第18話 土曜日。春嵐の予感

「ひめひめひめひめひめー!!!」


 金髪のツインテールを乱した女子高生が更衣室に飛び込んできた。

 ちょうど制服のワイシャツを脱ぎ捨てたところだった姫――こと姫氏原きしはら あおいは腰まで届く黒髪を揺らして不快そうに向き直る。


 彫りの深い顔立ちと二重の大きな瞳に意思の強そうな眉は”姫”と呼んで差し支えない美少女の容貌それだ。本人はまったく無自覚だが。ちなみに露わになった胸元は他のどの部員よりも大きい。繰り返すが本人は無自覚だ。


「騒がしいぞ、のぶ子」


 ギャルを自認する比嘉のぶ子は地団駄を踏む。


「っだぁ!! だからくっそダサい本名呼ばないで! とにかく大変なんだって。姫の探している『ゆうと』が見つかったかもしれないの!」


「なんだと!?」


 のぶ子の肩を掴んでゆさゆさと揺らす。バスケ部員ながらのすさまじい握力だ。


「いだ、ひめ、いだい」


「どこだ! ゆうとはどこにいる!?」


「あ、こ、これ……」


 あまりの圧に潰されそうになりながらスマホを差し出す。碧は無言で奪い取ると画面を見つめた。


「個人ブログ調べてたら、でてきて、月波つきなみ高校のゆうとって」


 痛みから解放されたのぶ子が蚊の鳴くような声で指をさす。

 碧の表情が険しくなった。しばし眉根に皺を寄せていたが、ふぅ、と息を吐いてスマホを返す。


「――ちがう。わたしの知っている『ゆうと』はこんなにハンサムじゃなかったはずだ。もっと丸顔で、鼻が低くて、優しい笑い方をする」


 表示されている『ゆうと』は長身で眉目秀麗、ハーフで頭脳明晰。学校一のモテ男だと紹介されている桶川佑斗だ。碧の記憶にかすかに残る『ゆうと』とは似ても似つかない。


(一体どこにいるのだ。昨年の全国大会で会えると思っていたのにオマエはいなかった……どうして……)


 幼いころ数回会っただけの少年だ。顔の記憶はあいまいで、苗字すら知らない。それでも一目見ればわかると確信していた。


(ここ最近の全中で優秀選手として挙げられていた中に『ゆうと』とつく人物が数人いた。だが全国大会で見かけた『ゆうと』は彼じゃなかった――)


 きっとどこかでバスケを続けているはず。

 なのにどうして全国の舞台で会えない?


 彼から貰ったオレンジのリストバンドがうずくような気がして、左手首をそっと撫でつけた。 


「余計な期待させちゃってごめんねー、姫」


 気落ちしている友人をみて碧は小さく首を振る。


「いいや、インターネットに疎いわたしのかわりに調べてくれてありがとう。とても助かっている。さ、のぶ子も早く支度をしろ。期待のポイントガードがそんな調子でどうする」


「ん。あんがと、姫」


 碧はロッカーから取り出したシャツに袖を通し、4番の番号札をつけた。試合ではないので番号札をつける必要はないがキャプテンとしての自覚をもつために常時身に着けることにしているのだ。艶やかな黒髪を頭頂部でひとまとめに結べば『百戦錬磨の姫騎士』の異名をとる絶対的なエースの佇まいになる。


 すると、のぶ子のスマホがピロリンと鳴った。


「あ。兄貴からメールだ。後輩の『ゆうと』だって。ほらこれ」


 示された画面には後ろ姿の女子生徒と向き合ってたこ焼きを食べている少年の姿が映しだされている。


(あっ……)


 稲妻が走った。

 子どものころに見た笑顔と寸分たがわぬ笑い方と見慣れぬ制服姿に懐かしさがこみ上げてくる。


「ってンなわけないか。のほほんとデートしている男が姫の意中の相手だなんて――」


 ぐわしっ!!


 先ほど以上の力で肩を抱かれ、キスしそうな距離まで迫ってきた。


「ひ、姫? あの、ウチそういう趣味は」


「のぶ子……お手柄だ」


「マジ? こいつが?」


「ああ間違いない『ゆうと』だ。悲しいことにな」


 数年ぶりに見る幼なじみはどこかの女とイチャついている。

 これは見過ごせない。

 碧の目がキッと吊り上がった。


「その制服はどこの学校だ! すぐに調べろ! 練習試合を申し込むんだ!!!」


「ひょえええ~~」

「キャプテン落ち着いて―!!」

「姫のご乱心よー」


 全国有数の実力校、私立青嵐高校女子バスケ部の更衣室はとんでもない騒ぎになっていた。



 ※



「っくしゅん!」


 急にくしゃみと寒気が襲ってきた。


「ひと君風邪?」


 となりの緋色が心配そうに身を乗り出してくる。なんでもない、と手を振ってティッシュで鼻をかんだ。だれかおれの噂でもしてるのかな。

 また鼻がムズムズしてきた。


「くしゅん、はっくしゅん!」


 三回。これはいよいよ風邪かもな。


「ふふ、ひと君だれかに惚れられているのかもね」


「うぇ?」


 鼻をぐずぐずしていると緋色が笑いながら追加のティッシュをくれた。


「知らない? 一誹り二笑い三惚れ四風邪っていうんだよ。三回くしゃみしたから」


 惚れているならともかくとして惚れ方はまったく心当たりがない。なんたってバスケを抜きにすれば顔も成績も平均的なモブだ。


「曜日ごとに意味があるらしいよ。土曜日のくしゃみは『恋人との関係が変化する』んだって♪」


「それって――」


「ん?」


 マジマジと見つめ返してしまった。

 恋人との関係変化、すなわち緋色とのことじゃないか。


「分かった。緋色、ようやくおれに惚れたんだろ?」


「そっ――そんなわけないじゃんっ」


 冗談のつもりだったが顔を赤くした緋色が大真面目で否定してくるのでちょっと泣きたくなった。


 これでも相当頑張っているのになぁ。そろそろ報われたいなぁ。

 でも自分の誕生日に返事をきくと決めているので拙速な言動は慎もう。



『ピー!』



 ホイッスルが鳴った。


 おれたちがいる二階の応援席から見下ろしたフロアに白いユニフォーム姿のモモとハナがいる。

 そう、今日はミニバスのブロック大会、決勝戦だ。

 同点のまま延長線を迎えた。泣いても笑っても最後の3分間がはじまる。

 こっちも気合いを入れて応援しなくてはいけない。


「さっきごめんね……怒った?」


 するりと緋色が手を重ねてきた。

 おれにしたらさっきのことをまだ気にしていたのかと驚いたくらいだ。


「ちゃんと考えるから。ひと君の誕生日までに、ちゃんと自分の気持ち決める」


 そう言って前を向く緋色の横顔はやっぱり可愛い。

 ついテンションが上がったおれは、


「モモ、ハナ、がんばれー!!」


 と大音量で声援を送る。

 すると隣で息を吸う気配があった。


「がんばれー」


 緋色なりの声援。

 こんなの聞いたら負けられないよな。



 ――残り30秒。


「いけ、モモ!」


 モモが得意のドリブルを仕掛ける。間に合うか。

 先回りしたハナにパスをするが投げたボールはリングに跳ね返される。リバウンドをとったのはモモだ。それを見たハナが自陣側へ走り出す。


「ハナ!」


 モモからハナへ渡ったボール。両手に掴んだハナがぐっと腰を落とした。ミドルシュートを決める気だ(ミニバスはスリーポイントシュートがない)。

 ここ最近毎日練習していたのはこのためだったのか。


 入れ!

 ぐっと前のめりになった。

 隣の緋色も身を乗り出している。


 終了のブザーが鳴り響いた直後、ボールはシュパッとゴールに吸い込まれていった。


「はいっ……た」


 とっさに緋色と見つめあう。


「やったね!」


「おぉやったぞー!!」


 なんだかもう飛び上がりたいくらい嬉しくて緋色と抱き合った。


「おにいちゃーん」

「見てたー?」


 チームメイトたちに囲まれていたモモとハナがこちらに気づいて手を振っている。


「あぁ見てたぞ。すっげぇカッコよかった! ご褒美はBBQだ!!」


「「わーいっ」」


 妹たちの成長を見ているとおれまで胸が熱くなる。

 それは緋色も同じらしく興奮気味に手を叩いていた。


「ふたりともすごかったね。上手だった」


「サンキュー、毎日熱心に練習していたからな。ウチでは試合に勝ったらいつも焼肉にするって決めてるんだ。今日は親父が仕事で遅いから明日の昼からかな」


「へぇなんだか楽しそう♪」


 緋色が満更でもなさそうに頷くから、ちょっとだけ魔が差した。


「もしも――だけど、明日うちに来ないか。変な意味じゃないぞ。祝賀会の焼肉を一緒に食べたいなぁ、なんて」


「ひと君のお家に?」


 びっくりしている。

 そりゃそうだよな。家に招いたら家族公認の彼女ってことになる。さすがにまだ早いかもしれない。


「いいじゃない、ぜひいらっしゃい」


 横から割り込んできたのは最前列で応援していたはずの母さんだ。


「佑人に間宮さんのような素敵な彼女ができてうれしいわ。モモやハナ、それにサクラもきっと喜ぶはず。ね? ねぇ? ねー?」


 有無を言わせない勢いに押されて緋色はたじたじ。


「あ……はい、では、お言葉に甘えてお邪魔します」


 さすが。と内心拍手を送った。

 もつべきものは強引で空気が読め母親の存在だ。

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