第13話 火曜日はバスケ部見学

「じゃあひと君また明日ね♪」


 火曜日の放課後。

 授業がおわるなり慌ただしく教室を飛び出していく緋色。その姿が角を曲がって見えなくなるまで見送ったおれは、自分の席に戻って背もたれに寄りかかる。


 天井のシミを目で数えながら思う。めちゃくちゃ淋しい、と。


「なんだよ。オレと帰るんじゃ不満か」


 笑いながら肩を抱いてくるのは賢介だ。

 やろー臭い。緋色のさわやかな匂いが恋しい。


「いんや。ヤローと肩並べて帰るのも楽しいよなぁ、あー楽しい」


 肉厚な腕を引き剥がして立ち上がった。


 考えれば不思議なものだ。

 緋色と交際する以前は退屈な授業の終わりが待ち遠しく、チャイムが鳴るなりカバンを担ぎあげて帰っていたというのに、今は「もしかしたら緋色が忘れものをして戻ってこないか」なんてと考えて教室に留まってしまう。ほんとダメな男だ。


 宿題として出された教科書や資料をカバンに詰めていると賢介が声を上げた。


「おや。あわてんぼの間宮が忘れものをしたっぽいぞ」


「なんだとっ!!??」


「ほれ、机の中」


 周りの机をかき分けて緋色の机の中を覗き込むと白い筆箱がポツンと残されていた。

 おやおや大変。これは届けなくてはいけないだろう。


 慎重に筆箱を取り出して腕に抱える。側面には緋色が好きそうな愛らしい猫のイラストが描かれていた。


「行くのか?」


「ちっげぇよ、通り道だからちょっと寄っていくだけだ。待たせちゃ悪いから賢介は先に帰ってていいからな」


「ほーぉ」


「うるせぇな」


「……」


「黙ってニヤニヤするな。顔がうるさい!」



 ――そんなわけで、バスケ部が練習している第二体育館に寄って行くことにした。

 ふだん昼を食べている第一体育館とちがって敷地内にありながらも少し離れていて、校門とは真逆の方向だ。火・木・土と部活動をしている。


 今更だが緋色は男子バスケ部のマネージャーだ。

 運動能力が高くないのにマネージャーなんてハードな仕事をしているのは桶川おさななじみがバスケ部だからに違いない。


 まぁそこはいい。割り切ってるから。

 ただ今行ったらふたりが楽しそうに話している場面に遭遇するかもしれない。


 覚悟だけは決めておこう。

 心の準備だけしておけば不用意に嫉妬して緋色を困らせずに済む。


「――お、バッシュの音。やってんな」


 緋色の筆箱を大事に抱えて体育館につづく石段をおりていくとキュッキュッと床をこする音が聞こえてきた。

 スキール音というのだ。なんだか昔(といってもまだ若いけど)の自分を思い出して胸が熱くなる。


 フロアに面した重厚な鉄の扉を前に立つと自然と背筋が伸びた。


「ちわー……っす」


 ガラガラ、と音を立てて扉を開ける。半面に仕切ってあり、奥のステージ側で腿上げやスクワットをしているのが見えた。


「ん? 少ないな」


 聞いていた話ではバスケ部員は20人近くいたはずだが、奥の方でフットワークをこなしているのは数えられるだけで7人。長身の桶川アイツはいないようだ。


「あと三往復だよー」


 ステージの手前に佇むのはジャージ姿の緋色。ひとりだ。


「はいおわり。五分休憩したらシュート練習ねー」


 一段落した頃合いを見計らって隅から近づいた。足音に気づいて振り向いた緋色が目を丸くする。


「ひと君どうしたの、もしかして入部希望? 大歓迎だよ♪」


「んなわけないだろ。忘れ物届けに来たんだよ。ほらこれ」


 白い筆箱を差し出すと「ありがとう! あとで取りに行こうと思ってたんだ」と喜んで受け取ってくれた。

 用事はあっさり済んだわけだけどこのまま立ち去るのは味気ない。「ちょっと見学していいか?」と問いかけると緋色も頷いてくれた。


「部員ずいぶん少ないんだな。アイツは?」


「ゆーくん? んー……今日来ないみたい」


「来ない? なんで?」


 心なしか口をへの字に曲げて下を向く。


「たぶん早乙女さんたちとカラオケかゲームセンターにでも行ってるんじゃないかな。部活に顔を出すのは月に2、3回。自分の実力ならそれで十分だって言うの」


 は? 月に2、3回? 舐めてんのか。


「二年生は10人以上いるんだけど幽霊部員ばっかりなんだよね、今いる7人はみんな一年生。女子マネージャーも私含めて8人いるんだけどゆーくんの取り巻きだから滅多に来ないの。顧問の先生も兼務で忙しいからほとんど顔出さないし」


「え、ちょ、ごめん。そんなんで大会で勝てるのか?」


「……ダメ、だけど――でも……」


 悲しげな表情を見て「しまった!」と焦る。

 緋色はアイツから「側にいたいなら文句を言うな」と釘を刺されているのだった。

 本人も苦しんでいるのにおれが追い打ちをかけてどうする。


「ごめん、いまのナシ! 許してくれ」


 手を合わせてすがりついた。


「ううん、ひと君みたいな考えが普通だよ。おかしいのは分かっているもん」


「でもさ、来ないもんはしょうがないよな、やれることをやるしかない。良かったらおれも手伝うよ。今日は時間空いてるし」


「……ありがとう。ひと君は優しいね」


 女神のような微笑み。

 ああースマホ百万連写したいぃー!!



 ※



 マネージャーはただ見ていればいいってもんじゃない。

 スポーツ飲料の準備やボールだし、モップがけ、道具整理、個々の選手の記録管理など雑用を一手に引き受ける大事な仕事だ。


 練習メニューも顧問や部員たち(主に一年)と相談しながら緋色が考えているらしい。ふだんの宿題に生徒会活動、くわえてメニュー作成まで。頭が下がるわ。


「みんな頑張ってるんだよ。でも人数が揃わないから実戦に近い練習がなかなか出来なくて……あ! 次はスリーオンスリーだよ……良かったらひと君も見ていってね」


 忙しそうに駆けていく。


 三対三の試合が始まった。

 みんな一年だって言ってたけど経験者は少ないのかな。ボールさばきが安定しない。審判役の緋色もあちこち走り回って大変そうだ。


「さておれはスコアボードでも――お?」


 空いているコートで黙々とスリーポイントシュートの練習をしている一年がいる。身長は180センチに届かないくらいか。体つきは細いけど足や腕の筋肉はしっかりついている。

 だけど何度投げてもボールはリングにあたって跳ね返る。見かねて声をかけた。


「なぁオイ、腕の力だけで投げてもダメだぞ」


「あ!? なんだよオマエ」


 すごい剣幕でにらまれた。イライラしてんな。


「だから闇雲に腕だけで投げちゃダメなんだって。こうやって体のバネを使って…」


 近くに転がっていたボールを拾い上げて手本を見せてやる。

 どんなときでも同じ体勢で、同じ軌道でボールを放つ。ただし素早く。モタモタしてたら敵にボールを奪われちまう。


 するとボールはちゃんとゴールに吸い込まれていくのだ。

 今回みたいにスルッとな。


「――な? 分かったか?」


「……マジ?」


 なんだ鳩が豆鉄砲を食ったような顔して(実際に見たことないけど)。


「二年だから敬語使ってほしいけど、まあいいや。おまえバスケ初心者だろ? だったら最初からスリーポイント狙わずにまずはゴールの近くで確実にボールが入るようにすること。シュートフォームは人によって違うから自分が確実にゴールできる体勢を見つけて、イヤになるくらい反復練習しろ。そこから少しずつ距離を伸ばしていくんだ」


「もしかしてガチ経験者……っすか?」


「中学まではな。いいからさっさとやれ」


「あ、あと、ドリブルも教えて欲しいっす」


「仕方ねぇな」


 そんなこんなで練習に付き合うことになってしまった。

 一年の名前は小石崎こいしざき。中学では陸上の走り幅跳びや長距離をやってたんだって。


「なんで高校ではバスケ部に?」


「陸上が地味すぎて全然女子にモテないから、バスケならカッコいいとこ見せられると思ったのに二年がやる気なさすぎて引くし」


 そうだよなぁ。おれもそう思うよ。


先輩パイセンはガチ勢なのにバスケやんないんすか?」


「おれのことはいいの。――それより隙だらけ!」


 一瞬の隙をついてボールを奪い取った。

 相手のボールをいかに多く奪えるかの練習をしていたんだ。結果はおれの勝ち。20対0で圧勝。


「はーだめっすわー、やっぱオレバスケに向いてねぇのかなー」


 あからさまに落ち込むのでなんだか可愛く見えてきた。


「んなことねぇよ。おまえ陸上やってただけあって瞬間的な爆発力がある。うまくフェイントを入れられるようになればいい線いくかも。体力もあるみたいだし、体幹もしっかりしてる。ドリブルさえ鍛えればもっと上手くなれるぜ、きっと」


「まじっすか……!」


 そんときの小石崎の顔といったら。

 まるでサクラが大好物のジャーキーを目の前にしたような笑顔だ。

 おれは男といちゃいちゃしたいわけじゃないんだけどな。


「とりあえず一日10キロのランニングとそれぞれの手でドリブル300回。これが最低ノルマだ。あと白米をちゃんと食え。んでよく寝ろ。体が大きくなればそれだけ有利だからな」


「あざっす!――ところで先輩って何者っすか? 間宮マネージャーの彼氏?」


「……ふっ」


 急に決めセリフを閃いた。

 『桶川佑人。ただのモブで緋色の彼氏さ』。よし、これでいこう。


「いいか、おれの名」


「ひとくーん♪」


 残念。緋色が駆け寄ってきた。

 両手を掴んでぶんぶん揺さぶられる。どうしたどうした? なんでそんなに嬉しそうなんだ?


「見てたよひと君。すごいね。上手いだけじゃなくて教える才能もあるんだね♪」


「あ、いや、全然……」


 おれは指導者でもなんでもない。経験則でものを言っているだけだ。


「あ、やっぱりマネージャーの彼氏なんすか?」


 はちきれんばかりの笑顔で首肯する緋色。


「そうだよ。すっごくかっこいい、私の自慢の彼氏なんだ♪」


 ”すっごくかっこいい、私の自慢の彼氏”

 ちょ――突然そんなこと言われたらおれ、変な気持ちになっちゃうじゃないか。


「あれ、ひと君どうしたの? 顔赤いよ?」


 双方から顔を覗き込まれたのであわてて腕で隠した。


「ほ、ほっとけょ……」


「ひとくーん?」


「あ。さては照れてるっすねー」


 ほんと、バスケやっててよかったって思う。だって緋色の”自慢”になれるんだぜ。

 大好きな人に目の前で喜んでもらえる、こんなに幸せなことってないよな?

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