第9話 初デートはハプニングいっぱい
次の土曜日。
例によって寝つけなかったおれはサクラを連れて早朝ジョギングに出掛けた。
気温は氷点下。横切る風が刃物みたいに痛いけどしばらく走ると全身がポカポカしてきた。
一級河川に面した河川敷がいつものジョギングコース。うっすらと霜をまとった桜の木の向こうに見える青空におれの吐いた息が吸い込まれていく。
いいぞ、今日は。
すごくいい日になる。
そんな予感が胸の奥からあふれてくる。
緋色との待ち合わせは九時。隣町の駅。
気持ちが高揚しすぎてこのまま走っていこうかって気分になるけど、初デートで汗臭いのはマイナスだ。 ペースを上げた。
「サクラ、ちょっと飛ばすぜ!」
「わふ!」
帰ったらまずシャワー浴びて朝メシ食って着替えて……あぁ服どうするかな、靴は、スマホの充電も確認しないと、金はいくら持って行こう。
悩む。めちゃくちゃ悩む。でもこんな幸せな悩みなら大歓迎だ。早く緋色に会いたい。
※
「ひと君おはよー♪」
先に到着していた緋色が手を振っていたので大急ぎで改札口を走り抜けた。
「待たせてごめん」
「ううん、私もさっき来たとこ」
笑う緋色の耳元で白いイヤリングが揺れる。
今日の(も)緋色はめちゃ可愛い。
ファー付きの淡いピンクダウンにチェックのミニスカート。すらりとした脚を象る黒タイツ。極めつけは少し高さのある黒いヒール。
これ全部、おれとのデートのためにコーディネートしてくれたんだよな。
あーもー既に死にそう。
「へぇ……」
どぎまぎしているのはおれだけじゃなく、なぜか緋色もおれの服装をじぃっと見つめている。
「え、あ、なんか変かな」
「ううん、ひと君の私服ってセーターにジーンズでシンプルなんだね。似合ってる」
「あ……いや全然、適当だよ」
モモやハナ、そこに母さんも加わって着せ替え人形みたいに色々されて、結局一番シンプルな形に落ち着いたのだ。
高校生にもなって服のコーディネートを頼むなんて恥ずかしいことこの上ないけど、絶対に失敗したくなかったんだ。
お陰でデートだってバレバレ。モモとハナが「お兄ちゃんのお嫁さんは自分!」みたいに騒いで大変だったけど、それを宥める母さんの言葉がほんとひどかった。
『――泣くことないわよ? だってお兄ちゃんたちがうまくいけばモモとハナに妹か弟ができるかもしれないんだからね』
「ひと君どうしたの?」
くいくいと腕を引かれて我に返った。
「なんでもない、行くか」
「うん♪」
手を伸ばせば当たり前のように白い手が差し込まれる。つるつるとした陶器みたいでありながら絶妙のやわらかさと暖かさを兼ね備えた手だ。
あぁ手をつなぐっていいよな。
いい。もう最高。
「変なのひと君。さっきからニヤニヤしちゃって♪」
なんてからかいながらも緋色自身満更でもなさそうに微笑んでいるじゃないか。
冬季限定のスケートリンクは想像以上に賑わっていた。
広さは教室二つ分くらいだが安全のため小学生未満は貸出ヘルメット、中学生以上は帽子をかぶることになっている。
眉が隠れるくらい目深にニット帽をかぶった緋色が可愛いのは言うまでもないとして、おれ自身スケートなんて小学生以来だからうまく滑れるか心配だ。
早速レンタルのスケート靴を履いてゆっくりと氷の上に乗ってみる。おお、バランスが難しいな。気を抜くとツーッと前に進んじまう。
でもバスケとランキングで鍛えた体幹が功を奏したのか次第にコツを掴めるようになってきた。足元に気をつけながらリンクを軽く一周してみる。
さすがにフィギュア選手みたいに格好いいスピンやジャンプはできないけど慣れればそこそこ楽しめそうだ。
「ひとくーん……」
元の場所に戻ると背後から泣きそうな声が聞こえてきた。お手洗いに寄るから先に滑っててくれと言ってた緋色だ。
「大丈夫か緋色?」
見ればスケート靴を履いた緋色がカーペットの上をヨタヨタと歩いてくる。言っておくがまだリンクの外だ。
「だめ。助けてひと君……」
お尻と両手を突き出してヘルプの体勢。本人は必死だがこっちは悶絶ものだ。
仕方ないなぁと苦笑いしつつ腕を伸ばして背中を支えた。
「おれを支えにしていいからゆっくり進んでみろ。転びそうになったら遠慮なくしがみつけよ」
「ん、やってみる……」
半べそかきながらそろりそろりと進んでくる。氷の上に足が乗った。
「ぁっきゃっ!!」
バランスを崩して前のめりになる。ヤバい! と思って両手で抱きとめたら下半身の踏ん張りがきかずにツルリと滑った。
青空が見える。
と思ったらどしん、と尻餅をついた。一拍遅れて尻がじんわりと冷たくなってくる。
「ってぇ……緋色だいじょぶか……?」
無我夢中だったけど取りあえず緋色だけは守ったつもりだ。
「あ、う……」
――はらり、と髪の房が落ちてくる。
ハッと目蓋を押し上げるとすぐ目の前に緋色の顔が迫っていた。
「ひと、くん……」
潤んで泣きそうな目。睫毛の一本一本まで数えられそうな近距離。青白い頬。喉の動きで緋色が息をのむのが分かった。
自分の内側から抑えようのない衝動が噴き出す。
ヤバい。
キスしたい。
いますぐ。
「緋色……」
「ひと君……」
青白い頬に手を添えてそのまま……。
「コイツらキスするぞー!」
ばかでかい子どもの声がした。
「「!!!?」」
気付くと何人もの子どもたちがおれたちを取り囲んでいる。いつの間に。
慌てたのは緋色だ。
「あ、わわ、ごめんなさぃ重かったよね」
急いで立ち上がろうとするが足が滑って再度倒れ込んでくる。
「ご、ごめんなきゃっ」
焦っているせいで余計に足がもつれる。そうやって何度も何度もおれの胸の中に倒れ込んでくる緋色がなんだかとても愛おしく思えた。
「緋色、おちつけ」
何回目かの転倒を受け止めたおれは小動物みたいに震える緋色の体をぎゅっと抱きしめる。
「深呼吸しろ。おれが立ち上がるからそれに合わせて立てばいいよ。いいか?」
「う、うん」
「よし。いくぞ。せーの」
緋色の腰を支えながら下半身に力を入れて立ち上がる。よろめきながらではあるが緋色もリンクに立てた。
「なんだキスしねーのか」
「つまんねー」
外野の子どもたちは文句を言いながら去っていく。ったく、見せ物じゃねぇんだよ。
「さてじゃあ改めて滑るか。ゆっくりでいいから。おれよりも手すりを掴んだ方が安心かもしれないな」
「……あの」
と、くいっと小指を引かれた。
醜態をさらして恥ずかしがりながらも緋色はまっすぐにおれを見る。
「ひと君さっきはありがとう。また転んじゃうかも知れないけど、手、つないで滑ってもいい?」
より安全な手すりじゃなくておれを選んでくれた。断る理由なんてない。
「おれでよければいくらでも一緒に転んでやるよ! 任せとけ!」
嬉しさのあまり鼻水が出てしまった。
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