8 一山越えて

 死んだ森の夜更よふけ。


 神の悪意は、ぶ厚い唇を舌なめずりする。


「思えば随分ずいぶんと、回りくどい事をしてきた。

 あるじを求め、人を狂わせたり。

 白い石をねらい、均衡きんこうこわそうとしたり。

 だけど君と出会って全て解決! たらふくえて––––」


「あの」とマルコが遠慮がちに口をはさむ。


「前から疑問なんだけど、なんで他のマリスをべるの?」


「なにがおかしい? マルコも昨日、あの大きな魚をべたろ? あれは湖で尊敬されたヌシだった。それも昨日まで。

 君らがおいしくべたからね」


「そう……なんだ」


「気にしないで! 生きることは誰かをうこと。多くをいものにすればあなどられない。あの龍のようにね。

 他者ひとうばうのは、自然なことだよ」


 マルコは、知りたいことと何かがズレてる気がする。だが、たまごのマリスの心地よい語りに聞き入った。

 石は続ける。


「これからどうしよう! 例えばいま、僕が君をうのもいい。晴れてアルにも逆らったし、少しは悪意もあるんだろ?」


 そう言うと、黒石の唇がマルコの顔の前で大きく開く。よだれが光るとがった歯が、重なってせり出す。


 しかしマルコは吹き出した。


「また吐き出すんじゃないの?」


「それもそうか。

 じゃあ……君が僕をうのでもいい。中でかえることができるかも」


「前に口に含んだみたいに?

 今はとても、入りきらないね」


 言うとマルコは、おどけて黒石の端に歯をあててみせた。


 暗い森で、異邦人と異形の何かの忍び笑いだけが響く。


 やがて、またマリスが語り出した。


「それじゃこのまま……僕を連れて––––」


 その時。


 黒石の裏から何かがはがれ、ひらひら舞い落ちる。

 マルコは思わず気がそれて、手が伸びた。


ほかを見るな」とマリスが叫ぶが、マルコは片腕で石を抱きかかえ、もう片方の手でその葉っぱを拾い上げる。

 すっかりつぶれた葉に、きらきらした銀の粒がまぶされていた。


 エルフの銀の葉シルバーリーフだ。


 刹那せつな、マルコの脳裏に記憶がよみがえる。

ひとりじゃない」と励ますエルフの女王。

「いつでも、そばに」という言葉を思い出すと、なぜかマルコは急にさみしくなった。

 息が苦しくなり、胸がつぶれる。

 あせって葉っぱを振ってみる。


 しかし、いくら待ってみても、さまよえるエルフたちは来なかった。


「こんなとこまで、来るわけないか……」


 彼は涙を浮かべ、沈黙したマリスを抱いて横になると、眠りの闇に落ちていった。


     ◇


 いつしか、マルコがいる大木から離れて、さまよえるエルフたちがいた。

 みな耳に手をあて、横になるマルコを見つめていた。

 彼らの前で、アカネが両腕を広げている。


 女王、七色なないろきみは、耳から手を離しおそるおそるアカネにたずねた。


「本当にこれでよかったかしら?

 我らの精霊––––」


「母上、その呼び方やめて」


 アカネは言い返し、女王は戸惑う顔で言葉にきゅうした。

 反対から、長い碧髪へきがみのアオイが首を伸ばす。


「わたしが行こうか?

 心をつなげて少しでも安らぎを––––」


「違う。そうじゃないんだアオイ。

 今、あいつに必要なのはお前じゃない。

 ……今はまだ」


 と、これもアカネはとどめた。

 エルフの間に戸惑いが広がる。


 エルフの銀の葉シルバーリーフ鳴音めいおんに呼ばれ、急ぎこの地に馳せ参じたのに、アカネが異邦人の前に姿を見せることを制したのだ。


 アカネは言い訳する。


「今は本当のマルコじゃないんだ。

 マリスに心をさらわれそうになってる」


 ざわめくエルフの中から、星読みの額飾りサークレットをつけた彼が前に出る。

 動揺がおさまらない第一の民に、アカネは必死で訴えた。


「あいつは戻る。真の助けになるのは––––」


「アルフォンスだな」


 エルベルトが、低く、なめらかな甘い声で言った。


     ◇


 目覚めざめると、見知らぬ夜明けの森だった。

 マルコは魂がゆっくり体に戻る気がした。

 ふと横顔に、柔らかく、白い光を感じて、首を回す。

 すると、まばゆい光に包まれる魔法使いがいた。


 大杖を両手で持ち杖先の宝石が輝く。

 詠唱はいくつにも重なって聞こえる。

 マルコの身体からだも、白雲しらくもが何重にも取り巻いている。

 異邦人は再生され、そして全てを思い出した。


 グリーで召喚術を唱えた魔法使いはアル。昨日、些細ささいなことで喧嘩けんかをした。

 心配そうな顔でのぞき込む巫女みこはエレノア。目が合うとほっとした笑顔に変わる。

 バール、そしてアカネも微笑みこちらを見つめる。


 マルコは勢いよく上体を起こすと、自分が恥ずかしくなった。


「あの……昨日は––––」


「本当に危なかったよ……お互いにね」


 アルが優しい目で、マルコを見つめる。


「え? どういうこと?」


 マルコのぽかんとした顔を見て、アルは思わず口もとをゆるめた。

 だが、鋭いまなざしになって語り出す。


「雪の棚の山も、そして雪壁山脈も、昔から聖地なんだ。

 だけどバールに聞くまで、神の地で起こることを知らなかった。

 マルコ、私のグリーが暴走したんだよ」


 マルコははっとし、大杖の先で輝く白石を見上げた。

 そして、かたわらのマリスに目を落とすと袋がかぶさっている。驚いた顔をあげると、バールがニカッと笑った。


 しゃがむアルが、目を丸くして問う。


「マリスも……いつもと違ったんじゃないのかい?」


 マルコは夕べのことを思い出せたが、仲間に話す気にはとてもなれない。

「もう……大丈夫」とだけ答え、うつむく。


 アルとエレノアが、不思議そうに顔を見合わせた。

 だが、まずアカネが口をはさむ。


「とにかく、一山ひとやまえた」


 マルコがほっとした顔をあげる。

 次にバールが、朝日でしらむ空の反対側を指さした。


「目指す地は、あれじゃないか?」


 仲間は一斉に顔を向ける。


 まだ暗い森の樹々の間から遠く、ぼんやり明かりが見える。

 岩山が続く先、切り立った崖の間が、淡く光っていた。

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