第30話 合宿2日目:緋色と碧のはざまで

「付き合うって――それ本気マジで言ってる?」


 ずいっと詰め寄らずにはいられなかった。

 だって緋色自ら「付き合っちゃおうか」って言ったんだぞ。言ったよな、うん言った。この耳でたしかに聞いた。


 あぁどうしよう。顔のニヤニヤが止まらない。

 誕生日を待たずにこんな状況になるなんて想像だにしてなかった。


「いいんだよな、ほんとうに。付き合って。恋人になるってことでいいんだよな」


 緋色の肩をがしりと掴んで引き寄せ、念のため再確認した。

 コンビニにみたいなことだとしたら悔しすぎるからな、確認は大事だ。


「あ……えと……」


 緋色の目が不自然に泳ぐ。

 おや? なんだか雲行きがあやしいぞ。


 息を殺して待っていると、やがて、目の前で小さくバツ印を作った。


「やっぱりいまのナシで」


「ナシかいっ!!」


 ノリツッコミみたいにずっこけそうになった。


 あぁもー焦らされるぅううう。

 期待した分だけ悔しさが増して、海岸線を猛ダッシュしたい気分だった。


「――あの、ごめん、ね」


 砂を蹴って地団駄を踏んでいるとさも申し訳なさそうに緋色が触れてきた。


「自分でも、わけ、分からなくて。心の中がぐちゃぐちゃでなにが正解なのか分からないの。いま言ったことだって、ひと君のことが心から好きだからなのか、それとも姫氏原さんにとられるのが単に悔しいからなのか、ハッキリしない。こんな状態きもちでひと君を期待させるなんてひどいよね。ごめんなさい」


 おれとしては――本音を言えば――どっちでもいいんだ。

 緋色と交際してイチャイチャできるのなら一時的な嫉妬によるものでもいい。


 でも緋色は緋色なりに筋を通して、ちゃんとした答えを見つけようとしている。

 たぶん、昔いじめられてイキリ桶川に助けられたと言っていた緋色は傷つくことの怖さを知っている。だからおれを傷つけないよう必要以上に注意を払っているんだろう。


 もっと気楽でいいのに。おれは絶対に諦めないんだから。


「あーぁ残念。付き合って緋色とイチャイチャしたかったなー」


 緋色の真面目なところも好きだけど、おれだってたまには拗ねたくなる。


「たとえば……?」


「朝日を見ながらキスしたり、夜中にこっそり合宿所を抜け出したり、風呂上がりに待ち合わせしてシャンプーのの匂いかぎっこしたりとかさ」


 想像するだけで気持ちが舞い上がる。

 あぁ早く付き合いたい。そんで思う存分イチャつきたい。


「うぅん、どれも難しい……」


 海風に乱される髪を撫でながら悩んでいる緋色。

 なにか考えている。


「期待させちゃったお詫びになにかしてあげたかったんだけど」


「へぁ!?」


 これが笑わずにいられるだろうか。

 生真面目な緋色はお詫びまでキッチリしないと気が済まないらしい。

 スマホでなにやら検索していたかと思えば「これなんかどうかな」とこちらに向けてきた。


「三分間にらめっこ?」


 つまりお互いの目をただじっと三分間見つめ続けるという、なんとも原始的で簡単そうなアクションだ。


「分かった、いいよ。じゃあおれのスマホで時間はかる。――はいスタート!」


 スマホの画面をいじってから緋色に向き直る。

 こう見ると髪の毛ふわふわだし体つきも二回りくらい小さくて本当にかわいい。


 最初の数秒は良かった。緋色もじっとおれの目を見つめてくれる。

 けれど次第に目線が外れ、時間を気にするようになった。


「ひ、ひと君。そろそろ時間じゃない?」


「まだまだ。一分も経ってない」


 白状しよう。

 ストップウォッチのスタートボタンを押してないことを。


「ひ、ひとくん」


「まだだよ、緋色はせっかちだな」


 恥ずかしそうに顔を伏せる緋色。

 逃がすものかとがっしり肩を掴んだ。


「私もう限界だよ……」


「まだだって」


 これから先、たとえ付き合ったとしても、一足飛びじゃなくてお互いの場所を確認しながら階段を一段一段あがるようにして関係を続けていくんだろうな。


 そういうのも、いいな。


「ひとくぅん……もう無理だよぉ」


 最後は泣きそうな声になっていた。



 ※



 合宿二日目。

 午前中は筋トレとストレッチ、そして三キロのランニングとポジション別の強化練習があった。センターならリバウンドを、ポイントガードなら状況の見極めに特化した練習メニューが組まれていた。


「……ほんと人使い荒いよなー」


 中学時代にスカウトを断った恨みとばかりに熊田監督に顎で使われたおれはぐったりして昼休みを迎えた。


 休憩に入るのが三十分も遅れたせいで仕出し弁当を受け取ったときには食堂に生徒の姿はまばら。小石崎たち一年の姿もない。緋色は途中までおれを待ってくれているようだったけど他校の女バスのメンバーに声をかけられていってしまった。残念。


 さみしいので一気に弁当をかき込んでから外に出た。


 等間隔に並んだ教室棟の合間から風が吹き抜けてくる。


 私立、青嵐高校。こうして見ると本当に大きい。

 敷地面積はドーム数十個分。体育会系の部専用の野球場やグラウンドが一通り整備されているだけじゃなく、音楽科のためのコンサートホールなんかもあるんだとか。規模の大きさは高校っていうより大学みたいだ。


 部外者なので校内には入らないように言われているが、暇なのでぐるっと一周散歩してみることにした。


「お? ボールの音?」


 引き寄せられるように進んでいくと中庭らしき広場に出た。

 石畳の通路に手入れされた花壇、幹のしっかりした木々。水路まである。学校の中ということを忘れて緑地公園にでもいるような気分だ。


 その一角に金網が張り巡らされていて、スリーオンスリー用のバスケットコートがあった。音はそこからする。


「なんだ佑人じゃないか」


 汗を拭いながらこちらを見たのはTシャツ姿の碧さんだ。

 ボールを抱え小走りで向かってくる。金網ごしにも体が汗ばんで火照っているのが分かった。


「どうした? 迷子にでもなったのか?」


「あ、いや、ちょっと散策を」


 昨日告白された相手とこんなふうにふたりきりになるとは。正直照れ臭いことこの上ないけど、背を向けたら逃げたみたいに思われる。

 さり気なく接しよう。さり気なく。


「えっと……あ、屋外でバスケしているなんて珍しいな。昼休みで体育館空いているんだから使えばいいのに」


「それは難しいな。体育館は他校の生徒たちが休んでいるんだ。今日は天気がいいから外で練習する方が気持ちいいんだぞ。……そうだ、みていろ」


 ドリブルしたかと思うときれいなフォームでスリーポイントシュートを放った。


 澄みきった青空に映えるバスケットボールを拾い上げた碧さんは「見たか」とばかりに微笑む。


「すっ……げぇ」


 自然と拍手していた。

 昨日教えたことがすでに改善されていて、碧さんの吸収率の高さとバスケへの貪欲さが伺える。長年の癖は一朝一夕には改善できないものなのに。


「どうだ。よくなっただろう」


 大急ぎで戻ってくる碧さんは褒められることが分かっている子どもみたいだ。


「ふふ、昨日佑人が帰ったあとも少し練習したんだ。今朝も四時起きで」


「さっすが。碧さんって本当にバスケが好きなんだな」


 好きこそ物の上手なれ。彼女にぴったりの言葉だ。

 碧さんは大きく頷いた。


「もちろん大好きだ! 佑人と同じくらいにな」


 おう、遠慮がなくなってきたな。


「……はっ、すまない。口が滑った」


 我に返ってボールで顔を隠す碧さん。

 最初会ったときの印象からどんどんやわらかくなっている。かわいいな。


「ついでに白状するが四時に起きたというのは嘘だ。眠れなかった。佑人に告白したことに後悔はないが、今ごろなにをしているのか、どんな夢を見ているのか、いきなりで迷惑だったのでは、嫌われたりしないだろうか……そんなことばかり考えて寝つけなかったんだ」


 笑いながら手を伸ばし、金網に絡めていたおれの指にそっと触れてきた。


「変だと思わないか? 告白したら気が済むと思っていたのに、これまで以上に佑人のことを考えているなんて。自己暗示なのかもしれないが、きっと昨日よりも佑人のことが好きになっていると思う」


 好意を隠すつもりがないまっすぐな言葉は、おれの胸にいやおうなしに沁み込んでくる。

 おれが緋色に向ける気持ちと碧さんがおれに抱く気持ちは矢印こそ違えどほとんど同じなんだ。だからおれの心を揺さぶる。


「付き合える可能性が低いことは承知している。それでも今夜フラれるまでは夢を見ていてもいいだろう? 初めてのきもちなんだ。大事にしたい」


 金網を通して指先が絡まる。

 おれは手を振りほどけない。

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