第11話 ちょっぴり前進?
「緋色のことが好きだ、大好きだ。だからどうか、おれのことだけ見ていてほしい」
背中から回した腕でこれ以上ないくらい強く抱きしめた。
早まった、もっとじっくり仲を深めてからにすれば良かった――!
後悔するが時遅し。
今更腕を振りほどくわけにもいかない。どうしたらいいんだ。これじゃあただの嫉妬にまみれた男じゃないか。
「……ひと君」
「えっ、あ、はい」
緊張のせいか敬語になってしまった。
「話……しよ、ここじゃないとこで」
振り返った緋色の目には大粒の涙がたまっている。
まさかこれは、と妙な胸騒ぎがした。
※
ふたりきりになれる場所を探してたどり着いたのは駅の待合室だった。ここなら暖房が効いているし幸いにして次の電車まで十分な時間もある。
「カフェラテとコンポタどっちがいい? もう冷めてて悪いけど」
道中、スケート場で買った飲み物はおれのポケットの中に入れておいた。渡すタイミングがつかめなかったのだ。
「ありがとう。カフェラテもらうね」
弱々しい笑顔で受け取る緋色の指先は以前にもまして氷のように冷たい。
冷え症だと言っていたけどここまで冷たくなるものかな。肌はまっさおで、唇の色も紫に近い。
それぞれカフェラテとコンポタを開缶して口に運んだ。
舌先に薄いコーンの味がして「やば、振るの忘れた」と一瞬後悔したけど黙ってそのまま缶を傾け続ける。おちゃらける空気じゃない。
緋色は一口飲んだきり膝の上。ぼんやりと足元を見ている。
沈黙が気まずい。
緋色を急かすのも気が引けたのでひたすらにコンポタを飲み続け、ふちに残ったコーンの粒を舌を駆使して全制覇するまで頑張った。
「……あのね」
カン、と高い音がしてベンチに缶が置かれたのが分かった。
おれたちの間を通せんぼするように佇むカフェラテ。もの言わぬ存在感はおれと緋色との心理的な距離感を示している気がしてならない。
「中一の夏、はじめてゆーくんに彼女ができたの」
「ん? うん」
どう話がつながるのか分からないまま頷いた。
まさかアイツのモテモテな過去を聞かされるんじゃあるまいな。だからおれなんか釣り合わないとか。
「相手は二年先輩の生徒会役員だった。帰国子女で、とてもきれいで優しい人。だけど私はどうしても許せなくてゆーくんの家に怒鳴り込んだ。『小さいころ私と結婚してくれるって約束したじゃない、どうして私以外の彼女を作るの』って彼のお父さんやお母さんの前でわめき散らした」
家族の前で、か。
それはちょっとキツイかも。
「お父さんたちから怒られたこともあって、ゆーくんは結局ひと月足らずで別れたの。私は『あぁ良かった、これでゆーくんは私の彼氏のまま』って安心したけど、それから二週間も経たずに今度は高校生と付き合いはじめたの。早速学校帰りのゆーくんを捕まえて問い詰めた。『将来を約束した幼なじみがいるんだから他の子と仲良くしないで』って。そしたらゆーくん心底うんざりした顔で――『おまえいつから彼女になったんだよ。全然知らねぇ』って呆れてた」
緋色の目から涙がこぼれおちる。
「いまでもハッキリ覚えてる。『ガキのころの約束なんて覚えてねぇよ。俺がだれを好きになろうと関係ないだろ。まじウザイ。消えろ』そう言って怖い顔でにらまれた瞬間を」
「それ……もしかして”付き合って”なかったのか?」
緋色は目元を拭いながら頷く。
「今にして思えばバカだったけど『お嫁さんにしてくれる』って約束を信じて、勝手に”彼女”だと思い込んでいたの。彼の足手まといにならないように勉強もオシャレも頑張ってきたのに、自分がしてきたことが何の意味のないような気がして、悲しくて、さみしくて、家にも帰らず暗くなるまで歩き回ってて警察に補導された。いっそ死んじゃおうかと思っていたら親伝いに話を聞いたのゆーくんに呼び出されたの」
『――取り巻きなら許す。ただし彼女面すんな。俺がいなくちゃ生きていけないおまえと違って俺は自由なんだから』
「私、どんな形でも傍にいられるのならって受け入れた。いつか私の気持ちを理解して帰ってきてくれる――だからそのときまで傍にいなくちゃと使命感すら抱いてね」
緋色の目はどこか虚ろだ。
自分の過去を語りながら自分のこととは受け止め切れていない、消化不良を起こしているみたいに。
でも分かった。
緋色はまだアイツのことが好きでたまらないんだ。
もしかしたらアイツへの気持ちが間宮緋色にとってのアイデンティティで、それを否定したら自分は何者か分からなくなるんじゃないか?
だからどんなに拒絶されてもしがみついてきたんだ。
たとえるなら物心ついたころからバスケ一筋だった選手が突然それを取り上げられて初めて自分の空虚感に気づくようなものかな。
バスケやってないおれってなに? なんもねぇじゃん。って。
「ひと君は優しい。もしも――ひと君を好きになれたらどんなに幸せだろうって思う。でも、ダメ。ダメなの、私、今でもゆーくんのことばかり考えちゃう」
マズい。
もしかしてこれは別れの宣告なのだろうか。
おれはイヤだな。緋色といたい。
たとえ彼氏じゃなくても、こうして時々ふたりで会ってデートしたい。
でも恋愛対象になれないのにいつまでも緋色を好きでいられるだろうか。
微塵も可能性がないと分かっててこうして傍にいられるだろうか。
またしばらくの沈黙が流れる。
突然ふー、と大きく息を吐いたのは緋色だ。
飲みかけのカフェラテを掴むと喉を鳴らしてぐいぐいと一気飲み。覚悟を決めたようにおれを見る。
「だけどね。さっきひと君に後ろから抱きしめられたとき全然イヤな気持ちがしなかったの。ゆーくんは私を抱きしめてくれたことなんてないのに自分の宝物みたいに抱き寄せられて、ちょっぴり……ほんのちょっぴり、うれしかった」
お?……これはもしや、ほんのちょっと気持ちが揺れている?
「確認したい。見込みはゼロじゃないってことでいいのか?」
思わず尋ねるとキッとにらまれた。
「そんなの自分でも分からないよ。ひと君が悪いんだよ。あんなにぎゅっと抱きしめて、あんなに切なそうに呟くから……胸の奥がドキドキしちゃった」
おいおい逆ギレかよ。
頬まっ赤にして、さっきの涙はどこだ?
まったく。
考えれば考えるほどめんどくさい女の子だよな。
本当に面倒くさい。
でも。だから――。
「だから諦められないのかもな」
立ち上がるおれを不思議そうに見ている緋色。こうやって見つめあえる日がくるなんて夢にも思わなかった。
「次はこっちの番だな。おれが緋色に一目ぼれしたのは合格発表のときだ。入学してからも話しかけるチャンスがないかと毎日目で追ってた。それこそ二年近く。席替えで隣同士になりたいって神様に命を捧げたこともあったし、ダメだったけど、掃除当番のときは率先して緋色の机とイスを運んだし、なにかトラブルに巻き込まれて困っていたりしないかと様子を伺っていたこともあった。去年の京都の修学旅行の夜だって同じホテル内だからどこかで出くわしたりしないかと湯上りに自販機コーナーで二時間以上も待ったんだ」
「そんなに?」
「うん。結局会えなかったし湯冷めして大変だった。次の日の自由行動は高熱でホテル待機。同じ班の賢介が太秦映画村で緋色たちと会ったって聞いて死ぬほど悔しかったよ。――まぁつまり何が言いたいかというと」
緋色の鼻先にびしっと指先を突きつけた。
「おれは執念深くて諦めが悪いから覚悟しておけよ! ってこと」
「えっ」
驚いたようにぱちぱちと瞬きする。
「緋色の気持ちはよぉく分かった。でもおれだって負けたまま引き下がるのはイヤだ。なにも今すぐ”好き”の比重を100%にしてくれってわけじゃない。1:99でいい。そこから少しずつ10、20と増えていつか逆転できるように頑張るから」
「でもそれじゃあ、ひと君を頑張らせてばかり」
「深刻そうな顔するな。好きな相手のために頑張るんだからいいんだよ。緋色は無理しなくていい、お情けで好きになってほしいわけじゃないから。いつか”おけがわゆうと”って言ったら真っ先におれの顔が浮かぶようにしてやるから覚悟してろ!」
ぐっと親指を立ててウインクしてみせる。
決まったな。
おれカッコイイ(ひゅーひゅー)。
「……」
緋色は無言。
あれ、ちょっとスベったかな。
でもおれもいっぱいいっぱいで……このままだと泣いちゃうかも知れない。
「ひと君」
覚悟を決めたような顔で立ち上がった緋色。別れを告げられるのではとヒヤヒヤしていると突きつけた指ごとおれの手を包み込んだ。
「……まってる、ね」
とろけるような笑顔。
緋色の手は滑らかなシーツみたいにやわらかくて暖かい感触だった。
あ、これまで氷みたい冷たかったのって、おれに対して緊張していたから?
だとしたらこの暖かさは……。
『ピンポン! まもなく列車が参ります。ご乗車のお客様は――』
「電車だ、帰ろうぜ。週明けからも今まで通りでいいからな」
なんだか恥ずかしくなってつい急かしてしまった。
結局なにも変わらないままだったのにな。
「……ひと君!」
「え?――ぅわっ」
急に腕を引っ張られてよろめいた。
次の瞬間、頬に生温かい
「は、はなれて」
「うぉっ!」
今度は問答無用で突き飛ばされる。
訳が分からないままベンチに倒れ込んで緋色を見上げると夕焼けみたいに顔を染めていた。
「き、今日すごく楽しく過ごせたのはひと君のおかげだから――その、お礼」
「ほぇ……」
今、すごくマヌケな顔をしているだろうな、おれ。
でも、だってさ、キスされたんだぜ? キス。
「まだ私の頭の中はゆーくんでいっぱいだけどいつか……いつか、ひと君を好きになれたらいいな」
緋色の顔は益々赤くなっていく。
「あのさ、念のため聞くけど初キスだったり……する?」
「ぇ……」
あからさまな困惑顔。
違うんかい。どうせ相手はアイツだろ。いいよ、知ってるよ。
不貞腐れていると妙案が浮かんだ。
「よし分かった。いまは左の頬だったから次は右の頬にキスすればいいんじゃないか? Wキスはさすがに初めてだろ?」
「っ――し、しらない!」
全身を震わせて叫んだかと思えば一目散に逃げ出した。
「え……ちょ、ちょっと待て! いまの間はなんだ!?」
「おしえないっ!」
逃がすもんか。
単に恥ずかしいだけなのかWキスが初めてじゃないのか確認しなくては夜も寝られないじゃないか。
こうして初めてのデートは無事?に終わった。
キスされた頬は焼けただれたように熱く、今後一生顔を洗うまいと決意した……が、帰宅するなりサクラに問答無用で押し倒され、顔中ベロベロに舐められたのだった。
ひどい。あんまりだ。
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