第4話 こじらせ女子
体育館の裏側は日陰になっている時間が多く、じめっとして人の気配もないのでおれが密かに気に入っている場所だ。ここに誰かを招くのは初めて。間宮が「ふたりで話をしたい」というので連れてきた。
「とりあえず座ろうぜ」
謝罪の体勢をキープしたまま間宮が動かないので体育館に続く階段に促した。
ゴミがないことだけ確認してどかんと座るおれと違い、間宮は制服が汚れないようハンカチを敷いてからちょこんと腰を下ろす。スカートも乱れも丁寧に直す所作ひとつとってもいいなって思う。
その後、間宮の口から説明されたのは。
「……つまり間宮はイキリ――じゃなくてもうひとりの桶川に告ったわけじゃなかったんだ」
「うん。バレンタインデーはいつもゆーくんの好きなトリュフを作ってくるから今回も同じようにしただけ。そうしたら早乙女さん……彼女さんに怒られたの」
早乙女。あのドクモのことか。
「前々から嫌悪感を向けられていたのは知っていたの。幼なじみだからってコバンザメみたいにくっついている私のことが気に入らなかったんだと思う。部室で言い合いになっていたらゆーくんが来て『間宮は俺のこと好きすぎるけど俺は別に好きでもなんでもない』って言うから私、居たたまれなくなって」
だから泣いていたのか。
あいつのために作ったトリュフをおれなんかに差し出すほど錯乱して。
「――ひとつ聞いてもいいか」
「うん」
「間宮はどうしてアイツのことが好きなんだ? 幼なじみ、それだけが理由か?」
あんなクズ――と言いたいけどその言葉は飲み込んでおく。どんな人間でも間宮が好きになった相手なのだ。
「…………」
沈黙がおりる。
やけに長い。
具合でも悪くなったのか心配して顔をのぞき込むとしずかに微笑んでいた。
「いまはあんなふうだけど、ゆーくんはいじめられっ子の私を何度も助けてくれたんだ」
そのときの恐怖を思い出したのか、カタカタと震える指を必死に押さえ込もうとしている。
「私、人見知りで恥ずかしがりやで先生にも挨拶できないような子どもだったの。気が弱いからいつもいじめられてて、そんなとき助けてくれたのがゆーくん。いつだって私を守ってくれた。大好きだった。――中学からモテはじめて、高校生になったときには可愛い女の子をいっぱい侍らせて別人みたいに変わっちゃったけどね」
間宮の悲しそうな表情は幼なじみとしてアイツの変化についていけないからだろう。なんだか気の毒だ。
「私なりにいろいろ言ってみたけど聞く耳持たず。逆に『文句言うなら俺の前から消えろ』って言われて、怖くなったの。ゆーくんがいないとまた私いじめられるんじゃないかって不安でたまらなかった。だからゆーくんが言った通り髪を染めたりスカート短くしたりして必死に食らいついたけど、正直もう自分の気持ちが分からない。『好き』ってなんなのかな」
間宮はいまでもアイツのことが好きでたまらないんだ。だからこそアイツの態度に戸惑って、傷ついている。けれど一方で離れられない。
こういうのなんて言うんだろう、依存――いや、こじらせ系。
「幻滅した? こんな女で」
うつむいていた間宮が思い出したように顔を上げる。口の端には笑みが。
おれは一瞬考えたけどすぐに首を振った。
「いや、べつに」
こじらせ間宮がたまたま厄介な奴と幼なじみってだけだ。
好きな気持ちに変わりはない。
「ほんと? あなたはどうして私のこと好きになってくれたの?」
「ん? おれ? おれはな――」
――あれは高校の合格発表の日だ。
夕方、ひとりで掲示板を見に行ったら先客がいた。
腰まで届く艶々の黒髪が印象的な間宮だった。あのときは眼鏡をかけてたな。『どうしよどうしよ』ってキョロキョロして、ずいぶんと困っている様子だった。
『どうしました?』
思いきって声をかけると『あ、えっと』と眼鏡を押し上げる。
『番号、見つからなくて』
『見ようか。何番?』
『1193。いいきみ』
『なんじゃその語呂合わせ』
『覚えやすいと思って』
掲示板に目を滑らせた。119311931193……あれ、ないな。っていうかおれの番号もない。
『ど、どうですか?』
『ごめん。見つからない――おれのもないし』
『そんなぁ……。ゆーくんと同じ高校入りたくて死に物狂いで頑張ったのに』
この世の終わりのように涙ぐむ彼女を気の毒に思い、最後と思って掲示板を見た。そして気づく。
『ん? 2000番台から始まってる……あ、これ普通科じゃなくて商業科だ! 普通科はそっちだよ。1193は――あ、あるぞ。おれの番号も』
『ホント!? やったー!! あなたもおめでとう! 春から同級生だね』
その時の、子どもみたいにはしゃいで飛び跳ねる彼女がすごく可愛かったんだ。
『まだ同じクラスと決まったわけじゃないけどな』
『いいのいいの、本当にありがとう。私ゆーくんに電話してくるね。――あ、そのまえに』
手を差し出された。
『私、間宮緋色。これからよろしくね』
「――ってわけ。覚えてないかもしれないけど」
思い出したら恥ずかしくなってきた。
入学式で同じクラスになってめちゃくちゃ嬉しかったのに、話しかけようとしたら間宮はお通夜モード。イキリ桶川と別々のクラスになったせいで死にそうな顔していたのだ。
結局話しかけそびれたままここまで来てしまった。
そう、遠くで見ているしかなかったんだ。いままではずっと。
「おれ間宮のこと本気で好きだったんだ。ずっと見てた。長い黒髪も好きだったけど、いまのショートボブもいいと思う。一時期髪を染めたときはびっくりしたけど、それも似合ってた。この前の生徒会長選挙のときの放送も良かった。ここにいるとハキハキした声が壁に反響して、落ち着くんだ」
気がつくといつも目で追っていた。
顔はもちろん好みだけど性格もいい。係が消し忘れてた黒板を率先して消したり、だれに褒められるでもなく廊下に落ちていたゴミを拾ったり、友だちに宿題を見せていたり、文化祭でも実行委員を務めていたり。全部が好きなんだ。
「……ありがとう。そんなに想ってくれていたのに気づけなくてごめんね」
思えば間宮と一対一で話すのは合格発表以来だ。
失恋したとは言え顔を見ているだけで心拍数が上がる。このまま時間が止まればいいな、なんて考えていたらスマホが鳴った。賢介だ。
『なぁなぁ佑人はどう思う?』
「突然なんの話だよ」
『だからおまえと間宮さんがどれだけ続くかだよ。クラスで賭けすることになったんだよ』
「あのなぁ人がいないところでなにを勝手に」
『だっておまえ、このチャンスを逃したら間宮さんみたいな美少女とは一生縁がないぞ。好きなんだろ。モノにしちまえよ。あ、オレは3か月に賭けたから宜しくな』
モノって……人をなんだと思ってやがる。
「なにか言われたの? 私、みんなの前で変なこと言っちゃった?」
心配そうに眉根を寄せている。
『――好きなんだろ。モノにしちまえよ』
賢介の声が頭の中で響き渡る。
どくん、と心臓が跳ねた。
「あのさ、間宮。おれじゃだめ……かな」
「え?」
喉が渇いて息ができない。
あぁもう、こんな告白、一生に一度だ。
「おれじゃダメか? もう一人の桶川のかわりに、おれが彼氏になったらダメか?」
「……でも私は」
「アイツのことが好きなのは分かってる。だからこれは仮契約なんだ。つまりお試し期間。仮交際してダメならすっぱり諦める。チャンスが欲しいんだ」
「…………」
間宮はうつむいて一生懸命に言葉を探していた。
おれは待った。
五分でも十分でも、いくらでも待つつもりだった。
やがて顔を上げた間宮は。
笑っていた。
「ありがとう。すぐに付き合うことはできないけど、仮交際なら」
手を差し出された。
合格発表のあの日みたいに。
「これから……よろしくね♪」
満開の笑顔。ずるい。
「うん。よろしく」
がっちりと握手を交わした。
我ながらよく頑張ったと褒めてやりたい。二年近く片思いだったんだから。
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