第26話 合宿1日目:神様はいますか(緋色のターン①)
青嵐高校の男バスが練習しているという体育館に案内してもらった。天井が高く、奥行きはフルコート二面は余裕でとれると思われる巨大なフロアで数十人の男子生徒がドリブルの練習をしている。
「あの九番、雑誌で見たことある。あいつもだ、ジュニアユースで……」
場違いなところに来てしまったと今更ながら圧倒される小石崎たち。
合宿前からそんなんでどうする、と肘で小突いた。
「シャキッとしろ、まずは元気よく挨拶だろ。――こんにちは失礼します!」
キャプテン代理として先陣をきって体育館に足を踏み入れた。小石崎たち一年もぞろぞろと後に続く。
強豪校はマナーもしっかりしているのが常で、練習をやめて「こんちはー」とおれたちに挨拶してくれた。
おれだって初めての場所で緊張していないわけじゃないけど、筋骨隆々とした生徒たちの多くは、じつは中学時代に何度となく試合した顔見知りなのだ。
朔丘中出身のチームメイトも何人かいて、バスケとしては無名の月波高校の一員として現れたおれを前に狐につままれたような顔をしている。針の
「おーけーがーわー!! 会いたかったぞー!!」
礼儀正しい選手たちの中、どすどすと床を踏み鳴らして駆け寄ってきたのはよりによって青嵐の監督だった。
獲物を見つけたクマが猛ダッシュしてくるような気迫に内心では「ぎゃー」と叫んで逃げたいところだったが、隣の緋色の手をぎゅっと握って必死にこらえた。
もうちょっとで食われるんじゃないか、というところで停止した熊田監督は鼻息荒く(そして熱心に)おれを見つめてくる。
ひぃ、怖いマジで。
「く、熊田監督。その節はどうもお世話になりました」
「白々しいな、おまえってやつは俺が何度も何度も手土産もってスカウトしにいっても首を縦に振らないんだからな」
「はは……」
高校の進路を決めるにあたっていくつかの強豪校から誘いがあった。
おれは自宅から通える月波高校に一般入試で入ると決めていたが一部はかなりしつこく、中でも熊田監督の熱意は凄まじく、毎回高そうな菓子を持参して家まで押しかけてきたものだ。妹たちは中身を楽しみにしていて、いつからか「お菓子のおじさん」と呼んでいたくらいだ。
「聞いたぞ、月波高校のキャプテン代理なんだってな。おまえを獲得できなかったのは残念だが俺が鍛えた精鋭たちと全国大会で戦うのも悪くない」
「あ、でもおれ選手じゃないんですよ」
「そうなのか!?」
「はい。言ったでしょう、バスケは趣味程度にするって。今回の合宿のメインは一年たちなので是非鍛えてやってください。きっと磨けば強くなりますよ」
いま存在に気づいたとばかりに後ろへ視線を向ける熊田監督。鋭い眼光に睨まれて萎縮する一年たちの中で小石崎ただひとりが進み出た。
「月波高校から来ました小石崎です。よ、よろしくお願いします!!」
「……あぁ、よろしく」
緊張のせいで声は上ずって額には脂汗もにじんでいるが、熊田監督の反応は悪くない。この人は真剣になればなるほど無愛想になるタイプだ。
さてこの合宿、楽しみになってきたぞ。
※
こうして四校合同の合宿がスタートした。
初日は顔合わせと柔軟・ストレッチ・フットワーク・外ランニングだ。その後、各自の実力を見るための練習試合が行われることになっていた。
他の三校に比べると体力も技術もレベルが落ちるウチの一年は最初のランニングだけでもきついだろう。
あいつらが戻ってきたときに飲めるよう、緋色とともに近くのコンビニに出掛けた。スポーツ飲料や氷、軽食を買いにだ。
2リットルのボトルを片手に二個、両手で4個。ふたりで8個だ。結構な重さになるが、緋色はおれがひとつ持つと言っても頑として譲らずにコンビニを出た。指先に食い込むビニール袋が痛々しい。
「学校の外のランニングだよね。みんな今頃どこ走ってるんだろう、大丈夫かな」
「こればかりは普段どれだけ走ってるかだからな」
部活中は十分な時間がとれないので体力づくりは各自に任せてあるが、慣れない道を7キロも走るのだ。せめてけが人が出ないことを祈るしかない。
「最初に先生から合宿の話を聞いたとき、私、なにも考えずに『これでみんな強くなれる』って喜んだけど、もしこれでバスケのことキライになったらどうしよう……」
緋色の表情は暗い。
そうだ。上を目指す気がないなら、なにもキツイ練習をする必要はない。ラクをして、試合になったらケガをしないようそこそこやって「頑張った」と慰めあえばいい。それでいいのなら。
アイツらはどうなんだろう。
さぁっと冷たい風が吹いてきた。青嵐高校は海沿いにあり、潮風が強い。コンビニを出てしばらく歩くと長い坂道が続いていた。
「緋色、顔色悪いぞ?」
坂道をのぼりはじめて数分。緋色の歩くペースが落ちてきた。
「だい、じょぶ」
気温の高さも相まって額には汗がにじむ。
さすがに休憩を勧めると「ごめん、ちょっとだけ」と言って足を止めた。肩で苦しそうに息をしているので日陰になりそうな場所を探して近くのバス停に連れて行った。色落ちしたベンチに座らせて水を飲ませると少し落ち着いたようだ。
「ありがとう、ごめんね」
「いいからちょっと休んでろ。おれに寄りかかってもいいから」
「じゃあ……、お言葉に甘えて」
肩にでも寄りかかってくるのかと思ったら、なんと膝の上に頭を乗せてくる。
え、ちょっと……え、えっ!?
テンパりすぎて訳わからなくなってきた……えっ!?
なぜにそんな大胆に!?
「ねぇひと君」
「は、はいっ! なんでしょう!」
太ももからの声、という今までなかったパターンにどぎまぎする。
「ひと君はどうしてバスケやめちゃったの? 嫌いになっちゃった?」
「そ、そんなことはないぞ。いまも変わらず大好きだよ。だから合宿に来てるんだし」
「ならどうして?」
やけに深堀してくるな。
「満足したっていうか、山のてっぺんまで登りきった気がしたんだ。そこまで登るのは本当にキツかったし何度もやめたくなった。チームメイトとケンカもしたし、時には家族に当たり散らすこともあった。モモとハナが泣いたときは本当に後悔したよ。だからかな、全中優勝の達成感はもう二度と味わえないだろうな、この気持ちを絶対に忘れたくないなって思ったんだ。この先もしケガとかトラブルがあってバスケをキライになるかもしれないと思ったら、一番きれいなままでピリオド打っておこうと思ったんだ」
「大好きなバスケをキライになりたくないから?」
「それもある。あと恋愛もしたかった。これマジだぞ」
笑わせるつもりだったが緋色の表情は冴えない。
「……私、バスケは元々好きでもなんでもなかったの。ゆーくんが身長を活かせるスポーツがしたいって入部したからついてきただけ」
「うん、そうだろうと思ってた」
「ひと君が部活だけじゃなく合宿までついてきてくれたのは私がバスケ部のマネージャーだったからだよね」
「正直に言うとな。バスケに未練はないし、中学のことをひけらかすつもりもない。もし緋色が別の部に入っていたらそっちにいってたかも」
「だったらきっと偶然じゃないんだよ」
声音が変わった。
むくりと起き上がり、まっすぐな眼差しでおれを見る。
「私がゆーくんにつられてバスケ部に入ったのも、ひと君が私のことを好きになってバスケ部に関わるようになったのも。きっとバスケの神様か仏様がいて、その人がひと君に『もう一回バスケに関わりなさい』って言ってるじゃないかな」
「……そんなわけ」
緋色の言っていることは支離滅裂で、こじ付けで、なんの整合性もない。
ただの偶然だ。
それなのに、なんでかな。
じんわりと胸が熱くなるのは。
「というわけなので、これからも月波高校男子バスケ部とマネージャーの私をよろしくお願いします!!」
大げさに頭を下げられ、ぽかんとしてしまった。
もしかして緋色、さっき熊田監督に言われたことを意識して?
おれがいなくならないように。
「……ぷっ、ははははは」
「な、なんで笑うの!?」
これが笑わずにいられるだろうか。涙が出てきた。
「いやぁ、もしもバスケの神様だか仏様がいるんだとしたらひどいよな」
「えっ」
「だって緋色にいわれたら断れるわけねーじゃん」
おれは一度始めたことはとことんまで突き詰めるタイプなんだよ。
それを知ってて神様とやらが緋色を差し向けたのだとしたら非情だ。いや、ピンポイントすぎ。
「……なんか、ひと君の笑顔って」
ふいに、緋色が眩しそうに目を細めた。
「ひと君の笑顔はいつも私の心を明るくしてくれる。ゆーくんの顔色を伺うしかなかった暗い気持ちの中に飛び込んできて、手を差し伸べてくれるんだ。今まで言ったことなかったけどすごく、好」
ふと、後ろから掛け声がした。振り返る間もなく男子バスケ部の集団が追い抜いていく。ウチの一年たちの姿はない。やはり置いていかれたか。
「――あ、みんなだよ! おーい!」
先頭から遅れること数メートル、小石崎たち一年がひぃひぃ言いながら最後尾を走っていた。それこそ死にそうな顔しているやつもいるが誰ひとり脱落してない。
「みんながんばれー」
緋色の声援を受け、それぞれ手を挙げて通過していく。偉い、見直したぞ。
「うし! こうしちゃいられない、おれたちも急がないと」
「きゃっ」
「しっかり掴まってろよ! あと荷物落とさないようにな」
荷物ごと緋色を背負い、一年たちのあとを追って走り出した。
長い長い坂道。その先には全中優勝とはまた別の、もしかしたらもっと最高の風景が広がっているかもしれない。
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