ep.23 いつかの朝に

クビにはならなかった。


でも俺は会社を辞めた。

これ以上は無理だと思った。

ユキがいなくては意味がないと思ったし

俺はそういうことからも独り立ちしなければいけなかった。


ユキは俺には連絡してこないが

どうやら社長とは会って話をしたらしい。

契約は解除になった。


新型コロナの騒動でアーティストの活動形態も色々変わってきた。

そんな転換期、一人のアーティストが表舞台から消えたところで

大きな騒ぎになることはなかった。

昔からよくあること。

大々的に広告を打ったツアーが実現せずアーティスト自身も消えたこと

どうなっているんだと一瞬話題になるが、それだけだ。


俺は以前やっていた翻訳の仕事をまたやっている。

音楽業界から離れてはいるが

壁に掛けっぱなしだったギターをまた触り出している。


あの朝ユキは

「俺のために弾いて」と俺に言った。


そうだな。

あの日は弾いてやらなかったな。

自分はそれにふさわしくないような気がして。

今、俺が奏でる音はお前だけのものだ。

いつか聴いてくれよ。

もう少し練習するから。

面白いだろ、俺、ギターを弾くのが楽しいんだ。

忘れていたよ。何年も。



*****



髪はすぐ伸びる。

今は少し肩につくくらい。

あれから何年かたって、誰も俺に気がつく人はいない。

だいたい今は誰もテレビは見ないし

自分が選んだ音楽さえ聴かない。

アプリが選んでくれた音楽を垂れ流しにして満足している。

とはいえ路上で歌うやつは多少なりともまだいる。

人間は歌わずにはいられないのだと思う。

たとえ誰にも相手にされなくても。

俺は古いギターをケースから出して

いつものように肩からぶら下げて

鼻歌のように歌い出した。

誰も聴いていないし足も止めない。

俺は誰かのために歌っている。

目の前にいなくても、それは大丈夫だ。

俺の魂はいつもずっと同じ場所で光っている。

いつか見つけてくれるかもしれない。

でもたとえ会えなくても俺は構わない。

歌うことが俺の愛だ。

ようやくわかった。

最初からそうだったんだ。


サーカスのライオンはもう寝ていない。

飛び、火の輪をくぐり、喝采を待つ。


ただ

あんたからの喝采を。




<終わり>

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ライオンは寝ている CHATO @chatoloud

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