第17話 金曜日のお買い物デート

 金曜日はいつも待ち遠しいが今日ほど落ち着かない金曜日があっただろうか。


 ――ない。

 断じて、ない。


 終礼のチャイムが鳴るなりカバンを担ぎ上げて緋色の席に駆け寄った。


「デートいこうぜ緋色!」


 自分でもびっくりするくらいの大声だったせいか周りが一斉に反応する。緋色は恥ずかしそうに首を縮め、ほんのちょっと怒ったような顔をみせた。


「ひと君、気が早すぎるよ。まだ先生も残ってるのに」


「やべっ」


 チャイムが鳴ったから完全に気を緩めてしまったが黒板の前で生徒と話をしていた先生は見て見ぬふりをしてくれている。さすが大人の対応。


「デートだとぉ? どこ行くんだ?」


 暑苦しい賢介が腕を絡めてきた。

 黙秘するおれのかわりに答えたのは緋色だ。


「スポーツ用品店だよ。部活で使う道具を一緒に見に行くんだ。恩田君も行く?」


「えっ!?」


 衝撃的な一言だった。

 緋色が優しいのは知っている。男女とも分け隔てなく接するフレンドリーな姿は好きだけどでも、他の男を誘うなんて――。


「オレ? いやぁ、どうしよっかなぁー」


 おれは目ん玉が痛くなるくらい賢介を睨みつけた。

 もしYESなんて言ったら覚悟しとけよオラ。


「あー……なんだか急に用事を思い出した、悪いけどオレ帰るわ。じゃなー」


 気まずそうに視線を漂わせていた賢介は空気を察して脱兎のごとく去って行く。

 さすがだ。状況を的確に見極めて俊敏に動けるおまえはいいスクラムハーフになれるよ。


「じ、じゃあ行くか。荷物持つよ」


 待ちきれずに緋色のカバンを手に取って歩き出した。廊下までついてきた緋色は困り顔で一言。


「みんなの前で思いっきり”デート”って言われるとちょっと恥ずかしいょ……」


「ごめん! 待ちきれなくて」


 我ながら浮かれすぎたと反省する。

 両手をあわせて謝罪すると「ふふっ」と笑い声が降ってきた。


「なんてね、私も楽しみだったんだ。つい勢いで恩田君を誘っちゃったけど、ついてくるって言ったらどうしようと思ってた」


 ぺろっと舌先を出すのでまたしても心の中のカメラを百万連写した。

 おれの彼女(仮)、可愛すぎる。



 ※



 電車を乗り継いで向かったのは大型ショッピングモールを兼ねた複合施設。映画館や市営の図書館、カラオケ、ボーリング場、スポーツ関連の施設などが集まっている巨大エンタメ施設だ。

 親の車で何度か来たことがあるけど駐車場の空き探しはいつも大変で、ようやく中に入ってからも行きかう人の多さや施設自体の規模の大きさに圧倒させられる。ちなみにドッグランもあるんだぜ。


 今日は金曜の夕方だけあって人は多いけど休日に比べればマシな方だ。

 もし休日にここでデートしようものなら肩を並べては歩けないだろう。


「ねぇひと君は何色がいいと思う?」


「『靴下』ねぇ……」


 緋色が両手に持っているのは厚手の靴下二種類。もちろんバスケ用だ。

 ルール改正によってこれまで規定されていなかった靴下も全選手同じものを着用することになったんだって。消耗品だから値が張るものは気が引けるし、だからといって品質が悪くてもいけない。

 結局はカタログで注文するらしいけど実物を見ておきたい、というのが今回のデートの趣旨だ。放課後にイチャイチャするためじゃない。非常に残念ながら。


「うちの試合用ユニフォームは何色なんだ?」


「濃色は白いラインの入った青。淡色は青いラインが入った白だよ」


「じゃあ靴下は無難な白でいいんじゃないか? ワンポイント入りの。なにもファッションショーするわけじゃないんだし」


「ワンポイントはどうする? 青? 黒? 赤? 黄色? 緑? それとも人によって変える?」


「うーん……」


 悩ましい。

 部活のユニフォームを決めるなら部外者おれじゃなくて小石崎あたりを呼べば現実的な意見を聞ける気がする。

 でもふたりで買い物している光景を想像するとモヤモヤする。


 どうやら人を好きになると視野が狭くなるらしい。


 自慢じゃないが緋色に出会うまではだれかを好きになっても自分はなにも変わらないと思っていた。

 他の男友達を話していても、ふたりきりで部活の買い出しに行ったとしても全然よゆー。だっておれが彼氏なんだし!って言い切れる妙な自信があったんだ。


 なのにいまは全く余裕がない。

 まだ仮交際だからっていうのもあるけど、もし緋色が小石崎とふたりで歩いていたらモヤっとするだろう。互いに恋愛感情がないと分かっていても何かの弾みで恋するんじゃないかと不安になる。


 おかしいなぁ。

 バスケコートに立つと周りの状況が手に取るように分かっていたはずなのに、いまは目の前にいる緋色しか見えねぇや。どうしたらいいんだろう。


「――決めた、私がイニシャル縫う!」


 無地の靴下をぐっと握りしめた緋色が唐突に宣言した。

 「え?」と反応が遅れてしまう。


「縫うってマジで? レギュラーメンバーだけでも数セットとなると相当だぞ?」


「だいじょうぶ! お母さんにミシンの使い方習ったもん。イニシャルがあれば他の人と間違えないだろうし、愛着をもって大事に使ってもらえるでしょう?」


 ずいぶんと鼻息が荒い。


「でも靴下って消耗品だし名入れのサービスもあるからそこまでしなくていいんじゃないか?」


 言外に「やめておけ」と勧めるのは緋色がいくら丁寧に縫ったとしても穴が空けばポイと捨てられる靴下の末路を知っているからだ。靴の中の摩擦が激しいバスケでは早くて1、2ヶ月でダメになってしまう。その度に緋色が新しいものを縫うなんて無理だ。


「ダメかぁ」


 おれの説得が功を奏したのか緋色は渋々といった様子で頷いた。

 ただ表情は冴えない。


「私は役立たずだから何かしてあげたかったんだけどな」


 そんなことはない。

 一回でも部活の様子を見れば分かる。小石崎も感謝していた。


 緋色はとにかく自己評価が低すぎる。

 認めさせてやりたい。自分ひいろ自身を。


「じゃあ――おれのを頼もうかな」


 パッと目についたのは汗拭きなどに使う赤いリストバンドだ。ブランドロゴもないので比較的安い。ひとつ手に取って緋色に差し出した。


「これ買うから、緋色の好きなもの縫ってくれよ。言葉でもイニシャルでもイラストでも」


「あれでも、ひと君バスケしないから使わないよね」


「オシャレだよ。オ・シャ・レ」


 ウソをついた。

 リストバンドを使ったオシャレなんてあいにく見当もつかない。


 好きな子に縫ってもらった、世界に一つの宝物にしたいだけだ。


「……だったら」


 緋色が同じコーナーから橙のリストバンドを手に取った。


「ひと君のイメージってオレンジ色。これに刺繍して私がもったらお揃いになるよね♪」


 赤と、オレンジ。

 混じりあったら”緋色”になるかな。


 そういえば昔母親に作ってもらったリストバンドもオレンジ色だった。

 いつの間にか失くしてしまっていたけど、一体どこにいったんだろうな。



 ※



 色違いのリストバンドを買ってあてもなく店内をぶらついていると案内板を目にした緋色が目を輝かせた。


「バスケットコートだって。いこう♪」


 腕を掴まれてぐいぐいと引っ張られていく。

 店の屋外スペースに無料のバスケットコートが用意されている。一組につき10分まで利用可能で、だれでも好きに使っていいらしい。


 転がっていたボールをひとつ拾い上げた緋色がおれを振り返る。


「ねぇひと君。私にシュート教えて」


「いいけどなんで? 女バスに入部するのか?」


「ううん違うけど。体育の時間にひと君がみせてくれたようなスリーポイント打てたら気持ちいいだろうと思って」


 うん、気持ちいいぞ。

 狙ったところにスッとボールが入った瞬間の快感は忘れがたい。ネットがほとんど揺れなかったら最高だ。


「言っておくがおれの指導は厳しいぞ?」


「――お願いします! コーチ!」


 だれがコーチだ、彼氏だろ。

 おれは苦笑いしながら足元に転がっていたボールを拾った。



「いいか、人差し指と中指をそろえて肘はまっすぐ。力まないで体のバネで飛ばすイメージ。やってみろ」


「う、うぅん……えいっ!」


 緋色が投げたボールは敢えなくゴールの下を通過していく。届きもしない。


「ま、気長にやろうぜ」


「はぁい……」


 気落ちしている緋色には悪いが、めちゃくちゃ体かたいな。全身が針金みたいだ。

 しかも数投しただけで息切れしている体力のなさよ。


「ひと君は本当にうまいね。どうしてそんなに上手なの?」


「そりゃあ何千、何万回も練習したからな。ちっちゃいころからミニバスやってたし、小学生のころアパートを出て家を建てる話がでたときも真っ先にバスケコート作ってくれとお願いしたくらいだ」


「いまは帰宅部だよね。バスケはもうやらないの?」


「うん。趣味で時々やるくらいが丁度いい」


 おれの中ではもう片付いた問題だ。いまは緋色との毎日を楽しみたい。




 小腹が空いてきたので近くのフードコートで軽食をとることにした。

 そこで珍しい人物に遭遇する。


「……比嘉ひが先輩、ですか?」


 『たこ焼き屋・うまいもん』のレジを叩いていたのは身長二メートルはあろうかという顎鬚を生やした男性店員だ。


「おぉOK川じゃん。久しぶりだな」


 桶川をOK川と呼んでのは今は昔。すっかり大人びた精悍な顔立ちに懐かしさと一抹の寂しさを覚える。

 比嘉尚也。朔中時代のキャプテンでおれの二つ上――いまは大学一年だ。関東の大学に進学したと風の噂で聞いたが。


「今日はどうした? デートか?」


 視線を向けられた緋色が恥ずかしそうに下を向く。

 おれは彼女を隠すように前にでてたこ焼きを一パック注文した。

 「あいよっ」と請け負った先輩は見事なハンドリングでたこ焼きをひっくり返していく。


「いま春休みだから帰省してるんだよ。で、見てのとおりたこ焼き屋でバイト中」


「バスケの方は? 大学の練習あるんですよね?」


 先輩は満面の笑みでカウンター下の膝をたたく。


「高校二年のときにケガしちまった。短時間なら大丈夫だけともう前みたいには動けない」


 あまりの笑顔に言葉を失ってしまう。

 苦しみの悲しみもぜんぶ飲み込んだうえでのセリフに見えたから。


「でもいずれは指導者になりたいと思ってスポーツ科学部に在籍している。難しいけどやりがいがあって楽しいよ。ほい、たこ焼きお待ちどうさま」


 袋詰めのたこ焼きはひとパック多い。「おまけだ」とばかりにウインクされたのでありがたく頭を下げた。温かいうちに食べようと歩き出したとき再度声をかけられる。


「あ、なぁOK川って下の名前『ゆうと』だったよな?」


 変なことを聞くものだと思いながら頷く。


「まさか忘れたんですか?」


「わ、忘れるわけないだろ! 『ひめ』が――あ、姫っていうのは妹がそう呼んでいるんだけど、同級生の『姫』が田口のあたりに住んでいた『ゆうと』って男の子を探しているっていうから聞いてみたんだ」


 さてはおれの名前完全に忘れてたな。


「あいにくと心当たりないですね」


 後ろに客が詰まっていたので話を切り上げて席に着いた。

 たこ焼きはシンプルな鰹節ソースと明太マヨネーズのふたつ。まっさきに明太マヨネーズに爪楊枝を刺した緋色はふーふーと息を吹きかけている。かわいいなぁ。


「ねぇひと君。さっき言われていた『姫』って知っている人?」


 ほふほふと頬張りながら尋ねてくるので鰹節の方に伸ばした爪楊枝を止めた。


「さぁ? 田口は昔住んでいたアパートの地名だけど『姫』なんていたかな」


 ガキだったし、バスケのことしか頭になかったからな。

 『姫』と呼ばれる高貴そうな?女いたっけ。


「そっか――。あ、ひと君あーん♪」


 まったく予期しないところへ明太マヨネーズのたこ焼きが迫ってきていた。訳が分からないまま口に入れられる。


「おいしい?」


 緋色はまるでイタズラが成功したときのような笑顔。


「ん、んふ、んん」


 中身熱いけどめちゃくちゃ美味い。しかも爪楊枝の間接キスだろ。

 あぁ呑み込むのが勿体ない……!!

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