第28話 合宿1日目:特別レッスン(碧のターン②)
午後九時二十五分。風呂から帰ってくるなり爆睡した一年たちを残し、約束より少し早く第一体育館に向かった。
外からでも灯りがともっているのが分かり、すでに碧さんが到着していると思うと一層緊張感が増してきた。
試合前の緊張感とは全然ちがう。「告られるかもしれない」という、二年前のおれが聞いたら「羨ましいぞコノヤロー!」と一発くらい殴ってやりたくなる贅沢な悩みだ。
残念ながら緋色への気持ちは微塵も変わることがないので、どう言えば傷つけずに断れるかを考えている。
あぁ胃が痛い。
「こんばんはー……」
鉛色の扉を開けると同時に熱風が顔にぶつかってきた。
「おぉ来たか。さすがキャプテン代理、五分前行動が身についているな」
体育館の片面だけ照明がともる下に碧さんが佇んでいる。無地の白Tシャツにハーフパンツといったラフな格好。風呂あがりなのか髪が湿っていた。足元にはいくつかのバスケットボールが転がり、右腕にもふたつボールを抱えている。
はて。告るのにボールは必要か?
「なにをしている、早く来い。もちろんバッシュは持ってきているだろうな」
促されるまま下足を脱いで中に入った。体育館と言われて反射的にバッシュを持ってきてしまうのはバスケ部の性だ。
「遅い時間にすまない。佑人を名手と見込んで頼みがある。わたしにスリーの特訓――個別レッスンをしてほしい」
「えっ……そんなこ……」
そんなこと、と言いそうになって口を塞いだ。と同時に安堵する。
告られるとばかり思っていたおれアホじゃん。自意識過剰。笑えるわ。
「もちろん体育館の時間外使用に関しては学校と顧問に許可を得ている。大声を出さないこと、後片づけをきちんとすること、一時間だけという約束だ。ダメだろうか?」
「いや全然、お安い御用ですよ。でもどうして? おれの知る限り碧さんだって相当スリー打てますよね?」
「打てるは打てる。だが成功率は三割がやっとだ。うまいとは言えない。キャプテンとして少しでも成功率をあげてチームが苦しいときに仲間を鼓舞したいんだ。それに普段打たないから敵を油断させられるしな」
そう言ってボールをパスされた。
碧さんの目は真剣そのもの。下心なんて一切ないように見える。
「分かりました、いいですよ。でも他校と合宿しているときにおれに頼むなんてリスキーですね。バレたら対策されるのに」
見本がわりにスリーを一本放った。
理想的な軌道を描いてスパッとゴールに落ちる。
碧さんは深く頷いたあと自らもシュート体勢に入る。
しかし放たれたボールはリングの奥に当たって転がり落ちた。
「本当は佑人ひとりを招いて半日でも一日でも専属でレッスンして欲しいところだったが、さすがに学校の許可がおりないだろう。だから苦渋の選択だったんだ」
受け取り方によってはおれ以外の部員はオマケのようにも聞こえる。
たしかにウチと他の三校のレベル差は大きい。でも余裕ぶっていられるのも今のうちだぞ。今回の合宿に触発されて格段に上手くなるに違いない。
アイツらが強くなって緋色が喜ぶ。そのためにおれが利用されるなら本望だ。
それから一時間。みっちり練習をつけてやった。
「肘の向きに注意しろ」
「膝はやわらかく」
「ゴールそのものじゃなく、ゴールの上に投げるイメージで」
「ドライブからシュート体勢に入るのが遅い」
最初は敬語を使っていたおれもいつも間にかため口になっている。それくらい熱が入っていた。
碧さんは文句ひとつ言わずシュート回数を重ねていく。額からは滝のような汗が流れて目にも入る。そんなときはおれがあげたリストバンドで拭うのだ。
あっという間に時間が過ぎた。
シュート回数は百本近くに及ぶ。
「そろそろ時間か……。片づけもあるし、ラスト三本で練習は終わりにしようぜ」
「分かった」
顎から滴る汗をぬぐった碧さんは決意の目でボールを掲げた。
「佑人。もしこのシュートが全て入ったら明日の夜もレッスンしてほしい。教えてもらいたいことがまだまだたくさんあるんだ」
「いいけど……失敗したら?」
「諦めて他をあたる」
一投目。放物線を描いてきれいに入った。
二投目。リングにあたりながらもゴール。
三投目。重いボールを上げ続けた碧さんの腕はもう限界で、傍から見ても筋肉が痙攣しているのが分かる。それでもゴールを見つめる目の強さは変わらない。
もし――もしもおれが緋色に出会っていなかったら、この目に惹かれていたかもしれない。決して挫けない、前だけを見据える強い眼差しに。
「ゆくぞ……」
放たれたボールはボードにあたった。失敗か!?と息を呑んで見守っているとリングをぐるりと旋回し、すとんとゴールをくぐる。
「っすげぇ! 全部成功――碧さん!?」
見れば膝を折ってへなへなと座りこんでいる。
端に置いてあったボトルとタオルを拾って急いで駆け寄った。汗と疲労で顔をぐしゃぐしゃにしていた碧さんは一口ボトルを含んだあとタオルでごしごしと顔を拭い、改めておれを見上げて微笑む。
「見たか、入ったぞ」
「うん見てた。すげぇよ。今日一日練習して疲れているっていうのにホントすごい」
「ふふ。おまえの驚く顔が見たかったんだ」
くすぐったそうに肩を揺らしたあとで項垂れた。
「十年前の――さよならを言いたくなくてシュートしたときもそうだ。もし成功したら『いかないで』と伝えたかった。記念品なんかいらなかった、佑人がいてくれさえすれば、それで良かった。『引っ越しなんかやめてずっと一緒にバスケをしよう』と言いたかったんだ」
ふいにリストバンドを巻いた腕が伸びてきて抱き寄せられた。
あまりにも突然でどうしたらいいのか分からない。
「佑人が好きだ」
消えそうな声と震えが伝わってくる。筋肉の痙攣のせいじゃない。泣いているのだ。
スン、と鼻をすすった碧さんは思いの丈をぶちまけるように叫ぶ。
「恋がどういうものか分からなかったが、のぶ子が教えてくれた。佑人が好きだ。わたしは佑人のことが好きだったんだ。今も昔もずっと大好きなんだ――!」
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