第24話 緋色、嫉妬……する?
「え……と、そろそろ放してもらっていいですか」
恐る恐るお願いしてみる。
「ハッ! もしかして汗臭いか!?」
顔を起こした姫氏原は顔面蒼白。自分のユニフォームをくんくん嗅いだかと思ったら比嘉妹のところに駆けていく。
「のぶ子、汗拭きシートを貸してくれ、頼む」
いや、汗臭いとかじゃないんだけどコートのど真ん中でハグされたら誰だって驚くだろう。
比嘉妹たちはまるで戦友でも迎え入れるように姫氏原を取り囲む。
「姫やりましたねー、ちょー大胆! ドキドキしちゃいました」
「なに話してたんですか? もしかしてもう告――」
「ち、ちがう、いきなりそんなことするわけないだろう!」
「またまたぁー、いきなり抱きつくのだって相当ですよー」
「いいから早く汗拭きシートを貸せ!」
なんだか盛り上がっている。
おれは全くといっていいほど状況が理解できてないんだけど。
「……ひと君」
いつの間にか後ろに緋色が立っていた。
「わ、びっくりした! おどかすなよー。心臓止まりそうだったし」
「……」
無言のまま差し出されるタオル。ありがたく受け取って顔をぬぐった。
制服の下はもう汗でびっちょびちょ。早くジャージに着替えたい。
「ねぇひと君は姫氏原さんと知り合いなの?」
顔色が冴えないばかりでなく、心なしか声も普段より低い気がする。
「いや知らないけど」
「知らない人が、どうして、抱きついてくるの?」
「おれが聞きたいくらいだよ」
「……」
緋色は不満そうに唇を結んでいる。怒っているくせに泣きそうな目。
もしかして、これは。
「緋色、もしかして妬いているのか?」
「ち、ちがうもん! ひと君が遅刻してきたことに対して怒ってる……だけだもん」
必死に否定するところがなんだか可愛らしい。
そうか、おれもとうとう妬かれるレベルに達したのか。ヤキモチやかれるってことはつまり、意識している証拠だもんな。
よし、ここはもう一押し。
「緋色、練習試合おわったらランチでも」
「ねーねー」
横やりが入った。
おれの袖を引いているのは比嘉妹だ。
「ウチらお昼食べてから次の高校に移動なんだけど良かったら近くのファミレス案内してくれない? 朝早くてお弁当買い損ねちゃったの」
せっかく緋色とランチデートしようと思っていたのに。
返答に困っていると比嘉妹の目線は緋色に向いた。
「マネージャーの間宮さんだっけ。いいでしょ、バスケ部同士仲良くしようよ。見たところそっちは一年生がスタメンみたいだからウチの男バスの一年紹介してあげる。春大会も近いし情報交換しておけばお互いwinwinだよ。ねー?」
ギャル特有の勢いに押された緋色はなすすべなく頷く。
「あ、そ、そうですね……」
「やったー、間宮さんだーいすきっ」
「いい?」とばかりに視線を向けられてもおれに拒否権はないのだ。
※
「先ほどは失礼しました。わたしは青嵐高校女子バスケットボール部キャプテンの姫氏原碧と申します」
「ポイントガードの比嘉のぶ子でっす。一軍レギュラーやってます」
「センターの安藤スミレです。同じく一軍です」
学校近くのファミレスに姫氏原たち三人を案内し、一緒にランチをとることになった(そもそもの練習試合の相手である二軍メンバーは仕出しの弁当を用意してあるそうなので学校に残っている)。
注文したのはドリンクバーと山盛りのポテト。まだだれも手をつけていない。
青嵐の三人を取り囲むように座っているのは。
「改めまして、男バスマネージャーの間宮緋色です」
「一年の小石崎っす」
「島田です」
「森田です」
「山崎です」
「小田です」
「細野です」
「林です」
なぜかウチの一年全員ついてきている。
反省会をするとは言ったがここでとは言ってないのに。
「えと、最後におれは二年の桶川佑人です。正式なバスケ部員ではなくてコーチみたいな立場です」
それを聞いた姫氏原が勢いよく立ち上がった。
「なぜ部員ではないんだ? もしかしてケガでも!?」
「いや全然。心境の変化というか、バスケは中学まででいいかなって。ケガはしてないんで大丈夫ですから、座ってください」
「勿体ないな。あんなに動けるのに」
「おれのことはいいんで、それより姫氏原さんは」
「碧と呼んでほしい」
食い気味に訂正される。
「碧さんはおれのこと知ってるみたいですけど、どこかで会ったことあります?」
あからさまに残念そうな顔をする。
なんだか気の毒だけど知らないものは知らないのだ。
「これを、覚えているだろうか」
左腕から抜き取ったのはオレンジ色のリストバンドだ。もしかして!と手に取ってひっくり返すと白い糸で「YUTO」と縫ってある。
「おれのだ……!」
むかし母さんが作ってくれた手縫いのリストバンド。いつの間にかなくしたと思っていたのに。
姫氏原――碧さんは「そうだ」とばかりに頷く。
「わたしが小学校にあがる前だったと思う。田口の団地では住民同士の親交を深める目的で毎年ソフトボール大会を開いていたが、その年はあいにくの雨だった。体育館の中でソフトバレー大会が開かれたが友だちがいなかったわたしは隅で暇を持て余していた。そんなときに見知らぬ男の子が声をかけてくれたんだ」
『――ヒマそうだな、一緒にバスケやらね?』
どこからかバスケットボールを見つけてきて、体育館の隅でドリブルを教えてくれたらしい。
「わたしに声をかけた理由は深いものじゃなかったと思う。同い年くらいの子どもが暇そうにしていたから、それくらいだろう。でもわたしにとってはそれだけで十分だった。重くて痛そうだと思っていたバスケが楽しいものだと知れたのだから」
その日はソフトバレー大会が終わるまでずっとバスケをしていた。
土曜日にバスケのクラブがあるからと誘われ、親を説得して通うようになる。
「彼は、生まれて間もない妹たちの世話を手伝うからと毎週は来なかったが、それが逆にわたしの心に火をつけた。次に会うときはドリブルを、パスを、シュートを、もっともっと上手くなって驚かせてやるんだというモチベーションにつながった」
ここまで聞いてやっと思い出した。
モモやハナが生まれたころ、親父と一緒に母さんの実家近くの団地に住んでいたのだ。いまの場所に家を建てることになっていて数か月限定の仮住まいだった。
「半年……いやもっと短かったかもしれない。引っ越しのため今日が最後だといって彼がクラブに現れたときにお願いをしたんだ。もし一発でシュートが入ったら何か記念になるものが欲しいと」
「それで見事に入ったんですね!」
のぶ子さんに先回りされた碧さんは小さく首を振る。
「だめだった。どうしても成功させたいと力んでしまったんだろうな。何度やってもリングに当たって跳ね返され、最後には大泣きしまった。そうしたらこぼれだまを彼が拾って見事なミドルシュートを決めてくれた――。バスケはひとりでするもんじゃない、みんなで協力してするものだと言って、「努力賞」だとプレゼントしてくれたのがこのリストバンドだ」
「うわ、めっちゃ感動する……!」
いい話なんだろうな。傍から聞けば。
おれにとっては穴があったら入りたいくらいの恥ずかしいエピソードだけど。
むかしのおれ、なんでそんなに社交的でキザだったんだ。
「――というわけだ。思い出してくれたか?」
「すみません、まったく……」
親父に言われたことがあるけど、おれは昔からバスケが好きすぎて、だれかれ構わず「バスケやろう」と声をかけまくっていたらしい。妹たちがバスケを始めたのもおれが遊び仲間を増やしたかったからだ。本当はピアノやバイオリンをやらせたかったと母さんに恨み節を聞かされたことがある。
「その後わたしもアメリカへ引っ越すことになったが、言葉が通じないながらもバスケのお陰でたくさんの友だちができた。それもこれもゆうとのお陰なんだ」
「いや、それはおれじゃなくて碧さんがコミュニケーションをとろうと努力したからでしょう」
「否定はしない。だがバスケを知らなければ暗くてつまらない人生を歩んでいたかもしれない。自覚がなくてもわたしにとってはかけがえのない恩人だ。ありがとう」
「どういたしまして……」
お礼を言われたのでちゃんとお答えしておく。
そのままじっと見つめられたので反射的に視線をそらしてしまった。なんだよこの妙なムード。
空気を変えるべくパンパンと手を叩いたのはのぶ子さんだ。
「じゃあ昔ばなしが済んだところでパパっと食べちゃおっか。そっちは反省会するんだっけ、ウチらも思ったこと言っちゃっていい? まず体力ないしテクないし声もないし……」
「言い過ぎっすよ!」
「事実だし。あとね――」
なんだかんだ文句を言いながら熱心に聞き入る小石崎。
対戦相手からの助言のほうがタメになると思い、おれは口を挟まずにおいた。
――恩人、ねぇ。
おれがしたことが碧さんを助け、生きる糧になった。
それを本人の口から言ってもらうのはこの上なく幸せなことだと思う。
でも礼を言われるだけならともかくとして抱きつかれるのはちょっと……。
ほら、彼女(仮)の真ん前だったし。
ちらっと横を見ると緋色は氷しか残っていないグラスに差したストローを咥えている。心ここにあらず、そんな顔だ。
「緋色、おれドリンクバー行ってこようか?……緋色?」
「え? ごめん、なに? ポテト食べてるよ?」
ダメだこりゃ。
「じゃなくてドリンクバー行ってくるよ。オレンジでいいよな」
「ならわたしも行こう」
同じタイミングで碧さんが立ち上がった。断るわけにもいかずドリンクバーコーナーでふたりきりになる。気まずい。
「つかぬことを聞くが……佑人は間宮マネージャーと付き合っているのか?」
自分のグラスにメロンソーダを注ぎながら訊いてくる。
一瞬返答に迷った。
仮交際。この状態をなんと呼ぶのだろう。
「おれは、緋色のことが好きですよ」
コーラを入れながらそう答えるのが精いっぱいだ。
「やはりそうか……。けれど彼女はどうなんだろう」
どきっとして碧さんの方を見るとグラスに口をつけて味見していた。
濡れた唇をぐいっと拭ってこちらを見る。大きな目に心臓を射抜かれた気がした。
「彼女ならばどうしてわたしに抗議しない? あんなふうに人前で彼氏を抱きしめられていい気はしないはずなのに、まだ一度もわたしに話しかけてきていない」
「そ、それは」
緋色は優しくて、人と喧嘩するのを好まない。
でも少しでもおれを意識しているのなら碧さんに文句のひとつでも言ってくれていいじゃないか。おればっかりヤキモキして、なんだか、バカみたいだ。
四月十三日まであとひと月もない。
緋色はおれのことを好きだと言ってくれるだろうか。
「――ところで味見をしてほしいのだが」
ずいっと目の前に差し出されたのはグラスに入ったどす黒い液体だ。
「いくつかの飲み物をミックスしてみたんだが味見しすぎて分からなくなった。試飲してほしい」
これ間接キスでは? と思いながらも差し出されたグラスの淵に口をつける。
「どれどれ……うっ!」
甘ったるさの中に炭酸の弾ける感じと酸味がある。なんだこれ。
「ゲロまずいです」
「はは、やはりそうか。のぶ子に飲ませたら楽しいだろうな」
無邪気に笑う碧さんはどこにでもいる女子高生という感じで、なんとなく親しみがわいた。
※
「じゃあまた連絡しまーっす」
集合時間を間近に控えた三人とはファミレスの前で別れることになった。
「佑人、今日はありがとう。また会いたいのだが」
「き、機会があれば」
「ふふ、ではな」
リストバンドをつけた手を振り、颯爽と去っていく。風になびく黒髪はどこまでも綺麗だった。
「じゃあ帰るか、緋色」
一年たちも解散してふたりきりになるが、道中緋色は黙っていた。ずっと下を向いていた。
もうすぐ駅が見えるというところまできて急に足を止める。
「ひと君は――私の彼氏、だよね」
「え、もしかして違うのか!?」
背中にどぱっと汗をかいた。
「ちがうよ?」とさらっと否定されたどうしよう、と焦った。
「私はひと君の彼女……なん、だよね」
「本当にどうしたんだ? おれたちは何も変わってないだろう?」
頬に手を伸ばすとそこに自らの手を重ねてきた。苦しそうに目を細めてきゅっと唇を噛む。
「私、変なの。すごくモヤモヤする。姫氏原さんは美人でバスケがうまくてキャプテンとしての存在感もある。カッコイイひと君と並ぶとお似合いだなぁって思うのに、うまく笑えない。胸が苦しくて仕方ないの。なんでかな……?」
これはもしや噂に聞く「嫉妬」なのだろうか。
おれとの関係が崩れそうになって不安なのだろうか。
「大丈夫だって、おれはずぅっと緋色のことが好きだよ。めっちゃ好き」
冗談めかして言うと上目遣いに睨まれた。
おぉこんな表情もできるんだな、と感激していると上着の襟元を掴まれた。引っ張った反動を利用しておれの胸に飛び込んできて顔をうずめる。まるで小動物が甘えてきているみたいだ。かわいい。
「ひと君の、ばか」
こんなに可愛い「ばか」を聞いたら抱きしめずにいられない。だろ。
――こうして、なんにも変わらないと思っていたおれたちだったけど春の嵐はまだ去っていなかった。
次の部活の日、珍しく顔を出した顧問から重大なお知らせが発表された。
白髪に分厚いレンズの眼鏡という理科の先生のイメージそのままに、しきりに眼鏡に触れてそわそわしてしている様が伝わってきた。
「えー急だけど来週から合宿を行うことになりました。なんと青嵐高校から直々にお招きいただいたんです」
……え?
「それも二泊三日。他の高校も含めて校内の宿泊施設に泊まり込みで朝から晩までみっちり練習をするそうです。何があるか分かりませんが皆さん気合いを入れて頑張りましょう!」
二泊三日。泊まり。他校との合同合宿。
なんだろう、いやな予感しかしない。
【スピンオフもどうぞ】
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896213100/episodes/1177354054896939441
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