第7話 モブ、ちょっとだけ本気だす
「ひと君。はい、これ」
昼休み。体育館裏で一緒に弁当を食べていた間宮――いや緋色が、食後に茶色い箱を差し出してきた。
「なにこれ?」
両手で持ってみると軽い。小さく振るとかすかに音がする。
「いいから開けてみて」
緋色は満面の笑顔だ。
まさかびっくり箱なんてことはないよな――と少し警戒しながらも上蓋を持ち上げてみる。途端に甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
「トリュフ!?」
箱の中にはそれぞれに白や金のパウダーが散らされたトリュフが詰め込まれていた。合計六個。バレンタインデーは終わったのにどうして。
「ほら私、バレンタインの日ゆーくんにあげるトリュフをひと君に押し付けようとして怒られたじゃない? 他人のために作ったものなんか食えるか!……って」
そんな言い方されると一昔前の「こんなもの食えるかー!」ってちゃぶ台返しする頑固オヤジみたいじゃないか。
ちがうんだ。
あのとき緋色はあまりにも悲しそうな顔をしていて、
「今度はひと君のために作ってきたんだ。料理に没頭するとイヤなことも忘れられるし。食べてくれるとうれしいな」
おれのために?
そう聞いたら手の中のトリュフが宝石みたいに輝いて見えた。このひとつひとつに緋色の愛情がこもっているんだ。そんなの簡単に食べられるわけがない。できることなら一生とっておきたい。
「……もしかして嫌いだった?」
おれが固まっていたせいで緋色が不安そうに覗き込んできた。上目遣いの大きな眼差しに吸い込まれそうになる。
彼女を不安がらせないよう必死に首を振った。
「いや全然! あまりにもキレイだから見とれてたんだ! めちゃくちゃ美味そう!」
「よかった……」
「大事に食べたいから今は一個だけもらうよ。いただきます」
右端の黒いトリュフを手に取った。ココアパウダーが振りかけられて輝いている。ああ、これが緋色の愛のカタチか。
顎をあげて上から口の中に落とし込み、緋色の愛をゆっくりじっくり噛みしめる。
最初はほろ苦いチョコの味。中身はとろりとした――。
「うっ!」
「どうしたの大丈夫!?」
緋色が血相を変えてすがりついてきた。ボディータッチだと浮かれたいところだが舌がパニック状態。
ほろ苦い表層を噛み砕いて現れたのはあまーいチョコレートではなく、どろっとした固まりだ。これはまさか。
「もしかして隠し味のチーズがだめだった?」
「あぁやっぱりチーズなんだ……」
正直に言う。
チョコの苦みとチーズの甘ったるさが絶妙に合わない。分離して口の中でケンカしている。卵を割ったら黄身じゃなくてヒヨコが出てきたくらの驚きだ。
申し訳ないが
「ごめんなさい。美味しくなかった……よね」
「待て待て!」
申し訳なさそうに箱を取り戻そうとするので慌てて制した。
口内のトリュフは気合いで飲み込む。喉ごしは最悪だけど緋色を悲しませてはいけない。
「全然いける! うん! 作り方は間違ってないよ。隠し味が意外で」
「やっぱりマズいんだ……」
じわりと涙が浮かぶ。
「ちがうちがう! チーズは……あぁほら斬新すぎておれにはちょっと早かったんだよ! おれの舌まだお子ちゃまだから」
「ほんとに……?」
そんなふうに涙声で聞かれたら口からでまかせもなかったことにできないじゃないか。もう笑うしかない。
「うんマジで。慣れればきっとうまいよ。他のも食べてみる」
もうどうにでもなれ、とばかりに別のものを口に放り込んだ。
「おぉこれはしょっぱ……明太子かな! 斬新だ。次にこっちは……う、ワサビか、舌がピリピリするな。次は……なんだこれ歯ごたえが」
「それ柿の●ネ」
「柿の●ネ……」
「うん。残りはなんだったかな」
確認したい。
トリュフって隠し味が重要なお菓子だったか?
妹たちが母親と作っていたことがあるけど溶かしたチョコレートに生クリームを混ぜて成形したガナッシュにチョコレートをコーティングするお菓子じゃなかったかな? おれ別の平行世界から来た?
奇妙なものを立て続けに食べたせいか心なしか吐き気がしてきた。
でもここで水をがぶ飲みしたら「マズい」と言外に告げるようなものだ。
耐えろ。耐えるんだ。彼氏だろ。
「――ごめんなさい。それ全部、ゆーくんが好きなもの」
緋色はさも申し訳なさそうに膝を揺らしている。
ワサビや柿の●ネが好きだなんて大人の味覚だな……と感心するのは置いておいて。項垂れてしまった緋色の横顔にズキンと胸が痛いんだ。もう吐き気なんてどうでもいい。
「ゆーくんは毎回バレンタインデーにたくさんのチョコレートをもらうでしょう。きっと誰からのチョコなんて分からないと思うんだ。だから私だって気づいてもらいたくて隠し味にゆーくんの好きなものを入れているの。……変だね、ひと君のために作ったつもりなのにこんなものが入っているなんて。もう無意識のうちに体に染みついているのかな」
あぁまただ。
ゆーくん、ゆーくん、ゆーくん。アイツの名前を口にする緋色はいつも寂しげ。
好きな人の口から別の男の名前が出てくるのは本当はすごくイヤだ。イライラする。おれの前で口にするなって叫びたくもなる。
でも彼女は人生のほとんどをアイツと過ごしている。
半分以上はアイツ成分に染まっているんだ。それはもう仕方ない。
だったら今からでも少しずつ変えていくしかないじゃないか。
「――緋色、おれを見ろ」
「え?」
「もらったトリュフぜんぶ食う。それがおれの気持ちだ。ぜんぶ受け止めてやる」
これはもう意地だ。
桶川のことを好きな緋色を丸ごと受け止めるための決意表明。
もはや死んでもいいくらいの気持ちでトリュフに食いついた。
「……あ、これ美味い」
ダメ元で口に運んだトリュフのひとつが美味しかった。断面を見ると香ばしい豆が入っている。
緋色が「あっ」と顔をほころばせた。
「それ柿の●ネのお豆だね」
「へぇー、カシューナッツだと思えば全然いけるよ」
「ほんと? よかったぁ」
緋色に笑顔が戻る。やっぱりこっちの方が好きだな。
「そっか。ひと君はお豆が好きなんだね。今度からそうする」
やばい。
このままでは豆だらけのトリュフが贈られてしまう。
「いや、ありがたいけど。手間だと思うから隠し味なしのシンプルなものでも全然いいかなー……あはは」
こうして楽しい昼休みは終わりを告げた。
最後のトリュフの中身はイカの塩辛。授業がはじまる前に手洗いに駆け込んだのは緋色には内緒だ。
※
次の授業は体育だった。
体育館を半分に分けて男子はバレー、女子はバスケをする。
「なぁ間宮さんとどうなんだよ」
座ってバレーの順番待ちをしていると賢介が隣に来て小突いた。
始発電車で待ち合わせしたことやトリュフのこと、いろいろ話したいことはあったが。
「絶対に言わねー」
好きな人との愛しくて大切な時間だ。だれがペラペラ喋るもんか。
「教えろよ。オレたち親友だろ」
「い・や・だ」
「けっ。どうせなーんも進んでないんだろ。女子と付き合うの初めてなんだし」
それはおまえだろ、と言い返したくなる。
恩田賢介とは小中と同じ私立学校に通っていた。そこそこ名の知れた男子校だ。
学力よりもスポーツの成績が重視されていて、おれはバスケ、賢介はラグビーを集中的にやってきた。
賢介がなんでこっちに来たのかはよく分からん。高校の入学式で出くわしてお互いにびっくりしたからおれを追って来たわけでもないだろうし、ま、賢介なりの考えがあるのだろう。
「ごめんなさーい」
――と、隣のコートからバスケットボールが転がってきた。
バレー中のコートに入りそうになったところを足で止める。
「ひとくーん!」
バスケットコートの外側で緋色が手を振っている。
学年共通の紺色のダサい運動着も緋色が着るとサマになるから不思議だ。動き回って暑いのかうっすらと腕まくりしている。うん、かわいい。百点。
「”ひと君”だって? ひゅーひゅー」
からかう賢介に肘鉄を食らわせボールを持って立ち上がった。
「あ、負けてんじゃん」
スコアボードを見ると緋色のチームはまだ十点にも満たない。相手チームには女子バスケ部員がいるので仕方ないとも言える。それに、体育の試合とは言っても成績に直結するわけではないのでみんなダラダラしているようだ。
「ひと君投げて、えーいって」
投げる素振りをしてぴょん、と跳ねる。でもあんまり飛び上がれてない。くっかわいい。おれを萌え死にさせる気か。
普段見ているから知っているけど緋色は運動神経はあまり良くない。それなのにいつも一所懸命だ。手を抜くチームメイトの中でひとりだけ汗をかいている。
――投げて、か。
ハーフコート。
ここからゴールまでの距離は目算で約八メートル。スリーポイントラインからちょっと遠いくらいかな。
「緋色、リバウンド頼むな」
「え?」
深く沈み込んでからボールを放った。
膝をやわらかく曲げて体の力をまっすぐボールに伝えるのが大事だ。
きょとんとする緋色の頭上を通過したボールは――。
「おし。成功」
まっすぐゴールに吸い込まれていった。
二年のブランクがあるけどまだおれも捨てたもんじゃないな。
賢介がぴゅーと口笛を鳴らす。
「やるー。でもコートの外だから反則。あと女子選手じゃないぞおまえガハハ」
「うっせ。分かってるよそんなこと」
賢介のバカ笑いに反応していて気づくのが遅れた。
体育館の中が妙にざわついていることに。
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