第15話 続)水曜日のお家デート。なにも起きないわけがない。
「ただいまー♪」
「お邪魔……します」
成り行きで緋色の家に寄っていくことになってしまった。
横にスライドさせる形の扉を開けると広い
「ごめんね、うち古臭くて。大正か明治に建てられた家を改築して使っているの。靴はそのままでいいから遠慮なくどうぞ」
普段ならてきとうに脱ぎ散らかすスニーカーだけどこういう場所に来たら踵を合わせて揃えて置くのがマナーだ。堅苦しいがマナーだから仕方ない。
つま先についていた泥を軽く落としてから隅っこに寄せて置いておく。
「こっちだよ」
緋色に案内されて迷路みたいにうねうねと曲がりくねった廊下を進む。これトイレに立ったら絶対に元の場所に戻れないやつだ。
フローリングの床はスリッパを履いていてもつるりと滑りそうになるほどぴっかぴかに磨き上げられ、埃ひとつ落ちてない。
「歩かせてごめんね。私の部屋、離れなの」
きた。離れ。
もうこの時点でお嬢様決定じゃないか。
――というか緋色の部屋に連れて行ってもらえるのか? いきなり?
女の子の部屋って初めてだから緊張するんだけど。
「ちなみに今日、親御さんは?」
「ふたりとも仕事だよ。家事をお願いしているお手伝いさんも五時にはあがっちゃうから今はだれもいないと思う」
つまり。
ふたりきり。
やべ、ドキドキ。
「い、いいのか? おれなんかが上がって」
「ここまで送ってもらったんだもん。温かいお茶くらい出させて」
照れてるのかと思ったら小さくあくびしていた。
まったくの無警戒。無防備だ。
同級生と言っても男とふたりきりなんて怖くないのかな。
それとも未だに恋愛対象に見られてないのかな? それはそれでモヤるけど。
「到着。ここが私の部屋だよ」
玄関からひたすら歩いた曲がり角の先、茶色の扉の前で緋色が立ち止まった。『ひいろのおへや』と手作りらしいプレートが提げてある。銀色のノブをひねって先に入った緋色から「どうぞ」と手招きされた。
えい、もう覚悟を決めるぞ。
「失礼します!」
思いきって足を踏み入れると目が眩むような春の光景が視界に飛び込んできた。
白い壁紙には舞い散る花びらの模様、桜を思わせるピンクのカーテンに花びらが積もったようなピンクのクッション、カーペットは新芽の淡いグリーンだ。テーブルこそ木目調だけどレースのカーテンに縫いつけられた花びらの影が映り込む。
「えへへ、ちょっと派手でしょう。ここは勉強部屋。インテリアコーディネーターのお母さんの趣味で、私が冬生まれだから部屋をたくさんの春でいっぱいにしたいと思ってこうしたみたい。寝室は襖を隔てた隣だよ」
「すげー。こういう趣味はよく分からないけど、きれいだな」
「ありがとう。私、お茶用意してくるから座ってて」
緋色の足音が聞こえなくなってからキョロキョロと周囲を見回してみた。
いかにも女の子の部屋って感じだけど、なんだか本当に春の陽だまりの中にいるみたいだ。緋色の笑顔もこれに通じるところがある。いつ見ても笑顔になれるんだ。
「……ん? なんだこれ」
カーテンの下から丸っこいものが伸びている。
なんだろうと思って触れてみた。やわらかい。
今度は撫でてみる。びたん、と動いた。
まさかこれは。
じっと目を凝らしているとカーテンの下から唸るような声が響いてきた。
きらりと光るふたつの目。
「ウー!」
あ、これ、やばいやつだ。
「お待たせー、食器探していたら時間かかっちゃって――きゃっ!」
上着を脱いだ緋色が戻ってきたのとカーテンの下から茶色いミサイルが突進してきたのはほぼ同時だった。
「茶太郎、え、隠れてたの、ちゃーちゃん!」
知らない人間に尻尾をなでなでされたもんだから緋色の飼い猫はパニックになってぐるぐると旋回する。お盆を手にしている緋色は身動き取れずおろおろするばかり。猫の扱いが分からないおれも手を出せずに見守るほかない。
ひとしきり走り回った茶太郎は開けっ放しの扉から廊下へ飛び出していく。
緋色とおれはほぼ同時に息を吐いた。
「驚かせちゃってごめんね。茶太郎思いもしないところに隠れているからいつもびっくりさせられるんだ。まさか部屋に入り込んでいるなんて」
「怖がらせちゃったかな」
「あとでなだめておくから大丈夫だよ。はい紅茶とお菓子。どうぞお召し上がりください」
そう言って差し出されたのはミルクティーとシフォンケーキだった。
ケーキは市販のものらしく妙な隠し味もない。絶品だ。
それからしばらくは緋色と向かい合って座り、他愛もないお喋りを楽しむ。
あっという間の時間だった。
「はーうまかった。ごちそうさま」
「お粗末様でした。片づけてくるね」
「手伝うよ」
「だいじょうぶ、これくらい」
食器をお盆に乗せて立ち上がる。
テーブルの拭き掃除を買って出たおれは机の下に転がっているフォークに気づいた。
「忘れ物。フォーク」
「あ、ごめん」
廊下に出ようとしていた緋色が慌てて引き返してきた――そのとき。
茶太郎が散らかしたクッションに躓いて前に傾いた。
「あっ……」
やばい!
そう思った時には手を伸ばしていた。
からん。
床に転がったのは緋色が運んでいた食器。どうやらプラスチック製だったらしい。
「緋色だいじょうぶか!?」
腕の中に抱きとめた緋色に声をかける。
「ひいろ?」
反応がないのでもう一度名前を呼んだ。
名を呼ぶたびに緋色の存在を強く感じる。
「ぁ……うん」
おれの肩あたりに顔をうずめたまま微動だにしない緋色。
様子がおかしい。
ようやく体を起こしたが様子が変だ。目が潤んでいる。
「なんか……、ごめんなさい。ひと君って本当に男の子なんだなって思ったの。体の大きさや骨の固さ……。変だね、スケートのときは何度も助けてもらったのに、なんでこんなに驚いてるのか」
おれも思った。
スケートデートの時は互いに重ね着していたからあまり意識しなかったけど、緋色は本当に華奢だ。それに、熱い。なんでこんなに。
意識が変わったのだろうか。
ただの同級生から、異性へと。
「ちょっと、いい?」
緋色は食器を置くと再確認するように体を寄せてきた。
「あぁやっぱり。ひと君の体って、あったかくて、気持ちいいね」
「そうかな。自分じゃわからないけど」
「うん。好きだなって、思った」
生あくびをしたかと思えば頭を傾けてくる。
「もしかして眠いのか? あくびばっかり」
「そうかも。昨日の夜資料まとめてて寝不足で――」
「寝ていいぞ。抱き枕にしてもいいし」
なんて、冗談のつもりだったが緋色はまんざらでもなさそうに笑う。
「ありがと。じゃあ遠慮なく」
マジかよと思ったが目を閉じて本格的に体重を預けてくる。
おれの心臓の音が直に聞こえているんじゃないかと不安になった。汗のにおい、しないよな。
はは。
本気で眠っているわけじゃないのは分かっているけど、こういうのも悪くない。
なんたってとっておきの位置から緋色の寝顔が拝めるんだから。
長いまつ毛に白い目蓋。無防備な表情。
それがすぐ間近にある。
手の届くところに。
「ひいろ」
「ん?」
花びらのような目蓋が開いておれを映す。
さらり、と髪が揺れた。
何気ない仕草ひとつで、どうしようもなく胸が震える。
忘れていたマグマみたいに噴き出すんだ。
好きだって気持ちが。
「ひいろ」
まだ仮交際中だということも、緋色の中にはアイツの影がちらつくことも分かっている。それでもおれは緋色を諦められない。
喉が渇くんだ。
だから――。
「おれ、いま、ひいろと――……キスしたい」
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