16 昇華

 真白ましろな雪山にある、天文台てんもんだいの屋上。

 翼ある何人もの宙人そらびとたちが、羽をたたんで眠っていた。


 一昨夜いっさくやまで、彼らは屋根に張り付き、中をのぞいていた。

 神の化身けしんひととの、壮絶な戦い。

 だが異邦人が探求者に歩み寄ってからは、時が止まったように動かなくなったのだ。


 星空の下で一人、また一人とあくびをし、夜が明けた頃には、屋上にたくさんの丸い鳥のような寝姿が並んだ。

 その中で、ふと誰か目覚める。

 寝ぐせのついた銀髪を上げ、驚いた顔で周りを見渡す。


 突然の、爆発。

 天文台てんもんだいの屋根が中から吹き飛ぶ。


 白光はっこうをまとう人影が飛び出し、上昇。手を下にのばす異邦人マルコだ。


 続いて紫に光る人影も上昇。それと共に、マリスの黒いつぶが空を埋めるように散った。


 寝起きに吹き飛ばされた宙人そらびとたちは、羽を散らし、あわてて翼を広げる。


 すると最後に、白く輝くすじとなった人影とグリーのつぶが、天に向かって急上昇した。 


     ◇


 少しだけ時を戻し。

 朗々ろうろうと唱えた探求者アルの前で、白い雲が人の形に渦巻いていた。

 アルが大杖を見上げると、グリーの白石がみるみるちぢんでいる。

 彼は、神妙な顔で白雲しらくもに目を戻した。


 白い雲、すなわち探求者のグリーの精は、アルの姿に変化へんげし、口もとをゆるめる。

 それは、探求者の前でひざまずくと、深々と頭を下げた。


 アルはただ立ち尽くし、見下ろすばかり。

 するとそれはすぐ立ち上がり、今度は白く輝くマルコの姿に変わる。

 さわやかな笑顔を見せた。


 呆然ぼうぜんとするアルへ、マルコが呼びかける。

 異邦人の身体からだは宙に浮き、仲間はみな驚く顔を上げた。


「アル! もう、お別れみたいだ。

 バール! アカネ! エラ!

 みんな本当にありがと––––」


 とたん白光はっこうが包むマルコの身体からだは、屋根を突き破り空高く上昇。

 次に紫に光るマルコの影。


 最後に白く輝くマルコの影が、追うように天空へ飛んだ。

 

 探求者でなくなったアルは、ふと力が抜け膝から崩れ落ちる。

 仲間があわてて駆け寄った。


     ◇


 朝日の中、マルコはぐんぐん空を昇る。


 下からマリスの精が追いついた。

 紫色のマルコは、くやしそうな表情。


「もう少しで……やみとせたのになぁ。

 あの時、エルフの邪魔が––––」


 何の話かマルコが戸惑っていると、下から叫ぶ声が追いつく。


「待ってえぇぇっ! 置いてかないで」


 白く輝く、やはりマルコの姿。

 だがマルコは、それが誰かわかっていた。

 アルがささげてくれた神の善意、魔法学院アカデミーグリーの心。


「あぁもう! また邪魔……」と紫マルコがぼやく。

 だが白マルコは無視して言った。


「マルコ! 真っすぐここまで来たね!」


 そう言われてマルコは、全然真っすぐではない、と思った。これまでの旅を思い出し、涙ぐむ。

 白い自分と紫の自分の顔を見て、訴えた。


「本当は……帰りたくない。

 この世界が……出会った人たちのことが、好きなんだ!」


 グリーとマリスの精は、不思議そうに顔を見合わせる。

 眼下の天文台てんもんだいが小さくなるのを見ながら、マルコは告白する。


「マリと……たぶん同じだよ。

 帰っても僕には……僕が望む居場所なんてない気がする」


 マルコは、さみしげな顔を上げた。

 すると紫のマルコ、つまりマリスの精が、意地悪な顔をする。


「なら、僕らを入れるのは正解だな。

 理由は言わないけど」


 白いマルコ、グリーの精が手を伸ばす。


「怖がらないで。

 この世界の思い出も、僕らも、君の心の中で生きられる」


 マルコは、神の善意と悪意のふたりの真似をして、両腕を前に広げる。

 空を昇る彼の身体からだは、かなりけていた。


 右手の指先から、マリスの紫の指が、ゆっくり入ってくる。


「いつか誰かを傷つけて、居場所をつくってやる」


 悪意は言って、ニヤリと口の端を上げた。


 左の指先からは、グリーの白い指が入る。

 善意はマルコを励ました。


「君の居場所は、ひとの心の中にもある。

 決してひとりじゃないと気づいて」


 マルコは正直、どちらにも共感できない。

 だが考える間にも、ふたりの腕が、顔が、自分に重なってくる。


 他者たしゃを受け入れる痛みと、よろこびが、マルコの全身をつらぬいた。



 この時、善意と悪意がもたらす矛盾むじゅんは、彼の中で爆発することはなかった。

 矛盾むじゅんはそのまま、マルコの心にいることができたのだ。

 彼は変わらず彼のままで、だが喜びで胸がいっぱいになる。

 この世界の記憶と、自分と完全にはあいいれないひと息吹いぶきを感じる。

 それはまるで自分の中に生まれた小宇宙。

 彼はそんな自分自身が、少しだけ、好きになれた。



 雲を抜け昇るマルコは、晴れやかな笑顔で瞳を開く。

 そして眼下の景色を見て、はっとした。


「なぁんだ。そういうことか……」


 はるか下の地上には、アルバテッラの全土が広がる。


 天文台てんもんだいは、左目だ。周りの真白ましろの山は頭。

 東西にのびる雪の棚の山脈は、もがいて曲がった左腕。

 雪壁山脈は胴体で、遠く南へとあしが続く。足首の内側、きっとあの辺が、アルの山小屋だろう。

 足先はマリスを見つけた所。その北側が、はずれ森と、狂戦士バーサーカーの子孫が住む端村はしむらだ。


 天から見下ろすアルバテッラの東の山は、地割れにのまれた第三の神、テテュムダイの亡骸なきがらそのものだった。

 この世界の神は、その地のとなりにずっと横たわっていたのだ。


 息をのみ、マルコはいつまでもながめた。

 それは地をおおい支配しているようにも、あるいはいつくしんで、優しく大地を抱いている姿にも見えた。



 気づくと、雲の上の青空から、紺色こんいろそらに変わり星が輝いている。

 彼方かなたに、橙色オレンジの層が輝いている。


「そうだ……忘れずに、知らせなきゃ」


 そうつぶやくと、マルコの透明な身体からだは、元の世界へと消えていった。


     ◇


 アルバテッラ、大いなる変化の年。

 神の悪意と善意の核である精神が異邦人と旅立ってから、ひどい災厄や、偉大な奇跡きせきに人々が翻弄ほんろうされることはなくなった。


 しかし、その欠片かけらは残る。

 異邦人の帰還とともに空に散ったマリスとグリーのつぶが、長いときをかけ広がったのだ。

 つぶは雨にけて大地にみ、川に流され、海へと沈んだ。

 めぐるなかで生き物の中にも入り、やがて、人が食べた。



 ほんのわずかな神の悪意や善意が体に入ると、アルバテッラの人々は変わっていった。


 例えば、生まれながらに善良な者が、ふと魔がさして、自らの出来心で恐ろしい罪をおかしてしまう。

 また例えば、心根こころねが邪悪な者であっても、なにかのひょうしにい行いをして、人々にたたえられたりもする。



 つまり、私たちと同じになった。















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