第8話 帰路とデートの約束

「ひと君、一緒に帰ろう」


 授業が終わって帰り支度をしていると緋色が小走りで駆け寄ってきた。


「お、おう」


 聞いたかおい『一緒に帰ろう』だってよ。

 つい最近までは教室を出る彼女の背中を見送るしかなかったおれが、だぞ。

 少しでも長く見ていたくてストーカーみたいに駅までついていったおれが、だぞ。


「どうしたの? 帰らないの?」


 緋色が不思議そうに首を傾げるので「帰る帰る」と教科書やらノートやらを手あたり次第カバンに詰め込んで立ち上がった。いつもは筆記用具しか持ち帰らないのでかなり重い。


 でも。


「良かった、じゃあ帰ろっか。みんなバイバーイ」


 こんなに可愛い緋色と肩を並べて歩けるのなら例え鉄のカバンだって担いでいってやる。



 ※



「体育の時間びっくりした、ひと君あんな遠くまでボールを飛ばせるんだね」


「ただのまぐれだって」


 駅までの帰り道、緋色はとても興奮していた。


「フォームもきれいだった。もしかしてバスケやってたことあるの?」


「昔、ちょっとだけな。でも全然たいしたことないよ」


 バスケットボールを八メートルほど先のゴールにシュートした。それだけのことだ。現役時代は十メートルに成功したこともあるが今は難しいかもしれない。


「そっかぁ……ふふ」


「どうしたんだよ。やけに嬉しそうだな」


「分かる? なんでだと思う?」


「全っ然」


 にこにこする緋色の笑顔の方が眩しくて理由までは考えが及ばない。


「うん、あのね……」


 きょろっと周りを確認した緋色が耳元に顔を寄せてきた。

 甘い吐息とともに告げられたのは、




「ひと君がすごく格好良くみえたの」




 あやうく心停止しそうな一言だった。


「かっこ……え、なに……冗談だろ」


 頭の中がまっしろになりながら横目で緋色を見る。なんでそんなに顔を赤くしているんだ。


「だって本当だもん。ひと君がボール投げた瞬間に胸がぎゅっとなって、全身の血が逆流したみたいだった。いまもずっとドキドキ鳴っている。痛くて苦しいのに、熱くて心地いい。こんな気持ち久しぶり」


 うるんだ瞳に見つめられると石みたいに身動きとれなくなる。


「周りの女の子たちも言ってたよ。ひと君ってゆーくんに比べれば圧倒的にモブだけど単体として見ると案外悪くないかもねって」


 う……。まぁ確かにイキリ桶川に比べれば地味だけどもう少し言葉に気を遣ってくれてもいいじゃないか。

 褒められているはずなのに傷つく。


「私ね、それ聞いて嬉しかったの」


「え?」


 どう考えても罵倒されてるのに。


「だってそんな格好いい人が私の彼氏なんだよ? 自分が褒められたみたいに嬉しいの当たり前でしょう」


 飛び跳ねんばかりに喜んでいる緋色を見て、あぁなんておれはバカなのかと気づいた。


 他のだれがなんと言おうがどうでもいい。

 緋色が喜んで、こうして笑顔を見せてくれるのならそれでいいじゃないか。


「そっか……よかったな緋色」


「うん!」


「うし。スキップしながら帰るぞ」


 どちらからともなく手を握った。

 緋色の指先は少し冷たい。だからぎゅっと力を込めた。

 日没が早いので吐き出す息はしだいに白くなる。でもお互いの心の中は太陽が照りつけているみたいにポカポカと暖かい気がした。



 駅までは約十分。

 おれは下り、緋色は上りの電車に乗る。時刻表を確認すると五分ほどで上りの電車が到着することになっていた。


 もっと一緒にいたい。


 駅の構内に入ったもののなかなか手を離せない。まるで自分の体の一部になってしまったみたいだ。


「もうすぐ電車きちゃうね」


 名残惜しそうにブラブラと手を揺らしている緋色。

 離れがたい気持ちは同じみたいだ。


 でもこの電車を乗り過ごすと次は約三十分後。遅くなるとそれだけ冷え込みが強くなる。暗い夜道を緋色ひとりで歩かせるのも心配だ。



『――ピンポン! まもなく三番線に上り列車がまいります。白線の内側まで下がってお待ちください』



 タイムリミットだ。


「ほらいけよ。乗り過ごしたら大変だろう」


「……ん」


 頷くかわりに緋色は一段と強く手を握ってきた。


「ねぇひと君」


「なんだ?」


「どうして私の彼氏になってくれたの? 今日一日付き合ってみて分ったでしょう、私のこじらせ具合」


 徐々に声が小さくなっていく。

 不安でたまらないのだろう。


 だからおれは鼻で笑ってしまう。

 またその話か、と。


 そっと指先を絡ませて(いわゆる恋人つなぎ)緋色の体を引き寄せる。


「緋色のことが好きだからだよ。好きじゃないやつの彼氏になんてならない。――緋色はどうだ? おれなんかが彼氏でイヤじゃないか?」


「全然そんなことない!」


 ぱっと顔を上げた緋色の、泣きそうな目にキスしてやりたかった。

 公衆の面前なのでぐっとこらえたけど。


「だったら次の土曜日デートしないか?」


「でー……と?」


「うん。緋色のことをもっと知りたいしおれのことも知ってもらいたい。だったらデートしかないと思うんだ」


 自信満々だが特に根拠はない。

 ただ学校の外でデートしたいだけだ。


「どこでもいい。緋色の行きたいところに遊びに行こう。――ほら電車が来るぞ」


 とんと背中を軽く押す。

 手と手が離れた刹那、胸までちぎれそうになった。


 それでも必死に顔の筋肉を引き上げて笑顔を作る。


「場所はゆっくり決めよう。メールするから」


「……うん! 私もメールするね」


「気をつけてな。前向いて、転ばないように」


「はーい」


 手を振って走り去る緋色の後ろ姿。

 やがて電車が到着したが、車内の窓の向こうに緋色の姿が見えた。何度も何度も手を振るので嬉しいやら恥ずかしいやら。


 やがて合図とともに動き出した電車は薄曇りの街並みに飲み込まれていった。




「……よっしゃぁっっ!!」


 ひとりになったところでガッツポーズ。


 今日はなんていい日なんだ。

 手をつないだしデートの約束も取り付けた。

 こんな神回ならぬ神日があっていいのだろうか。にやにやが止まらない。


「手つなぎ・デートときたら次はアレだよな」


 緋色の柔らかそうな唇を思い浮かべると……あーだめだ。これじゃあ煩悩の塊だ。

 帰ったらストレス解消を兼ねてサクラとダッシュしてこよう。十キロくらい。



「ん?」


 下りの電車を待っているとスマホが鳴った。緋色からだ。

 今日のお礼とデート先の候補がいくつか書かれていた。映画、遊園地、商業ビル……と続く候補の中で一つだけ見過ごせない場所がある。


「す、す、す、スケートリンク……!!??」


 スケートといったらボディタッチ多発のデートの定番じゃないか。

 考えただけで震えてしまうくらい楽しみだけどおれの心臓もつかな。

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