第29話 合宿2日目:つきあっちゃおうか(緋色のターン②)

『佑人のことが好きだ』


 こんなにも真っすぐ、正面から気持ちをぶつけられたのは初めてだった。


 破れかぶれ。ダメで元々。

 失恋すると分かっていても想いを口にせずにはいられない瞬間があることを、おれは身に沁みて知っている。




 ――『あのさ、間宮。おれじゃだめ……かな』

 ――『おれじゃダメか? もう一人の桶川のかわりに、おれが彼氏になったらダメか?』

 ――『アイツのことが好きなのは分かってる。だからこれは仮契約なんだ。つまりお試し期間。仮交際してダメならすっぱり諦める。チャンスが欲しいんだ』




 緋色に告白したときは軽くパニックで、吐き気がした。それでも諦めずに食いついたから今の関係がある。


 だとしたら碧さんにはなんて言えばいいんだ。


「……すまない。ちょっと理性が利かなくなっていた」


 顔を上げた碧さんは痛々しいまでの笑顔を浮かべていた。

 すくっと立ち上がり、肩にかかった髪を軽く払いのける。


「これがわたしなりの精いっぱいの告白だ。本当はもう少しスマートにするつもりだったが予定が狂った。許してほしい。ムードとかタイミングというものが分からなくて……本当にすまない」


 くるりと背を向け、転がっていたボールを拾い始めた。後片づけをするつもりだ。おれも言葉を探しながら一緒にボールを拾ってカゴに入れていく。沈黙が耳に痛かった。


 すべてのボールを回収し、床にモップをかけ終えたところでようやく碧さんが口を開いた。


「施錠と消灯、鍵の返却はわたしがしておく。佑人はもう休んでくれ。遅くまで付き合ってくれてありがとう」


「だったらおれも最後まで」


 スッと伸びてきた人差し指がおれの口を塞ぐ。


「察してくれ。ひとりになりたい時もあるんだ」


 そう言われてしまうと頷くほかない。

 おとなしくバッシュを脱いで外に出ると碧さんが見送りにきてくれた。


「宙ぶらりんはよくないから明日の夜に告白の返事を聞かせてほしい。また同じ時間にここで待っている。おやすみ」


 がらがらと扉が閉められ、体育館の灯りの向こうに碧さんの笑顔が消えるのを見ていた。先ほどまでの熱気とは打って変わり、冷たい夜風が足元をさらっていく。

 部屋に戻るまでに何度か振り返ったが体育館の明かりはついたまま、物音ひとつ聞こえてこない。


 その夜は一睡もできなかった。



 ※



 夜明け前に布団を抜け出した。

 「コンビニに向かうついで」と自分に言い訳して、千円札を一枚ポケットに捻り込み昨日緋色と歩いた道をランニングする。


 昔からモヤモヤしたときは走ることにしていた。

 そうすると頭の中がすっきりして自分の考えがまとまる気がするのだ。


 坂をくだる途中で砂浜におりた。海はまだ薄暗いけどその分空気がひんやりしていて気持ちいい。朝食まで時間がある。このまま朝日を待つのもいいと思った。


「あれ、ひと君?」


 ぼんやりと砂浜に佇んでいると背後で声がした。

 緋色だ。女子バスケ部のメンバー数人と一緒に歩いてくる。


 当たり前のように隣に来てにこやかに微笑んだ。


「おはよう。奇遇だね。ひと君も朝日見に来たの?」


「はよ。そうなんだ、コンビニ行くついでにと思って」


 またウソをついた。

 笑いながら。


「早起きなんだね。私たちなんて目覚まし何重にもかけてやっと起きられたのに……ふぁ」


 眠そうにあくびをかみ殺す緋色は厚手のパーカーにジャージのズボンといったラフな格好で、まだ完全に目が覚めたわけじゃないのか目がとろんとしている。かわいいな。


「夜明け前の海って初めてだけどなんだかちょっぴり物悲しいね。それにすごく寒い。――でも、ひと君はあったかいね。ぽかぽかしてる」


 さりげなく手を握ってきたのでこちらからも握り返した。


 波の音がしずかだ。

 緋色と一緒にいた女子たちは少し離れた波打ち際で遊んでいる。

 今ならふたりきりだ。


「あのな、緋色」


「ん?」


「突然こんな話してごめん。昨日の夜、碧さんにスリーの練習に付き合ってほしいと呼び出されたんだ。一時間くらい練習したあとに告白された。『好きだ』って」


「――――……」


 波の音はこんなに静かなのに。

 緋色は目を見開いたままなにも喋らない。

 だからおれはちょっと焦る。


「もちろん今夜会ったらちゃんと断るよ。気持ちはありがたいけどおれは緋色のことが好きだって。それでいいよな。おれたちはなんにも変わらないままでいいんだよな?」


 あぁ最後、なんで疑問形にしちゃったんだおれ。

 これじゃあ「分かってるだろうな」と脅すみたいじゃないか。


 変な意味はない、と訂正しようにも空気が重くてタイミングを掴みあぐねている。


 緋色は黙って海を見ていたが、つなぎとめたままの指先の力は強くなったり弱くなったり。必死に言葉を探しているみたいだった。


 一言も交わさないまま空だけを見ている。次第に東の空が明るくなってきた。もうすぐ太陽が姿を見せる。


「ひと君」


 緋色の指がぐっと強くなった。


「話してくれてありがとう。もし他の人から間接的に聞いたらイヤな気持ちになったと思う」


「うん、おれもやましい気持ちはないから緋色に会ったら一番に話そうと思ってたんだ。メールだとなんて言葉にしたらいいのか分からなくて、その、いろいろあったし」


「いろいろって?」


 たとえば抱きしめられたこととか。抱きしめられたこととか。以下略。


 緋色は不審なものを見るような目で顔を覗き込んできた。


「なんだか怪しいね。もしかして……キスしたの?」


「してない! してないよ! ちょっと抱きしめられただけだ」


 あ、地雷踏んだ。

 緋色の傷ついた顔を見ればわかる。


抱きしめられたの……?」


 また、ってその言い方。

 一回目も二回目も完全な不意打ちだ。試合中のフェイントとはわけが違うんだぞ、避けられるもんか。


 ――なんて言い訳を聞く気はないらしく、緋色は拗ねたように唇を尖らせる。


「いまちょっとムムッってした」


「ごめん。お詫びになんでもするから」


「じゃあ朝日を見たらコンビニのスイーツ買いに行こうね。みんなの分も」


「はい、仰せのままに」


 途端に顔色が明るくなった。


「やったぁ♪ じゃんけんで負けた人が買いにいくことになって困ってたの」


 どうやら機嫌を直したらしく、波打ち際に向かってととっと歩き出した。

 取り出したスマホを頭上に掲げながら潮騒に負けまいと声を張り上げる。


「でも姫氏原さん納得するかな。私たちまだ仮交際中なんだよね」


「仮交際のことは話してないよ。前に付き合っているのか質問されたときもはぐらかしたし。――あ、ホラ太陽だ」


 水平線がにじんで朝日がひょっこり顔を出した。

 まぶしくて目が焼けそうだ。


 別のところで歓声が上がる。改めて周りを見ると他校の生徒たちの姿がちらほら。どうやら朝日を見に来たのはおれたちだけじゃなかったらしい。


「すごい、きれい。こんなの初めて見た。ひと君もみてみて」


 嬉しそうに何度も何度もシャッターをきっている。

 どうせまたイキリ桶川にでも送るんだろうと(内心モヤりつつ)画面を覗き込もうとすると、思いがけず緋色が顔を向けてきた。


「っぉ!」


 間一髪のところで顔をそらす。

 あぶない。あまりに近くて衝突キスしそうになった。


 ――っておれのバカ! どうして避けたんだ。

 そのままにしていれば事故キスできたかもしれないのに、反射神経のバカやろー。


「ひと君」


「あーごめんごめん、イヤだったわけじゃないぞ。鼻や歯が当たったら痛いからな」


 なに言ってるんだおれ。


「ちがうの、ひと君」


 つん、と服を引っ張られた。

 なんだか変だ。涙ぐんで、声を詰まらせて。一体なにを。


「姫氏原さんは仮交際のこと知らないんだよね。だったらもういっそのこと、つきあっちゃおうか……?」


 ――……え?

 えぇっ!!??

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