第14話 水曜日はきみの白い吐息
水曜日。
職員室の前で待たされるのは緊張する。
廊下を行き来する生徒たちにチラ見されるとどっかの穴に入りたくなる。
けどそういうわけにもいかないんだな。これも一種のデートの待ち合わせ中なんだから。
「失礼しましたー」
鉛色の扉を押し開けて出てきたのは緋色だ。おれの姿を見てにっこりと笑う。
「ひと君お待たせ」
「用事は済んだか?」
「うん、今日は来期の予算資料を先生に渡すだけだったから。荷物と上着預かっててくれてありがとう」
肩にかけていた緋色のカバンを手渡しつつ、腕に提げていたマフラーを巻いてやった。どちらからともなく空いている方の手をつないで歩き出す。
「帰ろっか♪」
「あぁ」
緋色は生徒会の副会長だ。卒業する三年から役目を引き継いでからはあれこれ忙しく走り回っている。昨日の部活でも頑張っていたし、心底尊敬する。
「なんだかひと君叱られて廊下に立たされているみたいだったね」
つないだ手を前後に揺らしながら笑う緋色。
「失礼だなー。おれは叱られるようなことしてないぞ」
「ごめんなさい、むしろ褒めてあげないといけないね。いい子いい子♪」
そう言うとほんの少し背伸びをして前髪を撫でてくれた。
「――……っ」
緋色はなんでもないことのように笑っているけど、こっちは恥ずかしくて死にそうだ。穴があったら入りたい。
昨日だって家に帰ってからも「かっこいい彼氏」の言葉を思い出しては顔が熱くなり、その度サクラに顔をべろんべろんに舐められたっていうのに。
「小石崎くんすっごく喜んでたよ、他の一年生たちも教えてほしいことたくさんあるみたい。時間があったらまた部活に顔出して」
「あぁ、うん。時々なら」
緋色が喜んでくれるならいくらでも顔を出したいところだけど、部員でもないのに頻繁に顔を出すのはさすがに図々しいので時々にしておこう。
「――あ♪」
玄関に着くなり緋色が駆けだした。
ガラス戸の向こうにまっしろな粉雪が舞い降りるのが見える。こんなに本格的に吹雪くのは久しぶりかもしれない。
「雪だー! すごーい」
大急ぎて下足に履き替えた緋色は軒下に飛び出していく。
雪を見ながらくるくると回る。子どもかよ。くっ、可愛い。
可愛い記念に写メでもとろうと思ってスマホをだしたら賢介からメールがきていた。
「やばいぞ緋色、先に帰った賢介からの連絡で、雪による倒木で上下線とも電車止まってるらしい。復旧は未定だってさ」
「え……どうしよう」
一転して困り顔の緋色が戻ってきた。
肩や髪についていた雪を軽く払ってやる。まるでサクラみたいだ。どんだけはしゃいでるんだよ。
「緋色の家って徒歩でどれくらいかかるんだ?」
「うーん……ここからだと一時間くらいかな。道は知っているけど実際に歩いたことはないよ」
「じゃあひとりで帰るの心細いだろう? 途中まで送っていくよ」
「え、でも、ひと君の家って真逆だよね。遠くなっちゃうよ」
おれの家は徒歩一時間半くらい。走っても四、五十分はかかる。緋色の家から引き返すことを考えると二時間は覚悟した方がいいだろう。
でも、それくらいなんてことはない。一分でも多く緋色といたい気持ちの方が強い。
「だめか?」
緋色は悩んでいるようだった。
でも、覚悟を決めたように顔を上げた。見た瞬間に答えは分かる。
「……私もね、ひと君とお喋りしながら家に帰れたらいいなって、ちょっとだけ思ってた」
「ちょっと?」
「ううん、すっごく!」
「素直でよろしい。じゃあ行くぞ」
一本しかない傘をさしてふたりで外に出た。吹きつけてくる風は冷たいけれど、緋色の片手をおれのポケットの中にいれて歩き出すと寒さなんてまるで感じないから不思議だ。
沿道は薄いベールのような雪に覆われていた。先客は猫だけらしく、小さな肉球が先へ先へと続いている。
もうすぐ三月か。
「そういえば緋色の誕生日って三月だったよな」
「よく知ってるね。三月三十日だよ、あと一ヶ月」
だてに二年近く片思いしていたわけじゃない。
誕生日くらいはチェック済だ。
「なにか欲しいものあるか? 一応彼氏なんだしプレゼントするよ」
「ほんと? やった、なにか考えておくね」
考えれば妹たち以外の女の子に贈り物をするなんて初めてだ。折角なら喜ばれるものを贈りたい。緋色が喜んでくれる姿がおれ自身への褒美でもあるんだし。
「あ、ねぇ私も誕生日プレゼントしたいな。ひと君って何月生まれ?」
「おれは緋色とほぼ一年違いなんだ。四月十三日」
「え!?」
ぴたっと足が止まった。
なにをそんなに驚いているのかと不思議に思っていると緋色がズイッと顔を近づけてくる。
「ゆーくん四月十一日生まれなの」
「……あ、そ」
二日違いか。名前だけじゃなく誕生日もほぼ同じなのかよ。嬉しくねー。
「ちがう、ちがうの」
ぶんぶんと首を振る緋色。なにかを必死に訴えたいようだ。
「私、早産だったの。予定日は四月だったのに二週間も早く生まれてきたの。もし予定日通りだったらひとつ下の学年になってた」
そうか。緋色は早生まれだからおれと同じ学年になった。
もしあと数日遅ければ合格発表の場所で会うことはなかったのだ。
「時々考えることがあったんだ。どうしてそんなに急いで出てきたんだろうって。前はゆーくんの幼なじみになるためだと思っていたけど、もしかしたら――」
緋色の大きな目がおれを映す。
たちまち釘付けになった。
合格発表のあの日と同じおおきな瞳。
手の中にすっぽり収まるような小さな顔。
白い肌。薄い唇。
やさしいほほえみ。
「もしかしたら――ひと君に会うために大急ぎで飛び出してきたのかもしれないね」
おれも――。
おれもきっと緋色に会うために生まれてきたんだと思う。
いや、そんなわけないんだけど、そうだったらどんなに嬉しいか。
不思議なんだ。
おれ、緋色と接するたび「これ以上好きになるはずがない」と思うのに、何度も何度も上書きされる。初めて好きになった時よりどんどん「好き」が濃くなるんだ。
上限が分からない。いつ終わるのかも分からない。
好きすぎて泣きたくなることがあるなんて親も教師も顧問も教えてくれなかった。
「そうだったらいいな」
この気持ちはとても言葉にできそうにない。
だから緋色を抱き寄せる。
あわてんぼの緋色がもうどこにもいかないようにと願いながら。
※
「着いた。ここが私の家だよ」
「……でかっ」
緋色が指し示したのは閑静な住宅街に佇む三階建ての一軒家だ。鬱蒼としげる庭木のせいで全容は確認できないけど門構えや佇まいから立派な家だと分かる。
この地域って高級住宅街って呼ばれるところだよな。もしかして緋色の家ってかなりの資産家なのか? お嬢様だったらどうしよう。
「ひと君、どうしたの?」
「いやなんでもない。じゃあおれ帰るわ。また明日な」
軽く手を振って身をひるがえした瞬間ぐっと服を引っ張られた。
「……緋色?」
おれの上着の一部を掴んでいる緋色は「すぅ、ふぅ」と小さく深呼吸を繰り返している。なんだか様子が変だ。
「――あの、寒かったし、ここまで送ってもらって助かったから……その、もし、良かったら……家に、寄っていかない?」
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