5 龍の帰る場所

 見たことのある大地が、近づいてくる。

 北の山まで三日月のようにのびる、瑠璃色るりいろの湖。

 暮れなずむ草原はあおく沈み、森との境にはあの平屋が見える。

 はるか下、豆粒のような眼下の景色にマルコは心からほっとした。


 だが、急な降下で腹が胸までせりあがる。彼は口を手で押さえ、不快な吐き気に必死で耐えた。

 見ると、アルもエレノアも同じように龍の背にうずくまる。

「むうう!」とうめくバールも口を押さえ、涙まで流した。

 ひとり平気なアカネが叫ぶ。


「やっとだ! 爺さんと婆さんの家だ!」



 巨大な翼が羽ばたき強風が舞う。

 ゆっくりと、着地する。

 平屋から老夫婦があわてて飛び出した。

 火龍ストラグルにのった仲間は、その日のうちにナサニエル邸に到着したのだ。


     ◇


 暖かい部屋で、マルコは不機嫌な若ドワーフの胸元を布でふいている。

 マルコは笑いをこらえるが、ふとバールのふくれっつらが目に入ると口元がゆるんだ。

 バールはぼやく。


「笑いたきゃ笑え。

 ドラゴンに乗るのは二度とゴメンだ」


「ぶふっ!」とマルコは吹き出す。それでも、若ドワーフが胸に吐いたものを綺麗にぬぐってやった。


 アルとエレノアはつかれて、テーブルで突っ伏している。

 アカネとナサニエルが料理を卓に並べる。


 婦人ルアーナが近づき、マルコとバールに提案した。


「冷たいけど、湖で一浴ひとあびしたらさっぱりするわよ」


 そう聞いて、二人はおもむろに窓の外に目をやる。

 とたん「ザパアッ!」と湖面がはね、巨龍の首があらわれた。ストラグルの水浴びだ。

 バールとマルコはまたゆっくり向き直り、若ドワーフが無表情に言った。


「エンリョしときます」



 再びナサニエル邸へと戻った仲間たちは、火龍ストラグルを外に残し、夕げを囲んだ。


 ひと休みした後は、これまでのえを取り返すようにマルコはがっついた。

 卓に広がる大きなニジマスの焼き魚。

 噛むほど味が染み出す巨大鹿エルクの干し肉。

 スープも野菜もビスケットも、心ゆくまで味わった。


 食べ終わって落ち着くと、やっと気づく。

 前はあふれるほどいた魔物の子らが少ないのだ。

 一つ目の単眼巨人キュクロプスの子は、「きゅるる」ととなりで言いつつおとなしく食べている。

 小鬼ゴブリンオーガ岩鬼トロールの子はいない。

 天井を飛び回るトカゲもわずか。

 半人半馬ケンタウロスの子の姿は見たが、もう部屋に戻ったようだ。


 不思議そうな顔でキョロキョロ見回すマルコに、ルアーナが言った。


「子どもたちが気になる?

 帰る場所がある子は、もう帰したの」


 さみしげな笑みのルアーナに、マルコはたずねたかった。

 だが、はっと顔をあげたエレノアが口を開く。


「リリーは……、あの、ストラグルも帰してあげるんですか?」


 すると、食卓のみな顔をあげる。

 驚く瞳のルアーナは、口を開いたが、思い直したように夫に目をやった。


 それまでアルとこそこそ話をしていたナサニエルが、視線に気づき咳払せきばらい。


「あ。ウホン! それは龍の願いの話––––」


「龍の願い!」


 興奮したアルを、素早く老人がしかる。


「だまっとれっ! でな、あやつも居場所に帰すのだが、少し遠出になる。

 明朝、我らは向かう」


 口をパクパクさせるアルをさえぎり、エレノアがただした。


「彼は!

 よくわからないことを言ってました。

『終わりにしたい』とか『均衡きんこう』とか」


 マルコもアルも、首がこわれたように激しくうなづいた。

 仲間が注目する中、ナサニエルは婦人に目配めくばせすると、慎重に答える。


「あれに乗って、我らは先に龍の帰る場所へと向かう。

 時間がないのでな。

 おまえたちには、あとから来て欲しい」


「ここでゆっくりした後でいいからね!」とルアーナがつけ足す。

 間の抜けた顔のアルに、かつての探求者が言った。


「アル、そこの湖、おのずに沿って雪の棚山脈を越えたところだ。

 目的地は……暗くなればすぐわかる」


 アルは鋭い目でうなづいた。

 とたんナサニエルは、マルコの方へ向く。


「マルコ。異邦人殿にも関わることだ。

 ストラグルのことも、たまごのマリスのことも全てそこで話す」


「今すぐ教えてはくれないの?」


 訴えるマルコに、老人は顔をしかめて勢いよく頭をかきむしる。

 まるで子どものようにうめいた。


「だあああぁぁっ! あの者らとの約束でもあるし、とにかく山のこちら側では––––」


「あなた!」


 血相を変えたルアーナが、立ち上がった。

 すると、しかられた子のようにナサニエルはしょぼんと背を丸め、つぶやく。


「とにかく、あとからついてきてほしい。

 くれぐれも……気をつけてな」


 仲間は、おそろしい迫力の婦人と、かわいそうなほど小さくなった老人を、ジロジロと見比べる。

 そして互いに顔を見合わせ、肩をすくめて追求をあきらめた。


     ◇


 翌朝。

 マルコは龍の背を見上げて、まるで箱舟はこぶねだと思った。

 赤い龍の背に、板張りの乗り場がある。

 ナサニエルが魔法でのせたものだ。

 その中から老夫婦が手をふり、魔物の子らもおとなしくこちらを見つめる。

 火龍ストラグルが巨大な顔を近づけた。


「ではさらばだ。仲間になれて楽しかった。

 特にエラ––––」


「やだ! スケベ!」


 赤面したエレノアが、胸を押さえ即座に言い返す。

 一同は固まったが、龍の口はゆるむ。

「ふ。は。は」と渋い声で笑った。

 その口から炎がもれて、引きつった顔のバールが手で払った。


 巨大な翼が羽ばたき、赤い龍が青空へ飛び立つ。

 湖と森の向こう、遠く白い山を越えて消えたあとも、仲間はいつまでも見送っていた。

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