第16話 木曜日の告白予告

「ひいろとキスしたい」


 そう口にしてから「またやってしまった!」と後悔の嵐に苛まれる。

 おれのバカバカ。どうしてすぐに結果を得ようとするんだ。緋色の気持ちがちゃんと固まるまで待つって決めたのに。受け取る準備してない相手にいきなりボールを投げたらケガするだろうが。


「緋色ごめん、今の聞かなかったことにしてくれ。つい本能に抗えなくな」


「キスって、あの、口と口を触れ合うキス?」


 食い気味に問いかけてきた緋色は下を向いている。自分の唇に触れたのを見ておれの心拍数も跳ね上がった。意識されている。


「ぅん……そう、口でするやつ。本当に好きな相手とだけの、特別な」


 なに言ってんだおれ、と自分に突っ込みを入れつつ緋色の様子を伺ってしまう。

 小さな体をさらに小さくしてうつむいている緋色はしきりに視線をうつろわせていた。


「ごめんなさい、いまは、まだ――。ごめんね」


 まただ。

 また謝らせてしまった。


 思えば緋色はおれに対していつも謝っている。その度に悲しそうなをするのだ。



 ※



『――目覚ましを止めて二度寝したら寝坊しちゃいました。今日は先に行ってて』


 翌朝、木曜日。

 おれは学校に向かう電車内でため息をついていた。緋色から届いた遅れますメールになんて返そうか悩みつつ。


 昨日はなんだかビミョーな空気になってしまったので早々に帰ることにした。

 緋色は自宅までのタクシー代を払うと申し出てくれたけど、スマホで確認したら電車が運行再開していたので定期からはみ出す数百円分だけをもらい、逃げるように家を飛び出した。


 やっちまった。

 やっちまったよ。と心の中で叫びながら。


 とてもじゃないけど振り返れなかった。

 緋色が玄関先で見送ってくれているのをカーブミラーごしに気づいてさらに加速したくらいだ。あぁ、かっこわるい。


 緋色の『彼氏』になりたい。

 緋色の『特別』になりたい。

 緋色の『唯一』になりたい。


 それだけなのに。めちゃくちゃ難しいことなんだな。

 一体全体、この世の中のカップルはどうやってカップルになってるんだろう。


 朝からセンチメンタルなため息をついていると途中の停車駅から賑やかな一団が乗り込んできた。おれと同じ学校の制服を着た一年生だ。学年ごとにネクタイの色が違うので一目で判別できる。

 最後に乗り込んできた長身ノッポと目が合う。


「あ。先輩パイセンじゃないっすか。ちーっす」


 うれしそうに近づいてきたは小石崎だ。


 いやいやおれおまえの先輩じゃねぇし。


 あっちいけ、と目で訴えるもまったくもってスルーされ、玄関先でおれを出迎えるときのサクラそっくりの笑い方をして近づいてくる。

 部活時のジャージに比べると制服の方が長身が際立つな。


「先輩もこの時間の電車なんすね。隣いいっすか」


「他にいくらでも空いてるだろ、よそいけ。ここはおれの荷物置き場だ」


「えー……」


 小石崎はあからさまに眉を下げる。

 うわあれだ、試験勉強中で構ってやれないときのサクラの悲しそうな顔と同じだ。恥ずかしながらこういう表情に弱い。


「ったく仕方ねぇな」


 ほだされて仕方なく席を空けてやった。


「やりぃ、さすが朔中さくちゅうの元ポイントゲッター。俺のこともよく分かってらっしゃる」


 朔中の名前が出た瞬間、どかんと座り込んできた小石崎の顔をマジマジと見つめてしまった。もしかしたら睨んでいたかもしれない。


「なんで知ってんだよ」


「いまどき名前をちょちょいと入力すれば雑誌やYouTubeくらいヒットするっすよ」


 勝ち誇ったようにスマホを取り出して検索している。


「これこれ、全中の常連・朔丘中央学園のキャプテンにしてシューティングガード。スリーポイントの成功率は驚異の60パーセント越え。その得点力とたぐいまれなドリブル力で三年の全中では悲願の優勝を勝ち取りMVPにも選ばれた……で合ってますか?」


 どっかの記事を棒読みしている。

 もういいや、どうせ言わなくたってバレるんだろ。


「ひとつ違う。MVPじゃなくて優秀選手だ。MVPだと一人だけみたいに思われるから他の優秀選手に失礼だろ」


「うっす」


「あと成功率はおれが計算したわけじゃないから知らない」


「すげーなァこんだけ活躍したならモテたんじゃないっすか?」


 人の話をきけ。

 思いきり睨んでやったが小石崎は片耳にイヤホンを差してスマホに夢中だ。どうやらYouTubeに勝手にアップされていた全中決勝戦の試合動画を見ているらしい。


 死ぬほど恥ずかしいし、下手したら吐くかもしれないので目をそらしておく。


「言っとくけど周りみんな男ばっかだぜ。モテるもなにもあるわけないだろ」


「なーんだ、可愛い子紹介してもらおうと思ったのに」


 こいつ本当にモテることしか考えないんだな。

 単純バカだと思うけどおれだって人のこと言えない立場だ。



(おれはべつにモテたいわけじゃないんだよ。じゃなくて緋色に――)



 電車はもうすぐ学校の最寄り駅に着く。

 小石崎は学校までついてくるつもりだろうか。

 緋色はいまごろ家を飛び出したころだろうか。


 イヤホンを外した小石崎がいまさらのようにおれを見た。


「そういえば今日マネージャーは一緒じゃないんすか?」


「寝坊したんだって。先に行っててくれだとよ」


「ふぅん。ケンカでもしたんすか?」


 一瞬言葉に詰まった。

 こいつ、見かけによらず痛いところを突いてきやがる。


「先輩高校でもバスケやればいいのに。そしたらもっとモテると思いますよ。マネージャーは部活の方はしっかりやってくれて助かるけど恋愛に関してはでしょ」


「なにが言いたい」


「有名っすよ、一年の間でも」


 緋色と桶川アイツとの関係はかなり知れ渡っているらしい。


 たしかにウチの学校には緋色以外にもかわいい女子はたくさんいるんだよな。

 バスケを再開すれば興味をもって近づいてきてくれる子がひとりやふたりいるかもしれない。おれさえ気に入ればあっという間に交際に発展して手っ取り早くキスできる可能性もある。



 でもさ。



「――やっぱやめ。バスケには頼らねぇ」


「なんでっすか? 楽なのに」


「おれは自分と賭けをしたんだよ。全中で優勝できなかったら体がぶっ壊れるまでバスケを続ける。モテたいとか他のことをしたいとかの邪念を捨てて死ぬまでバスケにこだわり続ける。約束する。そのかわり優勝したら――」


 全中の決勝戦。第四クオーター。

 53対52の超接戦だった。

 あと一点を守り抜いたら朔中の優勝という場面で相手にボールが渡った。ゴール下で混戦状態になったとき、おれはおれと賭けをした。


 もしも優勝したのなら――――ふつうの、ありふれた恋してみたい。

 子どもころからおれの中に深く食い込んでいるバスケっていう根っこを抜いて、ただの桶川佑人になって、好きな子に告ったり、デートしたり、ドキドキしたり、キスしたりしてみたい。そう思ったんだ。


 そんなことも考えられないくらいバスケ漬けの毎日だった。

 おれも不器用だったんだと思う。


 だから悶々としながらもいまの毎日を心のどこかで楽しんでいる自分がいる。

 

 やっぱおれは緋色じゃないとダメだわ。



 ※



 最寄り駅に到着した。

 一斉に降りていく生徒たちの最後に改札口を出たおれはすぐに足を止める。


「あれ行かないんすか?」


 不思議そうに振り返る小石崎をしっしと追い払う。


「先に行け。おれは緋色を待つ」


「って遅刻しますよ?」


「いいんだよ、ちょっとくらい。さっさと行け」


 呆れたような表情が浮かぶ。


「お揃いで遅刻っすか。きもちわる」


「うっさい。バスケ部員なら学校まで走っていけ」


「はいはい」


 くるりと背中を向けた小石崎は「今度また部活に顔出してくださいねー」と言い捨てて本当に走っていった。笑える。でもちょっとだけ羨ましいよ。




 電車から飛び降りた緋色が息せききって駆けてきたのは三十分後。

 改札前にいたおれの姿を見つけて「え!?」と目を丸くしている。


「はよ。奇遇だな、おれも寝坊したんだ。一緒に遅刻しようぜ」


 白々しく手を挙げてニカッと笑って見せた。

 緋色は必死に息を整えたあと、様子を見るようにおれに歩み寄ってくる。


「待っててくれたの?」


「ちがうちがう。寝坊しただけ」


 緋色の目は疑っている。

 まぁ自分でもバカだと思うけどさ、一回の遅刻よりは緋色との登校の方が大事なんだ。


「とにかく行こうぜ」


 胡乱げな緋色を促して一緒に歩き始めた。いつもなら手をつなぐけど昨日のことがあったせいか緋色は少し距離をおいている。


「昨日はごめんな。おれちょっと焦ってた」


「うぅん私も、ごめんなさい」


 浮かない表情をしている。

 緋色なりにおれのこと考えてくれたのかな。


「緋色」


「ん?」


「決めたんだ。いまから緋色にする」


「こくはく、よこく?」


「おれ昨日みたいに時々暴走するから期限があった方がいいと思うんだ」


 きょとんとする緋色。

 そりゃそうだ。「告白予告」なんて緋色を待つ間に思いついた言葉なんだから。


「四月十三日、緋色にもう一回告白する。そのときに正直な気持ちを聞かせてほしい。おれと付き合うか、現状維持か、やめるか。どれを選んでも緋色を嫌いになることはないし、おれに遠慮したり無理したりしなくていいから本心を教えてほしい」


 おれが緋色を好きなのは変わらないと思うけど、それだけじゃダメなんだ。

 期限を決めて緋色にも気持ちを固めてもらわないと。


「どう……かな」


 思いつきにしては悪くないと思うのだが緋色は黙り込んでいる。

 もしかしてやらかしてしまったろうか。


 心配になって顔色を伺おうとすると、唐突に親指を突き立ててきた。


「……ありがとう。すごく、いいと思う」


 はにかみながらの笑顔。

 なんだかおれまで嬉しくなって、ふたり揃って親指を立てた。

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