目つきが変わる。


「だからもう一回キスするんだよ。もちろんおれの風邪が治ってか……」


 治ってからだけど。と続けたかったのに、突然身を乗り出してきた緋色に一瞬で唇を奪われていた。


「ほんとだ、夢の中とおんなじ感触がするね」


「…………」


 ショックだった。

 バスケで鍛えた反射神経には少なからず自信があったのに、なにも反応できなかったのだ。まさか緋色に負けるなんて。まるで高温の油に突っ込まれたように体が熱くなる。


「しっ――知らないからな、もう、風邪がうつっても知らないからな!」


 こうなってはもう負け犬のごとく叫ぶしかなかった。

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